【完結】雇われ見届け人 婿入り騒動

盤坂万

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宇津領の件

大福

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 新三郎は文を前にまとまらない考えを巡らせていた。
 ご相談したき儀あり。
 届けられた手紙にはそれだけがしたためられていた。日時はおろか用向きも差出人もなし。ただ使いの者が、あの日食べ損ねた大福を一緒に届けた。駕籠かごに酔って手をつけられなかった大福は、一種の符牒ふちょうと思って間違いがないだろう。漆塗うるしぬりふたを取ってみると、つややかな餅肌が行儀よく並んでいる。新三郎はごくりと唾を飲み込んだ。

「ひとまず食うか」

 新三郎は大福については思うところがある。大福とは餡子を餅でくるんだ大福餅のことを言うが、この頃の一般的な大福は塩餡をくるむから、味は当然しょっぱい。朝を食い損ねた時などには有難い代物だが、茶を用意してしがむにはそれほど楽しめるものではなかった。
 ところが期待せずに一口かじったところ、餡に歯が届くなりふわりと甘みを感じて、新三郎はおやと目をみはった。

「これは餡子を砂糖で煮たのか?」

 思わず口に出るほどの驚きだった。大福を食うたびに思っていたことが実現しているのだ。
 なるほどなるほど、と一人繰り返しながら、新三郎は夢中で大福を頬張った。届けられた大福は百味箱の一段分だけ、全部でニ十個詰められていたが、新三郎は一度に全部平らげてしまった。思えば大福を漆で塗った百味箱に詰めるなど酔狂な話だ。松の方のいたずらな笑みが思い浮かぶ。
 未練に新三郎は大福の詰まっていた百味箱を手に取り、残り香をいっぱいに吸い込んだ。手にした箱の蓋裏には、宇和島笹の竹に雀紋。

「返しに参れと言うことかな」

 満腹をさすりながら新三郎は仕方ないという気分になった。贈り物まで受け取ってしまったからには、用向きを伺いに参るのが武士の、いや男の一分だろう。



 翌日、新三郎は空の百味箱を携えて白銀しろかねの屋敷を訪問した。名を告げるとすんなり中へ通されて、取次には前回同様に須山九助が顔を見せた。

「荻野殿、お待ちしておりました。御方様もすぐにお会いになるとのことです」

 さあどうぞ、と言う須山は随分親し気な様子になっている。空の百味箱を渡すと心得顔に受け取った。どこで買えるのか聞いてみると、得意気な表情で須山は「当家であつらえたものにて」と胸を張った。
 さすが国主大名というべきか、最近は何でも抱えねばならないようで、菓子を作る職人までいるとは。

「ですが今日は別なものをご用意しております」

 須山にそう言われて通された次の間には、すでに茶と菓子が用意されていた。座について小さな菓子箱の蓋を取ると中身は最中もなかである。新三郎は思い直して、あとで包んでもらおうとそっと蓋を閉じた。

「御方様のおなりです」

 前と同じく須山が先触れにきて、新三郎は深々と畳に手をついた。上座に屋敷の主人が着くのを見計らって顔を上げると、松の方が機嫌のよさそうな表情を向ける。相変わらず大福餅のような艶やかさを持った肌は五十を過ぎた人のものとは思えない。

「贈り物は気に入って頂けましたか」
「甘い大福餅は初めてでございました」

 屈託なく言う新三郎に、松の方は、ほほほと上品に笑った。

「あなたが甘い物をお好きだと聞きましたので、当家謹製の大福はどうかと届けさせましたが……」

 新三郎は懐から例の文を取り出すと、そっと畳の上に置く。

「このように罷りこしましてございます」
「察しのよいことで助かります」
「大福餅の分は請負いましょう」

 調子のいいことを言うと、松の方は少しだけ困惑した様子を見せた。

「あれ、それではお願いしたいことに釣り合わぬやもしれませぬ」
「まあ、大丈夫でしょう。かの大福餅は江戸のどこを探してもあがなえぬものと聞きました」

 すらすらとおべんちゃらが出るものだ、と自分で言いながら新三郎は己の舌に呆れる。とはいえ大福が旨かったのは本当だし、どうやら自分はこの人のことを放っておけなくなっているようだ、と新三郎は自分自身に諦念を押した。最近敵わないと思う人物が増えつつあるのを感じて失笑する。
 新三郎のとぼけた返答を松の方は大いに気に入った様子で、今度はあけすけに笑った。控えていた女中たちが思わず顔を上げたほどである。ひとしきり笑ったあと、松の方はその女中に目配せをして、袱紗包ふくさづつみの乗った三方さんぽうを運ばせた。包みの中はどうやら金子きんすだ。厚みから察するに三十両ほどあると思われる。

「これをある処へ届けてもらいたいのです」
「金子……ですね」

 松の方は静かに頷いた。

「どのような手段でも構いません。私からのものであると伝える必要もありません。ただ必ず受け取らせてほしいのです」

 何やら訳ありなのは間違いなさそうだが、中身は金子である。出元もはっきりしている怪しい金ではないとくれば、新三郎の常識に照らし合わせる限り、困っていなくとも断る道理がない。受け取ることで相手が不利になるようなことがあるかもしれないが、そんなことは新三郎の知ったことではない。使わずに返すなりすればいいわけで、それくらいは説得できるだろう。

「承知仕りました。それで、どこのどなたにこれを?」

 そう請け合うと、松の方は姿勢を正して「かたじけのうございます」と小さく頭を下げた。

根岸ねぎしに志賀道場という一刀流剣術の道場があります。そこにいる私の孫娘に届けていただきたいのです」

 剣術道場に孫娘、と復唱すると、松の方は少しはにかんだような表情で、「私には十七人孫がおりまして」と言い新三郎を驚かせた。
 松の方の実子は男三人に女が二人だったが、この時代に家を継ぐ男子は複数の側室を持つ。その分孫が増える道理だが、十七人はやはり多かった。先の志津や伊織の他に十五人も孫がいると言うのだ。

「孫娘の名は加也かやと申します。志賀は当家剣術指南の一派で、下の娘が嫁いでおりましたが、先日当主が病で亡くなってしまいました。娘ともども孫の加也も当家で引き取るつもりでおりましたが、これが道場を継ぐと申して聞きません。なまじ剣に覚えがあるゆえ厄介で……」

 伊達家の姫君の娘で女剣士、聞くだけで面倒そうだ。新三郎の頭の中では天秤が激しく左右に振れていた。
 厄介だ。しかしついさっき安請け合いした上、内密であろう話を聞かされてしまった。断ってはいろいろ不都合なことがありそうだし、そもそも格好悪いのは嫌だ。伊達家の菓子職人の新作もまた食べたい。

「御礼は必ずいたしますゆえ」

 松の方のダメ押しに、新三郎は「ではまた大福餅を……」と答えた。
 庭先では、ぎゃっぎゃと鳴くアカモズの声が響いている。季節はゆっくりと夏に近づいているようだった。
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