陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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1・魔女は買い物に出かけ

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「何度言っても聞き入れてくれないなんて、アースってよっぽど莫迦なのかしら? 」

 ベッドの上から身を起こすと、少女は手足に残るかすかな痛みを振り払うように掌を這わせる。

「いい加減にしてもらわないと、痛いのはアースだけじゃないんだから」

 小さく息を吐き、何時の間にか脱げてしまっていた靴をそのままに裸足で床に立つ。
 着ていた物を脱ぐと丁寧に畳んでベッドの上に置き、次いで軽い足取りで部屋の隅に置かれていたヴレイの荷物の中からワンピースを引っ張り出した。

「っ、もう。
 皺になるからきちんと畳んでっていってるのに」

 呟きながら広げたドレスを振り廻し、軽く皺と埃を飛ばして袖を通した。
 同じく一緒に仕舞ってあった靴を取り出して足を入れる。

「ま、仕方がないか。
 捨てずに持って歩いてくれるだけでも感謝よね。
 アースだったら絶対処分してそうだし…… 
 ありがとう」

 目の前にいない相手に話し掛け少女は窓を開ける。

「言っておくけど、わたしが窓から出入りするのはあなたに余計な迷惑をかけないためよ、ヴレイ。
 二階のお部屋を取ってくれて助かったわ」

 もう一度その場にいない男に話し掛け、少女は窓枠に足をかけた。

「じゃあね。
 行ってきます」

 軽く周囲を見渡すと、習慣のように挨拶をして窓の外へ身を躍らせた。

「おい! お嬢ちゃん。
 そこで何をしているんだ? 」

 途端に見知らぬ男の怒鳴り声が響く。

「やっば、誰もいないと思ったんだけどな」

 呟いてとりあえずふわりと地面に着地した。

 男の声があまりに切羽詰っていた上に大きかったのだろう。
 道を歩いていた人、一階の窓から外を覗く人、全ての人の視線が自分に集中している。

「どうしよ。
 もしかして泥棒かなんかと間違われたかな? 
 絶対ヴレイのお説教くるわよね」

「嬢ちゃん怪我は? 
 二回から飛び降りるなんて、なんでそんな危ないことをしたんだ? 」

 考えているうちに、先ほどの男が駆け寄ってくる。

「しかたないか、この際…… 」

 少女は流れる銀色の髪を自分の指で梳く。

 昇り始めた僅かな月の光が反射して鈍い光を放つ。

「ん? 
 あれ? 
 何処に行った? 
 確かにここにいたよな? 」

 駆け寄って来ようとしていた男が急に足を止めると、何度も目をしばたかせ何かを探すように視線を泳がせる。

「もしかして、俺、幻でも見ていたのか? 」

 暫くして呆然と呟いた。

「ごめんなさい。
 でも見なくていいものもこの世にはあるのよ」

 そっと男に近付くと少女は耳もとで小さく呟く。

 だが男には何も見えないようで周囲を見渡し目を乱暴に腕で拭った後もう一度目を凝らす。

「どうなっているんだ? 
 今度は見えない人間の声が聞こえるなんて…… 」

 立ち尽くす男の脇をすり抜けると、少女は月の光の降り注ぎ始めた街中へ消えていった。
 


 
 日が落ちたマーケットの広場に人の姿は全くなかった。
 店じまいしたテントの軒先で残り物を探してうろつく犬の姿が時折見えるだけだ。

 少女は昼間ヴレイとアースが陣取っていた場所に立つ。

「んっと、ここから右手劇場の裏の通り…… 」

 その場所に立ち尽くしそっと睫を落すと何かを探るように暫く神経を集中した後呟く。

「本当か嘘かはわからないけど、行ってみる価値はあるわよね」

 広場から右に伸びる道に視線を向けると弾むような足取りで歩き出した。
 



「ここね、今日の悪夢のオジサンの家」

 程なく足を止めて少女は目の前に聳える大きな屋敷を見上げた。

「昼間の服装からして貴族かなぁ? とは思ったんだけど。
 やっぱり。
 これは少し厄介かも」

 鉄柵を挟んだ庭先をうろつくいかにも気性の荒そうな大型犬を目に呟いた。
 かすかなその声を聞きつけて犬が寄ってくると姿勢を傾け唸り声をあげる。

「だから犬は嫌いなのよ。
 姿消してるのに勘付いちゃうんだもの。
 あなた達に吠え立てられるとご主人様起きちゃうでしょ? 」

 今にも吼えそうになっている犬の目前に少女が手をかざすと、それまで攻撃体勢になっていた犬の警戒心が薄れる。

「悪いけど、眠っていてね」

 かざしていた手でおとなしくなった犬の頭をひと撫ですると、犬達はその場に崩れ落ちた。
「大丈夫よ。
 あなた達が仕事を放棄して眠りこけていたことは、ナイショにしておいてあげる」

 ふわりと鉄柵を飛び越えて、深い眠りに落ちている犬達の横を通り過ぎ、奥に聳える屋敷へまっすぐに歩み寄る。
 突き当たった玄関のドアにそっと手を添えると、かたりと鍵の外れる音がする。
 その音を耳に少女はドアを押し開けた。


