陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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2・囚われた先で、

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 ずきずきと頭を蝕む痛みにアースは目を覚ました。

「痛ってぇ…… 」

 呟きながら痛みの走る部分に無意識に動こうとした腕が、何かに行動を阻まれた。
 両腕が後ろに回り何かを抱きかかえている。
 拘束されているのは明らかだ。
 周囲に広がる暗闇の中で数本だけ焚かれた蝋燭の炎が心もとなく揺れていた。
 そのかすかな光にこの場所がおぼろげに浮かび上がっている。
 所々を先ほど目にしたのと同じ古代の神殿を思わせる大理石の柱で支えられた低い天井。
 窓一つなく視界に入るのは蝋燭の灯りだけ。
 土と黴が入り混じった独特の匂いが鼻をつく。

 そのことからこの場所が地下らしいことはおおよそ察した。

「やっば、はめられたってか? 」

 誰もいない空間に呟いてみる。

「おかしいとは思ったんだよ。
 あのヴレイがさ、通りすがりの女助けるためだけにこんな場所まで相手を深追いするなんて、ありえるわけがないんだよ。
 まずいよな、きっとヴレイ今頃頭に血を上らせてる」

 あの時余程強く後頭部を撲られたのか、呟くだけで頭にじんじんと痛みが走った。
 思わず動こうとした腕がまた阻まれる。

「ったく、俺をこんなところに閉じ込めて何をさせようって言うんだか。
 少なくとも俺を人質にとってヴレイに何かさせようなんてのは絶対無理だからなっ! 」

 腹立ち紛れに叫んでみる。
 しかし返事はなかった。
 ただ低い天井にアースの声だけがこだまして消える。
 頭の動く限り周囲を見渡してみても自分以外の気配はない。
 室内から発せられる物音だけではなく、外からすら何の音も聞き取ることはできなかった。

「しっかし何で縛るかな? 
 何処だかわからないけど、これって俺閉じ込められているんだよな? 
 だったら、それだけで充分だろ」

 背中で重ねられた腕をもそもそと動かしながらアースはぶつなる。

「それにしても、どいつもこいつも考えることは一緒だよな。
 懲りないっていうか学習しないって言うか。
 あのヴレイがさ、俺の身柄と引き換えに気の乗らない仕事を受けるとでも思ってるのか? 
 尚一層腹を立てて意地でも仕事なんか受けないよな。
 仕事をこなす全精力皆つぎ込んで逃げるに決まってるだろう」

 その場にいない誰ともわからぬ人間に向かって言ってみる。
 子供の頃からヴレイと連れ立って、拉致監禁などこれが初めてではない。
 ご丁寧に柱を背後で抱えた状態で両腕を縛られていては動きまわることどころか立ち上がることさえできない。
 逃げ出すにはまずこの縄を何とかして解かなければいけない。
 結び目が少しでも緩むことを期待して絶え間なく重ねられた腕を強引に動かしていた。
 狭い室内に衣服の擦れる音と蝋燭の炎が揺らめく音だけがかすかに響いた。
 どのくらいそうしていただろうか、額に脂汗を滲ませアースは一つ大きく息を吸い込んだ。
 頭痛は何時の間にか消えていたが、替わりに無理に捻じ曲げられ縛られた腕が痛い。
 頭のすぐ横で灯されていた蝋燭の炎がふと掻き消えた。
 頭を上げ、まだかろうじて光の残る室内を見渡すと、もう一つの蝋燭も燃え落ちようとしていた。
 それが時間の経過を表していた。
 

 もうすぐこの空間は闇に包まれる。
 

 そう自覚すると同時に激しい動悸が身体を襲った。
 

「っ…… まだ、だ。
 まだ出てくるな」

 胸を絞られるような痛みを抱え、アースは絞り出すように言う。

「まだ、灯りはある。
 オマエの時間じゃないっ! 」

 一つ一つの言葉をはっきりと自分の耳に届くように口にした。

「頼む。
 出てくるんじゃない、不味いことになる…… 」

 アースは唇を噛み締めた。

 言い聞かせて言うことをきくような奴ではないことは承知している。
 ただ、この状況でそれはかなり不味い。
 この場所へ自分を拘束したのが誰かはわからないが、もし様子を見に来た時にアースの姿が消えていたら、代わりにアレの姿があったりしたら。
 とにかく、アレの宿主が自分であることが誰かに知られたりしたら最悪だ。
 ほとんど毎晩のように襲われる痛みだが何時まで経っても慣れることはない。
 普段のアースならこの辺りで意識を手放す。

 だが、今日は…… 

 全身に脂汗を浮かべ、アースは身体中に力を込めた。
 

 その時、頭上で扉が開くようなきしんだ音が響いた。

 誰かが階段を下りてくる硬い靴音にアースの身体を蝕む痛みがふと消える。
 半分以上自由にならない身体を捻り、アースは靴音の下りてくる方角を振り返る。
 硬質な靴音に混じって柔らかな衣擦れの音が耳に届く。

