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宇津領の件
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新三郎たちが目的の陣屋へ到着したのは申の刻になろうかという頃合いだった。
陣屋はものものしい雰囲気に包まれており、門扉のあたりには長い警杖を持った門衛が三人ばかりと、袴を付けた上士と見える者の姿があった。
馬で門に寄せたため、二人は門衛にとげとげしく誰何された。
「何者か。ここは直参旗本宇津様の館だ。騎乗のままとは無礼千万っ」
警杖を突き付けられ新三郎はゆっくりと下馬した。内心うかつだったと反省したが、幕府の公用で参じているからには余りに弱腰なところは見せられない。新三郎自身は別に構わないが、玄蕃の名代で来ている以上、ある程度の鷹揚さは必要だろう。背後では言われるなりさっさと下馬した忠馬が青くなっていた。
「御免くだされ。身どもは幕府目付森玄蕃様の名代で参った判元見届け人、荻野直視と申すもの。お見知りおきくださいますよう」
言葉は丁寧だったが態度は尊大を装った。なかなか堂に入った立ち居振る舞いである。
ちなんで言うと、直視は新三郎の名だ。荻野家は代々直の字を通字にしており、兄である主馬の名は直春という。新三郎は名乗ったあと後ろをちらと振り返って、一段大きい声を出した。
「これなるは身どもの手下」
「森家家人、相良忠馬と申します」
そこでようやく門衛は、六尺はありそうな警杖を引いた。雰囲気は相変わらず刺すようなものを纏っているが、門内へ案内をしてくれる様子である。
「当家の用人へ通して参りますので、こちらでお待ちください」
最初に警杖を突き付けた門衛よりはいくらか物腰の柔らかい年長の門衛が言って、二人に床几を勧めた。少し離れたところで袴姿の上士おぼしき人物が、腕を組んだままこちらを窺っている。涼しい目許をしているが、曲者の雰囲気を纏っている。そういえば忠馬が名乗ったとき、少し身じろぎをしたように思ったが勘違いだったろうか。
しかし、幕府の公用人であると名乗っても、一同に動じる気配がないのは少し意外である。思いのほか気骨のある者が揃っているのか、新三郎の名乗りを信じていないのか、それとも単にそうした教養に欠けているのか。
「荻野さん、袴のあの男」
「ああ、俺も気になっていた。知っているのか」
袴の男から目を逸らして忠馬を見ると、彼の大きな咽ぼとけがごくりと上下する様子が目に入った。
「二宮金治郎と言って、中条流の凄腕です。なんでこんなところに……」
新三郎は「ほう」と口に出していた。あれが二宮金治郎か。豪農とは言え農民の出でありながら、経世済民に長じており、小田原藩内で大身藩士の負っていた借財を、短期間で返済し立て直したという逸話を聞いたことがある。
その後は士分に取り立てられたという、近年の立身出世話では有名どころだ。剣術まで遣うとは知らなかったが、いずれ何かの筋書きになるだろうと新三郎が目している人物の一人である。
さきほど忠馬の名を聞いて反応を示していたところを見ると、先方でも忠馬のことを知っていると見える。先述したが忠馬は無外流の遣い手で、若い世代では抜きんでていると言っていい腕前だからあり得る話だった。
「あれが、俺も知っている二宮なら彼は小田原藩士だ。宇津は小田原大久保氏の分家筋だからな。そこの繋がりだろう」
このあたりの窮状を見るに、宇津領の立て直しにでも派遣されているのかもしれない。
すぐに案内されるものと思っていたが、門衛が屋敷内に引き返してから四半刻は待たされた。
はじめのうち、二宮はじっとりと貼りつくような視線を新三郎たちに送っていたが、次に気が付いた時には姿がなかった。忠馬は大きく息を吐くと緊張を解いて、そわそわと落ち着きなく周囲を見回した。どこかに二宮がいないか気にしているようだ。
「小田原藩士とは言え、二宮がここにいるのは気味が悪いですね。いったい何をしているのか」
「知らないのか? 二宮は能吏だ。むしろ腕っぷしがあると言う方が俺には不可思議だな」
だがなるほど、と新三郎は忠馬の不審に頷く思いもある。二宮金治郎が、どちらの役割でここにいるのか。それはなんだかとても重要なことのように新三郎にも思えた。
「むしろ両方、と見た方が何か腑に落ちるような気もする……」
新三郎がひとりごとを漏らすと、いつものように忠馬が「何か言いましたか」と追随した。肩をすかされるような気分で忠馬に振り返ったとき、建物の中から姿を見せた門衛に声をかけられた。
「荻野殿、お待たせをいたしました。用人がお会いになりますので、こちらへ」
うむと頷いて、新三郎はゆっくりと立ち上がる。次に気が付いた時には門衛の背後に二宮がいた。不思議と空気が重くなるように感じて、俗に言うこれが殺気というやつかな、と新三郎は深呼吸をした。
忠馬を見ると、いくぶん青ざめているようにも思える。
「二宮の中条流はお前より上か」
歩みを進めながら小声で尋ねると忠馬は目を伏せた。
「木剣での仕合なら三仕に一勝というところでしょうか」
三死に一生。新三郎は興味本位に言葉を継いだ。
「真剣勝負では?」
「…………」
忠馬は答えず、よし、と新三郎は呟いた。
「参考になった」
前を歩く二宮の背中に目をやる。忠馬の畏れを見てからだと、後ろにも目があるように思える。まさか剣に頼むような事態にはなるまい。
