朽ちる世界の明日から

大山 たろう

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零章 世界の終わりの始まり

最後の思い出作り

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 少しの間、呆然としていると、爆音とともに足元が急激に揺れだした。
 その振動を引き金にしたように、今までかろうじて原型をとどめていた建物や道路でさえも崩れだす。

 地面は陥没と瓦礫の山だらけ、生存者など見ただけで何人いるかわかる、という具合には、その光景は常識を逸していた。

「生存者、何人だと思う?」

 彼女はこの光景を、そしておそらくその奥へと目線を向けて、そう問う。

「もちろん、俺と君の二人だろうよ」

 二人はこの壊滅した人間の長い年月をかけて作り上げてきた都市を、そしてその奥にあるはずの学校へと目を向けた。

 ビルに隠れるようにして存在するその学校。もしかしたら、という淡い期待を持たずにはいられない。
 学校というのはそれだけ特別に守られた場所だという考えが根付いていたのだろうか。

 二人で学校へと向かう。二年間、同じ風景だった。もう一年、同じだったろう風景が、ものの一瞬で瓦礫の山へと姿を変えていた。
 かろうじて原型をとどめている曲がり角を超えた。その先が学校。
 だが、目の前に広がっていたのは、もう時刻は授業を始めていておかしくない時間帯だというのに、人は一人もいない。

 やはり、と思うが、心がそれを拒んだ。魂が否定をした。
 まだ、まだもしかしたらが存在するかも、と。

 二人は意識せずに足を門の奥へと運ぼうとした。が、理性がその一歩を、その門へと立ち入るその最後の一歩を踏みとどまった。

 その瞬間、二人の思いは風化した石のように儚く、そしてなんともあっけなく崩れ去った。

 奥に堂々と立っていたビルが、空中で分裂し、石の雨となって降り注いだ。
 可能性を秘めた学校へと。彼らの最後の希望を秘めた学校へと。いつも何も思うことなく通っていた、その学校へと。

 二人はすぐさま門から逃げるようにして立ち去った。

 その瞬間、この世で聞けるとは思っていなかったほどの爆音と、コンクリートの割れる音。

 高い音と低い音が重なりあい、地面にたたきつけられる重低音、そしてガラスが飛び散る小高い音が、絶妙に混ざり合ってその衝突を醸し出していた。

 舞い散るのは砂煙か、はたまた儚い夢か。砕け散るのはコンクリートか、わずかな希望か。



 馬鹿なことだと分かっていた。
 こんなちっぽけで古びた学校よりも駅のほうが生存者のいる可能性は圧倒的に高いってことくらい。
 けれど、捨てきれなかった。
 だってそうだろう。ほんの数分前の連絡の送信主が、もうこの世にいないっていうのだから。
 唯一といっていいほどの友すら、名前すら憶えていないクラスの人すら、少し優しかった先生すら、もう別れを告げることすら出来ずに二度と会えなくなってしまったのだから。

「なぁ、どうする?」

 はじめてだろう。俺から彼女に話しかけたのは。

「現実、だよね」

 返ってきたのは質問に対する解ではなく、ただ頭の中を反響し続ける彼女の声が漏れ出たものだった。

「そうだろうよ。さて、俺はもう行くぞ」

「行くって、どこへ」

 先ほどの電車の中の雰囲気とは打って変わって、弱弱しい、何もわからない子猫のような声を出した彼女。

「いろんな場所さ。もうここには戻ってこないかもしれない。けど、もうこんな世界だ。最後の思い出作りぐらい、してもいいだろうよ」

 そう答えて、この場を去ろうとする。

「待って、私も行く」

 その声が聞こえなければ、足を止めなかっただろう。この場所へと置いて行って、もう二度と会うことはなかっただろう。

「そうか」

 ただ、その三文字だけを返した。
 彼女はまだ何かに縋りたい、そんな顔をしていた。

「俺は上原 弘樹。君は?」

 その声を聞いて、ぱあっと顔が明るくなる。

「私は水崎 麗華よ、よろしく」

 すぐに顔は戻り、先ほど電車で見た、強い一面が戻ってきた。

「そうか、それじゃ、行くか」

「行くって、どこか具体的な場所でもあるの?」

「そりゃ、食い物と水、手に入るうちに手に入れないと、俺たち思い出どころじゃないぞ?」

 そう答え、すたすたと迷うことなく、崩壊した都市を、もうどこが道だったかわからない道を歩く。
 ビルの残骸を超え、陥没した道路を迂回し、時に倒れた信号機の下を潜り抜け。
 運動が苦手な弘樹と、絶望的に運動ができない麗華が助け合い、少しずつ、しかし確実に前へと進む。



 電柱と街路樹が互いに支えあってかろうじて倒れるのをみた二人は、同じものを見て、まったく別の感想を抱いていた。

「あれ、いつか崩れるんだろうな」

「あれ、いつまでもあのまま支えあうんだろうな」

 二人の関係性もまた、電柱と街路樹のように―――――

 そう薄々気が付いていても、何も言わずに前へと進む。
 いつか崩れるかもしれない、ずっとこのままかもしれない。けれど、とりあえずは。


 良い臨時パートナーを見つけた。


 その意見だけは、一致するのだった。



「ねぇ、どうしてこの場所なのに地下鉄を使わなかったの? 私たちが生き残ったのって、たぶん地下だったからよね?」

「そうだろうな。こんだけ地上が非常事態なのに、電車に乗ってた俺らは何も感じなかったしな......」

「なら、なんで地下鉄を使わなかったの?」

 その真っ当な意見が飛んでくる。

「たぶん、もう電気が止まった。さっき立ってた時の爆音と崩落は地下鉄が事故って生き埋めにでもなったんじゃないかと予想。住む分には地下は最適だけど、今は食料が欲しいし、足止め食らうくらいなら急いで行って早い者勝ち、みたいな」

