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第一章 出会い編
第三話 悪いひとではない②
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「まだ諦めないのか……?」
衣類を整えた後、暖かいお茶を用意しているとふとフリードリヒ様がそう言った。
どこか疲れた、というか元気のない声に僕は手を止めて振り返る。
ずっとどこか不遜な態度だった彼らしからぬ声のトーンに、少し驚いた。見れば、表情もどことなく落ち込んだ様に見える。僕やその辺の男がすると、鬱陶しいと言われそうな暗い顔も、フリードリヒ様がするとどこか色気があって、僕の胸はどきりと高鳴った。
「……諦めるとかではなくて……」
僕がそう返すと、フリードリヒ様はゆるりと首を左右に振りながら、手で僕の話を制した。そのまま大きくため息を吐き、頭を抱えるように俯く姿に僕は首を傾げるが、フリードリヒ様は「いいんだ」と続けた。
「フリードリヒ様?」
何が良いんだろうか? と、じっとフリードリヒ様を見つめる。最近はいつも、終わった後は僕に話しかけることなく部屋を後にするのに……。
「もう、良い。全部分かってる。というより、最初からきっとそういうことなのだろうとは分かっていた。そこまで俺も愚かではない。いや、愚かでなければ執拗に諦めずに来ないか……はは」
僕は、思わず驚きで目を瞬いていた。苦い、とはつくものの、嘲笑や侮蔑、意趣返しといった意味以外での笑みを僕の前で初めてフリードリヒ様が浮かべたからだ。ずっと不機嫌で、機嫌の良い所なんか見たことが無かったし、ボキャブラリー皆無の僕がフリードリヒ様を笑わせられるわけもない。
だけど、笑みは笑みでも、どこか悲しそうなその笑みを見るのは辛い。明らかに、己自身を蔑む様なその姿は、普段と違いその辺りに居るような青年に見える。そういえば、と僕はフリードリヒ様の年齢について思いだした。
フリードリヒ様は、まだ二十代の青年だ。貫禄があるから、僕と変わらないか、少し上の様な感覚がずっとあったけれど、確か、二十七歳で……僕よりも年下なのだ。
「あの……フリードリヒ様は、愚かではないと思います……っ」
「……いや、気を使わなくて良いんだ。お前はいつも……俺を気遣う。気遣いすぎる。仕事とはいえ、お前の人格を傷つけようとしている俺にそこまで尽くす必要はないんだ」
気を使ったつもりはないのに、フリードリヒ様はそう言った。どこか苦悩する様な声からは、僕に対して何か怒っているとかそういった嫌な感じは一切しないが、どうやら僕の言動はあくまで仕事上のお世辞だと取ったのだろうというのは分かる。
ただ、僕は気は弱いし優柔不断ではあるけれど、お世辞を言うことは殆どない。自分がお世辞を言われるのが苦手なのもあるし、下手なお世辞は相手を逆上させることを知っている。確かに、僕がフリードリヒ様に接客するきっかけはイシュトさんからの命令だったけれど、フリードリヒ様に抱いている好意は、誰かに強制されたものではない。
「いえ、本当に違うんです!」
僕は滅多にあげない大声をあげた。
「その……確かに、僕が貴方についたのは命令を受けたからです。それは間違いありません」
正直この娼館で働く人間として、いくら最初から相手にバレていたとしても、ネタ晴らしになるような事情を話してしまうのは駄目なことだろう。イシュトさんから頼まれているのに、フリードリヒ様を騙していたと認めるなんて、正直、解雇されてもおかしくはない話だ。
解雇されてしまえば、僕は行き場を失う。
いくら差別がないとはいえ、優遇されるわけでもない。今みたいに条件の良い職場があるかも分からない。
けれど、僕の解雇よりも、フリードリヒ様の落ち込んだところを見る方が僕には辛かった。
フリードリヒ様は僕の大声に驚いた様子で、ぽかんと口を開けている。どこか、あどけないその表情を見て、僕は少しだけほっとした。少なくとも、悲しさよりは驚きの方が今は勝っているように見える。
