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【第一章】三谷恭司

【第三話】アベルト・バーレン②

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食事が終わると、アベルトは二人に一言残してさっさと自室に行ってしまった。

恭司とユウカは二人だけでリビングに取り残され、唖然とした表情をしている。

アベルトが何故あんなにも焦った様子なのか、まったく分からない。


「俺…………何かマズいことでも言ったかな?」


恭司は椅子に座ったまま、呆然と呟く。

心当たりはまるでなかった。


「んー、別にそうは思わなかったけどねぇ…………。何だろ?名前が気に入らなかったのかな?」


その呟きにユウカが答える。

恭司は肩を竦め、自分の使っていた食器を持って席を立った。


「だとしたらどうしようもないな。こればっかりは変えられない」

「いや、君、記憶喪失なんだから今ならギリギリ変えられるんじゃない?記憶違いでしたって言えばいいんだよ」

「澄ました顔でなんて酷いこと言うんだお前は…………。別にいいじゃないか、三谷恭司で。ゴロがいいから一息で言えるぞ?」

「名前のアピールポイントが微妙すぎるよ…………。インパクトが足りないんだよね、インパクトが。この機会にすごい良い感じの名前に変えちゃうっていうのはどう?」

「…………一応聞いてやるが、どんな感じの奴を想像してるんだ?」

「『ナイト』とかどうかな?」

「すごいインパクトだ…………。刀を使ってるのが申し訳なくなるな」

「『ヒトリー』とかは?」

「自己紹介しただけで相手が悲しい気持ちになってしまうじゃないか。却下だ」

「じゃあ…………」

「いや、もう大丈夫だ。三谷恭司でいく。何年か知らないが、生まれてからずっとコレなんだから、わざわざ変える意味もない」

「そっか…………。まぁ、それなら仕方ないね」


恭司は食器を持ったままキッチンに移動すると、蛇口から水を出し、洗い始めた。

ユウカも遅れて席を立って、恭司の後に続く。

その手には自分の使っていた食器があった。


「でも冗談抜きでホントにどうしたんだろうね?お父さんがあんなに動じてる所なんて久しぶりに見たよ」


ユウカはそう言いながら、自分の食器を恭司に手渡す。

「私の分も洗え」という意味だ。

恭司もこの数日で慣れたものである。

受け取ると、自分の分のついでにそっちも洗い始めた。


「前に動じたのはどんな時だったんだ?」


恭司は尋ねる。

ちょっとした興味本位だ。


「私の手料理を食べた時かな」

「ずいぶんと判断に迷う回答だな…………」

「恭司も食べてみたら分かr」

「遠慮しておく」


即答だった。

ユウカは頬を膨らませるが、恭司はそれが見えていないかのごとく踵を返し、さっきまで座っていた自分の席に戻る。

食器は二人分、既に洗い終えていた。


「失礼しちゃうな。もしかしたら美味しすぎて動揺したかもしれないとは思わないの?」

「思わない」


そうして、

ユウカはプリプリと怒りながら扉に向けて歩いていった。

風呂に入るのだ。

いつも夕食の後にユウカが一番風呂に入る。

断じて父親のアベルトではない。

恭司など以ての外だ。


「じゃあ私お風呂入ってくるけど…………覗かないでね?」

「それ毎回聞いてくるけど、もしかして誘ってるのか?」

「違いますぅー」


ユウカは最後に舌を小さく出して、そのまま扉の向こうに行ってしまった。

まぁ、こんな会話はいつものことだ。

ユウカがこんなことで全く怒らないということも、この数日間で既に把握している。


「さて…………部屋に戻るかコーヒーを飲むか…………」


恭司は背もたれにグッと体重を傾ける。

この家には今まで恭司以外にはユウカしかおらず、そのユウカと仲良くなった恭司は、この家自体に慣れるのも非常に早かった。

一人暮らしの友達の家に居候させてもらっているようなものだ。

勝手知ったるとまではいかないが、気兼ねするようなレベルは越えていた。


「三谷君…………ちょっといいかな?」


と、そんな時だった。

恭司が一人でのんびりしている中で、ドアの向こう側から声だけが聞こえてきた。

声の主はアベルトだ。


「え…………?あ、はい。大丈夫です」


恭司が答えると、ドアは開かれ、アベルトはリビングの中に入ってくる。

