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2・囚われた先で、
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しおりを挟む「……厄介なことになったな」
再び静まり返った空間でアースの呟いた声だけがこだまする。
女の目的ははっきりしたが、はっきりしたが故にできることならこのままここを出るほうがよさそうだ。
少なくともアイツが現れる前に。
でないと本当に依り代にされかねない。
アースはもう一度身体を締め上げるロープを解こうと身体を捻った。
「あの女……
自分ではか弱いとか言っといて、
フォークとナイフ以外の重たいものなんか持ったことのないような手をしていて、どうしてこんなにきつく縛れるんだよ? 」
腹立ち紛れに呟いてアースは腕に力を込めた。
だがロープは緩むことはなく、替わりに腕にロープの食い込む痛みだけが広がる。
何時の間にかもう一本残っていた蝋燭もとぼれ、女が燭台を持ち去ったせいで部屋の中には闇が広がっていた。
それを自覚すると同時に再び襲ってくる激しい動悸。
「駄目だ…… 」
暗闇の中で目を見開きアースは呟く。
先ほどは何とかかろうじて押さえることができた自分の身体の中でうごめく存在。
だが、どんなに抵抗しようと身体中に力を込めても、もう止める事は不可能だった。
程なく目の奥がじわりと痛みを孕みだす。
かすかに生じた目の奥の痛みはたちまち増し前頭部へと広がる。
それにあわせて全身の関節が痛み出す。
まるで身体の全組織を捏ねまわされ組替えられて行くような強烈な痛み。
二度目は抵抗することは不可能だった。
まるで夜は自分の権利だとでも言うかのようにアースの中に潜むもう一つの存在が己を主張する。
視界がぼやけ、それと同時に思考が鈍る。
どんなに抵抗しようとしても意識が徐々に遠のいて行く。
程なくアースの意識は途切れた。
「もう少しわたしを受け入れてくれれば、こんな痛い思いしなくて済むのに。
何時までたっても憶えないなんて莫迦なんじゃない。
人に悪態をつく余裕がどこにあるのかしら」
ゆっくりと目を開けると少女は首を振り額にかかる髪を払う。
暗闇の中で、銀色の髪から月の雫のような銀色の光がこぼれた。
先ほどそこにあったアースの姿は消え、銀の髪の少女がアースの姿そのままにその場に縛りつけられている。
「アースってば、よくもこう何度も騙されるものだわ。
これが自分だと思うと腹が立つわね」
誰に話しかけるでもなく少女はぶつなる。
「それにしてもしっかり縛ってくれちゃって。
痣でもできたらどうするのよ」
後ろでで縛られた手首の痛みにいじれて少女はいらだたしい声をあげる。
軽く動かしてみるが腕に食い込むほど強くロープは縛り付けられていた。
少女は一つ息を吐くとそっと目を閉じた。
闇に覆われ人の目ではよく見えない室内の様子を探り、瞼の裏に浮かぶ物の気配をゆっくりと辿る。
土黴臭い匂いの充満する空間はそれほど広くはない。
あまり大きくないアースでさえ頭がつきそうな低い天井は周囲を取り囲む壁以外にも四本の柱で支えられている。
その柱の一つに自分がくくりつけられていて、少し位もがいただけではびくともしない。
四本の柱が取り囲む中央には大きめの棺と見られる石の箱。
蝋燭のとぼれた一対の足の長い燭台がその棺の枕元と思われる方角に立っている。
かつてこの場所に納められていたと思われる高価な品物の名残の気配がかすかに感じられるが、実物はない。
先ほど女が消えていった階段付近に無造作に置かれたバスケットの中に数本の蝋燭と葬儀の時に使う特殊な酒瓶。
墓所にありがちなものだけが並んでいた。
「使えそうなものはなさそうね」
少女は諦めに似たため息をこぼした。
