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うちの会社には営業部がない。だが変わった営業マンが一人だけいる。
もともとうちはシステムを受注販売する会社で、プログラマーやSEだけでやってきた。品質は上の中、大企業や大規模行政システムにはお呼びがかからないが、中小や学校、地方行政などとの相性がよく、軽いフットワークで検証をすすめながら実用化に結び付けるような仕事が得意である。
だが一案件に対する特化性が高すぎるため、せっかく開発したシステムを商用に展開することができず、高コストにこれまで悩んできた。また、プログラマーやSEといった人種は仕事に没入し、外部との交流を避けがちなため、取引先とのコミュニケーションが希薄になってしまい、メンテナンスに難があるうえ、次回受注にまったくつながらず、事業の連続性に不安があったのである。
それを解決するために社長がある日一人の営業マンを連れてきた。営業マンを入れると言う話に、当初社員はみな難色を示した。
「あれだよね、営業マンと言えばウェイ系でしょ?」
「現場の都合を考えずに受注する種族だろ?」
「前いた会社の営業マンは納期を取れないヤツばかりで、全案件デスマーチだったよ」
「営業目標だとか、数字先行で仕事をすすめられるから困るんだよなあ」
そんな非歓迎ムードの中現れたのが舎利弗さんだった。
やや長身、やや細身、ややハンサムだが恋人にしたいかと聞かれればもう少し高望みしたい、と思わせる造作。
淡々とした自己紹介がされた。地面から響いてくるような超ロートーンボイスと、そこに居る人を隈なく視界に収めながら話すのに、眉ひとつ動かさないポーカーフェイス。こういう時普通の人間は愛想笑いをしたり、羞恥めいた表情を浮かべたりするものだが、舎利弗さんのそれは微細な筋肉に至るまで完全に統制され、本人の意思に背くことはないようだった。印象はずばり鉄仮面、だが冷たさは不思議と感じさせない。
かくしてイメージと真反対の営業マンを迎え入れることになった我がインターメディアアーチファクトは、最初の半期で昨年実績を超え、期を四ヶ月残してその年の予算達成をしてしまうという快挙を迎えて、営業マン効果を存分に体感したのである。
それで技術者の業務が増えたかと言うとその逆で、納期をきっちりと区切って来る仕事の仕方ですっかりホワイト企業になりつつあった。
「どうやったら我儘なクライアントに言うこと聞かせられるんですか」
請求書の束を持ってきた舎利弗さんに尋ねてみた。小さな会社の総務課員に、舎利弗さんはさも当然のような口ぶりで言った。
「契約書通りに仕事を進めて頂いているだけですよ」
いや、それが難しいから聞いたんですよ。と。
だが舎利弗さんは不思議そうに(全く見えないが)首を傾げて「何か問題がありましたか」と言ったので慌てて両手を振った。
こんな感じで世間話やちょっとした会話が続かないのが難点と言えば難点だ。社内で誰かと仲良くしているところを見たことはないが、仕事をする上ではまったく摩擦が生じていないのも驚きで、誰かと親しいという話を聞かない反面、誰かとそりがあわないなどと言う様子もない。気難しい技術屋たちが舎利弗さんの言うことは素直に聞くのも不思議な話だった。
かくがごとく舎利弗さんがは自分のペースを崩すことがない。
必ず定時に仕事を終わらせ、残業の必要がないか社内に確認したらすぐに退社する。ただし飲み会に誘われれば必ず参加したし、会社の行事やイベントにも欠席したことはない。付き合いが悪いということはまったくない。
「ねえ、舎利弗さんって不思議じゃない?」
同じ総務課員の綴喜玲子に、去っていく舎利弗さんの後ろ姿を見送りながら声をかけた。
「舎利弗さんがどうしたって?」
「なんだか不思議だなあって思って」
「なに、アンタ気があるの?」
絶句する。そういうわけではまったくないはずだ。これだから世の中のOLはみな恋愛脳だと誤解されるのだ。本当にいい迷惑である。
「違うってば。気難しい技術者連中とも折り合いが悪くなくて、クライアントからのクレームも今じゃほとんどないじゃない。舎利弗さんが来てからみんな随分楽になったと思うんだよね。なのに、いてもいなくても気にならない不思議な存在感と言うか」
カタカタとキーボードを叩いていた玲子が手を止めて短い溜息をついた。椅子を回転させて身体ごとこちらを向く。
「楽になんてなってないわよ。効率化されただけでやることは増えてるっての。スケジュール内に収まっているから錯覚してるんでしょうけど、時間に対する仕事量は無茶苦茶増えてるんだからね。おかげで昼以外はコンビニにも行けなくなっちゃったじゃない」
