【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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梅雨入りの件

時鐘

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 話は新三郎が忠馬を引き連れて宇津に出張った日に戻る。
 この日新三郎の寓居である長屋では、二人の女子おなごが相対していた。袴を着け男のようななりをした加也と、姉さんかぶりの塔子である。
 後ろ手に障子を閉めた塔子は、頭の手ぬぐいをはらりと解いた。ほんのりと微笑している。ははあ、この人が新三郎の想い人か、と加也は思った。日頃から甲斐甲斐しく身の回りの世話などをしている様子でなかなか油断がならない。加也はぐっと胸を張って、ちょうどよかったと言った。

「私は志賀加也と申します。このたび正式に荻野家へお願いをして、新三郎様に婿入りをして頂くことになっております。貴女には一度お会いしたいと思っておりました」

 荻野家からの返事はまだだが、縁談は伊達家から申し込むことになっている。家格のことを考えても荻野側が断ることはないだろう。加也はこの年増女をひとつ怯ませてやろうとそう言った。
 しかし塔子はさして驚いた様子もなく、まあと答えて小さく会釈をした。

「それは祝着にございます。私は名乗るようなものではありません。新三郎様の幼馴染のようなもので、荻野家の皆様によくして頂いたご恩返しに、少しおせっかいをしております」

 見ると小脇に抱えたざるに、新三郎に食わすためのものだろう、何やら魚の類が見えるが、加也には見ただけでは何の魚であるかは不明だ。普段料理などする必要がないから無理もない。加也の家には食事の世話をする女中がいたし、用足しに立ちまわってくれる下男なども雇っている。小さいとは言え、宇和島藩の剣術指南役道場だ。それに宇和島公の従姉妹でもある加也の家にはそこそこの余裕がある。

「そうですか。それでは身を引いていただけますか」

 加也は敢然として言ったが、塔子の方は怯む様子はなく、ただにっこり笑い返した。

「身を引くなど、新三郎様とはそもそもそうした関わり合いではありませんので、ご心配なく」
「心配などしておりません。分を弁えて頂けるのでしたら、とやかく言わぬと申しておるのです」

 別段売り言葉という訳ではなかったが、加也はついつい買って出てしまった。冷静な振りをして判ったようなことを言うではないか、と加也は胸内にぼっと火のつく思いがしたのだ。こうなるとなかなか引っ込みがつかない。どうやって化けの皮を剥がしてやろうか。
 塔子の方は困った顔をした。どうやらこの女侍おんなざむらいは自分を言い負かしたいらしい。
 年は自分より三つ四つ下のようだが、言葉遣いが居丈高でどこかのお姫様のような話し方だ、と塔子は思った。父が死んだあと一時期身を寄せていた、伊勢の藤堂家本家の女たちがこんな感じだったように思う。
 別段、偉そうにしている訳でもないが、身分の上下をそうしたものから感じ取らせる何かが、加也の言葉からも感じられる気がした。

「本当にご心配なさらず。私がこうして気ままにできますのもあと四、五月ほどですから」

 塔子は仕方なくほのめかすように言ったが、加也は小首をかしげる。
 どういうことですか、と素直な疑問を口にしたので、塔子は思わず吹き出してしまった。
 その様子から性根はまっすぐな娘であることがわかる。本家の姫君たちとは本質的に違うようだ。少し安心する気がしたのだった。

「何かおかしいことがありましたか」
「いえ、加也さまは愛らしい方ですね」

 言うと加也は少しの間きょとんとして、ついでぱっと首筋を朱に染めた。馬鹿にされたと加也に思われては困るので、塔子は慌てて居住まいをただす。

「私は今年のうちにさる家の養女に入ることになっております。そのあとはいずこかへすことになるでしょう。私には父がもうおりませぬし、伝える家もなくなりましたから」
「え……」

 塔子の笑顔が儚げに見えて加也は言葉を詰まらせた。
 自分も父親を亡くした身であるから、塔子の言葉が持つ何と言うわけでない心細さが理解できた。加也の場合は一般の武家とは違い、女の身でありながらも祖母の庇護もあって家を守ることができたが、塔子の家は当主である父親が亡くなったあとどうなったのだろう。
 突然湧き出してきた同情の念に加也は狼狽えた。そうしたことがあるとは思いもよらなかったので、自分と変わらぬ年端で似た境遇が目の前の女にもあると知り、途端に親近感を持ってしまった。

「その、つい失礼なものの言い方をしてしまいました。赦して頂けると嬉しい……」

 加也が突然悄然としたので、塔子はもう一度声をあげて笑った。

「赦すも何も、とんでもないことです。やっぱり加也さまは愛らしい方ね」
「いや……」

 もう一度言われて今度は照れてしまう。現金なものである。目が合って笑い合ったあと、目許に滲んできた涙を拭いながら塔子が小首をかしげた。

「しかしどうして加也様は私などにお会いになりたいと?」
「え……?」

 最初の挑みかかるような気分が萎えている加也は、自分の言ったことなどとうに忘れていて間の抜けた返答をした。

「ちょうどよかったとおっしゃったので」
「ああ、その貴女のことだと思ったのです、その……」

 加也が自分を指して困った様子をしたので気が付いて、塔子はようやく名乗った。

「塔子です。藤堂塔子と申します。さきほどはごめんなさい」
「いえ、あのように挑みかかられては私も同じようにしたと思います」

 そうしてまた笑い合った。若い娘同士はなかなか話が進まないものだが、これではいけないと加也は自分の胸元を叩いて調子を整えた。

「その、新三郎様には心に決めた方があると、そう仰られたので、お会いしたときにきっと塔子どののことだと思ったのです」
「…………」

「それで失礼なことを、あの」

 加也はぽろぽろと声もなく泣き出す塔子を目にして言葉を詰まらせた。

「ご存じではなかったのですか」

 お互い相通じているものと思っていた。だから余裕ぶった態度が最初は気に入らないと思ったのだ。
 実際には思い合っている二人がいたが、互いにそのことを知らないでいた。そのことに加也は気づいた。これでは敵わないどころの話ではない。
 加也は、見てはいけないものを目にしてしまった気分を味わって、そのことに呆然とした。
 遠くで時鐘が鳴っている。暮六ツの鐘だ。新三郎はいまだ日光街道のさなかにあって帰らない。
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