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しおりを挟む蝋燭の炎に照らし出された店内は今日も盛況だ。
開店早々だと言うのに、もう八割方席が埋まっている。
「オーナー、ガレッティ公爵夫人が見えてますよ。
あちらのお席です」
俺の顔を見るなり、従業員の一人が声を掛けてくる。
「わかった」
それに応えて俺はホールを横切った。
ガレッティ公爵夫人はこの店をはじめたばかりの頃からの常連で、俺が事務仕事に振り回されなかなか表に出られなくなっても顔を出してくれる上客だ。
「いらっしゃいませ」
女の席へ行くと俺は満面の笑みを浮かべ軽く頭を下げる。
「あら、エジェオ。
何かいいことでもあって? 」
俺の顔を見るなり公爵夫人が訊いてくる。
「いいえ、これと言っては」
まさか、お客相手に結婚しましたとは口が裂けても言えず、俺は適当にはぐらかす。
「そう?
何もなかったようには見えないんだけど? 」
女の勘が鋭いのか、それとも隠しきれずに俺の態度に出ているのか、公爵夫人は胡散臭そうな顔をする。
「だとしたら、夫人がいらしてくださったからですよ」
女の隣、できるだけ近くへ座りながら俺は愛想笑いを浮かべた。
「嘘ばっかり、今までわたくしにそんな顔したことなんて一度もありませんでしたよ。
きっと、このホールのどこかにほかにお目当ての女性がいらしているんでしょう? 」
小首を傾げて女はホールの客席を見渡すふりをする。
やっぱり、女の勘は侮れない。
ホールにグリゼルタがいないことに俺は安堵の息を吐いた。
もし、いたりなんかしたらひと目で見破られてしまいそうだ。
「嘘じゃ、ありませんよ」
もう一度笑みを浮かべて俺は空になった夫人の杯へ酒を注ぐ。
今日はもうこういう鋭い奴は酔わせて手っ取り早く追い返すに限る。
あれこれ詮索されて、うっかり何かを口走ったりしたら厄介なことになる。
俺はそう決め込んだ。
「……本当に、家の主人たまには風邪でもひいて寝込んでくれればいいのに」
夫人は上機嫌でグラスを傾けながら、夫への不満を散々口にする。
「そうしたら、わたくしの偏頭痛持ちの苦労が少しはわかると思うのよ。
新婚ならともかく、結婚してからもう長いんだもの、うんざり。
新婚といえば、ご存知? 」
不意に何かを思い出したように夫人が話題を変える。
「マリーニ侯爵、体調を崩されて寝込んでいるそうよ。
新婚早々お気の毒よね」
「ぐ…… 」
俺はお相伴に預かっていた酒を危うく喉に詰らせるところだった。
「そうなんですか? 」
俺は知らぬフリを決め込んだ。
「ええ、それもかなり重症らしくて、客人の少ない郊外の別邸へ引っ込んだそうよ。
お医者様の話では全快まで半年は掛かるとか掛からないとか。
新婚の花嫁さん、確かティツィアーノ子爵の妹さんグリゼルタ嬢とかいったかしら?
