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◾️はじまりの章
◾️007.蜜月
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「……っ、あ」
口の中に舌が入って来たことに驚いて、王暁は小さく声を上げた。体感したことのない不思議な感覚に背筋がぞくりと粟立つ。
反射的に後ろに逃げようとしてしまう王暁だったが、鄭貫明の太く筋肉質な腕にきつく抱き寄せられている為に、逃げることはできなかった。
加減はしてくれているのだろう。痛くはないし、その力強さにはむしろ安心感すら抱いてしまうくらいだ。
しかし、今までにない力強さでやや強引に抱きしめられて、僅かな焦りも王暁の中に生まれていた。
恋人になるということは、いつかそういう関係になるということだ。それくらいは王暁にも分かっていた。
淡く美しい恋に夢を見てはいても、閨事の教育は最低限受けている。
いくら何でも、さすがにそこまで純樸ではない。性欲を完全に切り離した崇高な恋愛なんて綺麗事はあり得ないと現実を理解していた。
鄭貫明は、王暁のことを掌中の珠のように大切にしてくれている。だが、鄭貫明も年若く健康な少年だ。
意図的に男衆から距離を置いている王暁は、鄭貫明が彼らとどんな話をしているかまでは分からないが、年頃なのにその手の話題が皆無とは考え辛い。
鄭貫明が猥談に乗り気な姿は想像できない。だが、さすがに最低限の興味は抱いている筈だし、当然ながら性欲というものはあるだろう。
それを、王暁はけっして嫌だとは思わない。
というか、性欲がないと言われたら逆に困ってしまう。王暁だって、大好きな人に抱いて貰いたいと、早く抱き合いたいとそう思っているのだ。だから、鄭貫明も王暁を抱きたい。そう思ってくれているということは純粋に嬉しかった。
その日が来るのなら、例え上手くいかなくとも、大きく広い心で受け止めてあげたい。王暁は常々そう思っていた。
しかし、あくまでそれは机上の空論上の話である。実際にその状況になってみるとなると話が変わってくる。今まさに王暁はその場面に直面していた。
もちろん嫌ではない。嫌ではないのだが……。正直、恥ずかしさが勝つ。
口付けをしたのは、これが初めてではない。今までにも何度かしている。しかし、今までの口付けは、どれも触れるような優しいものばかりだったので、こんな風に、少しなりとも強引に口付けをされるのは初めてだった。
王暁からして見れば、いきなり舌を入れられるという行為はあまりにも刺激が強すぎた。
「ふっ……んっ」
上手く息ができない。こんな時、どうやって切り抜けるべきなのか。そこまで考えて「あぁ、鼻で息を吸えば良いのか」と王暁は気づいた。力を抜いて、身を任せて息継ぎをする。
鄭貫明も緊張しているのだろう。手際が良いとは言い難い。技巧など何もなく、すべての動きがぎごちなかった。
だが、考えてみれば二人とも成人前の子供で、お互いが初めての恋人なのだから当然ではある。逆に手慣れていたら、おかしな話だろう。
万が一そんなことがあったら、一体、誰とどこでいつ経験をしたのか。間違いなく、互いに詰め寄ることになっていたに違いない。だから、この状況は想定内と言えば想定内だった。
「……暁暁」
自らの腰に回った腕にぐっと力が入るのが分かり、王暁はびくりと体を震わせた。
(……これは少し、問題かもしれない……っ)
止まりそうにない鄭貫明に、王暁は慌てる。
このまま身をまかせてしまえば良い。そんな風に思う気持ちもある。
しかし……。
「貫明、待って……駄目だよ」
王暁は気の毒に思いながらも、厳しい態度を取ることにした。
手のひらで鄭貫明 の厚い胸を強く押し返す。
王暁の態度があまりに意外だったのだろう。恐る恐るではあるが、鄭貫明は再び王暁に伸ばしてくる。
