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【第五章】魔王

【第二十九話】トラントスの街 ①

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「ったく、今日も忙しくなりそうだな……」


とある日の朝────。

この『トラントスの街』に住む『マーリック・ルナーティ』は、そう言って苛立ち気味に苦言を漏らした。

この『トラントスの街』は、この『クロスロード帝国』の『王都』と『死の森』の間にある、いわゆる"最前線"の街だ。

魔物を狩って生計を立てる『冒険者』や、戦況次第で派遣されてくる『騎士団』が最も足を運ぶ街でもあり、最前線であるにもかかわらず、街はそれなりに栄えている。

特に、最近は『和也』という転成者が王都に現れ、経済が嘘のように潤い始めているというのも、その繁栄した理由の一つになっていた。

こことは異なる世界から来たという『和也』は、元いた世界の知識や技量の多くをこの世界にもたらし、帝国は多大な恩恵を受けているのだ。

さらには、

かつてないほどに効能の高い『ヒールポーション』を生み出したり────。

最近では『銃』や『大砲』と呼ばれる殲滅武器を開発していたり────。

魔法について新たな術式、効率化を図って、新魔法を生み出していたり、と────。

和也の活躍に関する噂は絶えることがない。

この最前線にあるトラントスの街にもその名声は広く轟いており、この街が平和でいられていることにすら、その和也による技術提供が非常に大きかった。

『和也』は今や、この国…………いや、世界にとっての憧れ的存在なのだ。

王都では『勇者』と呼ばれ、兵士たちからは『英雄』と呼ばれ、住民たちからは『革命者』なんて呼ばれたりしている和也は、全世界で注目を集める大スター的な存在となっている。

この街の『防衛騎士団』の一人として働く『マーリック』も、和也のことはよく知っていたし、ある意味ではファンの一人だった。


「そんなお人が…………取り逃した相手…………か」


マーリックは呟く。

つい先日、ネシャス大司教とレオナルド、ローリーを連れ、和也がこの街にやってきたのだ。

和也がこの街に来ただけでも十分に大事なのに、ネシャスやレオナルドなどの有名人まで一緒に来たことも相まって、街中が大騒ぎになった。

それくらい、彼らの知名度が群を抜いて高すぎるということでもある。

そして、

和也はそんな状況下で、ネシャスやレオナルドたちと共に、俄かには信じられないような発言を繰り出したのだ。


『我々でも捕らえきれなかった殺人鬼が、王都前の草原からこの死の森まで逃げてきた』────と。


王都を拠点とし、『クロスロード帝国』の重鎮的存在でもある彼らからそんなことを言われれば、街中が騒つくのも仕方がない。

マーリックも、最初は何を言っているんだと思った。

なんせ、王都とここは数百キロ以上離れているのだ。

普通に考えて、一個人がこのメンツから遥々逃げてこれるような距離ではない。

しかし…………


(アレは…………マジな顔だったな)


