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26・無理難題と思われたので、
しおりを挟む晩餐を終えてホールを出る。
今夜の砦の中は妙な雰囲気だった。
皆難しい顔をして空気がどこかぴりぴりしている。
「珊瑚ちゃん、ちょっといいかい? 」
部屋へ向う途中を不意に料理人のおばさんに呼び止められた。
「何? 」
首をかしげながら足を止める。
「悪いんだけどこれ、殿下のお部屋に届けてくれるかねぇ」
差し出された籠には食事らしき物が詰め込まれナフキンがかけられていた。
「殿下、戻っているの? 」
「ああ、昨日遅くにお帰りになったんだけどね、難しい顔をなさってお部屋に閉じこもったきり、食事にも出てこないどころかドアも開けてくださらないって話だ。
あんまりご機嫌が悪いもんだからメイドの女の子達が怖がっちまってね。
従者のキューヴはまだ王都に用事が残っているとかで帰ってこないんだよ」
おばさんはため息をつく。
「もう丸一日以上何もお口に入れていないはずなんだよ。
さすがに身体を壊さないか心配でさ…… 」
「わかりました」
わたしはその籠を受け取ると首をかしげながら殿下の部屋に向った。
いつもなら、お出迎えだとか言って砦中が騒ぎになるし、わたしもその直後には必ず呼び出されるのに、それがなかったことに違和感を覚えてはいた。
殿下の部屋の前に立ち、軽くドアをノックする。
おばさんが言っていたように返事はなかった。
「殿下? お加減でも悪いの、かな? 」
小さく声をかけてみる。
中からはなんとなく人がいる気配だけは感じられるけど、やっぱり反応がない。
まさか、あの時の怪我、わたしの治療が不完全で今ごろになって元に戻ってしまったとか?
嫌な予感がしてわたしの顔から血の気が引いた。
同時にぶわっと肌が粟立つ。
「……なんだかわからないけど、とにかく失礼します」
そうなってしまってはもう遠慮なんかしていられなかった。
わたしはドアを開けると部屋の中に飛び込んだ。
「ん? ああ、お前か…… 」
殿下は力なくうなだれてベッドの端に腰掛けていた。
飛び込んできたわたしの姿にわずかに顔を上げたと思ったらそうつぶやき、あからさまに視線を逸らせた。
……そう、あからさまに。
まるで何か見られるとまずいものを隠すかのように。
「殿下? 」
わたしは手にしていた籠を側のテーブルに置くと殿下の顔を覗き込む。
「何かあった? 熱でもある? 」
それを確かめようとそっと額に手を置く。
だけどわたしの手をうるさがるかのように殿下は手荒く振り払った。
一瞬触っただけだけど、熱はないみたい。
だったら気持ちの問題か何かだよね。
そう察する。
だとしたらこの手の人は無理に聞きだそうとしても話してはくれない。
「じゃ、食事ここに置くから。きちんと食べて下さい、ね」
なんとなくそうわかっていたから、わたしはそれだけいうと部屋を出た。
「どうだった? 」
部屋から少し離れたところで額を集めてこっちの様子を探っていたアゲートやおばさんが訊いてくる。
「うん、お加減が悪いわけじゃなさそうなんだけど…… 」
ドアの方へ視線を送りながらわたしもつぶやく。
殿下に何が起こったのかはさっぱりわからない。
「王都で一体何があったんだろう? 」
あからさまに異常な様子に戸惑い、暢気にベッドに入ることなんかできなくてわたしは中庭に出て月を見上げた。
相変わらず見事な月が空に三つ並んでいる。
「珊瑚様、こんな時間に何をしているんですか? 」
背後からの声にふりむくとキューヴの姿がある。
「駄目ですよ。
ここは山も近いですし、夜は冷えるんですから」
ホールに引き戻されたわたしにキューヴはお茶のカップを差し出た。
