【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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宇津領の件

仕合

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 加也の後をついて通されたのは稽古場だった。二十坪程度の縦長な道場でさほど広くはない。新三郎が通わされていた上野の道場は人気で、門人もんじんは常に百人からいたので広さも相当なもので、新三郎らのようなたしなみ程度に通う門人は、屋外で木剣を振らされたりしたものだ。

「来ていただいた方には、一度立ち合いをお願いしております。木剣は好きなものをお選びください」

 加也は新三郎を振り向くとそう言って板敷に腰を据えた。いつでも始められる構えであるが、突然のことに新三郎は辟易する思いだ。ただの使い走りでやってきただけなのに、なぜかいち流派の師範代と木剣で立ち会うなどということになっている。加也の言い方にも引っかかるものがあった。

(好きな木剣を選べと言われても……)

 そもそも新三郎は武家の嗜みとして剣術を修めたに過ぎず、ろくに剣を遣えるというわけではない。自分の実力の程度もよく判らない。ありていに言えば弱い。
 正直なところ流派の違いなどわからないし、他流試合など経験すらない。同程度の実力の門弟たちと、遊戯のような仕合ごっこをしていたことがあるだけだ。

(仕合えば十中八九一方的に打たれる)

 もしかしたら怪我を負うかもしれない。いやきっと怪我をする。
 だがまあ、そうなったときは松の方にきっちり慰謝料を請求しよう。そう思うと諦めがついた。これも使いの一部だ。むしろ怪我をしていけば松の方は気に病んでこれ以上の「ご相談」をしなくなるかもしれない。いや、その状況を作り出すのだ。
 新三郎は壁際に歩み寄り、架けられている木剣の一振りをおもむろに手にした。よい獲物を選ぶ目などなし、どれも同じに見える。その様子を見ていた加也は何か思う所があったのか、ふと緊張したような面持ちを見せた。

「では、これを使います」

 上段から何度か振り下ろしてみる。まったく手に馴染まない。むしろ既に握った掌がこすれて痛くなっている。困ったものだ。

「では一本先取で勝ちとします」
「どうぞ」

 新三郎は言いつつ、少年時代に身に着けた構えをとった。言われたことを言われた通りにする。嗜みとして身に付けたものだからこだわりなどない。それゆえ新三郎の構えは隙だらけだったが、均整がとれていて美しくすらある。切先の向こうで加也が不敵に笑うのが見えた。

「では、参ります」

 加也の声を聴いて新三郎は呼吸を止めた。修行時代にひどく打ち込まれる稽古があった。腕や肩を打たれるとき、深く吸って息を止めていると不思議なことに痛みが少し和らぐのだ。
 新三郎の様子を見ていた加也はしばらくの間、打ち込んでこずに間合いを取っている。一刀流は先の先を取ることに特徴がある、と新三郎は教わった。そのため加也が打ち込んでこないことを不審に思ったが、新三郎も構えを崩さない。一度ためた息をゆっくりと吐きだしてもう一度深く呼吸をする。そのときだった。
 「や」と加也が気合の籠った声とともに一歩を踏み出す。途端に加也の体躯が何倍にも膨れ上がるような錯覚を憶えて、新三郎は全身から力を抜いた。深くためた息だけを漏らさないように、両腋を絞めて手の握りは緩める。
 打ち込みざまに駆け抜けると思われた加也は、そこで突然構えを解いた。一瞬で空気が弛緩する。

「結構です。ありがとうございました」

 そう言うとすっと引いて一礼をした。突然のことに新三郎が目を白黒させていると、わだかまりが消えた表情で加也が先に歩いていく。

「支度をして参ります。母屋へご案内いたしますので新三郎様はお待ちください」

 新三郎は加也の自分への呼び方が変わっていることにも気づかず、あたふたと木剣を元の壁に架け直して後を追った。



 母屋に通された新三郎は、加也の母と差し向かいに座っていた。
 加也に案内されて母屋の書院に座を占めると、時をおかずに母御が現れた。加也は身支度をすると言い残して一旦去ったが、娘に聞かれては具合がよくないのか、加也の母、時子は二人だけになると身を乗り出すように尋ねてきた。

「新三郎殿、お歳は」
「……二十六になります」

 一旦間をおいてふむふむと時子は何やら計算する。はっと思い直したように新三郎へ向き合うと、そこからは子供がつぶてを投げつけるように続けて質問を投げかけてきた。

「ご身代はどなたが」
「四つ上の兄が嗣いで、今は使番を拝命していますね」

「禄高はいかほどです」
「三千石に役料を頂いているはずですが……」

「御領地は?」
「……丹波国の氷上という処に代々の領地があります」

「お兄上はご健康でしょうか」
「そうですね、最近腰を痛めたりしておりますが、至って健康かと」

「ほかにご兄弟は」
「おりませぬ」

「ご家中で何か御役目に就かれておりましょうか」
「いえ、今は家を出ており両国界隈で長屋住まいをしておりますので、これといったことは」

「では普段は何で生計を?」
「はあ、友人に目付に就いている者がおりまして、主にそちらの手伝いなどをしております」

「そうですか。だいたい判りました。忝うございます」

 ようやく静まると今度はつんとして何もないところを見つめている。その様子がとぼけていて面白い。もとは伊達家の姫君であるのに、ずいぶん砕けた方だと思った。やはり松の方の生んだ娘のことだけはあって、どこか大物な感じが漂っている。
 するとそこに着替えた加也が戻ってきた。さっきまでの稽古着とは違い、武家の若い娘が普段着にする格好である。何やら菓子を運んできたところを見ると、茶を用意してくれるらしかった。

「母上は新三郎様とどのようなお話を」
「……いえ、ごくごく常識的なことをお尋ねしただけですよ」

 ならよいのですが、とすました様子で二人に用意した茶を勧めてくれた。常識的なことね、と新三郎は口ごもる。
 添えられた菓子はごく一般的な干菓子だった。口に入れるとほんのり甘い。熱くした茶によく合った。

「母上」

 ころあいを見ていたのだろう。かしこまった加也が指をついて伏した。

「決めましてございます。新三郎様に婿へ来ていただきましょう」

 度肝を抜かれたのは新三郎ひとりだった。正面に座る時子は口に手をあて「あら」と穏やかに言う。

「あなたが気に入ったのなら、それもよろしいでしょう」

 これはとんだことになった。そんなことすら新三郎の胸中には思い浮かばなかった。ただ頭が真っ白になってしまっていたのだった。
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