陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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1・魔女は買い物に出かけ

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 ヴレイにしては珍しいその反応にアースは思わずベッドに駆け寄る。
 まだヴレイが上げたままになっていた帳の隙間から中を覗き込んだ。

「ぐっ…… 」

 部屋中に充満していた異臭が更に強烈さを増して鼻をつき思わずアースは口元を覆ってあとずさる。

「だから、そこに居ろといったんだ」

 どんなに強烈な状況でもそれが依頼主に伝わるような態度は失礼になる。

 ヴレイの目がそう言っている。

 ただ、これはもう口元どころか目さえも覆いたくなる惨状だ。
 帳の隙間からちらりと見えたモノは既に人の形をしていない。
 どうしてこんな状態の人間がまだ生きているのかさえ不思議な程の状態だ。

「何なんだよ、これ? 
 妖魔が取り付いているのとは違うし、妖魔が化けてるのとも違うよな? 」

 思わず口を付いてでる疑問。

「さてな? 
 どっちだと思う? 」

 謎を掛けるようにヴレイが訊いてきた。

「妖魔が取り付いた身体ってのは普通腐らないもんだけどな。
 強いて言うなら取り付いている方だろ? 
 よっぽど乗っ取った妖魔と乗っ取られた躯の相性が悪かったんだろ? 
 だから妖魔の毒気に侵食されて肉体が腐りだした。
 けど魂の方は妖魔の力で肉体から離れない。
 ってところだろ? 
 妖魔が入れ替わっているケースなら、妖魔自身が生きているんだから身体が腐るなんてことありえるわけないし。
 むしろ長年年齢を取らないで気味悪がられるケースがほとんどじゃね? 」

 魔導師の素質のまるでないアースにヴレイがこの手の質問をしてくるのは珍しい。
 わからないながらも、あてずっぽで言ってみる。

「そう見えるか? 」

 ヴレイが更に訊いてくる。

「って言うかさ、妖魔云々前提にするのやめね? 
 この邸中に充満している妖魔の気配ですっかり妖魔がらみのような気がしたんだけど、ここだけ妖魔の邪気が感じられないのって俺だけか? 」

「やはり気が付いていたか? 」

「ああ、なんとなくだけどな。
 この部屋だけ空気の温度が違うだろ? 
 変だなとは思った」

「で、何、これ? 」

 何かの裏付けを取るように質問攻めにされたアースは訊き返す。

「恐らくは 呪いのろいだろうな」

「どうりで妖魔の気配がしないわけだ」

 アースは軽く息を吐く。

「じゃ、なくて。
 妖魔付きでないんじゃ、どうするんだよ? 
 俺の剣使い物にならねーだろ? 」

 落ち着いた様子を崩さないヴレイとは反対にアースは額に冷や汗を浮かべる。

「あの、何か? 」

 病人の枕もとで聞こえよがしに会話をはじめた二人の様子に、男が不安そうに訊いてくる。

「ご心配なく。
 対策を練っていただけですから」

 男の不安を煽らぬようにするつもりか、ヴレイが穏かな笑顔を浮かべた。

「じゃ、払えるんだよな? 
 まさか専門外だなんて言い出さないよな? 」

 その笑顔がなんだかものすごく不気味に見えて、アースはヴレイに詰め寄る。

「払えなくはないが、普通に貼り付いている妖魔を払うより厄介だぞ」

 警告のようなヴレイの答え。

「しかも性質が悪いことに、お前に掛かっているものと近い」

 闇に覆われぼんやりとしか見えない室内から何かを見出そうとするかのようにヴレイは目を細める。

「同業者が手を引く筈だな。
 肉体を腐らせる呪と、修復させる呪。そして命をつなげる永らえる呪なんかが同時にかけられていては」

 確かめるように呟く。

「それってつまり、身体が腐り果てても生きているってことか」

「ああ、触覚や痛覚はそのまま。
 本人は自分の躯が腐り落ちる感覚をはっきり把握している筈だ。
 しかも一気に崩れ落ちぬよう僅かながら腐り果てた肉体の一部に修復さえ施されている。
 どんなに強烈な痛みでも意識は飛ばず、痛みに耐え兼ねて自害してもそれすら敵わない」

「うぇぇぇ。
 誰だか知らないけどえげつないことするな」

 言われたことを考えるだけで身の毛がよだつ。

「よくわからないけど、普通の姫さんだろ? 
 何をそんなに酷く恨まれるようなことやったんだよ? 」

「本人自身の行いが恨みを買ったかどうかわからないがな」

「何もしてないのに呪われた? 
 行きずりの人間にか? 
 ないだろ、それは。
 呪詛とかやろうと思ったら技術はもとよりそれなりの覚悟がいるって。
 無闇に手を出すととんでもないことになるってヴレイいつも言っているよな? 」

