たとえばこんな、御伽噺。

弥湖 夕來

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舞台裏の夜啼鳥(ナイチンゲール)

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 いくつかのイベントの後、まるで休暇を与えられたように何もない日々が続く。
 ヴァイオレットは自室で書庫から借り出してきた本を片手に欠伸を漏らした。
 特に読みたくて借りてきた本でもない、ただの暇つぶしにと思ったのだが、もともと興味のないタイトルではろくに頁をめくらないうちに読む気も失せてしまう。
 窓の外に視線を泳がせていると、自然に歌が口をついて出る。
 癖になっていて何気なく口にする子守唄は、何時頃誰に教えてもらったのかわからない。
 
「退屈そうですね」
 その様子を目にメイドが訊いてくる。
「わかって? 」
 ヴァイオレットは口ずさんでいた歌を止めるとメイドに向き直った。
「お嬢様が、そうして鼻歌を歌うときは暇を持て余している時ですから」
 何もかもお見通し、と言った感じで微笑んだ。
「お茶会も皆さん飽きてしまわれたみたいよ」
 さすがに連日ともなるとすでに話題に尽きている。
 もともと義理で習っていた楽器を今更鳴らす者もなく、建物の中は静まり返っている。
「お庭をお散歩でもなさってきたらいかがですか? 」
「薔薇は苦手なの知っているでしょう? 」
 メイドの言葉にヴァイオレットは眉根を寄せる。
 城の周囲にはこれでもかと言うほどの薔薇が植えられ今を盛りに咲き誇っている。
 日差しもちょうどよく散歩するにはいい陽気なのだが、ヴァイオレットがその気になるわけもなかった。
「ようやく部屋で花の姿を見ないですむようになったのよ。
 どうして花を愛でに出なければいけなくて? 」
「申し訳ありません」
 メイドはうかつなことを言ってしまったとばかりに頭を下げる。
 
「お嬢様は、こちらにいらしてから、なんだかお嫌いなものがどっと増えたようですね」
 メイドはため息をこぼすと睫を伏せ残念そうに言う。
「増えた訳じゃなくてよ。
 もともと嫌いだったの。
 お養父さまの邸にいたときにはあまり触れないですんだから、あなたが気付かなかっただけ…… 」
 それに…… 
 ふとヴァイオレットの脳裏に鳶色の穏やかな瞳がよぎる。
 
 社交界にデビューしてから今まで、あの養父から解放された数年は楽しかった。
 劇場と音楽会とそう言った苦手なものは避けていればよかったのだから。
 しかしここではそうはいかない。
 たとえ気が進まなくても出席しなければいけない行事がたくさんある。
 くわてこのむせ返るほどの芳香を放つ薔薇の庭。
 病身の王妃が好きな花だと、庭いっぱいに植えてある。
 
 自宅であるボナローティ邸の庭は、養父の好みか花より常緑樹の植え込みが多かった。
 おかげでほとんど花を見ないで済んだのに…… 
 
「薔薇の花じゃお腹は膨れないし、寒さもしのげないのよ」
 ヴァイオレットはメイドに聞き取れないほど小さな声で囁くように呟くと立ち上がる。
「お嬢様? どちらへ」
 機嫌を損ねてしまった主人の予期せぬ動作に戸惑ったようにメイドが声を掛けてくる。
「どうしましょう? 
 舘の中でも歩いてくることにしてよ。
 ギャラリーの肖像画でもゆっくり眺めてくるわ」
 少し怯えさせてしまったメイドに謝罪の意味も込めて笑みを浮かべるとヴァイオレットは部屋を出る。
 
 ゆっくりと正面ホールの階段を下り、ギャラリーの方へ向かうと途中のパーラーから何人かの少女達の話し声がした。
「レディ・ヴァイオレット? 」
 開け放たれたドアの前を通ったところを呼び止められる。
「皆さんでチェスでもしましょうって、今話していましたの。
 ご一緒にいかが? 」
 背後から誰かのメイドがチェス盤を持って現れる。
 そのメイドに押されるようにして、ヴァイオレットはパーラーに足を踏み入れた。
 
 
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
 ここでもやはり、教養として基礎のルールだけは身につけているに過ぎない令嬢が数人混じる。
 対戦相手によっては暇つぶしにもならないほど簡単に勝負がついてしまうこともある。
「駄目ですわ、レディ・ヴィクトリアのお相手、誰かできる方おりまして? 」
 ほとんど一人勝ちになってしまった歳若い少女を前にその場の皆でため息をつく。
 