「キューヴいつ戻ったの? 」
「さっきです、馬を厩に入れて通りかかったら、珊瑚さまがいらっしゃったので。
声をかけさせていただきました。
もし、珊瑚様に何かあったら殿下がどんなにご心配されるか…… 」
少したしなめるように言う。
「大丈夫よ」
出されたカップを受け取り両手で包み込むようにして口元に運びながらわたしは答える。
「殿下、今、何も目に入っていないもの」
それが少し寂しくてわたしは睫を伏せた。
そばにいて力になりたいのに……
むしろ邪魔者みたいな様子だった。
「それは…… ですね…… 」
キューヴは言いかけて口を噤む。
「何か、知ってるの? 」
わたしは都合悪そうに視線を逸らせてしまうキューヴの顔を覗き込む。
さっきの殿下の反応とそっくりだ。
「……知ってるんでしょ? 」
キューヴの顔をにらみつけ、もう一度詰め寄る。
「実は…… ですね…… 」
キューヴは少したじろいだ表情を見せた。
「本当は珊瑚様にお話していいのかとか、一番にお話しなければいけないんじゃないかとか、難しいところなんです」
キューヴは理解不能なことを言う。
「どういうこと? 」
「実は、ですね。
王都ではいま、殿下の縁談の話があがっているんです」
「え? 」
キューヴの言葉にわたしの胸が絞めつけられた。
「珊瑚さまは、この間の戦を覚えていらっしゃいますか? 」
「あれでしょ? 殿下が怪我を負った時の」
「ええ、それでとりあえずはあの後休戦と言う形になったのですが、その隣国との和平に、あちらの姫君を第一王位継承者の殿下へ輿入れと言う形でお預かりしようという話が提案されたんです。
丁度殿下が王位を継ぐに当たっては、王妃の座が空よりも都合がいいということにもなりまして…… 」
「……それで、国民の血税の投入や無駄な流血が避けられれば、これ以上利口な侵略方法はないと思いませんか? 」
いつかの家庭教師が授業の時に言っていた言葉が、まざまざと脳裏に浮かび上がり、わたしは唾を飲み込んだ。
「国同士の人質のやり取りは別に珍しいことではないのですが、この話に隣国の国王はある条件をつけてきたんです」
「条件? 」
「そうです。
王女を暫くの間この国に滞在させて、その間に殿下と恋仲になれたら輿入れを考えると」
「何? それ…… 」
「はい、人の気持ちなんて簡単にどうなるものではない上に、お相手の姫君は殿下と十歳以上年齢が離れていますから、隣国としては遠まわしに断ってきたものだと推測されるのですが」
「まあ親とすれば娘の幸せを願わない人なんていないだろうから、わからない話じゃないけど。
現実問題、王侯貴族の結婚って政策の一部だよね? 」
わたしの知ってるところでは確かその昔、そのためだけに子供をわんさか産んだ女王様だっていたはず。
「なのに恋愛結婚って……
よっぽど娘が可愛いか、他に何か考えていることがあるのかどっちかだよね」
「僕もそう思いました。
ですが、国王陛下は、そうは思われなかったようで。
普通ならそこであきらめて何か停戦条約を結ぶほかの手を考えるところなのでしょうが、国王陛下は大乗り気なんですよ。
こっちには…… 」
キューヴは言いかけたままおもむろにわたしから顔を背ける。
「こっちには魔女がいるから?
人の心くらい扱うのは簡単だって言うの? 」
キューヴの態度だけで、それがどういうことなのかわかってしまう。
「そうです。
国王陛下のお考えでは、
殿下に姫君に好意を持ったという芝居をさせて、その上で魔女に姫君の心を少し操ってもらえれば全部簡単に片付くと、そう仰っているんです。
それも珊瑚様のお能力で…… 」
いかにも辛そうにキューヴは顔を歪める。
「……どうしてわたしなの?