「少なからず姫に関わった人間かも知れぬぞ。
 それに姫のこの様子を目に死ぬほど心を痛めている人間もいるはずだ」

 二人の邪魔になってはというように部屋の隅に控える家令の男に、ヴレイは視線を送った。

「家令のおっさん? 」

 いかにも人のよさそうな男の顔にアースは首を傾げる。

「じゃなくて他にいるだろう。
 まぁ、それは置いておいて。
 どうするんだ、これ…… 」

「俺に訊くなよな」

 言葉どおり余程厄介なのかヴレイは黙り込む。

「俺のと違ってねじれていないんだろ? 
 だったら一度にいけんじゃね? 」

「それができたら楽なんだがな。
 この状態だと一度に纏めて浄化したら命はないな。
 馬車の中でも言っただろ? 
 依頼主は命を引き止めるのは当然だと思っている」

「んじゃ、まずは身体を腐らせる呪いを解いて、修復させる呪いは強化。
 時間を置いて躯がある程度回復したら、修復の呪いと不死の呪いを浄化? 
 めんどくせー! 」

「だから安請け合いするのといつも言っているだろう」

「悪かったよ。
 で? どうする? バックれるか? 」

「今更遅いだろう」

 再びヴレイは黙り込むが、半ば落とした瞼の下で銀灰色の瞳がめまぐるしく動く。

 何か最善の策はないかともてる知識の中を必死に探しているのであろうヴレイの思考を邪魔しないように、アースも口を閉ざした。

 程なくヴレイが視線を上げると家令の男に視線を向けた。

「すまないが、二・三用意してもらいたい物がある」

「私共でご用意できるものなら何なりとお申し付けください」

 男は軽く頷いた。

「では、燭台を一つと、それから姫君の持ち物、
 できたら幼い頃から側に置いて可愛がっていた人形みたいな物はないか? 」

 どうなることかと不安そうにベッドの中をのぞきこんでいた家令の男にヴレイが指示を出す。

「人形でございますか? 」

 予想外の申し出に家令の男は少し戸惑ったようだ。

「ああ、なければぬいぐるみでも何でもいい。
 ただできるだけ長い年月所有していた物がいいのだが」

「申し訳ございませんが、姫様はその…… 
 ご幼少の頃から男の子に混じって馬を乗り回したり剣を振るうほうがお好きなお方で、人形遊びなど一向になさいませんでしたので。
 むしろ手にした玩具は片っ端から壊してしまう乱暴さでしたのでそう言った物は一切残っておりません」
 家令が渋い顔をした。

「……参ったな」

 ヴレイが眉を寄せる。

「姫君が思い入れを持たないただの人形ならございますが」

「いや、それでは役不足だ。
 本来なら姫君の容姿に似せて作りたいところを代用しようと言うのだ。
 少なくとも姫君と、付き合いの長い思い入れの篭ったものでないと」

「でしたらその人形が丁度良いかと。
 暫くお待ちくださいませ」

 何か心当たりがあると見え男は言い置くと急ぎ足で部屋を出てゆく。
 程なく一体の大ぶりの人形を手に戻ってきた。

「こちらでございます」

 貴族の令嬢が好んで着る流行の衣裳を纏った人形を差し出した。

「これは? 」

 明らかに子供の玩具と言うよりは芸術品のような様子にヴレイが首を傾げる。

「はい、以前お願いした魔導師様が作らせた物です。
 顔は姫君に似せ、姫の髪を使い、ドレスも姫君が好んできていたものを人形の大きさに作り直させました。
 ですがあまりに凝った注文に完成までに時間がかかりまして。
 結局人形が仕上がった頃また来ると言い残して魔導師は消えてしまいました」

「なるほどな」

 ヴレイは男の言葉に納得したように頷いた。

「申し訳ないが、恐らく事後使い物にはならなくなると思うが」

 一般の家庭ではもつこともできないほどいかにも高価そうな人形を目に、トラブルを避けるため、ヴレイがわかりきったことを口にした。

「それは全く構いません。
 むしろこれがお役に立つのでしたら、ご遠慮なく使ってください。
 消えた魔導師は以後もう一年以上お待ちしているのですが、戻ってくる気配が全くなく。
 それどころかこの界隈でその魔導師の噂を全く聞かなくなり、私共も既に既に諦めていたものですので」

 男は何度も頷く。

「あとは、燭台でしたな。
 こちらでよろしいでしょうか? 」

 家令は次いで、部屋の片隅視界に入らない場所に片付けられていた床置きの背の高い燭台を引っ張り出す。

「灯りが取れれば何でも構わないが」

 ヴレイの言葉に男はドアの外に声を掛けた。
 程なく先ほどのメイドが火種を持って現れ燭台の蝋燭に火を灯す。
 僅かに開けたカーテンの隙間からこぼれる光にその炎は心もとなく揺れた。
 

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