陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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序・月の輝く夜に

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 遅くに昇った月がこうこうと光を放つ。
 今夜の月は妙に明るかった。
 そのせいか立ち並ぶ家々の屋根のスレートが、まるでそろえたように銀色に鈍い光を放っていた。
 

「そこの、お嬢さん」

 深夜の住宅地を一人ふらりと歩く少女は、背後から掛けられた声に振り返った。
 降り注ぐ今夜の月と同じ銀色の髪がふわりと翻る。

「わたしに何かごよう? 」

 声を掛けてきた人影に少女は、髪と同じ色の瞳を向ける。

 明るすぎる程の光を放つ月を背後に背負ったそれは、逆光で顔つきさえはっきりとはわからない。
 ただ影の大きさと声の様子で成人の男であることだけは、なんとなく察することができた。

「こんな時間に一人で外出かな? 
 いくらこの街が安全だといっても、夜中の一人歩きは感心できないな」

 親切心からか男が言う。

「お心遣いありがとう。
 でも余計なお世話だわ。
 月光浴を楽しんでるの。
 邪魔しないでくれる? 」

 見ず知らずの人間のお節介が余程気に入らなかったのだろう。
 少女は少し苛立った声で応える。

 その反応に人影の口元がかすかに綻んだようだ。

「それなら、邪魔はしないよ。
 散策の最中申し訳ないんだが、一つだけ教えてもらえないかな? 」

「わたしに答えられることならいいんだけど? 」

 少女は月明かりに浮かび上がるその整った顔を僅かに傾げる。

「道を教えてもらいたいんだ」

 地図でも出そうというのか、人影の男は胸元の内ポケットに手を突っ込む。

「ちょっとこれを見てくれないか? 」

 暫く後、ポケットの中から何かを握りだすと、少女の目の前に徐に掲げた。
 銀の鎖の先に親指の爪ほどの紅い色の宝石がゆらりと揺れる。
 それを目に少女の目から光が失せ身体が大きく揺らぐ。

「おっと、どうしたお嬢さん? 
 気分でも悪くなったのかな? 」

 そのまま地面に倒れ落ちそうになる少女の華奢な身体を、男は落ち着いた様子で抱き支えた。

 まるでこうなることがわかっていたかのようだ。

 余程激しい眩暈でも起こしたのか、少女の身体は力なく男の腕の中に崩れ落ち、身動きどころかひと言も発しない。

「少し休んで行くといい。
 私の宿がすぐそこだ」

 立ち並ぶ家々の裏へと続く細い路地を指差して、男は少女を抱きかかえようとした。
 


 ところが…… 

「 ? 」

 初めの一歩を踏み出す以前に男の足は止ってしまう。
 腕の中に抱きかかえた物を確認するかのように男は視線を動かした。

「どうなっているんだ? 
 お前人間だろう? なんだ、この石みたいな重さは…… 」

 呆然と腕の中の物を見つめたまま男は呟く。

 幼児ほどではないとはいえ成人前の少女の重さにしては桁が違う。
 同じ大きさの石か、もしくは少女の足が地面に縫い付けられているかのような異様な過重。

「こんなことが、ある、ハズ、ナ…… 」

 それでも男は少女を抱えて歩こうと必死に試みる。

 焦りが加わったのか、腕の中の少女は更に重くなったように思えた。

「ナん、だって、こんナ、に、オモイ…… 」

 額に脂汗を浮かべ、必死に引っ張る。

 だが、どんなに全身の力を込めても少女の足は一歩も地面から離れようとはしなかった。

 時間だけが確実に過ぎて行く。

 男の顔に明らかに焦りの色がにじみ始めた。
 


「そろそろ諦めたらどうだ? 」

 傍らに建つ家の屋根辺りから、太い声が響いた。
 焦った様子を隠そうともせずに男はその声の主を捜して、視線を頭上に泳がせる。

「悪事はたいがいにしておけと誰かに教わらなかったのか? 」

 また降って来た声はどこか呆れたようにさえ聞こえる。

 手にした荷物のあまりの重さに抱えて逃げることもできず、しかし諦めることもできなかったのだろう。
 男はその場を動こうとはせずにいた。
 ただ正体のわからない声の主に対して威嚇するかのように眉間に皺を寄せる。


「ギ、ギギッ…… 」

 男の口からおおよそ人間の物とは思えない妙な声がほとばしりでた。

「やる気か? 
 私は構わぬが、後悔しても知らぬぞ」

 前置きのような言葉に続いて、意味のわからぬ不鮮明な旋律を伴った言葉とも声とも取れない音が上空から降ってくる。
 初めて聞いた者にはまるっきり理解できないその音が何を意味するのかわからずに、男はその場に立ち尽くした。
 音は大気に広がることなく視覚化し、見たことのない文字か記号の羅列となり男の身体の周辺を徐々に取り巻いていった。
 異変を察して、男は身構える。
 両腕を地面に下ろし、まるで獣のように足に力を込めて屋根の上に立ちこちらを見下ろす相手に飛びかかろうとした時だ。

しゅるり。

 妙な音に気が付くと、身体を取り巻く文字の羅列が男の身体を締め上げた。
 逃げる時間すら与えられずに、気付いた時には文字の鎖に締め上げられ身動き一つできなくなっていた。
 纏わりついたそれはまるで縄か鎖のように身体を締め付ける。

「ギ…… ギギッ…… 」

 影の口からは、また人の言葉とは思え鳴声が漏れた。

 どさり。

 闇の中はっきりしない表情が歪んでいるかのような悲痛を伴った声のあと、今度は男がその場に縛り付けられたように地面に膝を付く。

「ギャッ、ギギャッ! 」

 その間にも身体を締め上げた声の鎖が更に身体に食い込み、傍目でもはっきりとわかる程に身体に食い込んで行く。
 うめき声のような苦痛の音をもらしながら、そこから逃れようとするかのように人影は激しく身をよじる。
 ただ、その動きさえも封じるかのように拘束は更に強さを増したようだ。
 程なくほとんど身動きが取れなくなったのか、人影の動きが緩慢になる。

「やれるな? アース」

 人影を縛る声の主が別の何かに呼びかけた。

「任せとけ! 」

 声と共に男の足元に転がるまるで物のように身動き一つしなくなった少女が突然起き上がる。

「ギャ? 」

 たった今自分がどうやっても動かせなかったものが、いきなり動き出す様に男は動揺したようだ。
 せっかくの獲物を逃すまいという執念からか、慌てて少女に手を伸ばそうとする。
 しかし、言葉の鎖にがんじがらめにされたその身体では腕を伸ばすどころか、指の先一つ曲げるのが精一杯だった。
 かわりに自分の動きを封じた相手をありったけの敵意を込めて睨みつける。
 


「余所見、なんかしていていいのかよ? 」

 少女に駆けられた声に視線を移動して、男は凍りついた。

 何処から取り出したのか、その華奢な手に握られた大ぶりの剣が、確実に自分に振り下ろされようとしている。
 確実に今、命の危機に面しているのは理解できた。
 しかしこの状態ではもうどうにもならない。
 逃げることどころか抵抗する間もなく、少女の握った剣が振り下ろされた。

 銀色の長い髪が夜空に翻り降り注ぐ月の光に同化し更に輝きを増す。

「ギョ、ギャァアアアアアアアアア! 」

 辺りに建ち並んだ家々の屋根にこだまする大きな断末魔を上げながら、男は地面に転がり落ちた。
 
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