だが、そう思いながらも、新三郎は二宮の背中から目が離せすにいるのだった。
陣屋はものものしい雰囲気に包まれており、門扉のあたりには長い警杖を持った門衛が三人ばかりと、袴を付けた上士と見える者の姿があった。
馬で門に寄せたため、二人は門衛にとげとげしく誰何された。
「何者か。ここは直参旗本宇津様の館だ。騎乗のままとは無礼千万っ」
警杖を突き付けられ新三郎はゆっくりと下馬した。内心うかつだったと反省したが、幕府の公用で参じているからには余りに弱腰なところは見せられない。新三郎自身は別に構わないが、玄蕃の名代で来ている以上、ある程度の鷹揚さは必要だろう。背後では言われるなりさっさと下馬した忠馬が青くなっていた。
「御免くだされ。身どもは幕府目付森玄蕃様の名代で参った判元見届け人、荻野直視と申すもの。お見知りおきくださいますよう」
言葉は丁寧だったが態度は尊大を装った。なかなか堂に入った立ち居振る舞いである。
ちなんで言うと、直視は新三郎の名だ。荻野家は代々直の字を通字にしており、兄である主馬の名は直春という。新三郎は名乗ったあと後ろをちらと振り返って、一段大きい声を出した。
「これなるは身どもの手下」
「森家家人、相良忠馬と申します」
そこでようやく門衛は、六尺はありそうな警杖を引いた。雰囲気は相変わらず刺すようなものを纏っているが、門内へ案内をしてくれる様子である。
「当家の用人へ通して参りますので、こちらでお待ちください」
最初に警杖を突き付けた門衛よりはいくらか物腰の柔らかい年長の門衛が言って、二人に床几を勧めた。少し離れたところで袴姿の上士おぼしき人物が、腕を組んだままこちらを窺っている。涼しい目許をしているが、曲者の雰囲気を纏っている。そういえば忠馬が名乗ったとき、少し身じろぎをしたように思ったが勘違いだったろうか。
しかし、幕府の公用人であると名乗っても、一同に動じる気配がないのは少し意外である。思いのほか気骨のある者が揃っているのか、新三郎の名乗りを信じていないのか、それとも単にそうした教養に欠けているのか。
「荻野さん、袴のあの男」
「ああ、俺も気になっていた。知っているのか」
袴の男から目を逸らして忠馬を見ると、彼の大きな咽ぼとけがごくりと上下する様子が目に入った。
「二宮金治郎と言って、中条流の凄腕です。なんでこんなところに……」
新三郎は「ほう」と口に出していた。あれが二宮金治郎か。豪農とは言え農民の出でありながら、経世済民に長じており、小田原藩内で大身藩士の負っていた借財を、短期間で返済し立て直したという逸話を聞いたことがある。
その後は士分に取り立てられたという、近年の立身出世話では有名どころだ。剣術まで遣うとは知らなかったが、いずれ何かの筋書きになるだろうと新三郎が目している人物の一人である。
さきほど忠馬の名を聞いて反応を示していたところを見ると、先方でも忠馬のことを知っていると見える。先述したが忠馬は無外流の遣い手で、若い世代では抜きんでていると言っていい腕前だからあり得る話だった。
「あれが、俺も知っている二宮なら彼は小田原藩士だ。宇津は小田原大久保氏の分家筋だからな。そこの繋がりだろう」
このあたりの窮状を見るに、宇津領の立て直しにでも派遣されているのかもしれない。
すぐに案内されるものと思っていたが、門衛が屋敷内に引き返してから四半刻は待たされた。
はじめのうち、二宮はじっとりと貼りつくような視線を新三郎たちに送っていたが、次に気が付いた時には姿がなかった。忠馬は大きく息を吐くと緊張を解いて、そわそわと落ち着きなく周囲を見回した。どこかに二宮がいないか気にしているようだ。
「小田原藩士とは言え、二宮がここにいるのは気味が悪いですね。いったい何をしているのか」
「知らないのか? 二宮は能吏だ。むしろ腕っぷしがあると言う方が俺には不可思議だな」
だがなるほど、と新三郎は忠馬の不審に頷く思いもある。二宮金治郎が、どちらの役割でここにいるのか。それはなんだかとても重要なことのように新三郎にも思えた。
「むしろ両方、と見た方が何か腑に落ちるような気もする……」
新三郎がひとりごとを漏らすと、いつものように忠馬が「何か言いましたか」と追随した。肩をすかされるような気分で忠馬に振り返ったとき、建物の中から姿を見せた門衛に声をかけられた。
「荻野殿、お待たせをいたしました。用人がお会いになりますので、こちらへ」
うむと頷いて、新三郎はゆっくりと立ち上がる。次に気が付いた時には門衛の背後に二宮がいた。不思議と空気が重くなるように感じて、俗に言うこれが殺気というやつかな、と新三郎は深呼吸をした。
忠馬を見ると、いくぶん青ざめているようにも思える。
「二宮の中条流はお前より上か」
歩みを進めながら小声で尋ねると忠馬は目を伏せた。
「木剣での仕合なら三仕に一勝というところでしょうか」
三死に一生。新三郎は興味本位に言葉を継いだ。
「真剣勝負では?」
「…………」
忠馬は答えず、よし、と新三郎は呟いた。
「参考になった」
前を歩く二宮の背中に目をやる。忠馬の畏れを見てからだと、後ろにも目があるように思える。まさか剣に頼むような事態にはなるまい。
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