37代目の魔女にされたので、

弥湖 夕來

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6・文字を習えと言われたので、 -前-

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「殿下そろそろいいでしょうか、皆さんお待ちです」
 わたしが唸っている横でキューヴが遠慮がちに声を掛けてきた。
「ああ」
「では、お呼びしますね」
 殿下が答えると、キューヴが姿を消す。
「とにかくお前はここに座っていろ」
 殿下に椅子を示されわたしはしぶしぶその場に腰を落ち着けた。
 それを目に殿下は満足そうな笑みを浮かべる。
 
 ……やっぱり、いい。
 この笑顔見ているだけでとろけそうな気分になる。
 
「お前、読み書きは? 」
 なんて見とれていると突然真顔で訊かれた。
「えっと…… 
 自分の国の言葉なら、普通程度にはできるけど」
 思わずわたしは言いよどむ。
 さっきアゲートと話をして、新しい文字を覚えるのは面倒だって思ったばかりだったのに。
 正直ここへ来てから文字らしいものを目にしていないからわからない。
 ここからほとんど出ていないこともあるけど、身近に本や週刊誌どころか新聞さえない。
 アゲートは書庫があるって言ってたけど。
 書庫は…… 
 避けていたからなぁ…… 
 まさか漢字と平仮名コラボの日本文字使ってくれている訳ないよねぇ…… 
 この国の雰囲気から言って、いいところ英語とかヨーロッパ言語辺り? 
 それだってわたしの希望的予測にしか過ぎない。
 
「魔術と一緒に、そっちも習得してもらわねばならぬかもな」
「あのね、だからわたし…… 」
「いずれ国王付きになる予定の魔女が書状一つ読めないのでは都合が悪い」
 逃げようとする前に言葉を封じられた。
「そんな嫌そうな顔をするな」
 しっかり顔に出ていたみたいで言われた。
「……そうだな」
 殿下が何かを言いかけた時、身なりのいい中年の男が数人螺旋階段を上って現れる。
「お帰りなさいませ、殿下。
 早速ですが…… 」
 男は軽く片膝を折り、礼を尽くすと、挨拶もそこそこに話をはじめる。
 話の内容はおおよそ、荘園の収穫量がどうかとか。
 やっぱり王様ってただ王座に座ってふんぞり返っていればいいってもんじゃないみたい。
 殿下は男の話に耳を傾けた後、一言二言何かを言っている。
 その男が下がると間を置かずに次の誰かが現れる。
 皆、いい身なりで言動も礼儀正しいところからそこそこ以上の身分だって事だけは判断できた。
 
「殿下、これで終わりです」
 何人目かの男が下がるとキューヴが告げた。
「そうか、今日は少なかったな」
 言いながら殿下は立ち上がる。
「疲れただろう、もういいぞ」
 わたしを見下ろしながら言って笑顔を向けてくれた。
「わたし、何にもしてないんですけど…… 」
 殿下の顔を見上げてわたしは呟いた。
「初めてだし、こんなものだろう。
 ただ座っているだけでも肩が張ったのではないか? 」
 
 まぁ、そうなんだけどね。
 しかも話の内容が全くわからないと来ては退屈きわまりないところなんだけど、とりあえず殿下の顔がずっと見ていられたから…… 
 
「時間が空いたし、来い。
 その辺りを案内してやろう」
 殿下がわたしに手を差し出した。
「いいの? 」
 もちろんわたしの顔が満面の笑みになったのは言うまでもない。
「ああ、お前、ここへ来てからろくに外出していないんだろう? 
 嫌ならいいんだが」
「嫌なんて言ってない」
 わたしは殿下の手を握り締めた。
「では、馬の用意をしてきますね」
 キューヴが先に部屋を駆け出してゆく。
「行くか」
 殿下に伴われて螺旋階段を下りる。
 下り始めて早々にペチコートのレースが足に絡まった。
「きゃ! 」
 軽く傾く躯が前のめりにつんのめる。同時に引力には逆らえず全体がそのまま転がっていこうとしていると察し、無意識に小さな悲鳴が上がる。
 だけど、予想に反してわたしの躯は階段の下にまで転がり落ちることはなかった。
「…… 」
 大きながっしりとした腕がわたしの腰にまわされ今にも落ちそうになった躯を支えてくれていた。
 その体勢のせいでこれ以上ないほど殿下の顔が近くにある。
 思わず心臓が跳ねた。
「ありがと…… 」
 お礼を言いながら顔を見上げると殿下は何も言わずに呆れたような顔をしている。
「お前、どういう育ちをしたんだ? 」
「どういうって普通…… 」
 
 答えながら考える。
 普通の意味がこの場合きっと違うんだよね。
 アゲートだって料理人のおばさんだって、ボリュームは少し落ちているけれど、床までの長い丈のスカート平気で穿いて歩いている。
 そのことから考えて、この長さのスカートが『普通』
 対するわたしの基準だとせいぜい譲っても膝下までだもん。
 
