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宇津領の件
そんなもの
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何かやらねば気が気でない、忠真がそう言ったので、新三郎はそれではと付近の名物である牛蒡餅を所望した。
「あれに目をつけるとは、なかなか見どころがあるな」
新三郎の申し出にに忠真は上機嫌に嗤った。
それで話は終わりだった。一応役目を果たさねばならないので当主の寝間へ行き、形ばかりの判元確認を行ったが、案の定当主はすでに死んでいた。
寝間の布団に寝かされていたのは既にこと切れた遺体で、部屋には香が強く焚いてあったが夏も近い暖かい時期である。襖の内側はひどい死臭が充満していた。死んでから十日ほどは経っていよう。
宇津の死んだ当主に子はなく、養子は忠真の血縁から出されることになっていた。願書に押印をさせ、これで受諾となった。
「なぜこんなやせ細った領地に、本藩の殿様まで出てきて家を継ごうとするのか、私にはまるで理解できませんよ」
宇津屋敷を出てるまで元気のなかった忠馬が、馬を新三郎に並べながらぼやいた。確かに実禄が表高の四半分にすら及ばないような領地は、さっさと公収させるなりしたほうが支出も少なくて済むと下々の人間なら思う。
「まず面子だな。いくら自領のことでなくとも親族の不始末は直ちに小田原公の評判を落とすだろう。そうしたことは後々のことに響く。かの御仁はいずれ幕閣の中枢を担うことになるだろうからな。それから、下野一帯は天候不順、疫病と重なって飢饉が続いている。地続きの他藩領や御料書も軒並み不作で実入りがすこぶる悪い。それを代替わりした忠真公がいち早く立て直したとあれば、名君の呼ばれが高くなる」
「ははあ、私などの中間風情には判らぬ苦労ですね」
どうでもいいことのように忠馬が言ったので、新三郎は苦笑いを禁じ得ない。だが新三郎にも忠馬の言うことがよく判る。
「それにこれは噂だが、宇津領では金が採れるらしい。公にはされていないことだが……」
「なるほど。文字通り金脈がある訳ということですか。そりゃ、ほかに獲られたくはないでしょうね。でも、山を掘るのは大変じゃないですか」
「このあたりは砂金が採れるのだ」
那須、日光のあたりは小さいものだが金鉱脈があちこちで見つかっている。金鉱のある山から染み出す水系で砂金が採れるのは昔から知られていることだった。
「しかし幕閣にも影響力のある小田原の殿様であれば、何もこんな回りくどいことをしなくても無理を押せたのではないですかね?」
「ただの相続であれば多少の無理押しもしただろうが、おそらく当主は病死ではないな。あれは斬られて死んでいる。それが関係しているようだが」
遺骸を直接目にしたのは新三郎だけである。忠馬は表に控えていたので見てはいない。だが大量の血を失って死んでいるのは死化粧の上からも明らかだった。
「はあ、つまりどういうことでしょうか」
「斬ったのは小田原公の手の者ではないかと思う」
「まさか」
そう言いつつ、忠馬の脳裏に二宮金治郎が浮かんだのが、新三郎にもわかった。まず間違いなく斬ったのは二宮だろう。小田原公の密命であることも窺い知れる。
「宇津の領主はかなり評判が悪かった。今回のことがあって調べたが、領内がこの有様なのにも関わらず、随分と羽振りのいいことで知られていた。吉原などに繰り出すこともしばしばで、このままではいずれ不行跡で金鉱ごと領地没収となったかもしれない」
宇津領を含め下野一帯の米の収量は、三年続けて表高の半分ほどしかない。どの領もかなり苦労をしていて、御料所の代官たちなどは赴任地に張り付きで府内に帰ることのできない者たちばかりだと言う。
その中で宇津の領主だけが遊び歩いたりなどしていたら、嫌でも目付の知るところになって領地は没収、連帯責任を問われて小田原本藩も何らかの罰則を受けたかもしれない。それを避けるためのこの度の仕儀だったのだろう。
やおら新三郎は馬に揺られながら思考を続けていたが、隣に目をやると忠馬はもう関心を失ってる。ぼんやりと遠くを眺めていて、そのうち居眠りでもしそうだった。
「うまくいったのでしょうか。あれで」
死んだ当主の遺骸を片付けさせて戻ってきた二宮が、忠真を前にそっと息を吐いた。
「まあ牛蒡餅をやると約束したからの」
「牛蒡餅……。私はあまり得意ではありませんが、あんなもので」
「このあたりの名物だ。好物にしておかねば領民がついてこぬぞ」
忠真はわははと嗤った。
「安藤殿に借りができてしまったな。物の判った見届け人を送って頂けるように依頼してはいたが」
「荻野、でしたか。言い含められている様子はありませんでしたが、安藤様も存外ご手配がぬるいようですな」
二宮が不服そうに言うと、忠真はむんずと腕を組んで天井を見上げた。
「それでよかったのではないかな。彼の才覚で落着させたのだ。悪い方面にことが漏れることはあるまい」
忠真の言に、二宮はなるほどと返事をしたものの、やはり不承不承の様子は変わらない。
「荻野はどこまで勘付いておりますでしょうか」