 そのときパーラーの前を通りかかる人影を見つけた誰かがその人物に声を掛けた。
「レディ・セフィラも一局いかが? 」
「ありがとう、喜んでお受けいたしますわ」
 セフィラは急ぐ様子もなく、言ってその中に加わってくれた。
 
「…… 」
 程なく、向かいに座る少女が言葉なくため息を漏らす。
「もう少し、待っていただいていいかしら? 」
 少女は局面から目を離さずに呟いた。
 テーブルを取り囲む少女達と一緒にその盤を覗き込んでいたヴァイオレットにもわかる。
 完全にセフィラの一人勝ち。
 もうどう盤面を眺めていても駒の動かし様がない。
「でも、どうしてこんなにお強いのかしら? 」
 背後の少女がそっと呟いた。
「ほら、ここの国のチェス、少しルールが…… 
 わたくしも何度か指させていただいたけれど、それで難攻しますの。
 セフィラ様、こちらの国のご出身ではないのに、慣れていらっしゃるのが不思議ですわ…… 」
「それならきっと、教えていただいた人が良かったからかしら…… 」
 相手の少女がようやく動かした駒を受けて、駒に手を伸ばしながらセフィラが呟いた。
 その言葉に周囲の少女達がどよめく。
 チェスに興じるよりよほど面白い話が聞けそうだと、その場にいた何人かの目が輝く。
「どなたですの? 」
 すかさず誰かが突っ込んだ。
「初恋の赤毛のお兄様…… 」
 駒の動きに集中しているのだろう、求められるままに何気なさそうにセフィラは口にする。
 更に少女達のどよめきがあがるのと一緒に、背後で誰かが家具にぶつかるような大きな音がした。
 室内には似つかわしくない音に、みなの視線が一斉にその方角に向う。
「驚かせて済まない」
 椅子に躓いたらしいアーサーが驚いたような慌てたような戸惑ったような妙な表情をして立っている。
 その背後に、苦笑いを浮かべた従者の姿があった。
 少女達は一斉に立ち上がると、ドレスの裾を上げ、膝を折る。
「チェスかい? 」
 アーサーは盤上を覗き込んだ。
「いかがですか? 」
 セフィラは勝負の付いてしまった席を離れて、アーサーに譲った。
「そういえば、バハムートが馬場に出ていたよ」
 促されるままに席につきながらアーサーが言うと、セフィラはこれ以上追求されないようにとでも言うようにパーラーを出て行ってしまった。
 
「さて、私の相手は誰かな? 」
 新しい話題を提供してくれそうな相手を逃してしまったことに残念そうな顔をした少女達を前にアーサーは誘う。
「わたしがお相手いたしますわ」
 その中の誰かが嬉々として早速応じる。
 
 自分のチェスの腕が、どの程度かは置いておいて、一度位はアーサーに相手をしてもらいたいというところが誰でも本音だろう。
 
 ところが…… 
「アーサー様、少しお時間をいただけまして? 」
 アーサーと挟んだ盤面を見つめ、少女は呟く。
「待ったはなしだよ」
 男はやんわりと微笑んだ。
「やはり無理ですわ」
 少女は諦めたように息を漏らす。
「では、私の勝ちだね」
 男は何事もなかったような涼しい顔をして言う。
「アーサー様お強すぎです。
 少しは手加減していただきませんと、わたくしたちでは歯が立ちませんわ」
 一人の少女が不満そうに声をあげる。
 アーサーのチェスの腕は圧倒的だった。
 それも普段なら女性への気遣いを常に忘れないアーサーが、何故か手加減という言葉を忘れたかのように真剣に挑んできた。
 その行動はまるでどこか余裕がないようにさえも見えた。
 結局、全く時間を掛けずに三人連続で圧勝してしまう。
 
「次は誰だい? 」
 アーサーが顔を上げて笑顔を向ける。
「わたくしはご遠慮しますわ」
 居並ぶ少女達が眉をひそめる。
「一番お強いレディ・ヴィクトリアでさえ敵わないのですもの。
 わたくし達ではお相手になりませんわ」
 残念そうな深いため息をこぼした。
 
「お嬢様、声楽のリヴェルダン先生がお見えです」
 誰もが黙り込んでしまった中、ヴァイオレットの耳もとで、メイドが囁くように告げた。
 先日訪問の予約を受け今日を指定して返事を出しておいた事を思い出す。
「すぐに向かってよ。応接室で待っていていただいて」
 メイドに言うと席を立つ。
「申し訳ありません、殿下。
 お客様が見えられたようなので、失礼させていただいても? 」
 チェス盤に向かうアーサーに言う。
「ああ、構わないよ」
 許可を貰うとヴァイオレットはパーラーを出た。
 