しかし、伸びてきた腕を王暁 がやんわりだがはっきりと再び拒むと、鄭貫明は今度はおとなしく手を下ろした。少しだけ悲しそうなその表情はまるで、しゅんと音が聞こえてきそうな顔だった。
大好きな人にそんな顔をされてしまったら、正直「少しくらいなら良いよ」と言ってあげたくなる。
けれど「駄目駄目」と王暁は己をすぐに諌めた。
「ごめんね。応えてあげたいけれど、こういうことはきちんと手順を踏んだ方が良いと思うんだ」
王暁は、鄭貫明の目を真正面から見てはっきりと告げた。
早く想いを遂げたいという気持ちは王暁にもある。愛しあっている者同士が結ばれるのは何もおかしなことではない。
しかし、形式というのは非常に重要だ。今まで王奕辰は二人の関係を認めはしないまでも、比較的許容してくれていた。だが、二人が成人の儀を前に最後まで結ばれたと知れば、おそらく二人が伴侶となることをけっして認めないと言い出すだろう。
最近、やっと態度が軟化し始めている気がするのに、ここで雰囲気に流されてしまうことは間違いなく悪手となる。
それに、おそらく姉の王藍洙も良い顔はしない筈だ。せっかく味方をしてくれているのに、王藍洙を裏切る真似はしたくなかった。
「暁暁……」
鄭貫明は、王暁の意をすぐに理解してくれたようだ。「すまん」と勢い良くそのまま頭を下げてきた。
「俺が先走りすぎた。強引に迫る気はなかったんだが、ついお前が可愛くて……その」
そう言って口籠る鄭貫明に、王暁は「ふふふっ」とおかしそうに笑った。
「嫌だった訳じゃないし、怒ってもいないよ。少し驚いたのは事実だけど……」
鄭貫明が積極的にこんな風に迫ってくるなんて、ある意味貴重な体験だ。どちらかと言うと、中々手を出されずにやきもきする方だとばかり思っていたので、かなり意外だった。
「……成人前のお前に手を出したら、お父上に間違いなく俺は殺されていただろうな」
「ははっ。大袈裟だなぁ。でも、確かに貫明のこと、父様なら思いっ切り殴るくらいはやるかもしれないね」
王暁が声に出して笑うと、鄭貫明もまた微笑んだ。
――もう一度抱きしめ合う二人を見ていたのは、空に輝く月だけだった。
口の中に舌が入って来たことに驚いて、王暁は小さく声を上げた。体感したことのない不思議な感覚に背筋がぞくりと粟立つ。
反射的に後ろに逃げようとしてしまう王暁だったが、鄭貫明の太く筋肉質な腕にきつく抱き寄せられている為に、逃げることはできなかった。
加減はしてくれているのだろう。痛くはないし、その力強さにはむしろ安心感すら抱いてしまうくらいだ。
しかし、今までにない力強さでやや強引に抱きしめられて、僅かな焦りも王暁の中に生まれていた。
恋人になるということは、いつかそういう関係になるということだ。それくらいは王暁にも分かっていた。
淡く美しい恋に夢を見てはいても、閨事の教育は最低限受けている。
いくら何でも、さすがにそこまで純樸ではない。性欲を完全に切り離した崇高な恋愛なんて綺麗事はあり得ないと現実を理解していた。
鄭貫明は、王暁のことを掌中の珠のように大切にしてくれている。だが、鄭貫明も年若く健康な少年だ。
意図的に男衆から距離を置いている王暁は、鄭貫明が彼らとどんな話をしているかまでは分からないが、年頃なのにその手の話題が皆無とは考え辛い。
鄭貫明が猥談に乗り気な姿は想像できない。だが、さすがに最低限の興味は抱いている筈だし、当然ながら性欲というものはあるだろう。
それを、王暁はけっして嫌だとは思わない。
というか、性欲がないと言われたら逆に困ってしまう。王暁だって、大好きな人に抱いて貰いたいと、早く抱き合いたいとそう思っているのだ。だから、鄭貫明も王暁を抱きたい。そう思ってくれているということは純粋に嬉しかった。
その日が来るのなら、例え上手くいかなくとも、大きく広い心で受け止めてあげたい。王暁は常々そう思っていた。
しかし、あくまでそれは机上の空論上の話である。実際にその状況になってみるとなると話が変わってくる。今まさに王暁はその場面に直面していた。
