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昨年五億、今年一〇億、いくら隆盛の続くIT業界だって二年連続の二〇〇パーセント成長は異常だろう。
取り寄せたビジネスプランシートを紐解くと、初年度は徹底的に残業代の軽減が施されていた。これだけで増えた利益の八割に達しているのは驚嘆の限りだ。次に採用費がさらに前年の一〇分の一になっている。過去五年を見ても社員数に大きな変動はないことから、毎年の採用費は単純に補填採用分だと仮定したとしても、その一年で離職者を九割も留めたことになる。
「昨期と今期で待遇を変えたりしましたか」
パソコンのモニターを凝視したまま誰にともなく尋ねると、視界の上の方で舎利弗さんと阿賀埜さんが顔を見合わせるのがわかった。
「いえ、とくに給与体系や賞与など変化はないですね」
阿賀埜さんが可愛らしく顎に拳をあてた。少し食い気味に次の事実を指摘する。
「でも離職率が驚くほど下がっていますよ?」
「ああ、そういえば辞める人がいなくなりましたね」
確認するように阿賀埜さんが言うと、向かいで舎利弗さんは少し首を傾げて、そうですか? と空とぼけている。
「残業の大幅軽減もすごいですよ。二期前までは一人当たりの残業代金が平均でも二〇万近くあるのが、今期はのきなみ一万円前後です。大規模な設備投資などで作業時間の軽減が行われていませんか」
出向元にいたころは残業イコール低能者という公式が当たり前に成り立った。だが日本企業では別の論理で会社が運用されている。インターメディアアーチファクトでも、ほんの二期前まではその論理で運用されていたことが、BPSからも推察される。まるで残業代がインセンティブかのように扱われている。それも驚くべきことに時間に対するインセンティブだ。
「残業というよりみんなちゃんと休めるようになりましたよね」
「まあ残業はみなし分がありますからね。数千円でも出ているのであれば、やはり働きすぎです」
「舎利弗さんは定時ダッシュですもんね」
「ダッシュ……ですか?」
「いえ、もののたとえです」
うふふと笑う阿賀埜さんに、向かいの男はポーカーフェイスを崩さない。だが、わきあいあいと話す様子は少々妬ける。というより赴任初日なんだからもう少し新入りを気遣ってくれてもいいと思うんだよな。
「…………」
いずれにしても昨期の利益の急激な増進は、大きく改善された労働環境が、それに伴うコストをごっそり削った影響で実現したのが実際だ。しかし、それだけなら売上が下がってもおかしくない。労働コストは変わらず、業務時間が削減されているのだから、普通に考えれば比例して生産能力が下がるのが自然な話だ。よっぽどこれまでサボったり無駄が多くない限り考えられない。
にも関わらず、それでいて売上は増えている。微増と言うには少々謙遜が過ぎる額が計上されていた。これについても大いに疑問だ。売上が増えて、労働時間が減って利益が増える? なんの冗談だ。つまるところ一つしか考えられない。
「つまり、これまでムチャクチャ無駄が多かったということですか。それを大幅にカットすることができたということなんでしょうか」
ロジックは今のところ見当もつかないが着眼点はここだろう。二人の反応がそれを明らかにするはずだ。
そう思いモニターから顔を上げたが、二人は顔を見合わすばかりで思い当たる節がない様子だ。舎利弗さんに至っては神経が断裂しているんでは、と疑惑を持つほど表情筋が活動していない。無表情を通り越してもはやそれはお面と言う。
営業課ブースの中に沈黙が降り積もりかけたとき、阿賀埜さんが「そうだ」と言って古典的にぽんと右手の拳で左手の手のひらを打った。
「玲子が、スケジュール通りに業務が進んでいるだけで、やることは無茶苦茶増えてて、昼休み以外コンビニに行く暇もなくなったって言ってたな。その時全体最適だなあって思ったの、思い出しました」
阿賀埜さんはちょっと天真爛漫なところがおありのようだ。全体最適……? 玲子? だが、これまでは昼休み以外にもコンビニに行く暇が普通にあったということのようだ。
