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 翌日、開店前のホールに並んだ頭数を見て俺は唖然とした。

「三人って、どういうことだ? 」

 普段最低でも八人はいる筈の頭数が半分以下、こんなことありえない。

「ネオとテオドールは有給だろ? 
 ニーノとサヴェリオはわからないでもないけど、他の奴は? 」

「それが、パオロとサンドロも昨日なんだか調子悪くて、かろうじて閉店までは頑張ってくれていたんですけど、今日は起きられないって今連絡が。
 あとブルーノとカストは出てきたんですけど、なんだか立ってられないって今帰りました」

「嘘だろ? 」

 一瞬にして俺の顔から血の気が引く。
 これじゃ営業がままならない。

「予約はどうなってる? 
 仕方がない、今日は予約客だけだ。
 サヴェリオの客は断って…… 
 それからネオとテオドール呼び出して…… 」

 考えられる手を打とうと俺は頭を動かす。
 アーネストが出てきてくれたことが唯一の救いだ。

「それにしても、なんだってブルーノとカストまで」

 俺は唸る。

「それなんですけど、二人とも今日出てきた時はいつも以上に元気だったんですよ。
 少し目を離した間に急に気分が悪くなったって青白い顔して。
 それも立っていられないほどで、オレが強制的に帰らせたんです。
 何かおかしいと思いませんか? 」

 アーネストが訊いてくる。

「確かに、変だよな」

「お前ら、昨日店で出たもので何かおかしいものでも食ったか? 」

「多分ないと思います。
 食べていたとすれば全員起きられなくなっていたと思いますし。
 カストは昨日休みだったじゃないですか」

 考えながらアーネストが言う。

「だったら、食中毒の類じゃないよな。
 とはいって、魔物は近くになかったし…… 
 わからん。
 お前どう思う? 」

 俺は疑問をアーネストに投げつけた。

「あの、関係あるかどうかわからないんですけど」

「なんだ? 」

 なんだか言い難そうに表情を曇らせるアーネストの顔を俺は覗き込む。

「こんなこと言っていいのかどうかわからないんですけど。
 昨日オレ、見ちゃったんですよね」

「見たって何を? 」

 アーネストの言っていることがわからずに俺は首を傾げた。

「その、サヴェリオとニーノが奥さんとキスしているところ…… 」

「う、そだよな? 
 よりによってグリゼルタが? 」

 俺は呆然とアーネストの顔を見つめた。
 とんでもないことだとはわかっているけど、今はそれを考えている時間はない。

「最初は客だと思ったんですよ。
 まさかホールで他の客のいる前でそう言う行為はできないから人目のない裏で女性客のほうが迫っているのかな、くらいに見えました。
 オーナーには気をつけるように言われていますけど、たまにありますから。
 けど、今思うに二人の相手が、ブロンドで同じサンザシ色のドレスを着ていたんですけど、昨日そんな装いの客はいなかったんですよね」

「ありがとう、この話は後で、な。
 もちろん皆に話してないよな。
 お前もホールに戻って準備して…… 」

 とりあえず口止めをして今日の営業をどうするかに思考をまわそうとした。

 グリゼルタが他の男にキスしてるなんて、俺の希望的推測では考えられない。
 だけど確かに昨日グリゼルタはサンザシ色のドレスを着ていた。
 今すぐ二階に駆け上がって真相を聞きだしたいところだが、それどころじゃない。
 とにかく予約のお客さん無視して、臨時休業なんかにしたら店の信用に関わる。

「実は、この話続きがあるんです! 」

 俺のその言葉をアーネストが遮った。

「続きってなんだよ? 」

 嫌な予感がしなくもない。
 まさかその先の行為まで? 
 などと下世話なことまでがちらりと頭をよぎる。

「その直後なんです。
 ニーノが倒れていたのを見つけたのも、サヴェリオが倒れそうになったのも」

「んな? 」

 身構えた俺に突きつけられた言葉は全く予想外のものだった。

「奥さんが関わっているのは確かだと思います」

「そんな莫迦な」

 俺は言葉を失う。

「何か変わったこととかありませんでした? 」

「いや、一昨日の晩廊下で転倒して気を失ったくらいしか。
 怪我もなかったし、次の日には普通に起きて…… 」

 そういえば、あの日から会話や生活は普段と全く変わりないのにグリゼルタは俺の手を交わす。
 抱きしめようとしてもキスしようとしても、ごく自然な態度で触れさせてもくれない。
 何か機嫌を損ねることでもしたのだと思った。
 それとなく聞き出して謝るか、もしくは次の定休日辺りとことん買い物にでも付き合って機嫌をとるかしようと計画を立てていたところだ。
 俺がなかなかプロポーズしなかった腹いせに他の男と結婚した程の女だ。
 機嫌を損ねた仕返しにその程度の事はやりかねない。

 思わず俺は立ち上がる。

「あっ、オーナー? 」

「悪い。
 店、さっきの方向でやっててくれ! 」

 あっけにとられた顔のアーネストを残し、俺はホールを飛び出していた。
 
 

