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はじまりは、あの日

3.彼の正体

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「あ!田浦くんお帰り!社員証あった?」

店舗に着くなり、登島(としま)支店長が声をかけてくれた。

「無事、回収できました!それより、支店長こんな時間まで待たせてしまい、すみません。」

時計はもうすぐ23時を指す頃になり、勤務時間は、とうに過ぎていた。
待ち時間を潰すために見ていただろうバラエティ番組ももう終わりに差し掛かっていた。

「気にしないで。ここの戸締りがあったし。それよりも川奈さんと鉢合わせしなかった?」

支店長に心配そうに聞かれ、自分の醜態を思い出し自己嫌悪する。

「…えっと、すごく遠い目をしてるってことら鉢合わせちゃったんだね。規約違反だ!って怒ってなかった?」

「驚いてましたが、怒っては…なかったと思います。…多分。」

あの、"おあいこ"は怒りからの行動というより、マウントを取るためだった気がする。

「怒ってないなら良かったよ。前にね、ハウスキーパーが依頼時間を間違えてしまって、依頼者と鉢合わせして大変お怒りのクレームが入ったことがあったからさ。『プライバシーに配慮してくれる、ラグジュアリーコースなのに、なんで在宅の時間に来るんだ!』って。まぁ、その依頼者が不倫相手を連れ込んでたタイミングだったから、まぁ修羅場だったよ。」

きっと当時対応した時のことを思い出しているのか、眉間に皺が寄せ難しい顔をしながら言う。
不倫現場の目撃でクレームが入るなら、今日の俺の失敗は確実にクレームものだろう。
なんたって、ソロプレイなんて、絶対に人に見られたくない状況だろうし。

「守秘義務やプライバシーを守ってくれないなら、依頼者にとっては追加料金払ってラグジュアリーコースにする意味ないですもんね。もしかしたら、川奈さんからもクレーム入るかもしれないです。迷惑かけてすみません。」支店長に頭を下げると

「クレーム入った時は、その時は僕が対応するから大丈夫。そのための現場管理者だからね。ただ、ラグジュアリーコースの依頼者は、うちを信頼して合鍵を預けてくれてるから、こういう失敗は依頼者との関係を崩しかねないから、次からは気をつけるんだよ。」

と優しく諭す様に言い肩を叩かれる。
この人が社員やパートさんから、好かれているのは、頭ごなしに叱責するんじゃなくて、二度目のチャンスをきちんとくれるからだろう。

「本当にすみません。っあ、社員証のネームホルダーの金具の替えってありますか?緩んでしまって、また依頼人の家に落としたりしたら大変なんで。」

俺はホルダー部分が切れてしまった社員証を支店長に見せる。

「うん。あるよ。準備するから、田浦くんは貴重品ケースから自分の携帯取っていってね。あと、川奈さんの家の鍵はキーボックスにしまっておいて。」

「わかりました。」

支店長の指示に返事をし、俺は職場の壁に埋め込まれている貴重品ケースに社員証をかざす。
この仕組みさえなければ、今日あんなことにはならなかったのに。
と会社のシステムを少し呪った。

だいたい、『これで、おあいこだね』って何だよと心の中で悪態をついていると、ふと、脳裏にあの時の顔がよぎって、胸がヒュッと締め付けられた。

咄嗟に自分の顔を両手で勢いよくパンッと挟み、気のせいだと言い聞かせて頭から、その残像を追い払う。

「えっと、田浦くん、ほっぺ大丈夫?金具あったよ。」

心配そうに言う支店長から、替えの金具を受け取る。
多分、頬が赤くなっているんだろうと思う。多少ヒリヒリするし。

「気合い入れてただけなんで。大丈夫です。…あ、」

支店長の肩越しに見えるテレビは、バラエティが終わり報道番組に変わっていて、そこには今一番見たくない顔が写っていた。

「T市市長特集なんて、今はタイミング悪いね。」と支店長が言う。

T市長 川奈かわな 真斗まさと (32歳)のテロップとともに、大胆な政策を実行する若いリーダーと紹介されていた。

「市長なんだ。」とポツリと言うと

「田浦くん、もしかして知らなかった?最近、よくテレビで取り上げられてるよ。若いのに、すごいよね。」と支店長がしみじみ言う。

テレビの中の彼は、俺に仕返ししているときの表情や仕草の片鱗もなく、タイトなスーツを身に纏い整えられたセンター分けの黒髪に爽やかな笑顔が似合う大人の男性で、俺とは生きる世界が違う人だと感じた。
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