「ごめん、早い者勝ちって、どういうこと?」

 さらに質問が飛んでくる。が、もう目的地に到着してしまった。

「ここが目的地。ここで全部そろえるぞ」

「全部?」

「説明はあとだ。行くぞ!」

 二人は朽ちかけた、けれど低い建物だったために崩落していないであろうショッピングモールへと足を踏み入れた。
 入口の自動ドアは割れているが、くぐるには微妙に怖かったので、下のほうを蹴りつけて無理やり広げる。

「ちょっと、何してるの!?」

「説明はあとだ、ほら、これ持て」

 そういって慌てふためく彼女に体格からすれば少し大きいくらいのリュックサックを投げ渡す。

 そして二人がリュックサックを体の前に抱え込むようにして背負うと、一気に走りだす。

「ほら、終末最初で最後の大特価バーゲンセールだ!」

「何をバカなこと言ってるの!?」

 驚いて足が止まっている彼女のリュックサックに、容赦なく食品や衣服、テントや寝袋といったキャンプ用品をはじめ、ラジオを聞いてみたり、ナイフを忍ばせておいたり。

「あなた、これ、窃盗よ! 立派な犯罪よ!」

 そう止めようとする彼女に、諭すように話す。

「お前、これをしないと生きていけないぞ」

「どういうこと?」

「誰も食べ物作らなくなった都市で、もしかしたら世界で二人っきりのこの世界で、こうやって食べ物取らずにどうやって生きるんだって言ってんだ」

「それは......」

 彼女は口ごもる。きっとまだ最後の良心が邪魔をしているのだろう。良心が残ってるなら遅刻常習魔になるなって話だが、犯罪となると手が止まるのも当然か。

 ちなみにここまで窃盗ができる俺は何か特別というわけではなく、ただ単にそう言ったライトノベルを読んで、このスタートダッシュがどれだけ重要かを知っているからできた芸当だ。
 そのために一度心を封印して支度をする。

 これ以上ない最高の場所。すべてがそろうショッピングモールが漁られていないところを見るに、近くに生存者はいなさそうだ。残念だが、知らない人の面倒を見てやれるほど、赤の他人を救ってやれるほど俺の両手は大きくない。
 彼女は別だ。持ちつ持たれつでやるという契約の上でだ。

 カバンの中に適当な女性用下着を入れ始めたあたりで、彼女の顔が赤く染まり、手が動き出す。
 と思ったころにはもう遅かった。彼女の右手が左ほほをクリーンヒット。

 真っ赤な紅葉を作ったころに、正常というより、放心状態から復活した彼女が服を選んでいた。

「もう葛藤はすんだのか?」

「えぇ、もういいわ。生きるって決めたもの」

 この覚悟の速さ、流石としか言いようがない。
 その判断の速さを遅刻の予防に活かせ、と言おうと思ったが、よくよく考えるともう遅刻する学校が存在しないことを思い出す。

「って、まずい、ちんたらしてたら、この建物も崩落するぞ!」

「それを先に言いなさい!」

 説明を後にしていたツケが回ってきた。
 少しずつ近くの柱から不穏な音が聞こえ始めた。

 すぐに彼女の手を引いて一階へと駆け下り、別の自動ドアのガラスを蹴破って外に出た。

 崩落、崩落。
 柱を失った二階部分が、綺麗に波のように落ちてくるその光景はもう二度と見られないと思ったほどだ。
 しかし、身を守るのが最優先。瓦礫がこちらに飛んでくる前に安全だろう地帯まで非難する。

 数秒後、そこには瓦礫の山が存在するだけだった。

「いやー、もう少し遅かったらあの瓦礫の中だった」

「もっと早く言いなさいよ!」

 少し明るく振舞っていた成果なのか、彼女も戻ってきた気がする。
 本当のところを言うと、もう両親が、妹が生きていない可能性を考えるだけで気が狂いそうだ。あの日、寝坊したせいで誰にも行ってきますなんて言っていない。もう家に誰も残っていなかったのだから。
 このまま最後の会話が晩御飯の時だなんて嫌だ。あんなしょうもないありふれた話が最後だなんて。もう一度会いたい。今すぐにでも確認しに行きたい。けれど、駅で二駅をこの体力絶望少女に重荷を背負わせて歩かせるわけにはいかない。それに、彼女も両親の安否が不安だろう。

 理性で心を押さえつける。これが落ち着く第一歩だ。

「ほら、ぼーっとしてないで、いくよ」

 彼女から声をかけられる。瓦礫の上に上った彼女は、砂埃で曇った太陽を背景に、俺へと手を差し伸べた。

「行くって、どこへ?」

「最後の、思い出作りよ」

 彼女は微笑む。長い黒髪を揺らして。

 俺も笑う。もう準備は万端だ。


 砂埃で曇って見える太陽が、かすかに照らす瓦礫の山と陥没した道路を。
 少し涼しいぐらいの、しかし砂埃を運ぶ風がうざったいこの朽ちる世界を。

 二人で、歩こう。




 こうして、二人で最後の思い出作りが始まった。
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