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呆れてばかりはいられない

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 ぱちぱちと薪の燃える暖炉の音。
 乾いた木が炭化してゆく時に発する匂い。
 
 ……なんだろう。
 すごく落ち着く。
 
 それにこの温もり、じんわりと毛皮の中に染み込んできて気持ちいい…… 
 
 ここでわたしはガバッと躯を起こした。
 
 え? 
 は? 
 なに? 
 
 気が付くと、わたしは何処かの家の中、暖炉前に置かれたクッションの上に寝かされていた。
 
 ここ、どこだろ? 
 
 頭を上げて、ゆっくりと部屋の中を見渡す。
 
 部屋自体はそんなに広くはなかった。
 まず目に入ったのは火の燃える暖炉。
 上にはいくつかの額が置いてあるけど、よく見えないな。
 それから、暖炉の前に応接セット。
 ロココ調っていうの、S字とC字の組み合わさった蔦模様の彫刻が刻まれた、いかにもお金の掛かっていそうなソファとローテーブル。
 その向こうに置かれた赤みが掛かった木材のチェストも同じような装飾がしてある。
 床に敷かれた分厚い絨毯も同じ模様。
 一つ一つ丁寧に買い集めたと言うよりも、揃えて特注で誂えたって感じの統一感。
 それから、壁一面に設えられた大きな本棚にびっしりと本がつまっていた。
 そして、右手にやっぱり同じような装飾の書き物机が窓を背にして置かれていて、誰かがその上に屈み込んでいた。
 
「(え、っとぉ…… )にゃぁん」
 
 とりあえず話し掛けてみる。
 けど口を付いてでたのは猫の鳴き声だった。
 
「あら、目が覚めたのね! 」
 
 わたしの声に反応して書き物机の前に座っていた人影が立ち上がり、嬉しそうな声をあげてこっちに近付いてくる。
 
「よかったわ」
 
 側まで来るとその人は膝を折って座り込み、顔を覗きこんでくる。
 
 ふわぁ。
 ちょっと厚化粧で派手だけど、きれいなお姉さんだな。
 大きく膨らませて結った紫の髪に鳥の羽飾り。
 髪の色に合わせた紫のドレスがよく似合っている、もろ大人の女性って感じの二十代半ばくらいの人。

「ね? お腹空いてない」
 
 その姿に見とれていると不意に訊かれた。
 ご飯を示唆する言葉に思わず喉がなる。
 
「ふふっ、そうよね。
 あなた、一晩中眠っていたんだもの。
 ちょっと待っていてね」
 
 さらりと衣擦れの音をさせてその人は立ち上がると部屋を出てゆく。
 
 華やかな見かけと不釣合いなハスキーボイスなんだけど、その声が心地いい。
 
 勘でしかないけど、なんかこの人なら危害は加えない、そんな気がした。
 
「ごめんなさぁい、こんなものしかなかったんだけど、食べられるかしら? 」
 
 程なく戻ってくると、その人はわたしの前にお皿を置いてくれる。
 
 甘いミルクの匂いが鼻先を掠める。
 それからバターと火を通した小麦粉と卵のミックスされた匂い。
 これ、クッキーだ! 
 
 待ちきれなくてお皿の中を覗くと、ミルクの中に砕いたクッキーが浸してあった。
 欲を言えばクッキーはミルクと別々にいただきたかったけど、この際何でもいい! 
 ミルクの匂いに誘発されて空腹感はマックスになっていた。
 我慢も遠慮もしている場合じゃない! 
 
 遠慮なくそのお皿に口を寄せた。
 
「あ、ほらほら! 
 慌ててがっつかなくたって大丈夫よ。
 まだ、いくらでもあるんだから、ゆっくりお食べなさい」
 
 その人ははしゃいだ声をあげた。
 
 ばんっ!
 
 と、大きな音がしたと思ったら、同時に部屋のドアが乱暴に開く。
 
「おはようございます、ご主人様! 
 早朝早々申し訳ありませんが、ひと言苦情を言わせてもらってよろしいですか! 」
 
 口調からもわかるけど腹を立てた様子で、メイド服のようなエプロンワンピースを着た十四・五才ツインテールの女の子が駆け込んでくると言い放つ。
 
「あれほど言いましたよね? 
『キッチンのものにはひとつたりとも触らないで下さい』と」
 
「だってぇ、これでも気を使ったのよ。
 朝早々に起こすのはかわいそうだと思って。
 それと、あたしのことはマダムって呼びなさいっていつも言っているでしょう! 」
 
 わたしの側に屈み込んでいたその人は立ち上がると言う。
 
「いったい何に…… 
 ぎゃーぁ! 
 ね、ね、ね、猫っ! 
 どうしてここに猫がいるんですか? 」
 
 さっきの女性の足元にいたわたしに目を留めるとツインテールの女の子が悲鳴をあげた。
 
「どうって、拾ったのよ。
 庭で」
 
 女の人の方はしれっと言う。
 
「どこの莫迦が猫なんか拾ってくるんですか? 
 今、直ぐ棄ててきて下さい! 」
 
「はぁ? 何言っているのよ? 
 せっかく助けたのよ。
 棄てるつもりなら最初から拾ってなんかこないわよ」
 
 ……なんか、わたしを巡って言い合いをはじめた? 
 
