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シンデレラの赤いリボン
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しおりを挟むどこまでも続く薔薇の庭に立ちヴィクトリアはため息をつく。
「猫の話は考えておくから…… 」
そう言われて別れて数日。
ヴィクトリアはあれからハーランの姿をみていなかった。
長い逗留に疲れが出たのか、寝込む少女が居たりして、舘の中にかすかだが妙な空気が広がっている。
その頃から、ハーランの姿が庭に見えなくなった。
少し淋しい思いを抱えながら数日を過ごした後、国王主催の舞踏会が間近に迫ってきているのに気が付いた。
国王主催の大舞踏会。
それはこの選定会がもうすぐ終わることを意味している。
イリーナの猫のこと、少しでもいい返事ができれば……
そんな思いで、もう一度ハーランと話をしたかったのだが。
何度来てもハーランの姿がない。
「そうそう、わたくし今夜、帰りますの」
落胆した気持ちで部屋に戻ると思い出したようにシャーロットが言う。
「帰る? 」
シャーロットの言葉にヴィクトリアの声がひっくり返った。
「どうして?
明日舞踏会じゃない。
それも国王陛下主催の…… 」
「だからじゃないの」
シャーロットは笑みをこぼす。
「だからって、もしかして出ないつもり? 」
「……まさか、とんでもないわ。
出席するに決まっていますわよ。
明日の舞踏会の為に何日もこんな退屈で屈辱的な場所に我慢してきたのよ」
「じゃ、どうして? 帰るなんて」
シャーロットの考えていることがヴィクトリアにはどうしてもわからない。
「あなた、髪ご自分で結えて? ヴィクトリア」
じっとこちらを見据えてシャーロットは言う。
「それは……
何とか、なる、ん、じゃ、ない、か…… な? 」
その言葉に即答できない。
普段の髪型なら贅沢を言わなければこうしてかろうじて自分で結えた。
だから、髪飾りを変えれば夜会用の髪型も何とかなった。
メイドの手が借りられない以上、今回もそれでしのぐしかないと思っていた。
正直不満がないといえば嘘になる。
だけど、できない以上仕方がない。
シャーロットとしてはそれでは納得できないと言いたいのだろう。
「でしょう? 」
シャーロットは曖昧にしか答えられないヴィクトリアの顔を覗き込んだ。
「今回最後の大きな舞踏会ですもの。
皆さんきっと充分なお支度をなさって出席するはずですもの。
そこに自分で結った変わらない髪型で出席できるとでも思って? 」
確かにそれではメイドの手を借りた少女達よりかなり見劣りしてしまう。
「ですから、タウンハウスに戻るんじゃないの。
もう、わたくし付きのメイドが領地から出てきて待機済みですのよ。
大丈夫、心配しなくても舞踏会の時間までには戻れるわ」
「では、失礼しますわね」
かなりの上機嫌でシャーロットは迎えに来た馬車に乗り込んで帰っていった。
エントランスを出てそれを見送るとヴィクトリアはため息混じりに自室に戻る。
「髪型、どうしよう…… 」
呟きながらドレスが皺になるのも構わずベッドに突っ伏す。
手の届かないところはシャーロットの手を少し貸してもらえれば何とかなると思っていたのに。
「じゃ、なくてコルセット! 」
暫くぼんやりと思いを巡らせた後、ヴィクトリアは軽く叫ぶと起き上がった。
デイドレスのコルセットはともかく、さすがに夜会用のイヴニングドレスはこれでもかと言うほど腰が絞ってある。
それを着る為にはかなりしっかりコルセットを締めなければならなくて、それには一人では無理がある。
人によってはメイド二人係での作業になるのだから。
さすがに今から家に帰っても、と言うかヴィクトリアの場合、父が留守のタウンハウスに誰かいるとは思えない。
せいぜい留守を預かる老夫婦が居るだけで、ヴィクトリアの髪を結えるかと言うと甚だ怪しい。
「欠席……
か、な? 」
小さく呟くと、なんだか涙が浮かんできた。
選定会も終わりに近い今、多分ここでの最後の舞踏会。
一度でいいから踊ってもらいたかった。
あの時からずっと思っていた。
こうして側に来ることができて、話をすることができて、なんだか少し欲張りになった。
まだまだ遠い話だけど……
いつか……
ずっと自分だけとダンスをして欲しい。
そんな図々しいことを思うようになった。
本当は、同じ相手と何度もダンスするのはマナー違反なんだけど、婚約者同士なら大目に見てもらえる。
だから……
今度の舞踏会では絶対に最初に手を差し伸べてもらいたかった。
それが無理でも、せめて一曲だけでも、踊って欲しかった。
そしたらきっと、あの時からの思いに区切りをつけられる。
そんな希望があったのに、参加することさえできないなんてあんまりだ。
頬を伝う涙の感触に改めて思う。
ずっと前からあの人が好きだったんだと。
あの、梢で翻る真紅のリボンを取ろうとしたて上った木から落ちたところを受け止めてもらったあの時から。
今思うにずっとそれだけしかみていなかった気がする。
だけど、今までもし告白して断られたり拒絶されたり、無作法な子だって思われたりしたら……
そう思うと、怖くて何も言い出せなかった。
だけど、少しでも可能性があるのなら……
ううん、このまま何もしないでいて、明日あの人が誰かの手を取ったりなんかしたら……
その姿を見たくないというのが一番の思いだけど……
だけど、気持ちを伝えないで誰かに取られてしまったりしたら、きっとこの先ずっと後悔する……
だったら……
だったら、言っても言わなくても後悔するんなら……
「お嬢様、トリアお嬢様」
暫く聞いていなかった声とともに誰かが優しく肩を揺する。
その感覚にトリアは目を開いた。
「あ…… 」
ぼんやりとした視界のほとんどを占めているのは、メイドのナンナの顔。
「え? 」
睫をしばたかせながらヴィクトリアは起き上がる。
寝ぼけているんだろう。
家のメイドがここに居る訳がない。
ヴィクトリアはもう一度毛布の中に潜り込もうとした。
「お嬢様、何時まで寝ぼけているおつもりですか? 」
呆れたように言われる。
「朝食、お持ちしてありますよ」
次いで華やかなお茶の香りと甘いパンの匂いが鼻をつく。
「ナンナ、どうして!? 」
嗅覚を刺激され完全に覚醒すると、ヴィクトリアはほとんど飛び上がるようにして起き上がった。
「やっとお目覚めになってくださいましたねぇ」
夢でもなく満面の笑みをたたえた家のメイドの顔がそこにあった。
「どうしてって、お手伝いにあがったのですが……
もしかしてお嬢様今のお時間まで熟睡なさっていると言うことは、舞踏会に参加なさるおつもりがなかったのですか?