得てして残業のかさんでいる会社は、業務を間延びさせていることが多いと聞く。いわく待機時間が長い、設定された勤務時間が業務にマッチしていない、人員の適正配置が考えられていない、などである。一日八時間フルタイム勤務して、さらに残業時間もびっしり仕事しているなんて、特需当時の工場勤務かと突っ込みたくなる。ほかに該当するとすれば、過剰サービスを強いられている戸別配送の物流会社の配送員くらいのものだ。実労働を数字だけで割り切って計算するのをやめろと言いたい。コストはそんなに簡単に割り切れない。経営者は軒並みそろって学者か評論家なのかと問い質してやりたくなる。
しかし明確に意図してさぼっているわけでないなら、業務をデザインする必要がある。なぜ待機時間が長くなるのか、適正な配置ができないのか、そこを考え改善した結果、どこの玲子さんかは判らないが、その人は業務中にコンビニに行けなくなり、代わりにむちゃくちゃ仕事をこなして定時に帰っている、ということになる。
「あ、玲子は総務部で私の同期です。私も昨日まで総務部だったんですけどね。ちなみに舎利弗さんのせいだって愚痴ってました」
「僕のせい、ですか?」
舎利弗さんは、困惑、しているようには見えない表情で問い返している。
「そうですよ。業務がスケジュール通り進んでいるのも、クライアントから無茶振りやクレームが減ったのも、全部舎利弗さんのせいだって。前になんでですかって聞いたら、ちゃんと契約書を守ってもらっているだけですって教えてくれたじゃないですか」
なるほど、だから全体最適か。でも全然判らない。舎利弗さんは組んでいた腕をほどいて、開いた右手のひらを天井に向けた。
「守ってもらえる契約を結んで、その通りにスケジュールを進めているだけでは? 生産能力を考えたら同時進行できるプロジェクト数には限りがありますし、第一進捗管理は僕の仕事ではありませんからね。現に僕は自分の仕事以外やっていませんし……」
「ちょ、ちょっと待ってください?」
会話を強引に遮断すると二人は同時にこちらを見た。阿賀埜さんは楽しそうな表情のまま、舎利弗さんは作り物のように動かない表情で。
「その舎利弗さんの仕事ってなんですか」
「営業です」
「それ以外には? 社内で残業軽減とか業務効率のプロジェクトリーダーとか」
「いえ、特に。社命があればもちろんやりますが、今のところそうした業務指示は受けていないですね。ほとんど日中は社外にいますし」
「社外……、ちなみにどういう営業手法ですか。ここは受注式の販売しかやっていませんよね」
「飛び込みと、御用聞きですね、やっていることはそれだけですよ」
「…………」
ちょっと待て。コストカットのあらかた終わった今期も、すでに前期の二倍成長をしているのに、一人しかいない営業マンが飛び込み営業だけでどうやってこれを達成しているんだ?
「阿賀埜さん、さっき昨日まで総務課員だったって言いましたよね?」
「はい。今日営業部ができたので、営業事務員として異動してきたんです。あっちから、こっちに」
隣の総務課のブースを指さして、すすすすと手元まで移動させてデスクにおろす。にっと笑ったのは可愛らしかったが、営業部が今日できただって、それじゃあつまり、昨日まで営業部はなく、この会社は脊髄だけで動いていたということか。
とはいえ営業マンはいたのだ。一人きりだが飛び切りの成果を打ち出す営業マンだ。舎利弗さんの頭の中には目標や戦略があったのではないか。
「でも、営業目標とかはありますよね。KGIや、KPIといったものが……」
舎利弗さんは「はあ」と、屹然としたように見える表情のまま、なんとも力ない反応をした。
「特にないですね……。行動目標ならありますが」
「ないんですか。じゃあどうやってこんな成果出すんですか?!」
これまで培ってきた常識に当てはまらない事象を、どう理解し納得すればいいのだろうか。二期連続で利益を倍増した部署の長をするにあたって、こんな不可解な状態で務まるものか。
相変わらずぴくりとも動かない表情をこちらに向けて、舎利弗さんは少し首を傾げた。
「今後そうしたことが必要だと判断したから、太門課長が呼ばれたのではないのでしょうか」
なるほど、それはそうかもしれない。だが、ここまで利益を伸ばしてきた舎利弗さんはそれで納得するのか。問題としているのは、むしろその点で、もし舎利弗さんの立場に置き換えれば我慢できるかどうか。これも全体最適ということか。
物思いに耽っていると、不意に舎利弗さんが鞄を持って立ち上がった。
「太門課長、そろそろ外回りに出ますので、あとはまた帰社後に。それと、歓迎会を明日終業後に実施予定です。できれば予定をあけておいてください。それでは阿賀埜さん、あとはよろしくお願いいたします」