 
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
 開け放たれていた応接室のドアを潜ると、少し神経質で気難しい中年の男はソファにも掛けず、窓から庭を眺めて背をこちらに向けて立っていた。
「先生? どうかいたしまして? 」
 ヴァイオレットは首を傾げた。
「わざわざお手紙を下さるなんて…… 」
「君の話を聞いてね。
 随分と声が伸びなくなったそうじゃないか」
 ゆっくりとこちらを向くと、中年の男はヴァイオレットを見据えた。
 栗色の髪が窓からの光に透けて僅かに金色を帯びる。
「この分だと、俺はここまで君のレッスンに通うことになりそうだな」
「先生、わたくし! 」
 ヴァイオレットは思わず声をあげた。
「もうレッスンは結構ですと、先日…… 」
「何のために俺が、わざわざ君にレッスンをつけていると思う? 」
 男はこの場所に不似合いな砕けた装い同様、砕けた口調で言う。
「お養父さまに頼まれたから、でしてよね? 」
 あの養父なら、相手がどんなに気難しくても相手を承諾させかねない。
「そう思うのか? 」
「他に考えられませんもの。
 わたくしが教養の一部として身につけるために、最高の教師を用意してくださったとしか」
「俺はね、君の声に惚れているんだ。
 埋もれさせるのは本当に惜しいと思う」
 言いながら男は中央に置かれたソファに移動し腰を降ろす。
「本来なら君はプリマドンナになれる才能を持っているんだ。
 もっとも侯爵家のご令嬢ではまさか商売の舞台に立つわけには行かないが、それでも俺は君を本当のプリマに育ててみたい。
 そう思ったからこそ、教師を引き受けた。
 それを途中で投げ出されてはね…… 」
 男はヴァイオレットを見据える。
「先生…… 
 そんなこと言われましても迷惑ですわ」
「そして、これは君の耳には入れていなかったが、もう一つの理由がある。
 君の父親、フィッシャーとの約束だからだ」
「お父様? 」
 その言葉にヴァイオレットの顔から血の気が引く。
 もうずっと聞いていなかった名前。
 それもここでは絶対に口にできない…… 
「顔色が変わったな…… 」
 男は呟くと立ち上がる。
「君の弱みはそこか。
 では、ヴァイオレット・ボナローティ侯爵令嬢殿。
 レッスンは来週からと言うことで…… 」
 ヴァイオレットの言葉をそれ以上聞く必要はないかとでも言うように言い置いて立ち去ってゆく。
 
 
「では、先生。
 また来週」
 言い置いてヴァイオレットはピアノの置かれたサルーンを出る。
 自室に向かいながら一つ息をこぼした。
 確かにここへ来てから全く歌うことのなかったせいか、声の伸びがだいぶ落ちているのは先日の音楽会で実感していた。
 だからだろうか、今日のレッスンは相当厳しかった。
 
 だけど、正直なことを言ってしまえばもうこれ以上続けるつもりはなかった。
 ここへ入ったことを理由にレッスンを中断し、そのままなしくずしで止めてしまうつもりだったのに…… 

「随分と絞られたようだね」
 掛けられた声に顔を上げるとアーサーが歩み寄ってきた。
「暫く遠ざかっていたのが仇になりましたわ」
 ヴァイオレットは楽譜を抱え、顔を上げたまま睫だけを落とした。
 まさか、ここに来てまで声楽のレッスンがついてくるとは思わなかった。
「さすがと言っていいんだろうか? 
 ここまであの作曲家の大先生が追ってくるなんて、よほど見込まれているんだね」
 アーサーが笑みをこぼす。
 
 ……本当の所を言えば見込まれるを通り過ぎている。
 
 まさか脅迫めいたことまで言われるとは思わなかった。
 
 見込まれるというよりは、見入られたとでも言うべきか。
 考えるだけで背筋を寒いものが走る。
 
「どうかしたのか? 」
 気が付くとアーサーがヴァイオレットの顔を覗き込んでいた。
「いいえ、なんでもありませんわ。
 晩餐の着替えをしなければなりませんから、失礼いたしますわ」
 ヴァイオレットは曖昧に答える。
 
 これ以上踏み込まれたくはなかった。
 
 アーサーと別れ部屋へと急がせていた足がふと止まった。
 どこかの部屋で誰かが話をしている。
 しかもドアが開け放されたままなのか天井にこだまして、会話の内容がよく聞き取れる。
 