 程なく、事務室へ入る手前の廊下で俺は足を止めた。
 狭い通路の真中で抱き合う男女の姿がある。

「おい、こんな忙しい時に何をやって…… 」

 声を掛け始めた俺の言葉が止る。

 男の腕の中で女の巻き毛がふわりと揺れた。
 その巻き毛の色に俺の目は釘付けになった。
 顔は見えないが間違いなくグリゼルタだ。
 常識的に考えれば、こんな時、二人は咄嗟に距離をとり慌てふためく筈だった。
 だが、男は恍惚の色を浮かべた瞳でぼんやりとこちらを見つめただけだった。
 男はダンテ。
 サヴェリオの次に古参のホストだ。
 その腕の中で女が強請るような甘えた表情で頬を寄せる。

「お前、グリゼルタじゃないな? 」

 女を睨みつけたまま俺は訊いた。
 ずるりと女の足元に男が力なく崩れ落ちた。

「な…… 
 やっぱりお前の仕業だったのかよ? 」

 俺の問いに女は答えない。

 ただひきこまれるような色っぽい笑みだけを浮かべる。
 確かにグリゼルタの顔なのにその妖艶な顔は全くの別人だ。
 まるで中身だけそっくり入れ替わってしまったようにさえ思える。
 ゆらりと女の周辺を取り巻く見えないもやのようなものが蠢く。
 魔物に宿る妖魔の気配に良く似ている。

「なんなんだ? 」

 確認するように俺はつぶやく。
 確かにグリゼルタの周りには妖魔のものと同じ空気が取り巻いているが、妖気を発するような魔物は見当たらない。
 女の手がゆっくりと動き俺に伸ばされる。
 まるで新しい獲物を見つけたように。
 なんかヤバイような気がして、俺は一歩あとずさる。
 
 何かがグリゼルタにとり憑いた? 
 それとも何かがグリゼルタと入れ替わったのか。
 
 どちらなのか俺の持つ些細な魔力では見当もつかない。
 できるなら前者であることを祈るだけだ。
 
 金色の髪が翻ると女の身体が跳ねるように俺に飛びついてきた。
 
 バシン! 
 
 女の指先が俺に触れると同時に大きな音がして、俺の身体が弾き飛ばされる。
 衝撃に煽られ俺は床に叩きつけられた。
 腰に鈍い痛みを感じながら俺はかろうじて立ち上がる。

 ぼやぼやしていたらダンテやみんなの二の舞になるのは目に見えていた。
 そうしたらどうなるのか。
 今はまだ俺の店だけで済んでいるが、店の外にも飛び火しないとも限らない。
 倒れたみんなの症状から推測するに、女は明らかに生気を吸い取っている。
 何とかここでくい止めなければ。

 そう思いながら身構える。
 
 視線を向けると女は手を抱え顔をゆがめている。
 白い手に紅いひも状の痕が絡まるようにくっきりとついていた。
 そこから流れ出た血が腕を伝ってぽたりと肘から落ちる。
 女はそれに舌を這わせると恍惚の表情を浮かべた。
 
 ……赤い血。

 それに俺の視線は吸い寄せられた。

 血が赤いということはあれは妖魔の身体じゃない。
 人の身体だ。
 つまりはグリゼルタに何かがとり憑いている。
 
 そこまではわかったが、俺の知識と力じゃどうにもならない。
 妖魔を引き離すのは専門の魔術師か魔術医師の仕事だ。
 
 とは言え、今コイツをこのままにして魔術師を探しになど行っている時間はない。
 そんな悠長なことをしていたら確実に逃げられる。
 
 失敗した、失敗した、失敗した…… 
 今ここでコイツの状態暴くべきじゃなかったんだ。
 するべきことを相当すっ飛ばした。
 知らなかったことにして、スルーして。
 それから魔術師の手配して、全部を取り囲んでから問いただすべきだった。
 
 焦りで冷や汗が滴る。
 
 とりついた妖魔を引き離す方法…… 
 俺はない知恵を必死になって引っ張り出す。
 
 一番手っ取り早いのは妖魔だけを切る剣を使うこと。
 だけどそんな都合のいい剣そこらへんに落ちている訳がない。
 
 となると、とりついた妖魔の種類を見出して、もとあった場所に戻す? 
 ……だったっけか? 
 
 確か昔教えてもらったような気がするが、圧倒的に魔力不足だった俺には使いこなせる技じゃなく、詳細は忘れてしまった。
 こんなことになるのなら例え使い物にならなくてももう少し真剣に憶えておけばよかった。
 
 じゃ、なくて。

 今は後悔とか反省とかにこの脳味噌使っている場合じゃない。
 それは後回しにして、なんとしても消えかかっているあのおぼろげな知識を引っ張り出し鮮明化させるのが優先だ。

 確か、妖魔は何処にでもふらついているものじゃない。
 ある一定の空気の淀んだ場所とかに自然発生する。
 場所によって発生する妖魔の種類は様々で、その種類によって対処が違う。
 
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