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今日は会社の歓迎会だ。普段なら会社の飲み会など絶対パスだが、新しくできた営業部に課長でやってきた太門君の歓迎会だから仕方ない。二十六歳、有名私大出身で外資から出向してきたエリート青年……。うちみたいな何やっているかよくわからない四流システム会社では、滅多にお目にかかれない優良物件だ。今のところフリーなのも確認してある。
そんな優良物件がなんで四流システム会社に出向するかだって? 無論のこと、そのあたりも抜かりなく調べている。
太門君の出向元である超一流外資商社の日本法人社長が、うちのポンコツ社長とオトモダチなのがその理由だ。もちろんその会社とは取引もある。縁故採用の取引に限りなく近い、愚にもつかない小さなシステムを受注させてもらっている。
その友達にウチの社長が、最近商いが大きくなってきたので本格的に営業部を立ち上げたいが、グローバルに通じる経営や組織運営に有望な人材を探していると相談したところ、太門君に白羽の矢が立ったということらしい。たしかに最近総務経理の仕事が忙しくなってきて、昼休み以外にコンビニへ行けなくなっていた。営業事務の仕事もついでにやらされていたから、営業部ができて仕事がいくらかあっちに行ってくれるのは本当に助かる。
営業部に異動してしまった涼子には気の毒だけど、最近気にしてる舎利弗と同じ配属だから苦労というわけでもないだろう。本人はまだ自覚していないみたいだが、あれはちょっと気になっているはずだ。
あとほんの少し材料があれば間違いなく恋に発展するに違いない。社内恋愛の逐一を見てきた経験からだいたい判る。不安な要素があるとすればもう一方の当事者である舎利弗だろう。
鉄面皮という言葉があえるが、文意は面の皮が厚いとか恥知らず、といった内面のことを表現する言葉だ。しかし舎利弗に対しては文字通りの意味で使用される。つまり表情がまったく動かない。写真か置物かというくらいに動かない表情は、ポーカーフェイスなどと言う言葉を行き過ぎている。まあ一般よりはハンサムだとは思うが、友達の彼氏にいても妬ましい気持ちになるほどではないが……。
「玲子、終わった?」
脳内で噂をしていればご本人登場である。パソコンのモニターに顔を向けたまま横目で涼子を確認する。
「まだよ。日報打ってるところだから」
タイピングの手を休めずに会話を進めるのはOLの嗜みである。これが実行不可能なOLは仕事ができないOLと言ってもいいくらいだ。
「もう私たちくらいしか残ってないよ。早くお店いかない?」
「わかってるわよ。まったく定時の十五分後に飲み会設定するとかどこのバカよ!」
エンターキーをたたくのと同時に涼子を振り返る。今のは決まった。
「幹事が舎利弗さんだからね……」
涼子がチャームポイントの耳たぶを弄りながら、あははと乾いた笑い声を漏らした。
歓迎会の連絡が回ったとき、開始時間については物議を醸した。だが幹事の舎利弗から、終業後の自由参加行事とは言え遅くなっては申し訳ないので、という説明がされると非難の声は静かに止んだ。そして驚くことにインターメディアアーチファクト始まって以来の珍事、奇跡の全員参加が達成されたのである。システム会社で、社員の七割が技術者の我が社にとってそれは実現不可能と思われていた出来事だった。無論、誰も期待したり願ったりしていたことではなかったけれども。
ただ、通常は仕事が押していたりして不参加表明する人間が必ずいるし、普段から休みが取れない職種であるため、自分の時間を奪われる会社の飲み会は嫌われている。それなのに全員参加とか一体どうなっているのか、まったくもって驚くべき事態だ。
「それにしても全員参加なんて、舎利弗さんの人望ってスゴイね」
「人望?」
ああ、なんとかは盲目と言うけど、あの舎利弗に人望なんぞがあるというのか親友よ。表情筋を一ミリも動かすことのないあの男にどんな人望が……。しかし全員参加は確かに快挙だ。それだけは認めざるを得ない。
「あの男はね、誰も望んだり願ったりしていないのに、そうなったらいいかもな~って程度のことを、面倒臭~いレベルで達成してくるのよ。細かい既存システムの受注もそうだし、事務作業を含めた絶妙な納期を組んできたり、御用聞き程度でできるメンテナンス契約を取ってきたりね。本当面倒臭いったらないわ」
「……それって凄いことなんじやないの」
涼子め完全に舎利弗の味方か。そのせいで業務時間内は忙しくて仕方がないと言うのに。
世の中のほとんどの会社員は、仕事と息抜きをうまくブレンドして、なんとなく会社員人生を送っているのだ。どこかで誰かが仕事している振りをしてネットサーフィンをしている間も、絶えず伝票を整理して、台帳を打ち込み検証資料を添付しているのだぞ。
「でも最近は残業も少ないし、前は休日出勤なんてザラにあったのに随分変わったよね」
「おかげて給料がそんなに多くないってことを思い出しちゃったわよ」
と言うのは実はただの負け惜しみで、給与には四十五時間ものみなし残業という謎の仕組みがある。
つまるところ月間四十五時間以内であれば、残業しても残業が支払われない、既に支払い済みだというヤバい仕組みである。
はじめはブラック企業独特のローカルルールかと思ったが、調べてみると全国津々浦々このみなし残業という制度は蔓延していることに驚いた。逆に言えば、四十五時間以内に残業を収めれば、みなし残業分が丸儲け、と説明している人がいたのだがそんなものは詭弁だ。みなし分を先に差し上げますよ、だと。能率よく時間内に仕事を収めれば、みなし残業分はただで手に入りますよ、だと?
