【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

文字の大きさ
上 下
15 / 40
宇津領の件

遭遇

しおりを挟む
 両国界隈かいわいと言えば浅草と並ぶ江戸のさかり場である。
 明暦めいれきの頃に大火たいかがあった関係で、千住の大橋以外にも大川に橋を架けることになりできたのが今の両国橋だ。そのとき火除け地として橋の両端に整備されたのが広小路ひろこうじである。
 これは火が出たときに、橋に飛び火しないよう空き地を広くとったのが成り立ちだが、いつの頃からかこの空き地に小屋や幕を張って、芝居や見世物を商売にする者が集まるようになった。遊ぶ場所ができれば飲み食いをする店が出てくるのが道理で、いつしか両国界隈は江戸で一二を争う盛り場となったのである。
 新三郎の寓居すまい回向院えこういんを横目に一ツ目橋を渡ったあたりにあった。夏場は舟遊びや花火見物の客で賑やかになる場所で、雑多のところが新三郎は気に入っている。腹が減れば少し歩くだけで蕎麦屋、飯屋、うなぎ屋に茶店、菓子屋なんかが軒を連ねる便利な街だ。
 町方にはびっしりと長屋が建てられていて、商売人や職人に素浪人、御大仁の囲われ女など様々な種類の人間がここに肩寄せ合って暮らしている。

 左官の内儀ないぎのお富が、その人物に気付いたのは巳一ツみひとつ頃だった。子供を筆書ふでかきに追い出したときに目が合ったからよく憶えている。はじめは前髪も落とさぬ武家の少年かと思ったが、よく見ると袴をつけた女子おなごであることがわかった。みょうちくりんな人間もいるもんだと思ったから忘れようもない。
 表店おもてだなの前をうろうろしながら、木戸から裏長屋の通りを時折覗き込んでは、人と行き会うたびに思い直して立ち去ってしまうようだが、しばらくすると戻ってきて同じことを繰り返している。昼に戻ってきた子供と亭主に飯を食わせたあと、洗い物をしに井戸端へ出た時にも女侍おんなざむらいと目が合ったので、お富は我慢できずに声をかけた。

「ちょいとお前さん、朝からずっとうろうろしていなさるが、長屋の誰ぞに御用かい?」

 女侍は声をかけられたことに驚いてびくりと立ち止まったが、観念したらしく振り返ると猛然とお富の傍に歩み寄った。

「お内儀、少しお尋ねしますが、こちらに荻野様という旗本のご子弟がお住まいではありませぬか」
「ああ、きっと新三郎の若旦那のことだね」

 いま長屋に住んでいるお武家は新三郎しかいない。荻野という苗字に憶えはなかったが、女の反応を見てどうやら合っているようだと息をついた。
 新三郎は侍の割りに偉ぶったところがなく、町人らとも気兼ねなく言葉を交わすので、裏店うらだなの連中はどことなくあの若者を気に入っている。内儀たちが何かと面倒を見てくれるのも新三郎の人柄が好ましいものだからだし、話の通じるお武家が店の身内にいると言うのは、彼らのような身分の人間には心強いものだ。
 そうした体面もあって、お富も何かと新三郎の世話を焼いている。

「若旦那は他行中たぎょうちゅうだよ。朝方から出かけて行ったきりだね。約束でもしていなさったのかい」
「約束? あいえ、そういう訳ではありませぬが、そのいつお帰りかは?」

 お富は盛大に嗤った。そんなことあたしが知る訳ないさ、と言って女侍の背中をばしんとやった。ぶたれてむせている女をお富は笑いながら眺めていたが、新三郎の裏長屋を指さして言った。

「なんだったら、上がって待っていればいいんじゃないかい?」
「よ、よろしいのですか」

 再びお富は女侍の背中をばしんとやった。さっきより大きな笑い声で、よろしいかどうかなんて知るもんか、と豪快に言ったが、勝手に障子を開けると「さあ」と中に女侍を押しやった。
 女を障子の内側に押し込むとお富はぴしゃりと障子を閉めて、戸外から「ごゆっくりね」と言って立ち去る。

「ここが、新三郎様のお住まい……」

 土間に立ったままきょろきょろと部屋の中を眺めまわす。言うまでもなくこの侍姿の女は、一刀流志賀道場の師範代、志賀加也である。上がり込んだのはいいものの、どうしたものかと加也が所在を失っていると、またも戸外からさっきの内儀の声がした。どうやら誰か別の人物と話をしているらしい。

「あれ、塔子ちゃんじゃないのさ。若旦那のところなら客が来てるよ」
「こんにちわ、お富さん。森様の御遣いでしょうかね」
「さあね、侍は侍だけど変わり種だったよ」

 変わり種とは自分のことか、と加也はむっとして障子に振り返ったが、その時すっと戸が開いて一人の女性と鉢合わせた。
 姉さんかぶりをした細面ほそおもての色白な武家の娘だった。しかし娘というには少し年嵩としかさがあるようだ。十八の加也ですら行き遅れと言われ始めているのに、目の前の女は加也より三つか四つは年長だろう。
 そう値踏みしていると、姉さんかぶりがにこりと微笑んだ。
「どちらさまでございましょうか」
 加也は体温が少しだけ下がるのを確かに感じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

辻のあやかし斬り夜四郎 呪われ侍事件帖

井田いづ
歴史・時代
旧題:夜珠あやかし手帖 ろくろくび あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

深川猿江五本松 人情縄のれん 

高辻 穣太郎
歴史・時代
 十代家治公最晩年の江戸。深川の外れ猿江町は、近くを流れる小名木川にまで迫り出した、大名屋敷の五本の松の木から五本松町とも呼ばれていた。この町に十八歳の娘が独りで切り盛りをする、味噌田楽を売り物にした縄のれんが有った。その名は「でん留」。そこには毎日様々な悩みを抱えた常連達が安い酒で一日の憂さを晴らしにやってくる。持ち前の正義感の為に先祖代々の禄を失ったばかりの上州牢人、三村市兵衛はある夜、慣れない日雇い仕事の帰りにでん留に寄る。挫折した若い牢人が、逆境にも負けず明るく日々を生きるお春を始めとした街の人々との触れ合いを通して、少しづつ己の心を取り戻していく様を描く。しかし、十一代家斉公の治世が始まったあくる年の世相は決して明るくなく、日本は空前の大飢饉に見舞われ江戸中に打ちこわしが発生する騒然とした世相に突入してゆく。お春や市兵衛、でん留の客達、そして公儀御先手弓頭、長谷川平蔵らも、否応なしにその大嵐に巻き込まれていくのであった。 (完結はしておりますが、少々、気になった点などは修正を続けさせていただいております:5月9日追記)

飛び込み営業の舎利弗さん

盤坂万
大衆娯楽
社会人の日常を淡々と描きたいと考えています。 オチなし、蘊蓄なし、ためになる話なし。 偏見に満ちた会社ってこんな感じ、を綴ります!

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

ふうらい。~助平権兵衛放浪記

自由言論社
歴史・時代
剣の道より色の道。刹那の快楽に生きようと決めた流浪の剣客が挑んだ最後の戦いとは……?

処理中です...