「行ってらっしゃーい」
舎利弗さんはごく自然にそう言うと、スマートな立ち居振る舞いでブースから出て行った。阿賀埜さんはひらひらと手を振っている。
「じゃ、太門課長、私も総務の引継ぎがありますのであちらで作業をしますね。何かあれば声かけてください。必要かと思われるデータや書類はサーバーからログインできるように設定しておきましたのでご自由にご確認くださいね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をして阿賀埜さんも隣のブースに去っていった。まさか一人きりにされると思っていなかったが、驚く暇もなかった。深刻ぶってPCモニターを凝視するが、視覚には何も関知していない。その代わりに頭はぐるぐると生産性のないことを考えている。
これまで学び実践してきた経営手法や理論は、なんとなく仕事をしている人たちに、ひとしきりのフレームを与えてくれるものだった。行っていることが何なのか、何のためにそれをするのか。どういった目標が必要で、それを実現させるためにはどのような手法が必要で、どんなプロセスを踏むべきなのか、それを指し示すものだった。それがKGIでありKPIだった。しかしここにはそれがない。いや、本当にないのだろうか。明文化されていないだけで明確にそれはあるはずだ。
午前中いっぱいそんなことを考えているうちに気付けば昼休みになっていた。阿賀埜さんが誘いにきてくれたりしないかな、と期待したが音沙汰はなく、なんとなく昼を抜く羽目になってしまった。なかなか世知辛い。
これからここで何をするのかを本気で考えなくてはならない予感をひしひしと感じている。舎利弗さんか、未知との遭遇だ。彼と今後どう対峙していけばいいのだろう。だが……。
「……歓迎会、開いてくれるんだな」
背もたれに全身を投げ出して天井を見つめていると、ふと思ったことが口から洩れていた。
取り寄せたビジネスプランシートを紐解くと、初年度は徹底的に残業代の軽減が施されていた。これだけで増えた利益の八割に達しているのは驚嘆の限りだ。次に採用費がさらに前年の一〇分の一になっている。過去五年を見ても社員数に大きな変動はないことから、毎年の採用費は単純に補填採用分だと仮定したとしても、その一年で離職者を九割も留めたことになる。
「昨期と今期で待遇を変えたりしましたか」
パソコンのモニターを凝視したまま誰にともなく尋ねると、視界の上の方で舎利弗さんと阿賀埜さんが顔を見合わせるのがわかった。
「いえ、とくに給与体系や賞与など変化はないですね」
阿賀埜さんが可愛らしく顎に拳をあてた。少し食い気味に次の事実を指摘する。
「でも離職率が驚くほど下がっていますよ?」
「ああ、そういえば辞める人がいなくなりましたね」
確認するように阿賀埜さんが言うと、向かいで舎利弗さんは少し首を傾げて、そうですか? と空とぼけている。
「残業の大幅軽減もすごいですよ。二期前までは一人当たりの残業代金が平均でも二〇万近くあるのが、今期はのきなみ一万円前後です。大規模な設備投資などで作業時間の軽減が行われていませんか」
出向元にいたころは残業イコール低能者という公式が当たり前に成り立った。だが日本企業では別の論理で会社が運用されている。インターメディアアーチファクトでも、ほんの二期前まではその論理で運用されていたことが、BPSからも推察される。まるで残業代がインセンティブかのように扱われている。それも驚くべきことに時間に対するインセンティブだ。
「残業というよりみんなちゃんと休めるようになりましたよね」
「まあ残業はみなし分がありますからね。数千円でも出ているのであれば、やはり働きすぎです」
「舎利弗さんは定時ダッシュですもんね」
「ダッシュ……ですか?」
「いえ、もののたとえです」
うふふと笑う阿賀埜さんに、向かいの男はポーカーフェイスを崩さない。だが、わきあいあいと話す様子は少々妬ける。というより赴任初日なんだからもう少し新入りを気遣ってくれてもいいと思うんだよな。
「…………」
いずれにしても昨期の利益の急激な増進は、大きく改善された労働環境が、それに伴うコストをごっそり削った影響で実現したのが実際だ。しかし、それだけなら売上が下がってもおかしくない。労働コストは変わらず、業務時間が削減されているのだから、普通に考えれば比例して生産能力が下がるのが自然な話だ。よっぽどこれまでサボったり無駄が多くない限り考えられない。