そんなことを言っているやつも、言われてなるほどと丸め込まれているやつもどうかしていると言わざるを得ない。本当にどうかしている。
それでも労働基準法的には順法なのだから、法に精神まで毒されている遵法主義の日本人には頭が下がる。無論、日本国内の日本企業に在籍しているお陰で浴しているメリットもあるので、見境なく騒いだりはしないけれども。
まあそうしたもやもやを飼いならしながら、週休二日のうち土曜の半日を捧げ続けて、多少超えた分の残業代を頂いていた日々に比べれば、毎週確実に休める今の方が有り難いとも言えなくもないのだが……。
「ほら玲子、行こう」
「はいはい。判ったから腕ひっぱんないで」
今シャットダウンしている最中なのわかるでしょうに!
バタバタとデスク回りを片付けて、涼子に引っ張られてビルから出ると、外では管理人のお爺さんが花壇の名前も判らない花にホースで水をやっていた。
「ありゃ涼子ちゃん、今日は何かあるのかい。お宅の連中随分出るのが早いからさ」
いつも馴れ馴れしく話しかけてくるので仕方なく挨拶くらいはするが、こういうスマートさのなさが嫌になる。管理人のお爺さんは首にかけたタオルで汗を拭きながら涼子に話しかけてきた。隣の新しいビルのような、コミュニケーションレスな環境が羨ましい。
「あ、粒良木さーん。今日は歓迎会なんです」
隣の涼子がハキハキと笑顔で答える。お爺さん粒良木さんていうのね。
あんたのそういう天真爛漫なところ素敵だと思うよ、成りたいとは思わないけど。
「歓迎会かあ、いいねえ。こないだの若い兄ちゃんのかい」
「そうなんですう」
語尾にうふふ、とつく涼子の喋り方は年配層にたいそう人気がある。それに楽しそうに話すものだから、おじさんたちはみんなコロッといってしまう。だけどもう二十八だよ、同い年だけどね。
「あの兄ちゃんエリートかなんかなのかい。随分人数が出て行ったが、盛大なもんだ」
「なんと全員参加なんですよ。幹事が舎利弗さんなもので」
涼子はそう言うと誇らしげに胸を反らした。まるで自分の手柄のように言うが、社外の人間に話したところで伝わるものか疑問だ。それにまあまあ凄いことだが大したことではない。お爺さん、粒良木さんだって困るでしょうに。
そう思っていると管理人は魂消たような顔をして、そら大したもんだと言った。
「さすがだな、舎利弗さんはよ」
「そうなんですよ、記録級の快挙なんです」
ここにもいた、驚異の舎利弗ファン。この様子だと社外にも相当数同様の信者がいそうだ。例えば向かいの公園のベンチに座ってこっちを見ている、あのキャリアウーマン風のパンツスーツの女とか。というのは下らない想像だ。
しかしこんなところで管理人のお爺さんと舎利弗談義をしているほど精神構造は堅牢ではない。涼子の腕を今度はこっちから引っ張って、ほら行くよと切り上げさせる。
「じゃあまた粒良木さん」
手を振る涼子にお爺さんはにこにこしたまま手を振り返している。
涼子と連れ立ってやってきた歓迎会の会場は、レトロな洋館風の建物でなかなかいい雰囲気だった。案内される途中に覘いた屋内のレストランも、暗めにした照明のムードがよさげだったが、通されたのはエレベーターを上がり切った屋上である。そこは風がよく通るオープンエアのビアガーデンで、大きなパラソルやゆったりとした籐のソファがずらりと並ぶエキゾチックな空間だった。
「なかなかやるね……」
てっきりどこかの居酒屋で居汚くだらだらとやる歓迎会だと思っていたから、ビアガーデンの貸し切りとはかなりポイントが高い。
総務の女子社員に受付をすませて空いている席に座ると、薄く流れていた音楽が止まってマイクを通したロートーンボイスが聞こえてきた。
「えー、ただいま全員揃ったとのことですので、太門営業課長の着任歓迎パーティーを始めます。ちなみにこちらのお店は、システム部幸路木さんの売上支援システムを導入されています。お得意様ですので、みなさんご迷惑をおかけしないようにお願いいたします」
流暢に言った後、お得意様でなくても今後ともご迷惑をおかけしませんように、と付け加えたので、わっと場が盛り上がった。相変わらずピクリとも動かない表情で気の利いたことを言うものだ。隣で涼子は手を打ちながらけらけらと屈託なく笑っている。
「それでは初めに社長から歓迎のスピーチと乾杯をお願いします。二時間の時間制ですので、お話は五分以内でどうぞ」
そう言って再び場を沸かす。社長も煽られているのにご機嫌でマイクを握った。
それからきっちり五分後、乾杯が行われて宴会が始まると、舎利弗の周りには人が集まり始め何やら盛り上がっていたが、当の本人はニコリともムスッとも感情の判断のつかない表情である。だが何杯かビールを呑んだあと、少し紅潮しているのに気が付いた。それを遠くに確認して妙に溜飲が下がるのを感じた。
「あいつ、酔っぱらいはするのね……」
隣にいるのが涼子だと思ってそう言ったが、涼子は舎利弗を眺めている視界の中にいてヤツの隣で楽しそうに何かを喋っていた。
痛々しく独り言を口にしていたことに気づいて隣を確認すると、呑まされて潰れかけの太門君が顔におしぼりを乗せて伸びている。
年下はやっぱり面倒よね。もう一度舎利弗の隣にいる涼子を眺めてそう思った。
風は気持ちよくと料理は旨い。いつもと少し毛色の違う歓迎会を俯瞰しながら、この会社もまあ悪くはないなと柄にもないことをふと頭に過らせたりした。
そんな優良物件がなんで四流システム会社に出向するかだって? 無論のこと、そのあたりも抜かりなく調べている。
太門君の出向元である超一流外資商社の日本法人社長が、うちのポンコツ社長とオトモダチなのがその理由だ。もちろんその会社とは取引もある。縁故採用の取引に限りなく近い、愚にもつかない小さなシステムを受注させてもらっている。
その友達にウチの社長が、最近商いが大きくなってきたので本格的に営業部を立ち上げたいが、グローバルに通じる経営や組織運営に有望な人材を探していると相談したところ、太門君に白羽の矢が立ったということらしい。たしかに最近総務経理の仕事が忙しくなってきて、昼休み以外にコンビニへ行けなくなっていた。営業事務の仕事もついでにやらされていたから、営業部ができて仕事がいくらかあっちに行ってくれるのは本当に助かる。
営業部に異動してしまった涼子には気の毒だけど、最近気にしてる舎利弗と同じ配属だから苦労というわけでもないだろう。本人はまだ自覚していないみたいだが、あれはちょっと気になっているはずだ。
あとほんの少し材料があれば間違いなく恋に発展するに違いない。社内恋愛の逐一を見てきた経験からだいたい判る。不安な要素があるとすればもう一方の当事者である舎利弗だろう。
鉄面皮という言葉があえるが、文意は面の皮が厚いとか恥知らず、といった内面のことを表現する言葉だ。しかし舎利弗に対しては文字通りの意味で使用される。つまり表情がまったく動かない。写真か置物かというくらいに動かない表情は、ポーカーフェイスなどと言う言葉を行き過ぎている。まあ一般よりはハンサムだとは思うが、友達の彼氏にいても妬ましい気持ちになるほどではないが……。
「玲子、終わった?」
脳内で噂をしていればご本人登場である。パソコンのモニターに顔を向けたまま横目で涼子を確認する。
「まだよ。日報打ってるところだから」
タイピングの手を休めずに会話を進めるのはOLの嗜みである。これが実行不可能なOLは仕事ができないOLと言ってもいいくらいだ。
「もう私たちくらいしか残ってないよ。早くお店いかない?」