「……アーサー殿下のお気に入りは目下、セフィラ・グラシードとヴァイオレット・ボナローティと言ったところですかな」
「そうすると勝ちは私だな。
 言ったとおりグラシード嬢に決まりだ」
「どうして貴公はそう言い切れるのかね? 」
「ボナローティ侯爵の話を知らないのか? 
 あの娘の見栄がいいのももっともな話さ。侯爵の実子じゃないんだし」
「ああ、それなら俺も聞いたことがあるよ。
 確か奥方と一人娘をはやり病で同時に亡くして…… 」
「そうそう、そうしたら、亡くなった娘と同じ年頃の美しい顔立ちの子供をどこからか連れてきて、養女にしたんですよ」
「いえ、わたしの聞いた話ですと、あの娘は侯爵と一応血が繋がっているそうですよ。
 ほら、侯爵の妹御が…… 」
 
 明らかに聞きたくない話にヴァイオレットは耳を覆った。
 
 この后妃選定会の結果を、暇と金を持て余した貴族の一部が賭けの種にしているのは知っていた。
 問題なのはその後だ。
 
 まさか、あの話を、こんな人たちまで知っていたなんて…… 
 
 そのことに全く気が付かないで今まで過ごしたことの方が不思議だ。
 
 耳を覆いその場を足早に離れながらふと思う。
 
 確か…… ヴァイオレットの背後でこの話題が挙がりそうになると必ずと言っていいほどセオドアが席を外していた。
 そして何故かそれ以上ヴァイオレットはその話を耳に入れなくてすんでいた。
 それは、もしかして…… 
 
 そういえば、最近セオドアの顔を見ていない。
 
 忙しいはずのアーサーが顔を出す機会は明らかに増えたような気がする一方、セオドアの姿をここ数日見ていないことに改めてヴァイオレットは気が付く。
 
 妙な不安が胸を占める。
 
 
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
「どうし、て? 」
「お嬢様、いかがいたしました? 」
 ポツリと呟くと部屋の中で忙しそうに立ち働いていたメイドが耳にし、訊いてくる。
「え? わたくし、何か言って? 」
 部屋の中に広がる色とりどりのドレスや小物を前に慌てて首を振った。
 
「お嬢様も、もしかして、お加減でも? 」
 メイドはヴァイオレットの顔を覗き込む。
「いいえ、どうして? 」
「連日のお疲れが出たのでしょかね、ここのところ体調を崩されたお嬢様が何人かいらっしゃると聞いたものですから」
「そうなの? 」
 そういえば、ここ数日ダイニングに食事に現れない顔がいくつかある。
 時には自室で済ませる少女もいたから、あまり気にしていなかった。
「ええ、グラシード嬢とか、ノブフィオーレ侯爵のお嬢様とか。
 お嬢様方だけではなくて、メイドも下がった者が居るみたいなんですよ。
 お嬢様も気をつけてくださいね。
 もしも体調でも崩されたりしたら、旦那様になんて言っていいかわかりませんから」
「わたくしなら、大丈夫でしてよ」
 ヴァイオレットはメイドに微笑んだ。
「では、次の舞踏会のドレスはどちらにしますか? 
 お気に召すものがなければ、旦那様にお願いして新調なさってはいかがですか? 」
 気を取り直してメイドは言う。
 
 メイドは持ってきたドレスを全て広げたようだ。
 あまりに散らかりすぎて、これでは部屋の奥に座っていたヴァイオレットは室外へ出ることもできそうにない。
 ヴァイオレットはため息をつく。
 
 先日の誰かが言っていた言葉。
 あれは紛れもなく本当の事だ。
 幼かったヴァイオレットをその容姿ゆえに引き取り、今回の会を目当てにありとあらゆる教育を施した。
 その情熱は幼いヴァイオレットにとっては恐怖以外の何者でもなかった。
 そして社交界へデビューさせてからは、湯水のように金を使い娘を飾り立てた。
 
 その集大成がここにあるといっても過言ではない。
 
 高価な絹やレースを大量に使った流行のドレス。
 そのドレスに合わせてそのたびに作られるパリュールや髪飾り。
 全てが最高級のものである。
 
「まるで人形にでもなった気分でしてよ…… 」
 その華やかな光景を目にヴァイオレットは呟いた。
 養父の思い通りに作られた、養父の希望のドレスを着せ替えられる、意思を持たない人形。
 もっとも人形だったら少しはマシだったかとも思う。
 それならば誰になんと言われようと耳に届くわけはないし、届いたところで何も感じない。
 
 何故だろう。
 今までずっと楽しかったドレス選びに、少しも心が浮き立たない。
 
 むしろ苦痛にさえ思えた。
 
 
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