「……慣れるように努力します」
 わたしは首を竦ませると殿下の顔を上目遣いに覗き込む。
「そうしてくれ…… 」
 言っている殿下の顔は何故か苦笑いを浮かべていた。
 
 外壁のアーチを潜って外階段を下り中庭に出るとすでにキューヴが馬具を付けた馬を引き出していた。
「お供いたしますか? 」
 手綱を殿下に渡しながらキューヴは訊いてくる。
「いや、いい」
 言うとわたしを抱きかかえるようにして馬に乗せ城門を出る。
 
 門を潜ると同時に視界が開けた。
 今までずっと塀に囲まれた閉鎖空間に居たから、その光景の変化は息を呑むほど感動的に思えた。
 どこまでも広がる丘陵地帯。
 のんびりと草を食む家畜。
 ここではなんていうのかわからないけど、多分牛と羊みたいな生き物。
 その反対側にはたわわに実をつけた小麦と同じような草が穂を垂れている。
 それがずーっと見渡す限り続いている。
 視点の高い馬の上から見ているせいか広く見えるような気がする。
 ほとんど人工物とは思えないような茅葺の素朴な小さな家が所々に点在している。
 来た時にも思ったけど、どこか外国の田園風景に似ている。
 きっと人の数より家畜の数のほうが多いんだろうな。
 なんて思える。
 
 わたしは胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。
 後れ毛を撫でてゆく風が気持ちいい。
 無意識にわたしの顔が綻んでゆく。
 そんなに窮屈な思いをしていたつもりはなかったんだけど、こうして開放された場所に出てくると羽根が伸ばせた気分だ。
 
「外出を禁じた覚えはなかったのだが。
 それとも、供を言いつけた者が嫌がったか? 」
 馬の手綱を握ってゆっくりと歩かせながら殿下が言う。
 ……誰に止められた訳じゃないけど外出する気にはならなかったんだよね。
「だって、まるっきり知らない場所で、勝手がわからないんだもん。
 どこへ何しに行っていいのかわからないし、お金だって持ち合わせてないし…… 」
「すまない、放っておいて悪かったな。
 お前を縛るつもりはなかったんだが…… 」
「と、言うか。
 その前に、供って何? 」
 わたしは殿下の顔を見上げる。
 供をつけるってこと事態すでに縛っていると思うんだけど。
「一応、念のための用心だ。
 大事な魔女だからな、何かあっては困る」
 そう言われてわたしの胸が思わずきゅんとする。
 
「虹色の空、見えないね」
 思わず赤く染まってしまっていると思われる顔を見られたくなくてわたしは話題を変える。
 わたしがここに来た時広がっていた三つの月が並ぶ虹色の空。
 だけど今の空は普通に青い。
 ついでに月も二つだ。
「ああ、あの場所は聖域だからな。
 何故かあの場所でだけ虹色に見える。
 あの場所以外で同じ辺りを見渡しても普通の空の色だ」
 殿下が説明してくれる。
「そう、なんだ」
 ……少し残念。
 どっちの方向かわかれば、帰ることができたかも知れないなんて、なんとなく思ったんだけどな。
「何だ? もしかして、行くつもりだったとか? 」
 う…… 読まれてる。
 わたしは返事ができなくて思わず俯いた。
「止めておけ。
 あそこにはロク鳥が居るからな」
「ロク鳥って? 」
「あの聖域を護る守護鳥みたいなものだ。
 至極凶暴であの場所に足を踏み入れた人間を見ると見境なく襲って喰うという話だ。
 無闇に足を踏み入れれば喰われかねない」
 そういえば、あの時もそんなことを言っていた。
 だから長居はできないとかって。
 実際あの時ちょこっと見えた姿は本当に人間をひとのみにできそうな大きさだった。
 わたしの躯は不意に身震いする。
「どうした? 」
 それを敏感に感じたように殿下が抱きしめてくれた。
 伝わってくる体温と心臓の鼓動。
 なんだかとっても落ち着く。
「大丈夫だ、あの鳥は聖域からは絶対出てこないから安心しろ」
 そっと耳元で呟いてくれた。
「あ、あのね。
 迎えにきてくれてありがとう。
 あのまま誰も来てくれなかったら、わたしどうなっていたか…… 」
 気が動転していたせいですっかり忘れていた言葉を口にする。
 殿下が迎えにきてくれたから、こうして鳥に食べられることもなく、高級なものを着せてもらって、食べることにも寝るところにも不自由しないでこうして居られるんだ。
 って、改めて思う。
「いや、こっちこそ、すまぬな。
 本当は返してやれれば一番いいのはわかっているんだが」
 そう耳もとでつぶやいてくれた。
 
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