早々から看病なんて可哀想よね。
エジェオお兄様から何か聞いていなくて? 」
「いえ、兄は兄ですから。
お互い仕事も全く違いますし。
でも、半年も掛かるとなるとその奥さん、看病疲れで参ってしまいそうですね。
次に社交界に出る時には顔が変わっていたりして」
やんわりと、遠まわしに、俺は女の思考を誘導する。
そもそも、暫く社交界に顔を出すなと指示したのは兄貴だ。
田舎に引っ込んで邪魔の入らない新婚生活を半年も満喫していれば人はティツィアーノ子爵令嬢の顔など忘れる。
新婚でより人の注目を集める期間に公に顔を晒すのは危険だと。
ついでに新妻は看病疲れのストレスで太って顔付きが変わったとでもやんわりと世間で囁かれれば多少は顔が変わっても、社交界の知人と疎遠になっても誰も不審に思わないだろう。
「ま、やっぱり、
あなたは侯爵より女性の心配なさるのね」
夫人は不満そうに口を尖らせる。
「ええ、もちろん。
俺、女性は大好きですから」
俺は夫人の手を徐に取り上げるとその甲に軽くキスする。
「あ、あら…… 」
何故か知らないが、この夫人はこういった挨拶程度のスキンシップに弱い。
ただでさえ酒で染まっていた頬が更に紅潮する。
同時に動揺したのかグラスを持つほうの手が揺れ酒がこぼれた。
「すみません、失礼なことを…… 」
俺は慌ててポケットチーフを引き抜くと夫人のドレスを拭う。
「いいのよ、気にしないで。
わたくし、少しお酒が過ぎてしまったみたいだわ。
そろそろ失礼するわね」
そりゃそうだろう。
そのつもりでいつもより早いピッチで飲ませた。
夫人はふわりと優雅な仕草で立ち上がる。
さすが王族の奥方、酔いが廻っていてもこの仕草ができるのは普段の心構えの賜物だろう。
「残念ですが、仕方がありませんね。
これ以上酔わせたらガレッティ公爵様に俺が叱られてしまいそうだ。
また来ていただく為にも少しだけ我慢しましょう」
心にもないことを口にして俺は夫人を送り出す。
店を出た少し先に待機していた公爵家の馬車に夫人を乗せる。
その馬車が消えるのを見送って俺はホールに戻る。
店の奥へ向かう途中で、妙に盛り上がっている席が目に入った。
アーネストとサヴェリオを両脇において随分派手に遊んでいる。
「あ。オーナー! 」
俺の顔を見つけるや否や給仕専門の男が困惑顔で呼びかけてきた。
「なんだ? 」
「あの、お席なんですが…… 」
男は先ほどの盛り上がっている席の方に視線を向ける。
「どこかの貴族のお嬢様だと思うんですが、こういった場所ははじめてみたいで、少々加減を知らないと言いますか……
それに、もうかなりの時間を過しておりまして…… 」
「それで、付き添いの従者か家庭教師は? 」
「いえ、いらっしゃらないようです」
「ふぅん、じゃ既婚者かもな」
この国の場合、結婚前の貴族の令嬢は付き添いナシでの外出はタブーだ。
かわりに結婚してしまえば旦那の同伴なくして何処へ行くのも自由。
そのギャップからか結婚直後から羽目を外す新妻も少なくはない。
「少し、様子みてくる」
男をその場に残し、俺はその席へ足を向けた。
「ようこそおいでくださいました。
ここははじめてですよね? 」
グリゼルタによく似た金の巻き毛の女に俺は声をかける。
「はじめまして、オーナーのエジェオ・ブブリオ・ディ・ジュストと、申します」
ポケットの中からネームカードを引っ張り出し差し出しながら俺は笑顔を作った。
「あら、偶然。
わたしの旦那様もジュストなのよ」
そう言った女の声と言葉に俺の笑顔が引きつった。
「グリ…… 」
思わず呼びそうになった名前を引っ込める。
「お客様。
もう随分お時間が過ぎております。
旦那様がお邸でお待ちになっていらっしゃいませんか? 」
女の顔に気がつかなかったことにして、こういった場合の常套句をやんわりと口にする。
「へいきよぉ、まだ、おしごとだもん」
少し酔っているのか、ろれつの廻らない口調でグリゼルタは言う。
そりゃそうだ。
俺はまだこうして仕事中。
「でしたら、尚更。
新婚早々、帰った時に奥様がお留守ではご主人をがっかりさせてしまいます。
今帰れば旦那様に叱られずに済みますよ」
すこし強い口調で言う。
「そう言うもの? 」
グリゼルタは首を傾げた。
「(少なくともお前の場合は)」
そう言いたい言葉をかろうじて飲み込んで俺は頷いた。
「じゃ、そろそろ帰ろうかな…… 」
その言葉に合わせて勘定書きがトレーに乗って差し出される。
「あ、いいよ。
これは俺が……
知り合いのお嬢さんなんだ」
俺はその書付をそっと伏せた。
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