顔面を蒼白にした和也たちの表情は正に真剣そのもので、その必死さや申し訳なさがダイレクトに伝わってくるかのようだった。

決して、冗談や酔狂ではあり得ない。

しかも、

彼らはカザルだけではなく、その仲間と思われる"亜人種"や"暗殺者"まで逃してしまったと言うのだ。

現実感がイマイチ感じられない一方で、言っているのが彼らだということが、その報告の真実味に拍車をかけている。

率直に言って、信じられなかった。

まるで夢物語でも聞かされているかのような気分だ。

『勇者』であり『英雄』でもある和也が、これほど強力な仲間を伴っていながら、一犯罪者を取り逃したなんて────。

常識人であるマーリックには、その事実を受け止めることは非常に困難を極める。

だが…………

ちょうど昨日あたりから、『その認識を助長させるようなことが起き始めた』というのもまた、事実だった。

今改めて見ても信じられない。

この街の目の前に佇む死の森から、僅か一夜のうちに、多くの魔族たちの気配が突如として"消えた"のだ。

あの悪食で厄介な『オーク』たちですら、端から端までピタリと姿を消している。

こんなことは、今まで一度もあり得なかった。

何かの予兆としか思えない事態だ。

いつも魔物どもの咆哮で喧しい死の森が、今だけは不気味なほどに沈黙している。

見たら分かるような異常事態────。

すぐにでも腕利きを派遣して、調査に乗り出す必要があった。


「それで俺…………ってわけね……」


マーリックは半ば諦め気味にそう呟く。

ほとんど投げやりだ。

仕方ないとは思いつつも、まだ少しモヤモヤは残っている。

というのも…………マーリックはこの街の『防衛騎士団』の一人であると同時に、その騎士団専属の『鑑定士』だった。

『鑑定士』とは、レベル差によって範囲はあるものの…………他者の持つ情報を一方的に確認することができる職業だ。

『聖騎士』や『魔術師』には流石に劣るとはいえ、世界的にも珍しい部類の職業になる。

そして、

こんな正体不明の不気味な事態においては、マーリックの『鑑定士』の力が求められても仕方がなかった。

もし凶悪な魔獣が出現でもしていたら、その正体をいち早く明らかにする必要があるからだ。

マーリックは心底ウンザリしたように、盛大なため息を吐き出す。


「まぁ…………レア職業なんて言っても、替えはいくらでもいるレベルだからなぁ……。ハァ…………。世知辛い話だ……」


諦めて、少し絶望と恐怖の混じった声音────。

そんな栓なきことを一人寂しく漏らしてしまうくらい…………今回の調査隊は、非常に緊急で重要で、大変な"危険"を伴うものだった。

想定される事態が、あまりにも不穏すぎるものばかりなのだ。

だからこそ、世界屈指の腕利きたちをこの調査に派遣するわけだが、それでも完全に安心とは言い切れない。

これは、冒険者ギルドで言うところの『Sランク依頼』に該当するクエストなのだ。

もちろん、それに併せて冒険者側も1~10位以内の『Sランク冒険者』が派遣されて来るものの、そんな腕っ節が駆り出されるような任務に一人同行しなければならないとなれば、ため息も出る。

いざとなれば、その腕っ節たちもマーリックより任務を優先するだろう。


「頼りにしていた『和也』は新しい武器の導入とかでさっさと王都に帰ってっちまったし、ネシャス様もそれに同行するなんてよぉ…………。まぁそれでも、レオナルド様とローリー様がいてくれるのはありがたいが…………でもなぁ……」


危険がいつにも増して増加している以上、楽観視はどうしても出来なかった。

それだけヤバい案件だ。

それに、

『あの噂』もある。


「『カザル・ロアフィールド』…………。和也様と同じ…………"『転成者』である可能性あり"…………か……」


今回、想定されている事態の、"最も可能性のある事態"が、それだった。

和也と同様、"カザル"の噂も、このトラントスの街にまで大きく響き渡っている。

事件が起きてから僅か4日────。

そんな短期間しか経っていないにもかかわらず、和也同様、カザルのことも、この最前線の街にまで情報が行き届いているのだ。

それだけ、王都で巻き起こされた事件が鮮烈で強烈でエゲツなさすぎたということでもある。


「僅か2日で、想定死者数"500人"あまり────。被害総額は金貨"約800枚"────。懸賞金額は増額されて、白金貨"500枚(約50,000,000円相当)"────か…………。桁があまりにも違いすぎて、もはや想像すらできねぇよ……」


元々は『無能者』で、誰よりも馬鹿にされていたというカザル────。

そんな不遇職の最たる存在だったはずのカザルが、これほどまでに凶悪な殺人事件を巻き起こすことなど…………この世の誰も予想できていない、『珍事態』だった。

さらには、そんな奇跡的存在が世界中から恐れられるほどの殺人鬼になるなど、一体誰が想定出来ただろう。

それも、カザルはロアフィールド家から脱獄して"たった2日"で、気狂いの如く虐殺を繰り返した後…………王都直属の騎士団やギルドが厳重体制を敷く中、こんな僻地まで逃げおおせてきたというのだ。

明らかに尋常じゃない。

さらに、

その『仲間』というのも、相当ヤバくてイカれた人間たちだった。

亜人種解放を先頭きって訴え続け、亜人種解放軍のリーダーとして指名手配されていた、『ウルス・バンガード』────。

世界一の暗殺者であり、カザルに負けず劣らずの虐殺記録を持つ、超弩級の世界的凶悪犯罪者、『シャーキッド・ロンロン』────。

どちらも最低で最悪の指名手配犯だ。

人生で絶対に出会したくない2人でもある。

そんな2人は、今やカザルの仲間と見做されて、カザル同様に懸賞金額を跳ね上げられていた。

そして、

彼らもまた、カザル同様、あのレオナルドたちから逃げおおせてきたというのだ。

この3人が集まるとなると、どうしたって悪いことが起きそうな予感しかしない。
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