「毎晩見る悪夢ね。
 わたしにはおいしい話だけど、夢くらいで何を怯えているのかしら? 
 ん、こっち、かな」

 僅かに顔を上げ睫を落として建物内の空気を探る。

 視覚を閉ざしたことで感じられる匂い、音、空気の揺れ。
 それらに神経を集中させた。

 全ての住人が寝静まり、窓が閉まった室内でほとんど動きのない空気が僅かに動いて頬を撫でる。
 途端にぴりぴりとした嫌な刺激が頬を刺す。

「やっぱり、いることはいるのね
 流れからするとこっちかな? 」

 足音を忍ばせて正面にある大階段を昇った。

「えっと、右手ね」

 大階段を昇りきったところで左右に伸びる廊下を見つめた後、呟いて右の廊下に進む。

 さすがにこれだけの屋敷となれば使用人だけではなく同居人も多いらしく、あちこちの部屋から寝息や寝言が聞えてきた。

 長い廊下を10数歩進んだところで少女は足を止め、数歩後戻りした。

「この部屋かな? 」

 近寄ったドアに耳を押し当て中の様子を探る。

「……うん。
 うっ、ややめてくれぇ!!!!! 
 た、助けて、命だけはっ! 」

 ドアの向こうから切羽詰った悲鳴が響き屋敷中に響き渡る。

 その声に小さく身を竦ませると、少女は廊下の壁際に身を潜ませた。

 一応姿を消しているとはいえ、それは見た目だけだ。
 喋れば相手に声も聞こえるし、障ればその存在がわかってしまう。

 館の空気を揺るがすほどの主の悲鳴に応える者は誰もいなかったようだ。
 暫く待っても誰も姿を現さない。

「どうなっているのよ、ここ。
 まぁ助かったけど」

 安堵の息を吐きながら少女は壁際を離れる。

 悲鳴の上がった部屋のドアノブに手を掛けると、ドアは音もなく開いた。
 足音を忍ばせて部屋に滑り込むと後手でドアを閉める。

 僅かに開いたカーテンの隙間からこぼれる光に、豪華な部屋の調度が浮かび上がっていた。
 室内を見渡して少女は片隅に置かれたチェストに近寄り両手で持ち上げる。

「さすが、貴族よね。
 このピチャー、リージュ工房のピンクスワンじゃない。
 数量限定生産のうえ家紋を入れられる特注品。
 貰ってっていいかしら? 」

 少女はきょときょととあたりを見渡し、咽を馴らした。

「なんて、泥棒なんてしたらヴレイに思いっきりお説教されそうよね。
 それはまだしも、アースに即効で叩き割られそう」

 笑みをこぼして元の位置にピチャーを戻す。

「こんな貴重品壊されたりしたら全人類の損失だわ。

 やっぱり、夢魔って水の入ったせまい空間好きだから絶対ここにいると思ったんだけど、まだ戻っていないみたいね。
 と、なると…… 」

 ピチャーに触れたまま僅かに背後へ視線を動かして様子を探りながら呟く。

 部屋の中央に据えられた大きなベッドの上で先ほどから立て続けにうめき声を上げる人物に目を移す。
 枕もとで何か黒いものがうごめいているのが目に入った。
 それを見出すと同時に少女は部屋を横切りベッドの枕元に素早く身を移す。

 ベッドに横たわる男のうめき声に混じって、ぴちゃぴちゃと猫がミルクを舐めるような舌音がかすかに聞えた。
 気配を殺して視線を動かすと男の耳もとで黒いネズミくらいの大きさの醜い生き物が、男の耳を舐めている。
 妙な生き物の舌が男の耳朶を這う度に、男のうめき声が強くなる。

「居た、居た…… 」

 口には出さずに言うと同時に、妙な生き物の顔が動き目があった。

「逃がさないわよ」

 咄嗟に伸ばした少女の手が、慌てて逃げ出そうとしたその生き物の尻尾をかろうじて捕まえる。

「え? 何よ、これ」

 尻尾を捕まえたままぶら下げ、目線の高さまで上げて確認して少女は肌を粟立てた。

「きぃきぃ」

 激しい憎悪の念を伴う耳障りな泣き声を上げながら、それは激しく身をよじり自分を摘み上げている手に牙を立てる。

「痛った…… 
 な、こんなに凶暴だなんてあり? 
 あんた、普通の夢魔じゃないの? 」

 もう一度目線の高さまでそれを持ち上げ確認するように窓からこぼれる月明かりに晒す。

「ぎ、ぎぃ! 」

 苦手にしている光に身を晒されたせいか、剥き出しにした敵意が直接伝わり背筋に冷たいものが走る。

「まぁ、いいいわ。
 あんた、高く売れそうだし。
 わたしの指を噛んだことは許してあげる」

 言い聞かせるように言うと、少女はそれを両手の間に挟んでころころとこね丸め上げた。

「確かに、ヴレイの言うように夢魔はピチャーに巣食うから、明け方取り付いた人間が巣にしているピチャーと一緒に姿を消せば夢魔は別の場所に移動しなくちゃいけなくなるから追い出せるけど…… 
 追い出すだけなのよね。
 どこか別の家に行って潜り込むだけじゃない。
 こんな凶暴な奴、野放しにしたらこのオジサンでなければ死人が出てたかもね。
 ほんっとにヴレイって詰めが甘いんだから」

 ベッドの上でようやく穏かな寝息を取り戻した男の寝顔を目に呟きながら、少女はポケットの中をまさぐり握り締められる程の小さな小箱を取り出す。
 木でできた簡素なそれを蓋を開けると先ほど丸めた妙な生き物を押し込んで蓋をする。

「じゃぁね、これは貰っていくわ」

 小さく呟いて、少女は足音を忍ばせて部屋を出た。



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