にも関わらず、それでいて売上は増えている。微増と言うには少々謙遜が過ぎる額が計上されていた。これについても大いに疑問だ。売上が増えて、労働時間が減って利益が増える? なんの冗談だ。つまるところ一つしか考えられない。
「つまり、これまでムチャクチャ無駄が多かったということですか。それを大幅にカットすることができたということなんでしょうか」
ロジックは今のところ見当もつかないが着眼点はここだろう。二人の反応がそれを明らかにするはずだ。
そう思いモニターから顔を上げたが、二人は顔を見合わすばかりで思い当たる節がない様子だ。舎利弗さんに至っては神経が断裂しているんでは、と疑惑を持つほど表情筋が活動していない。無表情を通り越してもはやそれはお面と言う。
営業課ブースの中に沈黙が降り積もりかけたとき、阿賀埜さんが「そうだ」と言って古典的にぽんと右手の拳で左手の手のひらを打った。
「玲子が、スケジュール通りに業務が進んでいるだけで、やることは無茶苦茶増えてて、昼休み以外コンビニに行く暇もなくなったって言ってたな。その時全体最適だなあって思ったの、思い出しました」
阿賀埜さんはちょっと天真爛漫なところがおありのようだ。全体最適……? 玲子? だが、これまでは昼休み以外にもコンビニに行く暇が普通にあったということのようだ。
得てして残業のかさんでいる会社は、業務を間延びさせていることが多いと聞く。いわく待機時間が長い、設定された勤務時間が業務にマッチしていない、人員の適正配置が考えられていない、などである。一日八時間フルタイム勤務して、さらに残業時間もびっしり仕事しているなんて、特需当時の工場勤務かと突っ込みたくなる。ほかに該当するとすれば、過剰サービスを強いられている戸別配送の物流会社の配送員くらいのものだ。実労働を数字だけで割り切って計算するのをやめろと言いたい。コストはそんなに簡単に割り切れない。経営者は軒並みそろって学者か評論家なのかと問い質してやりたくなる。
しかし明確に意図してさぼっているわけでないなら、業務をデザインする必要がある。なぜ待機時間が長くなるのか、適正な配置ができないのか、そこを考え改善した結果、どこの玲子さんかは判らないが、その人は業務中にコンビニに行けなくなり、代わりにむちゃくちゃ仕事をこなして定時に帰っている、ということになる。
「あ、玲子は総務部で私の同期です。私も昨日まで総務部だったんですけどね。ちなみに舎利弗さんのせいだって愚痴ってました」
「僕のせい、ですか?」
舎利弗さんは、困惑、しているようには見えない表情で問い返している。
「そうですよ。業務がスケジュール通り進んでいるのも、クライアントから無茶振りやクレームが減ったのも、全部舎利弗さんのせいだって。前になんでですかって聞いたら、ちゃんと契約書を守ってもらっているだけですって教えてくれたじゃないですか」
なるほど、だから全体最適か。でも全然判らない。舎利弗さんは組んでいた腕をほどいて、開いた右手のひらを天井に向けた。
「守ってもらえる契約を結んで、その通りにスケジュールを進めているだけでは? 生産能力を考えたら同時進行できるプロジェクト数には限りがありますし、第一進捗管理は僕の仕事ではありませんからね。現に僕は自分の仕事以外やっていませんし……」
「ちょ、ちょっと待ってください?」
会話を強引に遮断すると二人は同時にこちらを見た。阿賀埜さんは楽しそうな表情のまま、舎利弗さんは作り物のように動かない表情で。
「その舎利弗さんの仕事ってなんですか」
「営業です」
「それ以外には? 社内で残業軽減とか業務効率のプロジェクトリーダーとか」
「いえ、特に。社命があればもちろんやりますが、今のところそうした業務指示は受けていないですね。ほとんど日中は社外にいますし」
「社外……、ちなみにどういう営業手法ですか。ここは受注式の販売しかやっていませんよね」
「飛び込みと、御用聞きですね、やっていることはそれだけですよ」
「…………」
ちょっと待て。コストカットのあらかた終わった今期も、すでに前期の二倍成長をしているのに、一人しかいない営業マンが飛び込み営業だけでどうやってこれを達成しているんだ?