それってすごいことじゃないの、と言いかけてやめた。
普通は、何かを改善しようと一部を改変すれば、別のところに歪や無理が生じる。それを修正するためにまたほかのどこかに障りが出たりして、結局二度手間三度手間を取らされることがままあるものだ。
カイゼンは企業活動に必要欠くべからざるものではあるが、いくつもの部分最適が重なり合って、互いに融通を利かせたり譲り合っている状態が一般的な業務状況である以上、やるなら横軸縦軸両方に気を配らねばならない。それで最終的には優先順位だとか数の論理が適用され、一部の部署に大きな負担がかかることになる。調整は優先順位が低い、とみなされるからだ。
得てしてそうした雑務を取り扱う部署は日の目を見ず、労力に伴う評価を受けられないことが多い。だからどこかの声の大きな誰かが、突如言い出すカイゼンに、総務や経理は戦々恐々となるのである。
「そうか。舎利弗さんの仕事の仕方は全体最適なんだ」
「なに? 全体最適?」
カイゼンはカイゼンが目的ではない、ということだ。一人で納得していると玲子がつまらなさそうに「ふん」と言うのが聞こえた。まあまあといなしながら、朝にコンビニで見つけたアフォガート仕立てのキットカットを彼女に勧める。
ひとつ無造作に口に放り込んだ玲子は、ぼりぼりと噛み砕くと、「なにこれおいしー!」と言って広げた左手を差し出した。
「もいっこちょーだい!」
はいはい全部あげますよ、とパッケージごと玲子に渡してやると、ありがとーと猫なで声を出して抱き着いてくる。本当に玲子は絵に描いたようなOLだな、と思う。漫画の登場人物に最適なんじゃないか。
そのときパソコンのモニターにメールの着信が入った。総務と経理だけに届く通達で、それは新入社員の入社に関するものだった。こんな時期に新入社員か、と思ってクリックすると、隣でボリボリやりながら玲子もメールを開いたらしく、「えー大変じゃん」と独り言をこぼしている。
新入社員は二十六歳の中途社員で前職は外資、配属先は営業部とある。
「「営業部?」」
玲子と同時に不審の声を出してしまった。だって、変わった営業マンが一人いるだけで、うちには営業部はない。少なくとも今日まではなかったはずなのだ。
もともとうちはシステムを受注販売する会社で、プログラマーやSEだけでやってきた。品質は上の中、大企業や大規模行政システムにはお呼びがかからないが、中小や学校、地方行政などとの相性がよく、軽いフットワークで検証をすすめながら実用化に結び付けるような仕事が得意である。
だが一案件に対する特化性が高すぎるため、せっかく開発したシステムを商用に展開することができず、高コストにこれまで悩んできた。また、プログラマーやSEといった人種は仕事に没入し、外部との交流を避けがちなため、取引先とのコミュニケーションが希薄になってしまい、メンテナンスに難があるうえ、次回受注にまったくつながらず、事業の連続性に不安があったのである。
それを解決するために社長がある日一人の営業マンを連れてきた。営業マンを入れると言う話に、当初社員はみな難色を示した。
「あれだよね、営業マンと言えばウェイ系でしょ?」
「現場の都合を考えずに受注する種族だろ?」
「前いた会社の営業マンは納期を取れないヤツばかりで、全案件デスマーチだったよ」
「営業目標だとか、数字先行で仕事をすすめられるから困るんだよなあ」
そんな非歓迎ムードの中現れたのが舎利弗さんだった。
やや長身、やや細身、ややハンサムだが恋人にしたいかと聞かれればもう少し高望みしたい、と思わせる造作。
淡々とした自己紹介がされた。地面から響いてくるような超ロートーンボイスと、そこに居る人を隈なく視界に収めながら話すのに、眉ひとつ動かさないポーカーフェイス。こういう時普通の人間は愛想笑いをしたり、羞恥めいた表情を浮かべたりするものだが、舎利弗さんのそれは微細な筋肉に至るまで完全に統制され、本人の意思に背くことはないようだった。印象はずばり鉄仮面、だが冷たさは不思議と感じさせない。
かくしてイメージと真反対の営業マンを迎え入れることになった我がインターメディアアーチファクトは、最初の半期で昨年実績を超え、期を四ヶ月残してその年の予算達成をしてしまうという快挙を迎えて、営業マン効果を存分に体感したのである。
それで技術者の業務が増えたかと言うとその逆で、納期をきっちりと区切って来る仕事の仕方ですっかりホワイト企業になりつつあった。