陛下の魔女じゃだめなの? 」
いきなりの無理難題にわたしは戸惑う。
そもそも人の気持ちや考えを操る魔術なんてわたしに使えるかどうかも定かじゃない。
「残念ですが、国王陛下の魔女様にはその能力はないんです。
もっぱら薬の調合専門。それも病のための」
そういえば砦の人たちもそんなことを言っていた。
「もちろん、僕の祖母にもできることじゃなかったから、珊瑚様がいなければ流れた話なんです。
だけど、珊瑚様にそれだけの能力があると国王陛下の耳に入ってしまっていたので……
何しろ珊瑚様は死にかけの殿下を蘇らせていますから、そのくらいのことはできて然るべきだと思っていらっしゃるようです」
「……そっか」
わたしはつぶやく。
だから殿下は部屋に篭ったきりわたしの前に出てこないんだ。
きっとどんな顔をしていいのか、どう対処していいのかわからないで困惑している。
「ねぇ、キューヴ。
こういうとき、どうしたらいいのかなぁ? 」
ぼんやりと視線をさまよわせたままわたしはキューヴに訊いていた。
本音を言えば例えお芝居だって殿下が誰かを好きになるところなんて見たくない。
そりゃ、わたしこの世界の人間じゃないし、殿下の奥さん特に王妃になんかなれないってわかってる。
しっかり釘もさされた。
だけど……
それでも欲張りなわたしは殿下がわたしだけを見てくれることを願っている。
術をかけられ心を操られる王女様だって気の毒だ。
だから、問答無用で断りたい。
だけど、「国の和平のため」っていう条件がついたらどうなんだろう?
背負うものが大きすぎて自分の感情なんてホンのちっぽけなものに見えてしまう。
「……魔女様はそのお立場であるが故、今後そう言った決断を迫られることもあるでしょうから…… 」
もう一つ言われた言葉。
あの時はイマひとつピンと来なかったんだけど、今ならはっきりとわかる。
それでも殿下は悩んでくれているんだ……
わたしが殿下を悩ませている。
そう思うととても切なくなった。
「珊瑚様は、自分がどうありたいですか?
パートナーである国王とその国王が治める国を守る魔女としてか、それとも珊瑚様個人としてか。
それ次第だと僕は思いますよ…… 」
そう言ってキューヴは少し哀しそうな笑顔を向けてくれた。
国王と国を護る魔女としてか、わたし個人としてか……
だったら答えは決まっている。
深夜、わたしは殿下の部屋に滑り込んだ。
ドアを開けると殿下は食事を運んだ時のまま、固まったようにベッドの端に腰掛けていた。
「殿下? 」
そっと声をかけてみる。
「寝るんだったらベッドに入って、でないと風邪引いちゃう」
そして隣に腰をおろすと両手を胸と背中に伸ばして抱きつき肩に頬を寄せる。
「キューヴから聞いたの、ごめんなさい。
わたしが殿下の重荷になっているのよね…… 」
「知ってたか? 」
ポツリと殿下は口にする。
「何を? 」
「じいさんは、血のつながった孫の私より、キューヴの方がかわいいんだよ」
「どうして急にその話? 」
「従者として私につけて、自分もこの砦を隠居場に決め込んだ。
新しい魔女とのことがあってわたしがこの砦を住居とするのは必至だったから。
そうすれば身近にキューヴを置いて置けると計算したんだ」
「それって、もしかして? 」
「おなじなんだよ。私と…… 」
つぶやいてどこか遠くに視線を泳がせる。
「立場上、妻を娶って子は儲けたが、気持ちはずっと他にあった。
全く、祖父と孫で同じ状況になるなんてな。
まだじいさんの方が妙な術を使えって言われないだけマシか」
そう言って両掌に顔をうずめてしまった。
「あのね、殿下。
どうしてそういうことになっているのか不思議なんだけど、人の心を操るなんてことまでわたしにできるかどうかわからないの」
その言葉に殿下がようやく顔を上げる。
「今のわたしにできるのは物や人につながる命の流れを見出してそれを修復することだけだもの。
だから、わたしのことは気にしないで大丈夫だよ。
ありがとう」
肩に回した手に力を込める。
わたしは、どうしようもなくこの人の笑顔に惹かれた。
だから、この人の辛そうな顔なんてみたくない。
大好きなこの人にこんな顔をさせてしまうなんて……
今更ながらにキューヴのあの時の忠告が身にしみる。
キューヴが言ってくれたこと、あのときにもっとよく考えればよかったって。
好きになんてならなければ良かった。
だけど、それができないほどわたしはこの人が大好きで……
大好き過ぎて、そして自分が思っていた以上の気持ちをもらって、気持ちを抑えるとか、そう言ったことは考えられなかった。
「大好き。
だから…… 」
言いかけた口を殿下の唇にふさがれた。
「済まない…… 」
そんな思いを伝えるかのようにやさしく、その唇や掌がわたしの躯をゆっくりと開かせていった。
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