陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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1・魔女は買い物に出かけ

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 カラン。

 軽やかなベルの音が薄暗い店内に響きわたった。

「ごめんなさい。
 まだ営業時間じゃないの」

 それを聞きつけてか店の奥から、年齢を重ねた色っぽい女の声がする。

 言葉どおりまだ灯りのない店内でやけに豪華らしい家具が浮かび上がって見えた。

「いや、俺、客じゃなくて。
 斡旋所の爺さんの紹介で」

 見えない主に向かってアースは声を張り上げる。

「……あら、そうなの? 
 いい子が見つかったのかしら? 
 ちょっと待ってね」

 言い置いてほどなく太り肉の中年女が顔を出した。

「なぁに? 
 確かに綺麗な顔しているけど、子供じゃないの」

 アースの顔を見るなり女は不服そうな声をあげた。

「あの爺さんもう耄碌したのかしら? 」

 いかにも寝起きと思われるしどけない姿のまま、迷惑そうに欠伸を噛み殺す。

「ボク、十六歳くらい? 
 ここはね、ボクみたいな子供のできる仕事はないの。
 あと二三年してもっといい男になったら絶対雇ってあげる。
 ごめんなさいね」

 それでも愛想ナシで追い返すのは気の毒だとでも思ったのか、女は見え透いた作り笑顔を浮かべた。

「いや、皿洗いくらいできるぜ。
 なんなら客引きでも。
 それに俺十八」

『ない』と言いながらかろうじて紹介して貰った仕事だ。
 何とか物にしたくてアースは食い下がる。

「嘘は駄目よ? 」

 女はたしなめるように言う。

「嘘じゃないって、正真正銘十八! 
 童顔で悪かったな? 」

 あれに憑かれているせいか、アースの身体はある時期から成長を止めた。
 本来ならもっと背が伸びて顔や体つきも精悍になっているはずなのに、何時まで経ってもギリギリ少女に見える時のまま。
 おまけに髪まで伸ばしていたら下手すれば少女にしか見えない。
 まるであれがその体型にこだわっているかのようだ。

「好きにしろよ」

 証明しようにも証拠など何処にもない。
 仕方なくアースは開き直る。

「なにか事情があるみたいね? 
 そう言うことにしておいてあげる。
 ま、可愛い男の子に甘えられるほうが好きってお客様もいるし…… 
 いいわ、雇ってあげても」

 そんなアースの気持ちを察してか女は不意に言葉を変えた。

「助かった。
 紹介所のじいさんこれ以外の仕事はもうないって言うからさ。
 断られたらどうしようかと思ったんだよな」

 アースは安堵の息を吐いた。

「いいこと、今回だけは特別よ。
 どうせ、短期間しか働かないつもりでしょ? 
 ここにいる間の宿代を引いて、次の町へ行く資金が溜まったらすぐに他の町へ行くつもり。違う? 
 そのくらいの短期間なら雇ってあげるわよ。
 だけど、子供に接客させたなんて事、上に知られたら営業停止を喰らうのはこっちなんだからね。
 あんたはあくまでも十八歳。いい? 」

 女は釘を刺すように言う。

 アースは何度となく頷いた。

「じゃ、早速今夜からお願いね? 
 えっと、着る物…… 
 正装、ジュストコール持っている? 」

 今度はアースの服装を上から下まで舐めまわすように見て女は訊いてくる。

「あるわけないわよね。
 ちょっと待っていて。
 小さいサイズなんてあったかしら? 」

「へ? 
 ちょっと待った。
 今夜からって? 着る物? 正装? 」

 次から次へとせわしなく女の口から出る言葉にアースは首を傾げた。

 その言葉に女は、首を傾げながら奥へ行きかけた足を止める。

「皿洗いするのになんでそんなものがいるんだよ? 」

「何言っているの? 
 あたしが斡旋所のじいさんにお願いしたのはホストよ、ホスト」
 振り返るとこれ以上ないほど目を丸くしている。

「な…… 
 ここってまさかホストクラブぅ? 」

 続いてアースがあんぐりと口を開ける番だった。
 どうりで普通の飲み屋にしては家具が異常なほど豪華なはずだ。

「まさか知らないで来たの? 
 もぅ、あのじいさんてばいつもそうなのよね。
 怖気付いた? 」

 からかうように女は鼻で笑う。

「どうする? やめる? 
 良いわよどっちでも。
 一応雇うって言った以上、こっちはどっちでもいいけど」

「仕事って夜だよな? 」

「当たり前じゃないの。
 家でなくても飲み屋なんて皆そうでしょ? 
 そんなことも知らなかったの? 」

「いや、そうじゃないけどさ。
 忘れていたって言うか、失念していたって言うか、ついうっかり…… 」

 あからさまにうろたえてアースはもごもごと口の中で繰り返す。

 言い訳のできる立場ではない。
 何でもいいから仕事をくれと言ったのはこっちの落ち度だ。
 とにかく夜は不味い。

「そうよね。
 やっぱり保護者が黙ってなんていないわよね」

「だから俺は正真正銘十八だって言ってるだろう。
 ついでに言うと保護者なんて子供の時からいないぜ」

 保護者なんてそんな物分りのいいものじゃない。

 月が昇れば一方的にアレの領域。
 アレはこっちの都合などお構いなしだ。

 とは言っても説明なんてできないし、説明したところで目先の女には理解不能だろう。

「やっぱり、俺止めとくわ…… 」

 情けない話だが、尻尾を巻いて脱げ出すしかない。
 職種はともあれ、せっかく見つけた仕事だ手放すには惜しい。
 こんな時にはアレの存在が心底嫌になる。

「そう? 
 ま、そうしたほうがいいんだろうけど。
 何か困ったらまたいらっしゃい、力になれることもあるかもしれないから」

 肩を落として店を出るアースの姿が余程気の毒に見えたのか、女のお節介な言葉がおってきた。
 


 
 店を飛び出すと同時にアースは軽い眩暈を覚えた。
 何処で時間を食ったのか、日は既に傾き始めていた。
 空を見上げるとぼんやりとした白い月が山際に顔を出していた。

「やばっ…… 」

 胸の奥を何かにつかまれたような動機が走り、一瞬息が止まる。

 うっかり月の姿なんか目に入れてしまったものだから、あれが覚醒をはじめてしまった。
 このままここであの惨状を人目に晒すわけには行かない。
 急いで宿に戻ったほうが身のためだ。

 アースは痛みの走る左胸の辺りを無意識に握り締めながら宿へ急いだ。
 

 
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