「騙してしまってごめんなさい。でも、僕は別に言われたから仕方なく、ずっと貴方についていたわけではありません。厳しいことを言われたりして、傷ついたのは本当ですけど……、ただそれは意にそわないことをしているこちらに非が最初にあることです」
難癖をつけられているのとは、明らかに違う。
フリードリヒ様は別にシェルくんに、危害を加えようとしたわけではない。僕を宛がって変なことをさせるのではなく、真正面から断るべきだったのだ。
勿論、色々と事情はあるんだろう。でも、正直不誠実だなと僕は思う。
「貴方が言う通り、僕はたとえ貴方に嫌悪感を抱いたとしても、僕は同じことをできていたでしょう。それも間違いありません。友達と一笑に生き残るために必要なら、今の僕はなんでもできますから。ただ、僕はフリードリヒ様のことを一目見て、素敵な方だなと思いましたし、その……口でするのも、僕は嫌ではありませんでした」
それに、僕はやはりどうしてもフリードリヒ様のことを悪い人だとは思えない。確かに僕には酷い態度だったが、それだけどうしても手に入れたいものがあったということなんだろうし、そもそも他の人からの話を聞く限り、クリフォトの民からは慕われているのだ。この方は。
文武両道で、容姿端麗。色ごとにはややだらしないとはいえ、そのだらしない部分も仕方ないなと受け入れられていたと聞いている。
この口ぶりからすると、僕へのきつい態度も演技だったのかもしれない。
俺様な性格は嘘ではないんだろうけど……、こんな風に落ち込んでるのを見ると何か少し可哀想かだった。
「僕は貴方の事情についてはよく知りませんが、誰かのことを好きで好きで仕方ないという気持ちは分かるつもりです。僕もこの世界に来る前に、大好きだった人から振られたから」
ナオヤ先輩とのことはすでに遠い過去のことだけど、振られた当時の絶望はとてつもないものだった。何せ、ホームから飛び降りて命を絶とうとしたんだから。
こっちの世界に来てから必死だったのが、ナオヤ先輩を考えなくてもすんだ大きな理由だと思う。
「っ……トーマ」
僕の話が思いもよらなかったのか、一瞬言葉を詰まらせたフリードリヒ様は、何か言おうとして悩んだ末に僕の名前を小さな声で呼んだ。多分、慰めようとして上手く言葉が出てこなかったんだろう。
衣類を整えた後、暖かいお茶を用意しているとふとフリードリヒ様がそう言った。
どこか疲れた、というか元気のない声に僕は手を止めて振り返る。
ずっとどこか不遜な態度だった彼らしからぬ声のトーンに、少し驚いた。見れば、表情もどことなく落ち込んだ様に見える。僕やその辺の男がすると、鬱陶しいと言われそうな暗い顔も、フリードリヒ様がするとどこか色気があって、僕の胸はどきりと高鳴った。
「……諦めるとかではなくて……」
僕がそう返すと、フリードリヒ様はゆるりと首を左右に振りながら、手で僕の話を制した。そのまま大きくため息を吐き、頭を抱えるように俯く姿に僕は首を傾げるが、フリードリヒ様は「いいんだ」と続けた。
「フリードリヒ様?」
何が良いんだろうか? と、じっとフリードリヒ様を見つめる。最近はいつも、終わった後は僕に話しかけることなく部屋を後にするのに……。
「もう、良い。全部分かってる。というより、最初からきっとそういうことなのだろうとは分かっていた。そこまで俺も愚かではない。いや、愚かでなければ執拗に諦めずに来ないか……はは」
僕は、思わず驚きで目を瞬いていた。苦い、とはつくものの、嘲笑や侮蔑、意趣返しといった意味以外での笑みを僕の前で初めてフリードリヒ様が浮かべたからだ。ずっと不機嫌で、機嫌の良い所なんか見たことが無かったし、ボキャブラリー皆無の僕がフリードリヒ様を笑わせられるわけもない。
だけど、笑みは笑みでも、どこか悲しそうなその笑みを見るのは辛い。明らかに、己自身を蔑む様なその姿は、普段と違いその辺りに居るような青年に見える。そういえば、と僕はフリードリヒ様の年齢について思いだした。
フリードリヒ様は、まだ二十代の青年だ。貫禄があるから、僕と変わらないか、少し上の様な感覚がずっとあったけれど、確か、二十七歳で……僕よりも年下なのだ。
「あの……フリードリヒ様は、愚かではないと思います……っ」