もちろん嫌ではない。嫌ではないのだが……。正直、恥ずかしさが勝つ。
口付けをしたのは、これが初めてではない。今までにも何度かしている。しかし、今までの口付けは、どれも触れるような優しいものばかりだったので、こんな風に、少しなりとも強引に口付けをされるのは初めてだった。
王暁からして見れば、いきなり舌を入れられるという行為はあまりにも刺激が強すぎた。
「ふっ……んっ」
上手く息ができない。こんな時、どうやって切り抜けるべきなのか。そこまで考えて「あぁ、鼻で息を吸えば良いのか」と王暁は気づいた。力を抜いて、身を任せて息継ぎをする。
鄭貫明も緊張しているのだろう。手際が良いとは言い難い。技巧など何もなく、すべての動きがぎごちなかった。
だが、考えてみれば二人とも成人前の子供で、お互いが初めての恋人なのだから当然ではある。逆に手慣れていたら、おかしな話だろう。
万が一そんなことがあったら、一体、誰とどこでいつ経験をしたのか。間違いなく、互いに詰め寄ることになっていたに違いない。だから、この状況は想定内と言えば想定内だった。
「……暁暁」
自らの腰に回った腕にぐっと力が入るのが分かり、王暁はびくりと体を震わせた。
(……これは少し、問題かもしれない……っ)
止まりそうにない鄭貫明に、王暁は慌てる。
このまま身をまかせてしまえば良い。そんな風に思う気持ちもある。
しかし……。
「貫明、待って……駄目だよ」
王暁は気の毒に思いながらも、厳しい態度を取ることにした。
手のひらで鄭貫明 の厚い胸を強く押し返す。
王暁の態度があまりに意外だったのだろう。恐る恐るではあるが、鄭貫明は再び王暁に伸ばしてくる。
しかし、伸びてきた腕を王暁 がやんわりだがはっきりと再び拒むと、鄭貫明は今度はおとなしく手を下ろした。少しだけ悲しそうなその表情はまるで、しゅんと音が聞こえてきそうな顔だった。
大好きな人にそんな顔をされてしまったら、正直「少しくらいなら良いよ」と言ってあげたくなる。
けれど「駄目駄目」と王暁は己をすぐに諌めた。
「ごめんね。応えてあげたいけれど、こういうことはきちんと手順を踏んだ方が良いと思うんだ」
王暁は、鄭貫明の目を真正面から見てはっきりと告げた。
早く想いを遂げたいという気持ちは王暁にもある。愛しあっている者同士が結ばれるのは何もおかしなことではない。
しかし、形式というのは非常に重要だ。今まで王奕辰は二人の関係を認めはしないまでも、比較的許容してくれていた。だが、二人が成人の儀を前に最後まで結ばれたと知れば、おそらく二人が伴侶となることをけっして認めないと言い出すだろう。
最近、やっと態度が軟化し始めている気がするのに、ここで雰囲気に流されてしまうことは間違いなく悪手となる。
それに、おそらく姉の王藍洙も良い顔はしない筈だ。せっかく味方をしてくれているのに、王藍洙を裏切る真似はしたくなかった。
「暁暁……」
鄭貫明は、王暁の意をすぐに理解してくれたようだ。「すまん」と勢い良くそのまま頭を下げてきた。
「俺が先走りすぎた。強引に迫る気はなかったんだが、ついお前が可愛くて……その」
そう言って口籠る鄭貫明に、王暁は「ふふふっ」とおかしそうに笑った。
「嫌だった訳じゃないし、怒ってもいないよ。少し驚いたのは事実だけど……」
鄭貫明が積極的にこんな風に迫ってくるなんて、ある意味貴重な体験だ。どちらかと言うと、中々手を出されずにやきもきする方だとばかり思っていたので、かなり意外だった。
「……成人前のお前に手を出したら、お父上に間違いなく俺は殺されていただろうな」
「ははっ。大袈裟だなぁ。でも、確かに貫明のこと、父様なら思いっ切り殴るくらいはやるかもしれないね」
王暁が声に出して笑うと、鄭貫明もまた微笑んだ。
――もう一度抱きしめ合う二人を見ていたのは、空に輝く月だけだった。
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