「わかってるわよ。まったく定時の十五分後に飲み会設定するとかどこのバカよ!」
エンターキーをたたくのと同時に涼子を振り返る。今のは決まった。
「幹事が舎利弗さんだからね……」
涼子がチャームポイントの耳たぶを弄りながら、あははと乾いた笑い声を漏らした。
歓迎会の連絡が回ったとき、開始時間については物議を醸した。だが幹事の舎利弗から、終業後の自由参加行事とは言え遅くなっては申し訳ないので、という説明がされると非難の声は静かに止んだ。そして驚くことにインターメディアアーチファクト始まって以来の珍事、奇跡の全員参加が達成されたのである。システム会社で、社員の七割が技術者の我が社にとってそれは実現不可能と思われていた出来事だった。無論、誰も期待したり願ったりしていたことではなかったけれども。
ただ、通常は仕事が押していたりして不参加表明する人間が必ずいるし、普段から休みが取れない職種であるため、自分の時間を奪われる会社の飲み会は嫌われている。それなのに全員参加とか一体どうなっているのか、まったくもって驚くべき事態だ。
「それにしても全員参加なんて、舎利弗さんの人望ってスゴイね」
「人望?」
ああ、なんとかは盲目と言うけど、あの舎利弗に人望なんぞがあるというのか親友よ。表情筋を一ミリも動かすことのないあの男にどんな人望が……。しかし全員参加は確かに快挙だ。それだけは認めざるを得ない。
「あの男はね、誰も望んだり願ったりしていないのに、そうなったらいいかもな~って程度のことを、面倒臭~いレベルで達成してくるのよ。細かい既存システムの受注もそうだし、事務作業を含めた絶妙な納期を組んできたり、御用聞き程度でできるメンテナンス契約を取ってきたりね。本当面倒臭いったらないわ」
「……それって凄いことなんじやないの」
涼子め完全に舎利弗の味方か。そのせいで業務時間内は忙しくて仕方がないと言うのに。
世の中のほとんどの会社員は、仕事と息抜きをうまくブレンドして、なんとなく会社員人生を送っているのだ。どこかで誰かが仕事している振りをしてネットサーフィンをしている間も、絶えず伝票を整理して、台帳を打ち込み検証資料を添付しているのだぞ。
「でも最近は残業も少ないし、前は休日出勤なんてザラにあったのに随分変わったよね」
「おかげて給料がそんなに多くないってことを思い出しちゃったわよ」
と言うのは実はただの負け惜しみで、給与には四十五時間ものみなし残業という謎の仕組みがある。
つまるところ月間四十五時間以内であれば、残業しても残業が支払われない、既に支払い済みだというヤバい仕組みである。
はじめはブラック企業独特のローカルルールかと思ったが、調べてみると全国津々浦々このみなし残業という制度は蔓延していることに驚いた。逆に言えば、四十五時間以内に残業を収めれば、みなし残業分が丸儲け、と説明している人がいたのだがそんなものは詭弁だ。みなし分を先に差し上げますよ、だと。能率よく時間内に仕事を収めれば、みなし残業分はただで手に入りますよ、だと?
そんなことを言っているやつも、言われてなるほどと丸め込まれているやつもどうかしていると言わざるを得ない。本当にどうかしている。
それでも労働基準法的には順法なのだから、法に精神まで毒されている遵法主義の日本人には頭が下がる。無論、日本国内の日本企業に在籍しているお陰で浴しているメリットもあるので、見境なく騒いだりはしないけれども。
まあそうしたもやもやを飼いならしながら、週休二日のうち土曜の半日を捧げ続けて、多少超えた分の残業代を頂いていた日々に比べれば、毎週確実に休める今の方が有り難いとも言えなくもないのだが……。
「ほら玲子、行こう」
「はいはい。判ったから腕ひっぱんないで」
今シャットダウンしている最中なのわかるでしょうに!
バタバタとデスク回りを片付けて、涼子に引っ張られてビルから出ると、外では管理人のお爺さんが花壇の名前も判らない花にホースで水をやっていた。
「ありゃ涼子ちゃん、今日は何かあるのかい。お宅の連中随分出るのが早いからさ」
いつも馴れ馴れしく話しかけてくるので仕方なく挨拶くらいはするが、こういうスマートさのなさが嫌になる。管理人のお爺さんは首にかけたタオルで汗を拭きながら涼子に話しかけてきた。隣の新しいビルのような、コミュニケーションレスな環境が羨ましい。
「あ、粒良木さーん。今日は歓迎会なんです」
隣の涼子がハキハキと笑顔で答える。お爺さん粒良木さんていうのね。
あんたのそういう天真爛漫なところ素敵だと思うよ、成りたいとは思わないけど。
「歓迎会かあ、いいねえ。こないだの若い兄ちゃんのかい」
「そうなんですう」
語尾にうふふ、とつく涼子の喋り方は年配層にたいそう人気がある。それに楽しそうに話すものだから、おじさんたちはみんなコロッといってしまう。だけどもう二十八だよ、同い年だけどね。
「あの兄ちゃんエリートかなんかなのかい。随分人数が出て行ったが、盛大なもんだ」
「なんと全員参加なんですよ。幹事が舎利弗さんなもので」
涼子はそう言うと誇らしげに胸を反らした。まるで自分の手柄のように言うが、社外の人間に話したところで伝わるものか疑問だ。それにまあまあ凄いことだが大したことではない。お爺さん、粒良木さんだって困るでしょうに。
そう思っていると管理人は魂消たような顔をして、そら大したもんだと言った。
「さすがだな、舎利弗さんはよ」
「そうなんですよ、記録級の快挙なんです」
ここにもいた、驚異の舎利弗ファン。この様子だと社外にも相当数同様の信者がいそうだ。例えば向かいの公園のベンチに座ってこっちを見ている、あのキャリアウーマン風のパンツスーツの女とか。というのは下らない想像だ。
しかしこんなところで管理人のお爺さんと舎利弗談義をしているほど精神構造は堅牢ではない。涼子の腕を今度はこっちから引っ張って、ほら行くよと切り上げさせる。
「じゃあまた粒良木さん」
手を振る涼子にお爺さんはにこにこしたまま手を振り返している。
涼子と連れ立ってやってきた歓迎会の会場は、レトロな洋館風の建物でなかなかいい雰囲気だった。案内される途中に覘いた屋内のレストランも、暗めにした照明のムードがよさげだったが、通されたのはエレベーターを上がり切った屋上である。そこは風がよく通るオープンエアのビアガーデンで、大きなパラソルやゆったりとした籐のソファがずらりと並ぶエキゾチックな空間だった。
「なかなかやるね……」
てっきりどこかの居酒屋で居汚くだらだらとやる歓迎会だと思っていたから、ビアガーデンの貸し切りとはかなりポイントが高い。
総務の女子社員に受付をすませて空いている席に座ると、薄く流れていた音楽が止まってマイクを通したロートーンボイスが聞こえてきた。
「えー、ただいま全員揃ったとのことですので、太門営業課長の着任歓迎パーティーを始めます。ちなみにこちらのお店は、システム部幸路木さんの売上支援システムを導入されています。お得意様ですので、みなさんご迷惑をおかけしないようにお願いいたします」
流暢に言った後、お得意様でなくても今後ともご迷惑をおかけしませんように、と付け加えたので、わっと場が盛り上がった。相変わらずピクリとも動かない表情で気の利いたことを言うものだ。隣で涼子は手を打ちながらけらけらと屈託なく笑っている。
「それでは初めに社長から歓迎のスピーチと乾杯をお願いします。二時間の時間制ですので、お話は五分以内でどうぞ」
そう言って再び場を沸かす。社長も煽られているのにご機嫌でマイクを握った。
それからきっちり五分後、乾杯が行われて宴会が始まると、舎利弗の周りには人が集まり始め何やら盛り上がっていたが、当の本人はニコリともムスッとも感情の判断のつかない表情である。だが何杯かビールを呑んだあと、少し紅潮しているのに気が付いた。それを遠くに確認して妙に溜飲が下がるのを感じた。
「あいつ、酔っぱらいはするのね……」
隣にいるのが涼子だと思ってそう言ったが、涼子は舎利弗を眺めている視界の中にいてヤツの隣で楽しそうに何かを喋っていた。
痛々しく独り言を口にしていたことに気づいて隣を確認すると、呑まされて潰れかけの太門君が顔におしぼりを乗せて伸びている。
年下はやっぱり面倒よね。もう一度舎利弗の隣にいる涼子を眺めてそう思った。
風は気持ちよくと料理は旨い。いつもと少し毛色の違う歓迎会を俯瞰しながら、この会社もまあ悪くはないなと柄にもないことをふと頭に過らせたりした。
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