わかったことといえば、ここが誰か高貴な人間が葬られた地下墓所であるということだけだ。
「もぉっ、仕方ないわね。
ヴレイのようには行かないけどあの手しかないわよね」
少し弄れたように呟いて今度は前を見据える。
何度か軽く息を吐き呼吸を整えて視線を落す。
大きく息を吸い込んでそれを少しずつ吐き出すと同時に少女の口から古い音韻の言葉と思しき音がこぼれだした。
普段ヴレイがそうやっているように、程なくそれは文字として視覚化し連なって行く。
あと少し……
文字となり鎖となったそれをもう一度練成すれば、腕を縛ったロープを切る刃物になるはずだった。
少女は更に言葉を紡ぐ。
しかしそれは不意に頭上から響いてきた重い音に遮られた。
少女が口を閉ざすと同時に、視覚化し始めた音は解け空気の中に消えてゆく。
先ほど頭上に消えた靴音と同じ音がもう一度降りてきた。
「準備はできたみたいね? 」
階段を真直ぐに降りきると女は少女の足元まで歩み寄り、手にした燭台を近づけて顔を覗きこんでくる。
縛り付けていた若い男の姿が少女に入れ替わっていると言うのに女は表情を崩さない。
むしろ満足そうに顔をほころばせた。
「そんなに急がなくても良かったのよ。
こっちの準備はまだできていないもの」
皮肉をこめて少女は言う。
アースでは無理でも自分なら、もう少しだけ時間があれば、こんな場所抜け出すのは簡単だったのに。
思いもよらず早く現れた女のせいで事を中断させられてしまったのが腹立たしい。
「ふぅん……
同じ身体のはずなのに、随分違うのね。
まるで骨格から作り変えたみたい」
少女の身体に舐めまわすかのようにじっとりと陰湿な視線で眺めたあと、女は感心したように言う。
「余計なお世話よ」
少女は不機嫌な声で言う。
「まさかあの青年がこんなに華奢な女の子に化けるなんて思わなかったわ。
ね? どうやったらそんなに上手にメイクできるわけ?
教えてくださらない、夢使いの魔女さん」
からかうように言って女は小首を傾げた。
「何処まで調べたのかは知らないけど、知っているのはそれだけ?
ご領主、クラギオン十二世の第三妃、ティフィカさん」
「あら、わたくしの名前をご存知なの?
嬉しいわ」
「さっきご自分で名乗ったじゃないの。
忘れたの? 」
少女は呆れたように息を吐く。
「不思議、身体つきだけじゃなくて髪の色から瞳の色顔つきまで変わるのに、中身は一緒なのね」
「そんな訳ないわよ」
「あら、でもその物言い、あなたがその容姿になる前とあんまり変わっていないけど」
女は首を傾げた。
「アースと一緒にしないでよ。
わたしはいいけどそんな風に思われているってアースが知ったら大騒ぎだわ。
わたしはアースだけど、アースはわたしじゃないんだもの」
「なんだかよくはわからないけど、面白いことになっているのね。
でもそんな事はどうでもいいのよ。
わたくしが必要なのはその器だけなんですもの。
中身のあなたには消えてもらうことになるの」
女は言いながら部屋の隅へ歩み寄ると置かれていた小さな籠を持って戻ってきた。
中から蝋燭を取り出して、持ち込んだ燭台の蝋燭から炎を移す。
部屋の中に置かれていた足の長い燭台にその蝋燭を立てようとした。
それだけのことなのに随分と危なっかしい女の手つきを少女は見つめる。
ともすればふんだんに縫い付けられた袖口のレースに炎が移りそうになる。
「ねぇ? お手伝いしましょうか? 」
お節介というよりは、口を挟んでどうなるものでもないとわかっていながら少女は呆れたように申し出る。
確かにこんな時、アースなら見るに見かねて絶対に手を貸すはずだ。
先ほどの女の言葉があながち嘘ではないことを自覚し少女はかすかに笑みをこぼした。
作業に気を取られているのか女は少女の言葉に応えなかった。
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