服はさっきのままだった。

自室に行っていたはずだが、どうやら着替えてはいなかったようだ。


「いきなりですまないね…………。どうしても、君に確認したいことがあったんだ。ユウカが風呂に行くまで待たせてもらったよ」


アベルトはそう言って、夕食の時にアベルトが座っていた席…………恭司の対面の椅子に腰掛けた。

両手を前で組み、完全にどっしりと腰を据えている。

恭司は真剣な話なのだと理解した。


「…………つまり、私と1対1で話すべき内容ということですね?」

「そういうことだ。長くなるか短くなるかは君次第といった所かな。軽い雑談でもない。存分に緊張してくれて構わないよ」

「いや、そこはリラックスさせてくださいよ」


そこで、二人は小さく笑った。

頬を多少緩めた程度の笑いだが、アイスブレイクの効果はあったようだ。

アベルトのやり方なのだろう。

そして、

恭司は改めて背筋を伸ばし、表情を引き締める。

アイスブレイクはしたが、今回は相手の方から真剣な話だと言ってきているのだ。

ヘラヘラした態度は見せられない。

アベルトはフゥと息を吐く。

緊張しているのは、恭司よりもむしろ、アベルトの方かもしれなかった。


「さて…………それで話なのだがね、最初にこれだけは確認しておきたいのだが、君は本当に記憶を失っているのだね?そしてその中で知識として思い出せた記憶が、自分の名前…………三谷恭司。それだけだ。間違いないね?」


アベルトは問い掛ける。

恭司は頷いた。


「ええ。おっしゃる通りです。ここにきてから数日経ちますが、他にこれといって思い出せたものはありませんでした」

「そうか…………。これも確認だが、ユウカと試合をする中で見せたあの技も…………感覚的な意味合いで思い出せたという事柄の一つだと考えていいということだな?」

「え、えぇ…………。その通りです」

「ふむ…………。ありがとう。さっき聞いたばかりのことを何度もすまないね」

「いえ…………それは構いませんが…………」


恭司の返事は、徐々にだが訝しさを増してきていた。

元々アベルトが自分のことで何か悩んでいることは感じていたが、どうにも雲行きがおかしい。

アベルトが恭司に聞きたいことがこれだけならば、アベルトはその二つのことのみで何か焦りを感じているということになるのだ。

普通にこれだけを初めて聞いたというだけならば、何も不審に思う点などあるとは思えない。

記憶喪失になった人間が二つ思い出しましたという、ただそれだけのことだ。

その内容も自分の名前と、技を一つという、取り立てて特別なことでもない。

もし、ここに不審な点があるとすれば…………。


「私はね、三谷君。君の名前…………三谷恭司という名を、よぉく知っているんだよ」


やはりだった。

あの2つの情報を今日知っただけだったならば、アベルトに何も焦らせるような所などなかっただろう。

あるとすれば、

アベルトが最初から『三谷恭司』のことを知っていて、あの2つの情報がその知識と噛み合ったからに違いない。

つまり、

アベルトは、恭司の知らない恭司自身のことを何か知っているーー。

そうなるのだ。


「…………教えてください。何故、あなたが私の名を知っているのか。そして、出来ることならあなたの知る私のことをもっとお聞きしたい」


恭司は率直に自分の気持ちを告げた。

アベルトの元々持っていた知識と、あの2つの情報ーー。

それらを組み合わせてアベルトがどんな結果を導き出したのかは分からないが、少なくともアベルトはその結果に対して焦りを感じている。

おそらく、良い話ではない。

だがそれでもと、恭司はアベルトの目を見つめる。


「…………良いだろう。私は元々そうするつもりで今、声をかけたんだ。といっても、私自身が何か君と関係を持っている訳ではない。これは、この世界の、『共通認識された』話だ」


アベルトは重い口どりで話す。

恭司は再び唖然とさせられることとなった。

なんせ、アベルトは今、『三谷恭司については世界の常識的な知識だ』と言ったのだ。


「…………どういうことでしょうか?」


恭司は尋ねる。


「その様子を見るに、娘からは何も聞いていないようだね。『三谷恭司』の名を知らぬとは…………我が娘ながら情けない話だな」

「………………」


恭司は黙る。

返せる言葉など無い。
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