「呪われて取殺されても知りませんよ」
 
「いやあねぇ、取殺されるとしたら、今更棄てるからでしょう。
 大丈夫よ。この子、このままここで飼ってあげたら、恩を感じても呪うようなことしないから」
 
「どこにそんな保証あるんですか? 」
 
 なんか、本当に猫が嫌なんだな。
 女の子の口調が徐々にヒートアップしてくる。
 
「だってほら、この子黒猫じゃないじゃない。
 魔女の使い魔って訳じゃないんだから、魔力なんて持ってないわよ。多分」
 
 最後のひと言を言うとき、女の人の視線がかすかに泳いだ。
 
「黒猫じゃなくたって、猫は猫です! 」
 
「じゃ、こうしましょ! 
 この子の世話はあたしがやるわ。
 キッチンにも絶対入れない。
 それならいいでしょう? ロッタ」
 
「くっ…… 」
 
 ロッタと呼ばれたそのメイドコスプレの少女は唇を噛む。
 
「少しの間、だけですよ。
 棄てるのが嫌ならできるだけ速やかに、引き取ってくれる魔女でも探して渡しちゃってください! 」
 
 自棄のように言って、メイドちゃんは部屋を出て思いっきり乱暴にドアを閉めた。
 
 ばたん! 
 
 あまりに乱暴に閉めたせいか。部屋の空気が揺れる。
 
「ごめんね、びっくりさせちゃったわよね? 」
 
 溜息と共にわたしの隣にもう一度座りなおすと、その人は優しく頭を撫ぜてくれた。
 
「あたしは、ジル・クララック。
 ジルでいいわよ。
 あなたは…… って訊いても名乗ってはくれないわよね。
 そうだ、マリーって呼ぼうかしら? 
 どう? 」
 
「なにゃん(本当は真朝って言うんですけど)」
 
 訊かれたから答えてみたけど、やっぱりわたしの言葉は「にゃん」だった。
 
「そう? 
 気に入ってくれた? 」
 
「にゃん」をジルさんは「了解」って解釈したみたい。
 
「よろしくね、マリー」
 
 呟いて目を細めると、ジルさんはもう一度頭を撫でてくれる。
 
 あれ? 
 この人の手、女の人の手の割に大きくて骨ばってる。
 
 ちょっと違和感。
 
 ま、人の骨格なんてそれぞれだから。
 
 とりあえず、飼ってくれるって言うし、ここは暫く甘えてしまおう。
 できるだけ早く身の振り方は考えるとしても、考えて実行に移す間の寝床とご飯の確保はありがたいもん。
 
 わたしはジルさんに向かって軽く頭を下げた。
 その拍子にチェストの下に何か白い紙のような物が押し込まれているのが目に入った。
 
 なんだろ? あれ? 
 押し込まれたようにぐしゃぐしゃになっている形状が気になるなぁ。
 
 思わずチェストへ駆け寄り、その猫足と床の間に手を突っ込んだ。
 
 んー。
 
 あとちょっとなんだけどな。
 なんか、思ったより手が届かないというか。
 普段だったら余裕のはずなんだけど。
 
「あら? どうかした? 」
 
 わたしの行動に目を留めて、ジルさんが近付いてくる。
 
「何か面白いものでもあったのかしら? 」
 
 隣に座り込むとチェストの下を覗き込む。
 
「ごめんなさい…… 
 これが気になったのね? 」
 
 チェストの下にあるものに気が付いたみたいで、手を差し込んで引っ張り出す。
 
「なんだって、こんなところに紙が…… 」
 
 引っ張り出された紙は案の定ぐしゃぐしゃになっていた。
 ジルさんは首をかしげながらそれを広げると同時に目を見開いた。
 
「まぁ! あったわ! これよ、これ! 
 ロッタ! ロッタぁ。見つかったわよ! 」
 
 何かよっぽど大切な書類だったみたいに、弾んだ声をあげて部屋を駆け出していった。
 
 なんだかよくわからないけど、とりあえずお役にたててよかった。
 
 気になるものがなくなると、急に眠気が差してきた。
 さっきまで眠っていたんだから、眠気が来るのおかしいんだけど、よっぽど疲れていたのかな? 
 ミルクに浸したクッキーもらって、お腹いっぱいになったからかな? 
 
 とりあえず、さっきの暖炉前のクッションに移動して、その上に丸まりこむ。
 
 この世界の今の季節がどのくらいかわからないけど、少し肌寒いのは確か。
 だから暖炉の前が心地いい。
 躯をまるめて暖炉の熱に背中を炙っているうちにまたうとうとはじめる。
 
 
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