「阿賀埜さん、さっき昨日まで総務課員だったって言いましたよね?」
「はい。今日営業部ができたので、営業事務員として異動してきたんです。あっちから、こっちに」
隣の総務課のブースを指さして、すすすすと手元まで移動させてデスクにおろす。にっと笑ったのは可愛らしかったが、営業部が今日できただって、それじゃあつまり、昨日まで営業部はなく、この会社は脊髄だけで動いていたということか。
とはいえ営業マンはいたのだ。一人きりだが飛び切りの成果を打ち出す営業マンだ。舎利弗さんの頭の中には目標や戦略があったのではないか。
「でも、営業目標とかはありますよね。KGIや、KPIといったものが……」
舎利弗さんは「はあ」と、屹然としたように見える表情のまま、なんとも力ない反応をした。
「特にないですね……。行動目標ならありますが」
「ないんですか。じゃあどうやってこんな成果出すんですか?!」
これまで培ってきた常識に当てはまらない事象を、どう理解し納得すればいいのだろうか。二期連続で利益を倍増した部署の長をするにあたって、こんな不可解な状態で務まるものか。
相変わらずぴくりとも動かない表情をこちらに向けて、舎利弗さんは少し首を傾げた。
「今後そうしたことが必要だと判断したから、太門課長が呼ばれたのではないのでしょうか」
なるほど、それはそうかもしれない。だが、ここまで利益を伸ばしてきた舎利弗さんはそれで納得するのか。問題としているのは、むしろその点で、もし舎利弗さんの立場に置き換えれば我慢できるかどうか。これも全体最適ということか。
物思いに耽っていると、不意に舎利弗さんが鞄を持って立ち上がった。
「太門課長、そろそろ外回りに出ますので、あとはまた帰社後に。それと、歓迎会を明日終業後に実施予定です。できれば予定をあけておいてください。それでは阿賀埜さん、あとはよろしくお願いいたします」
「行ってらっしゃーい」
舎利弗さんはごく自然にそう言うと、スマートな立ち居振る舞いでブースから出て行った。阿賀埜さんはひらひらと手を振っている。
「じゃ、太門課長、私も総務の引継ぎがありますのであちらで作業をしますね。何かあれば声かけてください。必要かと思われるデータや書類はサーバーからログインできるように設定しておきましたのでご自由にご確認くださいね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をして阿賀埜さんも隣のブースに去っていった。まさか一人きりにされると思っていなかったが、驚く暇もなかった。深刻ぶってPCモニターを凝視するが、視覚には何も関知していない。その代わりに頭はぐるぐると生産性のないことを考えている。
これまで学び実践してきた経営手法や理論は、なんとなく仕事をしている人たちに、ひとしきりのフレームを与えてくれるものだった。行っていることが何なのか、何のためにそれをするのか。どういった目標が必要で、それを実現させるためにはどのような手法が必要で、どんなプロセスを踏むべきなのか、それを指し示すものだった。それがKGIでありKPIだった。しかしここにはそれがない。いや、本当にないのだろうか。明文化されていないだけで明確にそれはあるはずだ。
午前中いっぱいそんなことを考えているうちに気付けば昼休みになっていた。阿賀埜さんが誘いにきてくれたりしないかな、と期待したが音沙汰はなく、なんとなく昼を抜く羽目になってしまった。なかなか世知辛い。
これからここで何をするのかを本気で考えなくてはならない予感をひしひしと感じている。舎利弗さんか、未知との遭遇だ。彼と今後どう対峙していけばいいのだろう。だが……。
「……歓迎会、開いてくれるんだな」
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