「あら、気が付いていたの? 」

 アースの視線を捉え、女の冷たい声が問いかけてきた。
 先ほど、アースをこの場所へ誘い込んだのと全く同じ声。

「こんなことだったらもう少し早くに様子を見に来るべきだったかしら? 」

 女は呟きながらゆっくりと正面に回りこみ手にしていた燭台を突きつけ、アースの顔を覗き込んできた。
 その顔に視線が合った瞬間にアースの背筋に悪寒が走る。

「あんた、人間か? 」

 不用意に口からこぼれ出た言葉。

「どうして? 」

 女がその問いに首をかしげると豊かな黒髪がさらりと肩から零れ落ちた。
 自ら光を放っているかのように見えるその髪は身動きする度にまるで生き物のようにうごめく。
 覗きこまれた黒曜石の瞳は冴え冴えとした月のような冷たい光を孕む。
 零れ落ちた髪をかきあげた手が、アースの頬に伸ばされた。
 その手も、顔も、デコルテも優美な丸みを帯び、磨き上げられた大理石のように染み一つなく真っ白だ。
 ひとたび目を向けたらその完璧な美しさに、目が離せなくなってしまいそうな非の打ち所のない容姿。
 まるで高名な彫刻家の手で上質な大理石から掘り出された彫刻のよう。
 ただ生気を持たない彫刻と違い、それがのめりこむほどの色香を滲ませている。
 もしもこんな女に道端で遭遇したら誰の目でも釘付けになってしまうだろう。
 あくまでも完璧な作品に人間臭いなまめかしさ。
 そのそぐわない組み合わせに思わず吐き気を覚える。
 さしずめ、人を惑わす為に妖魔が象った見せ掛けの容姿以外に考えられない。

「ああ…… 
 尻尾は生えていなくてよ。
 耳だって、ほら」

 アースの目からその言葉の意味を察したかのように、女は長い髪をかきあげた。
 白い指の間からはらはらと黒い絹糸が零れ落ちる。
 女の言うとおり尖ることもなく丸みを帯びた耳朶の端で真紅の宝石が鋭い光を放った。

「あんた、誰だ?」

 女を見据えてアースは聞く。

「自己紹介がまだだったわね」
 女は肩からこぼれ落ちた重たげに揺れる長い黒髪を背中へかき上げながら、ゆっくりとかがみこんでいた身体を起こす。
 女が身動きする度にふくいくたる甘い匂いがこぼれ落ちる。

「ティフィカと申しますの」

 アースの正面で姿勢をただし、絹のスカートの両側を軽く摘み上げ優雅な仕草で膝を折る。
 その動作一つとっても完璧だ。
 手入れの行き届いた肌や髪と、纏った高価なドレスと、その上品な仕草から女が名乗らなくても高貴な身分の人間であることだけはわかる。
 しかし、名乗られたところでその名前に聞き覚えはない。
 全くの初対面の女にこんなことをされるいわれはない。

「名前なんてどうだっていいんだよ。
 あんたは誰なんだって聞いてるんだ」

 アースは唸る。

「領主、クラギオン十二世の第三妃。
 と、言ったところであなたにはわからないと思いますわ」

 アース唸り声に女は答えた。

「てめぇ、俺に何するんだよ」

「その前に、他人に名乗らせたのですもの。
 ご自分も名乗るのが礼儀じゃなくて? 
 普通は自分の方から名乗るものでしょう? 」

 女は軽く咽を鳴らす。

「名乗る必要なんてないよな? 
 あんた、俺が誰なのか知っていて俺をこんなところに閉じ込めたんだろう? 」

 アースは女を睨みつけた。

「そうですわね。
 わたくし、闇雲にあなたをここにお連れしたわけじゃありませんもの」

 納得したように女は呟くと、アースの前に立った。

「俺を楯にヴレイを動かそうって言うんなら無駄だぜ? 
 早い所、これ解けよ」

 先ほど誰も聞いていないことを承知で喋った言葉をアースはもう一度口にする。

「解いて差し上げたいのは山々なのですが。
 拘束を解いたらあなたすぐにでもここを出てしまうでしょう? 」

 女は軽く首を傾げた。

「当たり前だろう? 
 なんだって俺がこんなところにいなくちゃならないんだよ? 
 さっきも言っただろう。
 ヴレイに俺を使っての取引は無駄だって。
 こんなことをしている時間があるんだったら直接ヴレイを口説くほうがよっぽど早いぜ」

「用事があるのはあなたの方よ。
 それが済むまでここに居ていただきたいの」

 女の言葉にアースは息を呑む。



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