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梅雨入りの件

真意

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「火中の栗を拾うというわけか」

 そう言う藤堂左近に、新三郎は答えずじっとその目を見つめた。

「この件で津の本藩は動きますか」

 新三郎の確認に左近はその心配ない、と答えた。

「藤堂家はもう何代も前から津の本藩ではなく、支藩である久居藩が動かしている。いまの津藩主は元々久居藩主の俺の親父だ。いずれ俺がその跡目を継ぐことになる」

 藤堂本家は三代ほど前に、藩祖高虎公の直系が絶えていた。今は支藩の久居藩主家や、上野城代を代々勤める出雲家から継嗣を出すのが普通になっている。
 名張領主である名張藤堂家が、今になって独立立藩を目論んだのも、そうした本家の支配体制が緩みつつあると見てのことだろう。実際のところ継嗣問題に追われるようになってから、藤堂家は幕府内においても、領地経営においても影響力が弱まっている。たとえ血縁であっても、他流他家から当主が入れ替わりやってくるのでは、君臣の関係が強いものでなくなるのは自然なことだった。

「それで、行ってどうしようと考えているのだ」
「飽くまで身どもの役目は末期養子の判元見届け。この本分をはみ出ることには一切関与しませぬ。もし調べの通り領主が危篤でない場合は、世嗣届の手続きを名張家に勧めます」

「しかし向こうではお前さんを盾にして独立立藩の訴えを押し通す腹だぞ。思うようにはいくまい」

 本当にそんなことが可能なのだろうか……。
 それについて新三郎は考えを巡らせていたことがある。これまで継嗣を届ける際、名張家は津の本藩を介して幕府に届けていた。それが今回、直接名張家から届が出されたので、新三郎もはじめに玄蕃から話を聞いた時に不審を憶えたのである。
 それは本藩に統治能力なし、という無言の訴えを含ませたものなのではないか。そして末期の継嗣届を幕府の公用人に運ばせ、幕閣に先ほど述べた認識をもたせたところに親族である二本松の丹羽家が口添えをし、独立を後押しする。独立が果たせた後は、二本松の支藩になるなどの密約があるに違いない。取り扱った幕府要人にも何らかの益があるのだろう。つまり話が伝わった時点でこの陰謀は発動するのだ。
 だが、それだけだろうか。新三郎にはまだ引っかかる点がある。

「いずれにしましても、身どもが自由を奪われたなら、津でも久居でも藤堂家より藩兵をもって名張の館をお取り囲みになるがよろしい」

 なるほど、と左近は膝を打った。

「救援の求めに応じ、幕府公用人を救うという筋書きだな。そして名張家の暴挙を鎮めるという訳か。面白い」

 左近の問いに今度は頷く。なんなら最初からそのつもりで兵を差し向けさせてもよいのだが、できれば騒動にしたくはない。そんなことに巻き込まれては、江戸に帰れる日がいつになるやらわかったものではないので、その助言はよしておくことにした。


 だがしかしである。
 二万石程度の立藩を丹羽家が後押しするのはわかる。労せず禄を手に入れられるのだ。二本松のような北国ではなく温暖な伊賀に所領が得られるのは、彼らにとっては小さい成果ではないだろう。だが、誰だかは判らぬが、幕閣の人間にとっては些事である。利を与えて弱味を握る、だがそれは相見互い。むしろ不正をしたのであれば幕閣要人の方が大きな弱味を握られることになるだろう。そうなるともっと大きな実入りのある陰謀が……。
 陰謀。
 新三郎はその言葉を口に出して途端に閃くものがあった。これは、陰謀を隠れ蓑にした陰謀なのではないか。名張家の騒動は、大魚を釣り上げるためのエサだったとしたら。そしてその大魚とは藤堂三十二万石なのだとしたら……。
 三十二万石のお取り潰し。
 それは幕府にとって衝撃的な事件になる。そして大藩の改易は他の諸侯への強い抑制を生み出すだろう。天下泰平も百五十年とあって、徳川家の権威や支配力は開闢かいびゃく当時のそれを凌ぐほどにはない。幕閣が強い力を示すには大きな仕事が必要になる。
 幕府は虎視眈々と大藩や外様大名の不行跡を狙っている。常態としてその一面があるのだ。藤堂家が的になっているわけではなく、すべての大名家がこうした事態に追い込まれる可能性を持っている。
 となると、新三郎を送り込んだ玄蕃げんばの狙いもそれということになる。だが、ならどうして新三郎を選んだのだろうか。何か目的が、理由があるに違いなかった。

「おのれ、玄蕃め」

 いつもいつも無理難題を押し付ける。何か狙いがあるのなら、はじめからそうと言えというのだ。虚空に浮かんだ玄蕃の面差しを、新三郎は両手を振り回して無茶苦茶にかき消した。不審に思う忠馬や加也の視線も構わず、文字通りかき消した。
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