それもそんなお召し物のままお休みになるなんて…… 」
「え、っと、その…… 」
結局夕べ、もうどうしていいのかわからなくなって、ついでに酷く気落ちして、ごちゃごちゃの思考のまま、知らないうちに眠ってしまったらしい。
当然着替えどころでなく、記憶にはないが半覚醒のままドレスを脱ぎコルセットだけは外してそのままベッドに潜り込んだらしい。
ベッドの足元に丸めて置かれた昨夜着ていたデイドレスがそれを物語っている。
「でも、来てくれて助かったわ。
……本当はね、どうしようかって途方に暮れてたの」
メイドが用意してくれてあった朝食をベッドの上でしたためながらヴィクトリアは消え入るような声で言う。
「今夜一晩だけは、わたし達もお嬢様のお世話ができるようにお城に上がる許可が下りていたんですよ。
お嬢様のことですから、きっと何も言えなくてお困りになっていそうなので、忘れずに行ってくれと旦那様から言い付かっていました」
「ありがとう。ナンナ」
食事の終わった盆を下げてもらうとヴィクトリアはベッドを下り鏡の前に移動した。
「お嬢様、何時までもお休みになっていてお時間が遅いですから、少し急がせていただきますね」
ブラシを髪に通しながらナンナは言った。
「って、お嬢様…… 」
通し始めたブラシの手を止め、メイドは呆れたように息をつく。
「一体どういう扱いをなさっていたんですか、こんなに痛ませてしまって…… 」
毛先を手に取り黙り込む。
「どうって、普通にちゃんとブラシかけてたけど」
「普通って、もしかして上から? ざっくりと? 」
「そうだけど、いけなかった? 」
背後に立つメイドの顔を見上げるとヴィクトリアは首を傾げた。
「普通は毛先から少しずつ梳くものです。
わたくしが毎日お手伝いするのを見ていらっしゃらなかったんですか? 」
「見てたけど、勝手が違うって言うか、その…… ね」
ヴィクトリアは肩を竦ませた。
「仕方がありませんね。少し切らせていただきますよ」
鋏を手にメイドはヴィクトリアの髪を手に取った。
「いかがですか? 」
結い上げた髪に、天色の薔薇の造花とパールが連なったヘッドドレスを止めつけて、鏡越しにヴィクトリアの顔を覗き込んでナンナは訊いた。
「うん、すっごくすてき、ありがとう」
合わせ鏡に映った後頭部を目にヴィクトリアは言う。
「自分じゃ、絶対こうは行かないのよね」
手にした手鏡を置きながらヴィクトリアはあからさまなため息をつく。
「そりゃ、わたしが不器用なのはわかってるけど…… 」
「お嬢様だけじゃありませんよ。普通はそんなものです」
手にしたドレスを髪の整ったヴィクトリアに着せ掛けながらナンナは言う。
「あら? お嬢様、少しお痩せになりました? 」
腰の辺りを目にメイドは呟いた。
「そう? 」
ヴィクトリアは首を傾げる。
「ええ、こちらのドレスは確か作っている最中にお嬢様すこし成長なさって、いっぱいいっぱいだったはずなんですけど、少し余って来てますよ」
「それなら、あれよ」
ヴィクトリアは息をつく。
とにかくシャーロットのコルセットの絞めかたは半端じゃなかった。
あの細い腕のどこにそんな力があるのか疑いたくなるほどに……
「でも、良かったですわ。
お嬢様、装いのことにはまるで無頓着で少しくらいドレスがきつくなっても全く構わなかったですから」
瞳と同じ色のドレスを纏った鏡に映ったヴィクトリアの姿を満足そうに眺めてメイドは頷いた。
「それでは、お嬢様。
わたくしはここに長居はできませんので、これで失礼しますね」
ドレスの裾を整えながらナンナは満足そうに頷いた。
「ごめんなさい、ありがとう」
たかが自分の着付けのためだけにきてもらったんだと思うと本当に申し訳ない。
「いいえ、こうしてお嬢様の晴れ姿が見られたのですもの。
こんな名誉なことはありませんわ」
ナンナはやんわりとした満足そうな笑みを浮かべてくれる。
「本来なら、終わりまでお付き合いしてお着替えをお手伝いしたいのですけど、こちらでは私どもの居る場所もありませんから……
くれぐれもお召しになったドレスをそのままにしておくことだけはしないで下さいね。
あと無闇に走ったりも…… 」
さすがに子供の頃から面倒をみてもらっていたメイドだけのことはある。
最後に釘をさすのも忘れなかった。
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