終わる刻、始まりの場所

七海月紀

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40話

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 滾々こんこんと澄んだ水が湧き出る不思議な泉。その中心の祠の前で、あおいは大きく息を吐く。
 眠るようにだけ挨拶をして、そっと抜け出してきた。頭から被った呪布じゅふは、先日アーベットのビルに行ったときに使ったものだ。呪布の効果は基本的には行って帰ってくるくらいしかない。使えるとしてもギリギリプラス一回分……つまり、往路分おうろぶんしかない。でも、今の蒼にここに戻ってくるつもりはない。
 昼間見た映像。あれは明らかに蒼を狙ったものだった。警官に腕を掴まれた養父ちち、寝込んでいるという養母はは。そして、行方不明になっいる養子じぶん。あの映像から蒼は、はっきりとした意図を感じた。
『家に戻らなければ、養父母りょうしんに危害を加える』
 アーベットから蒼へのメッセージだった。
 火群ほむらは大切だし、ともえの力になりたいと思う気持ちは嘘ではない。何より、燁の側にいたいという思いは強い。
 ……でも……
 巴が与えてくれたのと同じように養父母ふたりは、蒼に居場所をくれた。学ぶ機会と場所を与えてくれて、本当の息子のように愛してくれた。そんな二人に……
 危害を加えさせるわけにはいかない……
 彼らは、火群やアーベットとは何の関わりもない。普通の、一般の人なのだ。何の力もない二人を守ることができるのは……
 オレだけなんだ……
 頭から被った呪布をギュッと握り、祠にフォースを流し込む。蒼の周りに柔らかい緑の光が満ちて、視界がぼんやりしてくる。キュッと強く目を閉じると、目の裏に赤い光が浮かぶ。
 燁……!!
 離れてしまっても、いつだって燁のことを想っている。

 目を開くと、見慣れた庭の風景が広がっていた。養母ははが丹精込めて育てている花が、咲き誇り朝日を浴びて輝いている。
「……あ、おい……さん?」
 声の方を見ると、養母ははがいた。養母の薄い茶色の瞳が大きく見開かれ、手に持っていた水差しの口からドボドボと水が溢れる。普段穏やかで柔らかな笑顔を浮かべていることの多い養母の、珍しい表情を見て蒼も少し笑む。
「……ただいま戻りました」
「……っ!!おかえりなさい」
 近づくと、その瞳に涙が溜まっているのが分かって、蒼は思わず養母の肩を抱き寄せる。
 心配をかけた。抱き寄せた肩が少し細くなっている気がする。蒼がいなくなって、養父ちちも家にいない時間が増えて、気苦労も増えてしまったのだろう。
「もう……いいの?」
 養母ははの温かい手が、そっと頬に触れる。大切なものに触れるようにそっと。宝物に触れるように優しく、養母は蒼に触れる。
「はい……」
 何がいいのだろう……。結局自分は、みんなを置いてきてしまった。それでも、養父母りょうしんを見捨てることなんてできなかった。
 思わず養母の肩を抱く腕に力が入る。
「あら……」
 養母が蒼の肩越しに何かを見つけたのだろうか。小さく声を声を上げた。蒼も養母から腕を離して、養母の見る方をみる。
「おはようございます、マダム」
 プラチナブロンドの髪が朝日を反射して輝く。ハニーブラウンの瞳に光が入ると、それは黄金色に輝いて見えた。
「……!」
 反射的に養母を自分の背でかばうようにして、二人の間に蒼は立つ。けれど養母は、蒼の剣幕も意に介さいない……というか、気付いていない様子でニコニコと笑みを浮かべ、蒼の背後から姿を現した。
「アーベットさん。おはよございます。よく眠れたかしら?」
「えぇ……おかげさまで、ぐっすり眠ることができました」
 人好きのする笑みを浮かべるアーベットを見て、蒼は自分の血液がカッと逆流するような感覚を覚える。今すぐに飛びかかって、そのにやけた顔をぶん殴りたい。二度と燁の前に現れることのないように、この世から消し去りたい。
 体中を巡る激しい感情をどうにか抑えて、蒼は養母に尋ねる。
「……養母かあさん……こちらは?」
 一瞬ハッとした顔をした養母は、柔らかく笑んで蒼をアーベットの側へといざなう。
「アーベットさん、こちらは息子の蒼です。所用で家を開けていたんですが、戻ってまいりました。ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。……蒼さん、こちらはアルフ・アーベットさん。お父様のお仕事のお相手のお一人で、心配して来てくださって、相談に乗っていただいていたの」
 養母の紹介に、蒼は真っ直ぐにアーベットを見つめながら頭を下げた。
 そんな蒼にニヤリと口の端を上げる笑みを返してアーベットは言う。
「アルフ・アーベットです。お父上には大変お世話になっていて、この度の件を知って何かお力になれればと思い参上しました」
 どの口が!!
 思わず口に出そうになって、蒼はグッと唇を噛む。
 今回の養父の事件は、アーベットが仕組んだことに違いない。アーベットが、蒼を火群から……仲間たちの元から離れさせるために事件をでっち上げ、養父母を巻き込んだ。
 ……いや、巻き込んだのはオレか
 きっと蒼を引き取らなければ、養父母がこんな目に合うことはなかっただろう。蒼がいなければ、きっと今頃仲睦まじく穏やかな時間を過ごしていただろう。
 けれど……
 蒼は一瞬俯いてキュッと口元を引き結ぶと、顔を上げアーベットに向かって笑む。
「……養母ははがお世話になりました。わたしが戻ってきたので、もう大丈夫です。お引取りください」
 にっこりとでも有無を言わせない蒼の笑顔に、アーベットはニィっと嫌な笑いを返す。
「そうですね。息子さんが戻ってきて、ずっと側にいてくださるのであれば安心でしょう。それではマダム。わたしはこれで失礼しますね」
「あら、朝食くらい召し上がって行かれませんか?」
「申し訳ありませんが、仕事が詰まっておりますのでまたの機会にお願いいたします」
 アーベットは、養母の手を取り甲に恭しく口をつけると身を翻して庭から去っていく。
「!!」
 蒼は、アーベットの触れた養母の手をとると自分の羽織っていた呪布で拭う。
「あらあら……どうしたのかしら?そんなに強くすると赤くなっちゃうわ」
 コロコロと鈴がなるように養母は笑い、優しく蒼の頭を撫でた。
「……本当にもう、いいの?」
 その言葉に蒼は胸の奥に思いを仕舞って笑う。
「はい……」
「そう……」
 一度言葉を切った養母は、蒼の頭を優しく撫でながら柔らかく微笑む。
「朝ご飯は食べた?まだなら一緒にどうかしら?」
 伺うように顔を覗く養母に、蒼も笑み浮かべて返した。
「よろこんで」
 ……これで、いいんだ……
 これできっと、アーベットは二人から手を引いてくれるだろう。火群は……蒼がいなくなって戦力が削られることは心苦しいが、それでも仲間たちの力を信じている。
 ……オレがいなくても、きっと……
 他の二人や巴もいる。彼らが燁を支えてくれるだろう。これまでだって燁は、自分がいなくても生活できていたのだから、これからだってきっと……
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