25 / 40
梅雨入りの件
羊羹
しおりを挟む
「ご他行中にお邪魔してしまい申し訳ありません。隣戸のお内儀が待つように勧めてくれましたので」
新三郎が囲炉裏をおいて斜向かいに腰をおろすや、加也は床に手をついた。 勝手なことをするものだ、とお富の釣り目を思い浮かべるが別段腹が立つわけではない。
しかし加也に縁談の断りを入れねばならないと思っていたところだ。都合がよかった。
だがどう説得すべきか。新三郎が悩みどころにさしかかると、さっきよりも深く頭を下げて加也が、重ねて申し訳ないのですが、と切り出した。
「こたびの縁談、一旦なかったことにしていただけませんか」
「え……」
「こちらから申し出たことで大変申し訳ないのですが、なにとぞご寛恕をいただきたくお願いに参った次第!」
新三郎は呆気に取られた。願ってもないことだがどういうことなのだ。
「新三郎様にもその気になって頂いていたのに……」
「いや、それは……?」
その気になど一度もなったことがないはずだ。
「荻野のご当主と御祖母様がご面会になりご快諾を頂いたと伺いました」
「まことですか?」
あの莫迦兄上、と胸内で新三郎は主馬を罵った。さっきの話ではまだ保留にしてあるというような口ぶりだったのに、しっかり承諾してしまっているではないか。
権威主義のかたまりのような主馬のことだから、おおかた松の方の威光にあてられて腰がひけてしまったのだろう。そのときの光景が目に浮かぶようだ。
「まずはお詫びをしたく罷りこしました。しからば用向きは以上にございまして、御免仕ります!」
ほとばしるように言い放つと加也はばっと立ち上がって土間の障子まで滑るように移動した。そこで振り返って思い出したように脇に抱えていた風呂敷包みを板敷に置く。
「こ、これは長門屋の羊羹にございます。お好きだと伺いましたゆえ持参しました。よろしければお召し上がりください。では!!」
まくしたてて言ったあと加也はぴしゃんと障子を閉めて足音も高く走り去った。
いったいなんだったのだ、と新三郎は加也の去った障子をぼんやり見ている。自分のいないところで縁談が進んでいたことにも驚いたが、よくわからないうちに袖にされた新三郎は心の置き所が不明で、文字通り困惑するばかりである。
「なんだ、俺は振られたのか……?」
誰に聞けば答えを教えてくれるだろうか。幾人かの人の面差しが思い浮かんだが、だれもかれもあてになりそうになかった。
さてどうしたものか。ひとまず羊羹を食おう。それから船着き場に大八車で行って、牛蒡餅を引き取らねばなるまい。やることはたくさんある。新三郎は「よし」と呟くと、当面の仕事である羊羹の試食に取り掛かることにした。
新三郎が囲炉裏をおいて斜向かいに腰をおろすや、加也は床に手をついた。 勝手なことをするものだ、とお富の釣り目を思い浮かべるが別段腹が立つわけではない。
しかし加也に縁談の断りを入れねばならないと思っていたところだ。都合がよかった。
だがどう説得すべきか。新三郎が悩みどころにさしかかると、さっきよりも深く頭を下げて加也が、重ねて申し訳ないのですが、と切り出した。
「こたびの縁談、一旦なかったことにしていただけませんか」
「え……」
「こちらから申し出たことで大変申し訳ないのですが、なにとぞご寛恕をいただきたくお願いに参った次第!」
新三郎は呆気に取られた。願ってもないことだがどういうことなのだ。
「新三郎様にもその気になって頂いていたのに……」
「いや、それは……?」
その気になど一度もなったことがないはずだ。
「荻野のご当主と御祖母様がご面会になりご快諾を頂いたと伺いました」
「まことですか?」
あの莫迦兄上、と胸内で新三郎は主馬を罵った。さっきの話ではまだ保留にしてあるというような口ぶりだったのに、しっかり承諾してしまっているではないか。
権威主義のかたまりのような主馬のことだから、おおかた松の方の威光にあてられて腰がひけてしまったのだろう。そのときの光景が目に浮かぶようだ。
「まずはお詫びをしたく罷りこしました。しからば用向きは以上にございまして、御免仕ります!」
ほとばしるように言い放つと加也はばっと立ち上がって土間の障子まで滑るように移動した。そこで振り返って思い出したように脇に抱えていた風呂敷包みを板敷に置く。
「こ、これは長門屋の羊羹にございます。お好きだと伺いましたゆえ持参しました。よろしければお召し上がりください。では!!」
まくしたてて言ったあと加也はぴしゃんと障子を閉めて足音も高く走り去った。
いったいなんだったのだ、と新三郎は加也の去った障子をぼんやり見ている。自分のいないところで縁談が進んでいたことにも驚いたが、よくわからないうちに袖にされた新三郎は心の置き所が不明で、文字通り困惑するばかりである。
「なんだ、俺は振られたのか……?」
誰に聞けば答えを教えてくれるだろうか。幾人かの人の面差しが思い浮かんだが、だれもかれもあてになりそうになかった。
さてどうしたものか。ひとまず羊羹を食おう。それから船着き場に大八車で行って、牛蒡餅を引き取らねばなるまい。やることはたくさんある。新三郎は「よし」と呟くと、当面の仕事である羊羹の試食に取り掛かることにした。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
仕舞屋蘭方医 根古屋冲有 お江戸事件帖 人魚とおはぎ
藍上イオタ
歴史・時代
【11/22刊行】「第9回歴史・時代小説大賞」特別賞受賞作
ときは文化文政。
正義感が強く真っ直ぐな青年「犬飼誠吾」は、与力見習いとして日々励んでいた。
悩みを抱えるたび誠吾は、親友である蘭方医「根古屋冲有」のもとを甘味を持って訪れる。
奇人変人と恐れられているひねくれ者の根古屋だが、推理と医術の腕はたしかだからだ。
ふたりは力を合わせて、江戸の罪を暴いていく。
身分を超えた友情と、下町の義理人情。
江戸の風俗を織り交ぜた、医療ミステリーの短編連作。
2023.7.22「小説家になろう」ジャンル別日間ランキング 推理にて1位
2023.7.25「小説家になろう」ジャンル別週間ランキング 推理にて2位
2023.8.13「小説家になろう」ジャンル月週間ランキング 推理にて3位
2023.8.07「アルファポリス」歴史・時代ジャンルにて1位
になりました。
ありがとうございます!
書籍化にあたり、タイトルを変更しました。
旧『蘭方医の診療録 』
新『仕舞屋蘭方医 根古屋冲有 お江戸事件帖 人魚とおはぎ』
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
慈童は果てなき道をめざす
尾方佐羽
歴史・時代
【連作です】室町時代、僧のなりでひとり旅をする青年のお話です。彼は何かを探しているのですが、それは見つかるのでしょうか。彼の旅は何を生み出すのでしょうか。彼の名は大和三郎、のちの世阿弥元清です。
晩夏の蝉
紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。
まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。
後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。
※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。
肥後の春を待ち望む
尾方佐羽
歴史・時代
秀吉の天下統一が目前になった天正の頃、肥後(熊本)の国主になった佐々成政に対して国人たちが次から次へと反旗を翻した。それを先導した国人の筆頭格が隈部親永(くまべちかなが)である。彼はなぜ、島津も退くほどの強大な敵に立ち向かったのか。国人たちはどのように戦ったのか。そして、九州人ながら秀吉に従い国人衆とあいまみえることになった若き立花統虎(宗茂)の胸中は……。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる