陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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序・月の輝く夜に

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「終了。っと」

 先ほど振り下ろした剣を握ったまま、少女は腰を落として地面に転がる物の様子を確認する。

 少女の一太刀は確実に急所をついていたようで、もはやそれは呼吸のための身動き一つしていなかった。

「悪いんだけど、あんた。
 悪戯が過ぎたんだよ」

 冷たい瞳で見据えたまま立ち上がる。

「ご苦労、アース」

 邸を取り囲む塀の高い屋根の上から、先ほどの呪文を唱えていた男の声が降って来る。
 次いで大柄の人影が一つ、舞い降りるかのように優雅な身のこなしで大地に降り立った。

「もっと、大物かと思ったんだが、案外小物だったな」

 目の前に降りてきた背の高い男に視線を移して、少女が呟いた。

「それでも街の住人の手には余った程の妖力の持ち主だ。
  さらった人間の生気を吸い取るうちに徐々に力を蓄えていったんだろう」

 男は頭上から爪先までをすっぽりと包み込んだマントの中からきつい光を放つ銀灰色の瞳で、足元に転がる物を冷たく見つめた。

「悪事はたいがいにしておかぬから、こんな目に遭うことになるのだ」

「に、してもやってられないな。
 なんだってこんな奴一匹のために、俺がこんな恰好しなくちゃならないんだよ? 」

 視界に入る長いスカートの裾をふわりと揺らして少女は不服そうに言う。

「そうでもしないとおびき寄せられなったんだから仕方がないだろう? 」

「ったく、夜間一人歩きしている若い女専門に狙うなんて、効率悪くね? 」

 言いながら少女は背中に広がる長い髪を項に纏めはじめる。
 そして先ほどから手にしたままになっていた剣をその根元にあてがうと一気に力を込めた。

「あ、オイ! やめておけっ…… 」

 男が気が付いた時には既に少女の手から銀色の髪がはらはらと零れ落ちる。
 折りしも昇り始めた朝日にそれが金色に輝いた。

「またアイツに文句言われるぞ」

 男は困惑気味に眉根を寄せた。

「……っこんなもの長いからって何の役にたつんだよ? 
 ぴらぴらうるさいだけだろ。
 それに、アイツに何か言われるのは俺じゃないしな」

 からかうように言いながら少女は纏っていたスカートを引き離しに掛かった。

「それ、借り物だからな」

 まるでこんなものを一刻も早く脱ぎさってしまいたいと言う意思表示でもするかのように、腰に結わえたサシェを解きに掛かる少女の仕草を目に男が呟く。

「髪は私がアイツの言葉を聞き流せばすむが、こいつは弁償物だぞ。
 破いたりしたら食事…… 」

 ビリッ! 

 言葉が終わらないうちに耳に届いたかすかな音に男はあからさまにため息をついて頭を抱え込んだ。

「諦めな。
 俺にこんな恰好させるほうに無理があるんだからな」

 足元から抜き取ったスカートを男に押し付けて、少女は姿勢を正す。
 何時の間にか月光に変わって広がり始めた朝陽に、先ほどまで銀の長い髪をした少女と思えていた人影が浮かび上がった。
 月明かりに輝く銀の髪が姿を消し、変わりに朝陽と同じ陽光を湛えた黄金色の髪が輝く。

 少年の域を僅かに出た年頃の何処から見ても若い男は、足元にそして腕へと視線を這わせ、己の身体を確認するかのように動かす。

「よし、異常なし」

 何処にも痛みや傷がないことを確認してアースは安堵の息を吐く。

「相変わらず記憶はなしか? 」

「まぁな。
 ってか、他人事みたいに言ってないで何とかしてくれって、俺再三言ってるよな? ヴレイ」

「無理だな、こればかりはお前とアイツの問題だ」

「役にたたない奴。
 だいたいな…… 」

 毎日のように繰り返してきた問に毎日同じ答えを返されてうんざりしながらアースは次の言葉を捜す。

 どうやったらこの男は自分の要望を受け入れてくれるのか。
 手を変え品を変え試みているのだが、もはや万策尽きた。



 
「魔導師様。お連れの方! 
 ご無事でございましたか? 」

 言葉に詰ったアースの間を読んだかのように、明けはじめた街並みの向こうから数人の男が束になり血相を変えて走り寄ってくる。
 その中にはこの件の依頼主である街長の顔もある。

「ああ、終わったぜ」

 足元に転がる物に顔を向け、アースは男達の視線を促した。

「これは? 」

 先ほどまで確かに男だったはずのものは、ふた抱えはある巨大なネズミの骸に姿を変えていた。

 その醜悪な姿に男達は息を呑む。

「依頼された、街の娘を立て続けに攫った犯人だ」

「こいつがですか? 
 ですが、こいつは…… 」

 街長の男は戸惑った声をあげた。

「ご存知か? 」

 何か心当たりのありそうな男達の様子に、ヴレイは眉を顰める。

「この街道を少し行った先にある旧街道が通る渓谷に住むヘンゲネズミでさぁ」

「俺達の爺さんの時代に住み着いたって話しだったんだが、図体の割には気のちいせぇ奴で人どころか家畜や畑にさえ悪さをしねぇから放っておいたんだが」

 一番年かさの身なりの良い男が、腰に下げた小さな皮袋の中から金貨を引っ張り出しながら言う。

「あんたらの爺さんの代? 」

 差し出された金貨の枚数を確認するとマントの中へしまいこみながら、ヴレイは納得したように頷いた。

「ああ、もっともたかがネズミの寿命だ。
 こいつはいいところそのひ孫か玄孫、その子孫かだろうと思うけどな」

「そうではないかも知れぬぞ」

「と、申しますと? 」

 ヴレイの言葉に街の人間が首を傾げる。

「背中に白い斑がある。
 これは余程の年を経たヘンゲネズミにだけ現れる特異なものだ。
 恐らくは最低百年。
 こういった無駄に寿命以上の年月を生きたものは時に妖力を身につける。
 恐らくこいつもその類のものだろうよ」

「なんて事だ。
 こいつは つがいなんでさ。
 渓谷にはもう一匹でかいのが住んでるんだ」

 男達の顔が青ざめる。

「心配ならば渓谷から出られぬように結界を張っておくといい」

「それも、ついでと言ってはなんですが、お願いできませんでしょうか? 」

 更に金貨を取り出しながら、年嵩の男は頭を下げた。

「構わないが」

 ヴレイは差し出された金貨を当たり前のようにマントの奥にしまいこみ、かわりに銅貨を一枚取り出しスカートと共に男に差し出した。

「すまないが、このスカートを借りた娘に新しい物を誂えてやってくれ」

「はぁ? 」

 何のことだかわからぬように男は差し出されたスカートに首を傾げた。

「宿屋の、赤毛の方の娘だ」

 言い置いてヴレイは男達に背を向けた。

「魔導師様、どちらへ? 
 今夜はお礼の宴を準備しておりますが」

 引き止めるように男が呼びかける。

「いや、いい。
 結界を施すのは速いに越したことはないだろう。
 もう一匹がどうなっているのかは解らぬが、相方が帰ってこないとなればなにか行動を起こすかもしれぬからな」

「そう言うことでしたら、よろしくお願いします」

 揃って頭を下げる男達に見送られ、ヴレイはその場を後にする。


 
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