「どうやったら我儘なクライアントに言うこと聞かせられるんですか」
請求書の束を持ってきた舎利弗さんに尋ねてみた。小さな会社の総務課員に、舎利弗さんはさも当然のような口ぶりで言った。
「契約書通りに仕事を進めて頂いているだけですよ」
いや、それが難しいから聞いたんですよ。と。
だが舎利弗さんは不思議そうに(全く見えないが)首を傾げて「何か問題がありましたか」と言ったので慌てて両手を振った。
こんな感じで世間話やちょっとした会話が続かないのが難点と言えば難点だ。社内で誰かと仲良くしているところを見たことはないが、仕事をする上ではまったく摩擦が生じていないのも驚きで、誰かと親しいという話を聞かない反面、誰かとそりがあわないなどと言う様子もない。気難しい技術屋たちが舎利弗さんの言うことは素直に聞くのも不思議な話だった。
かくがごとく舎利弗さんがは自分のペースを崩すことがない。
必ず定時に仕事を終わらせ、残業の必要がないか社内に確認したらすぐに退社する。ただし飲み会に誘われれば必ず参加したし、会社の行事やイベントにも欠席したことはない。付き合いが悪いということはまったくない。
「ねえ、舎利弗さんって不思議じゃない?」
同じ総務課員の綴喜玲子に、去っていく舎利弗さんの後ろ姿を見送りながら声をかけた。
「舎利弗さんがどうしたって?」
「なんだか不思議だなあって思って」
「なに、アンタ気があるの?」
絶句する。そういうわけではまったくないはずだ。これだから世の中のOLはみな恋愛脳だと誤解されるのだ。本当にいい迷惑である。
「違うってば。気難しい技術者連中とも折り合いが悪くなくて、クライアントからのクレームも今じゃほとんどないじゃない。舎利弗さんが来てからみんな随分楽になったと思うんだよね。なのに、いてもいなくても気にならない不思議な存在感と言うか」
カタカタとキーボードを叩いていた玲子が手を止めて短い溜息をついた。椅子を回転させて身体ごとこちらを向く。
「楽になんてなってないわよ。効率化されただけでやることは増えてるっての。スケジュール内に収まっているから錯覚してるんでしょうけど、時間に対する仕事量は無茶苦茶増えてるんだからね。おかげで昼以外はコンビニにも行けなくなっちゃったじゃない」
それってすごいことじゃないの、と言いかけてやめた。
普通は、何かを改善しようと一部を改変すれば、別のところに歪や無理が生じる。それを修正するためにまたほかのどこかに障りが出たりして、結局二度手間三度手間を取らされることがままあるものだ。
カイゼンは企業活動に必要欠くべからざるものではあるが、いくつもの部分最適が重なり合って、互いに融通を利かせたり譲り合っている状態が一般的な業務状況である以上、やるなら横軸縦軸両方に気を配らねばならない。それで最終的には優先順位だとか数の論理が適用され、一部の部署に大きな負担がかかることになる。調整は優先順位が低い、とみなされるからだ。
得てしてそうした雑務を取り扱う部署は日の目を見ず、労力に伴う評価を受けられないことが多い。だからどこかの声の大きな誰かが、突如言い出すカイゼンに、総務や経理は戦々恐々となるのである。
「そうか。舎利弗さんの仕事の仕方は全体最適なんだ」
「なに? 全体最適?」
カイゼンはカイゼンが目的ではない、ということだ。一人で納得していると玲子がつまらなさそうに「ふん」と言うのが聞こえた。まあまあといなしながら、朝にコンビニで見つけたアフォガート仕立てのキットカットを彼女に勧める。
ひとつ無造作に口に放り込んだ玲子は、ぼりぼりと噛み砕くと、「なにこれおいしー!」と言って広げた左手を差し出した。
「もいっこちょーだい!」
はいはい全部あげますよ、とパッケージごと玲子に渡してやると、ありがとーと猫なで声を出して抱き着いてくる。本当に玲子は絵に描いたようなOLだな、と思う。漫画の登場人物に最適なんじゃないか。
そのときパソコンのモニターにメールの着信が入った。総務と経理だけに届く通達で、それは新入社員の入社に関するものだった。こんな時期に新入社員か、と思ってクリックすると、隣でボリボリやりながら玲子もメールを開いたらしく、「えー大変じゃん」と独り言をこぼしている。
新入社員は二十六歳の中途社員で前職は外資、配属先は営業部とある。
「「営業部?」」
玲子と同時に不審の声を出してしまった。だって、変わった営業マンが一人いるだけで、うちには営業部はない。少なくとも今日まではなかったはずなのだ。
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