「……いや、気を使わなくて良いんだ。お前はいつも……俺を気遣う。気遣いすぎる。仕事とはいえ、お前の人格を傷つけようとしている俺にそこまで尽くす必要はないんだ」
気を使ったつもりはないのに、フリードリヒ様はそう言った。どこか苦悩する様な声からは、僕に対して何か怒っているとかそういった嫌な感じは一切しないが、どうやら僕の言動はあくまで仕事上のお世辞だと取ったのだろうというのは分かる。
ただ、僕は気は弱いし優柔不断ではあるけれど、お世辞を言うことは殆どない。自分がお世辞を言われるのが苦手なのもあるし、下手なお世辞は相手を逆上させることを知っている。確かに、僕がフリードリヒ様に接客するきっかけはイシュトさんからの命令だったけれど、フリードリヒ様に抱いている好意は、誰かに強制されたものではない。
「いえ、本当に違うんです!」
僕は滅多にあげない大声をあげた。
「その……確かに、僕が貴方についたのは命令を受けたからです。それは間違いありません」
正直この娼館で働く人間として、いくら最初から相手にバレていたとしても、ネタ晴らしになるような事情を話してしまうのは駄目なことだろう。イシュトさんから頼まれているのに、フリードリヒ様を騙していたと認めるなんて、正直、解雇されてもおかしくはない話だ。
解雇されてしまえば、僕は行き場を失う。
いくら差別がないとはいえ、優遇されるわけでもない。今みたいに条件の良い職場があるかも分からない。
けれど、僕の解雇よりも、フリードリヒ様の落ち込んだところを見る方が僕には辛かった。
フリードリヒ様は僕の大声に驚いた様子で、ぽかんと口を開けている。どこか、あどけないその表情を見て、僕は少しだけほっとした。少なくとも、悲しさよりは驚きの方が今は勝っているように見える。
「騙してしまってごめんなさい。でも、僕は別に言われたから仕方なく、ずっと貴方についていたわけではありません。厳しいことを言われたりして、傷ついたのは本当ですけど……、ただそれは意にそわないことをしているこちらに非が最初にあることです」
難癖をつけられているのとは、明らかに違う。
フリードリヒ様は別にシェルくんに、危害を加えようとしたわけではない。僕を宛がって変なことをさせるのではなく、真正面から断るべきだったのだ。
勿論、色々と事情はあるんだろう。でも、正直不誠実だなと僕は思う。
「貴方が言う通り、僕はたとえ貴方に嫌悪感を抱いたとしても、僕は同じことをできていたでしょう。それも間違いありません。友達と一笑に生き残るために必要なら、今の僕はなんでもできますから。ただ、僕はフリードリヒ様のことを一目見て、素敵な方だなと思いましたし、その……口でするのも、僕は嫌ではありませんでした」
それに、僕はやはりどうしてもフリードリヒ様のことを悪い人だとは思えない。確かに僕には酷い態度だったが、それだけどうしても手に入れたいものがあったということなんだろうし、そもそも他の人からの話を聞く限り、クリフォトの民からは慕われているのだ。この方は。
文武両道で、容姿端麗。色ごとにはややだらしないとはいえ、そのだらしない部分も仕方ないなと受け入れられていたと聞いている。
この口ぶりからすると、僕へのきつい態度も演技だったのかもしれない。
俺様な性格は嘘ではないんだろうけど……、こんな風に落ち込んでるのを見ると何か少し可哀想かだった。
「僕は貴方の事情についてはよく知りませんが、誰かのことを好きで好きで仕方ないという気持ちは分かるつもりです。僕もこの世界に来る前に、大好きだった人から振られたから」
ナオヤ先輩とのことはすでに遠い過去のことだけど、振られた当時の絶望はとてつもないものだった。何せ、ホームから飛び降りて命を絶とうとしたんだから。
こっちの世界に来てから必死だったのが、ナオヤ先輩を考えなくてもすんだ大きな理由だと思う。
「っ……トーマ」
僕の話が思いもよらなかったのか、一瞬言葉を詰まらせたフリードリヒ様は、何か言おうとして悩んだ末に僕の名前を小さな声で呼んだ。多分、慰めようとして上手く言葉が出てこなかったんだろう。
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