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2・囚われた先で、
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しおりを挟む邸の外に出ると、何処からともなく夕暮れを知らせる鐘の音が雷鳴の轟く空にかすかに響く。
家令の回りくどい話を聞いているうちにすっかり日が傾いてしまっていたらしい。
重く垂れ込めた雷雲のせいで月明かりさえない暗闇の街をヴレィは足早に歩く。
家令の男に教えられた通りに道を進むと徐々に漂う悪意の気配が強くなってきた。
誰に聞かなくても目的の場所が近いことがわかる。
一本の通りを挟んで人の住まう気配のする人家が消え、神殿を小型化したような見るからに祠と思える建物が無数に並ぶ。
それだけでも異常なことだというのに、それらのほとんどがうち捨てられ崩れかかっている。
いかにこの都の人間が、関わった怪異を神として祀ることで片付けていたかが見て取れる。
しかもただ祀っただけで放りっぱなしになっていたと思われる物が過半数以上に上る。
小物の怪異は神として神格化されればそれだけで浄化され消えてしまうものもあるが、力の強いものはそうはいかない。
悪意のかけらが、崩れかけた祠にこびりつく様子は異常そのものだ。
その光景に思わず唾を飲み込んだヴレイの鼻に焦げ臭い異臭が届く。
匂いのする方向に視線を向けると少し先の大きな立ち木がくすぶっていた。
その根元に建てられた他のものよりも立派だったと思われる祠が今しがた崩れたかのように土煙を上げていた。
「あれが公を祀った祠です」
何時の間にヴレイの後を追ってきていたのか、家令の男が荒い息の下から言う。
「間違いではないのか? ここは女神の祠だ」
祠に刻まれた女神を示す花の紋章を目にヴレイは訊く。
「領主の叔父であれば男の筈。
紋章は武具のいずれかではないのか? 」
「公の持つそのあまりの怨念の強さから、男神としての力を持たせることを忌み、女神として祀ったと伝え聞いております」
「何処の誰だ?
そのような中途半端な仕事をした術者は」
ヴレイは思わず歯噛みした。
「何か不都合でもありましたか? 」
家令の男が不思議そうにヴレイの顔を覗き込んだ。
「これでは男が女装させられたようなものだ、あんた自分の立場だったらどうだ? 」
「生身の状態では遠慮したいですな。
子供のうちならいざ知らず、納得はいきませんし、何より見場が悪い」
「そう言うことだ」
ヴレイは男の背を軽く叩いた。
「無理やり女装させられておまけに神としての待遇も受けられないとなれば、普通の人間でも怒り出す。
しかも相手は怨霊だ。
あんたらよく今まで生きて……
生かして少しでも苦痛を長引かせるのが目的の怨霊だったな」
ため息混じりに言いながらヴレイは崩れかけた祠の瓦礫を潜り、強引に身体を中にねじ込んだ。
足を踏み入れると瓦礫の間から長い年月に積もった土埃が舞い上がる。
隣の立ち木と同じくここに落ちた落雷も大きなものだったらしく、崩れ落ちた天井だけでなく床にも亀裂が走っていた。
その隙間からかすかだが人の声が響いてくる。
同時に押さえても押さえきれないほどの強烈な魔力と怨念と、思念とそんなものが一斉に吹き上がってきた。
「ここには地下があるのか? 」
「はい、ここにがジェイド公の棺が納められていると聞いています」
男が答える声が瓦礫の向こう側から響いた。
「降り口はわかるか? 」
「この手の建物は確か、正面奥の祭壇周辺に地下へ降りる階段があると記憶しています」
折り重なる柱の部材に阻まれているのか男の声は更にするが後を追ってくる様子はない。
ヴレイはそれを待たずに教えられた辺りに視線を動かす。
程なく床に四角く切り取られた穴が見つかる。
「ここか」
ヴレイは迷うことなくその穴を覗き込み、ついで身体を滑り込ませた。
足を踏み入れると同時に、視界を闇が覆った。
むせるほどの土埃に黴臭それから獣脂と毒気を含んだ香料の混じった匂いが足元から湧きあがり身体を包み込む。
ヴレイは両瞼に片手の指を当て小さく呪文を呟く。
口からこぼれだす言葉が増えると同時に視界が明るくなり、周囲のものをはっきり捉えられるようになった。
同時に吸い込む空気から匂いが消える。
足元に浮かび上がった階段を下りてゆくと足を踏み出す度に毒気を含んだ香の濃さが増す。
匂いからして睡眠作用と幻覚を引き起こす類の香であることは察しがついた。
それも普通の人間がまともに吸い込んだら即座に昏倒しそうな濃さだ。
先ほど、防毒の呪いを自分にかけたことに安堵の息を吐きながら、ヴレイはそっと背後を振り返る。
幸いにも家令の男は後を追って来てはいなかった。
付いてこられていたら、この辺りで家令は昏倒してしまっていただろう。
頭上の少し離れたところでまだ崩れた部材を必死になって動かしているらしいかすかな音がする。
この様子なら退避を命じなくてもよさそうだ。
そう判断して更に下へと、足を進める。
階段を降り終わると同時にヴレイは足を止めた。
狭い地下のその部屋は上階同様落雷の被害からか崩れかけていた。
半分は壁が崩れ支えられていたと思われる天井が崩落している。
崩落を免れた空間の中央に、不気味なほどに妖艶な若い女が片手に短剣を握ったまま呆然と立ち尽くしていた。
「ルナ! 」
女の正面の柱にくくりつけられた少女の姿にヴレイは声をあげる。
……遅かったか。
力なくうなだれ、身動きしないその姿にヴレイは息を吐いた。
何が起こったのかは女の手にした短剣と、少女の胸元に広がる赤黒い染みだけでおおよそ見当がついた。
今まで見たことも聞いたこともない女がいる。
しかもこんな状況でなければ誰もが見とれてしまいそうな絶世の美女だ。
それもこの都の領主に様々な異変をもたらした怨霊の墓の中に。
そしてその傍らに見知った少女の亡骸。
何がどうなっているのか、事情をよく知る誰かに説明でもしてもらわなければこの状況が理解できない。
「ちょっと、ヴレイ。
何をぽけっと突っ立っているのよ? 」
力なくうなだれていた少女がゆっくりと顔をあげると絞り出すように言う。
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