七ツ国戦記

盤坂万

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クンヌートの神

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 大地の果てには海があり、水平線の向こうでは海と夜とが繋がっていた。空には雲と星と太陽が、繰り返し繰り返しやってきては去っていく。
 太陽が海の端から昇り、大地をまたいで反対の海の端へと沈んでいき一日が過ぎる。昇ってきた太陽が、昨日沈んだ太陽と同じ太陽なのかどうなのか、確かめ得た者は未だいない。
 昨日沈んだ太陽が、今日も同じ太陽だと確信をもって答えられる者もまたいない。世界の摂理への理解は人の手には大きく余り、ゆえに世界と人々には神々が必要だった。
 夜が世界の主体であり、太陽が空を渡るときにだけ昼をもたらすというのは、世界中どこの神の教えにも共通した通念だ。夜は万物の源で、人も魔獣も草木や動物も、水も土も火や風もそこからやってきた。
 ゆえに世界の母は夜だった。この世界に生きるものは、母にもたらされるものを等しく享受せねばならない。ただ神の存在を除いて。
 夜の中に海があり、海の中心に一つの大地、大地には四つの種族と七つの国々、そしてそれぞれの神が。空には雲と星々と太陽があって、世界はそれで全部である。



「くだらんと思わんか」

 大地の恵みたる「豊穣の水」を口に含んで、コニヤは酔いを吐息に混ぜて吐き出した。豊穣の水は麦を醸した酒でこの辺りの特産である。コニヤは酒店の客になってから、それをもう八杯も胃袋に流し込んでいた。それは彼の酒精への耐性をいささか超える量だ。

「何がだな」

 問いかけられた男は素面の目でコニヤを見返した。いかにも傭兵然とした佇まいのコニヤと比して、こちらの男は一般に魔導士と呼ばれるような衣装を身に纏っている。男の名をタジャールと言った。タジャールは滅多に酒の類を口にしない。誰かが言うには何でも大願のためのまじないであるらしい。

「魔王が顕現したというアレだよ。魔王がぽっと湧いたりするものかい。ありゃあメルレイン様の成れの果てよ」
「不敬なことを言う。成れの果てとは言葉が過ぎるぞ」

 タジャールは諫める口調で言った。コニヤはそれでも構わず大きな声を出したので、何人か店の中の客が二人を振り返った。

「王はメルレイン様を見捨てた。国も民も軍も、俺たちもメルレイン様を見捨てたのよ……」

 そう言うとコニヤは嗚咽し始めた。明らかに飲みすぎだ。タジャールは友人の肩にそっと手をやりながら、油断なく店の中にいる客を端から見渡した。こちらを窺っているような視線が幾つかあったが、彼の眼光に触れると皆思い出したように気配を消した。取るに足らぬ、何もかも取るに足らぬとタジャールは目を瞑った。



 先年、聖王ミフィス・ゾル・クンヌートは、第一王子であり王太子だったメルレイン・ハザ・クンヌートを突然廃嫡した。それはメルレインが王国軍を率いて隣国との戦に出向いている最中のことだった。
 廃嫡された王子は、出征先で審問官により断罪され即刻処刑されることが決まっていた。ところがいざその段に及ぶや、空に漆黒の暗雲が湧き上がり、周囲一帯に凄まじい暴風と雷光をもたらしたという。その嵐に巻き込まれた死者や行方不明者は実に三千人にも及び、メルレインの姿もそこからかき消されてしまった。
 王子の罪は悪魔に魅入られ魔性の力を身体に宿したことだった。それを神が怒り、聖王に我が子の抹殺を唆したのだ。
 魔性を宿した王子は、やがて父たる聖王の地位を簒奪するに及ぶだろう。神はそう告げると慈悲も無慈悲もいかなる感情も介在せぬ横顔を聖王ミフィスに見せたのである。
 メルレインは千年に一人の英雄と呼ばれた。クンヌート聖王国を庇護する神にいくつもの祝福を受けており、十四歳で初陣してから二十歳に至った運命の日まで、一度の敗北をも喫したことがない。神はメルレインの強さをことのほか喜び、他国を庇護する別の神に、しばしば我が子のようにひけらかした。
 そのため怒った他国の神による更なる戦乱がクヌート聖王国を襲ったのだが、それすらもメルレインは散々に蹴散らした。いつしか名実ともに神の子と称えられるようになり、常に神の側に侍ることを強いられた。
 だが、何をかをきっかけに蜜月の時は終わり、メルレインは神の失望を買うに至る。神は王に息子殺しを唆した。従わねば国が亡びる。ミフィスは神の横顔を凝視したまま決断をしたのだった。



 酒店の壁には魔王討伐のための志願兵を募るビラが貼りだされている。目を開いたタジャールはそれをじっと見つめて、憂鬱を混ぜたため息をそっと吐き出した。
 世界の人々は神の確かな意思の存在を知らないでいる。
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