「さて……」
しばらく言葉を噛み含んでいた忠真だったが、やがて組んでいた腕を解くや大きく伸びをした。
「あれに目をつけるとは、なかなか見どころがあるな」
新三郎の申し出にに忠真は上機嫌に嗤った。
それで話は終わりだった。一応役目を果たさねばならないので当主の寝間へ行き、形ばかりの判元確認を行ったが、案の定当主はすでに死んでいた。
寝間の布団に寝かされていたのは既にこと切れた遺体で、部屋には香が強く焚いてあったが夏も近い暖かい時期である。襖の内側はひどい死臭が充満していた。死んでから十日ほどは経っていよう。
宇津の死んだ当主に子はなく、養子は忠真の血縁から出されることになっていた。願書に押印をさせ、これで受諾となった。
「なぜこんなやせ細った領地に、本藩の殿様まで出てきて家を継ごうとするのか、私にはまるで理解できませんよ」
宇津屋敷を出てるまで元気のなかった忠馬が、馬を新三郎に並べながらぼやいた。確かに実禄が表高の四半分にすら及ばないような領地は、さっさと公収させるなりしたほうが支出も少なくて済むと下々の人間なら思う。
「まず面子だな。いくら自領のことでなくとも親族の不始末は直ちに小田原公の評判を落とすだろう。そうしたことは後々のことに響く。かの御仁はいずれ幕閣の中枢を担うことになるだろうからな。それから、下野一帯は天候不順、疫病と重なって飢饉が続いている。地続きの他藩領や御料書も軒並み不作で実入りがすこぶる悪い。それを代替わりした忠真公がいち早く立て直したとあれば、名君の呼ばれが高くなる」
「ははあ、私などの中間風情には判らぬ苦労ですね」
どうでもいいことのように忠馬が言ったので、新三郎は苦笑いを禁じ得ない。だが新三郎にも忠馬の言うことがよく判る。
「それにこれは噂だが、宇津領では金が採れるらしい。公にはされていないことだが……」
「なるほど。文字通り金脈がある訳ということですか。そりゃ、ほかに獲られたくはないでしょうね。でも、山を掘るのは大変じゃないですか」
「このあたりは砂金が採れるのだ」
那須、日光のあたりは小さいものだが金鉱脈があちこちで見つかっている。金鉱のある山から染み出す水系で砂金が採れるのは昔から知られていることだった。
「しかし幕閣にも影響力のある小田原の殿様であれば、何もこんな回りくどいことをしなくても無理を押せたのではないですかね?」
「ただの相続であれば多少の無理押しもしただろうが、おそらく当主は病死ではないな。あれは斬られて死んでいる。それが関係しているようだが」
遺骸を直接目にしたのは新三郎だけである。忠馬は表に控えていたので見てはいない。だが大量の血を失って死んでいるのは死化粧の上からも明らかだった。
「はあ、つまりどういうことでしょうか」
「斬ったのは小田原公の手の者ではないかと思う」
「まさか」
そう言いつつ、忠馬の脳裏に二宮金治郎が浮かんだのが、新三郎にもわかった。まず間違いなく斬ったのは二宮だろう。小田原公の密命であることも窺い知れる。
「宇津の領主はかなり評判が悪かった。今回のことがあって調べたが、領内がこの有様なのにも関わらず、随分と羽振りのいいことで知られていた。吉原などに繰り出すこともしばしばで、このままではいずれ不行跡で金鉱ごと領地没収となったかもしれない」
宇津領を含め下野一帯の米の収量は、三年続けて表高の半分ほどしかない。どの領もかなり苦労をしていて、御料所の代官たちなどは赴任地に張り付きで府内に帰ることのできない者たちばかりだと言う。
その中で宇津の領主だけが遊び歩いたりなどしていたら、嫌でも目付の知るところになって領地は没収、連帯責任を問われて小田原本藩も何らかの罰則を受けたかもしれない。それを避けるためのこの度の仕儀だったのだろう。
やおら新三郎は馬に揺られながら思考を続けていたが、隣に目をやると忠馬はもう関心を失ってる。ぼんやりと遠くを眺めていて、そのうち居眠りでもしそうだった。
「うまくいったのでしょうか。あれで」
死んだ当主の遺骸を片付けさせて戻ってきた二宮が、忠真を前にそっと息を吐いた。
「まあ牛蒡餅をやると約束したからの」
「牛蒡餅……。私はあまり得意ではありませんが、あんなもので」
「このあたりの名物だ。好物にしておかねば領民がついてこぬぞ」
忠真はわははと嗤った。
「安藤殿に借りができてしまったな。物の判った見届け人を送って頂けるように依頼してはいたが」
「荻野、でしたか。言い含められている様子はありませんでしたが、安藤様も存外ご手配がぬるいようですな」
二宮が不服そうに言うと、忠真はむんずと腕を組んで天井を見上げた。
「それでよかったのではないかな。彼の才覚で落着させたのだ。悪い方面にことが漏れることはあるまい」
忠真の言に、二宮はなるほどと返事をしたものの、やはり不承不承の様子は変わらない。
「荻野はどこまで勘付いておりますでしょうか」
「さて……」
しばらく言葉を噛み含んでいた忠真だったが、やがて組んでいた腕を解くや大きく伸びをした。
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