捨て駒のはずが、なぜか王子から寵愛されてます

きど

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11.終わりの幕開け

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 シィンの指示で新しく湯が運ばれ、それを持ってきた女官と共にそれまで部屋にいたほとんどの女官も下がる。
 部屋には数人だけになったところで、白羽はようやくホッと息をついた。
 侍女のサンファに手を引かれ、壁際の椅子に腰を下ろす。面紗越しに見える視界の中では、王太子であるシィンと、白羽の新しい騎士であるレイゾンとが茶を飲んでいる。
 良い香りだ。茶葉の質がいいせいもあるのだろうが(そしてそれはおそらくシィンの好みであり、指示だ。彼がのんびりと茶を飲むことが好きで、それ故、城を訪れた客にも質の良い茶を出すことは知られている。疎い白羽ですらそれを知っているぐらいに)、茶を淹れた少年の腕も確かなのだろう。レイゾンの従者らしき少年は、ハキハキとした声が気持ちのいい、賢そうな面差しだった。
 年は……よくわからないがサンファと同じぐらいか少し下ぐらいだろう。サンファの本当の歳はわからないが、見た感じはそんなところだ。
 
 そして当のレイゾンはといえば、王太子であるシィンを前にしているからか、少し緊張の面持ちのようだ。だが、初めて見た時の彼は、先ほど隣室にいた時、サンファが言っていた言葉に納得できるような印象だった。男っぽいというか骨っぽいというか、厳ついというか野生的というか……。
 今まで会った事のないタイプ。

 いや、「今まで」と言うと少し違う。
 
 城にやってくる前——当時の王太子だったティエンに求められて入城する以前、踊り子だった頃に出会った数人の男たちと似た雰囲気だと言えるだろう。
 荒々しい、野蛮で強引な男たち。昔の話だ。だが、遡れば記憶の中にある男たち。幾許かの金と引き換えに、白羽が「売り物」として時間を共にした男たちだ。
 城に来てからは会うこともなかった類の男。
 ただ、そうしたむくつけき男たちと城の男たちのどちらが”まし”かと問われれば、答えに窮するのだが……。

 いずれにせよ、当然ながら、前王であるティエンとはまるで違うタイプだ。
 
(あの方の元へ行くのか……私は……)

 考えると、全身が微かに震えるようだ。白羽は膝の上で組んでいる指に静かに力を込める。

 恐怖——とは違う……と思う。
 確かに怖そうな雰囲気だけれど、それは大きな身体や傷のある顔のせいで、決して乱暴なわけではないだろう。そんな方ではない思う。でなければ、あの賢そうな従者が仕えてはいないだろうから。

 ただ……。

 ただ——あの目が。
 あの視線が。

(っ……)

 思い出すと体温が上がるようだ。胸の奥がざわざわする。
 怖いわけじゃない。不快なわけでもない。多分。なのにざわざわゾクゾクするのが止まない。落ち着かなくなるのだ。思い出すだけで。
 
 あんなに——あんな風に、まるで射抜かれたようにも感じるほどの強い視線で見られたことはなかったから。

 物心着いた時から、欲まみれの目を向けられたことなら数えきれないほどあった。昔はそうやって生きてきたからやむを得ないとしてもだ。
 そして入城してからは、好奇の目で見られていた。
 蔑むように見られたことも一度や二度ではなかった。
 王太子に媚びて取り入り、城に入り込んだ踊り子だと思われていた時はもちろん、その後、騏驥に変わってからも、周囲からの目は優しいものではなかったし、普通の騏驥に対するものでもなかった。
 他でもない、ティエンが、白羽を騏驥として扱わなかったからだ。
 白羽を五変騎の一頭と認めながら、特別な白い騏驥だと知りながら、彼は決して白羽に乗ろうとはしなかったから。

 ティエン存命中も死後も、白羽は城内の異物——腫物のようなものだった。白羽に対して変わらず親切だったのは、今こうして白羽の支度を整えてくれた上、城を出る見届け人となってくれるという、シィンだけだった。

『彼は私に最も似ていて最も似ていないのだよ』

 ティエンが折に触れて語っていたことを思い出す。
 生涯誰とも婚姻を結ばず、一人として子供を残さなかったティエンと異なり、早くに結婚していた彼の末弟には、白羽が城に入ったときには既に子がいた。それがシィンだった。
 当時の彼は、”王太子の数人いる弟妹のうちの末弟の子供”という、ごくごく気楽な立場だったからか、幼少時はかなり自由に過ごしていたようだった。本人が明るく屈託なく、また好奇心旺盛な性格だったこともあるのだろう。
 緩くとはいえ、ティエンが結界を張っていたはずの、普段は誰もが近寄ろうともしない白羽の住む離房に、彼はひょっこりとやってきたのだった。
 驚く白羽に、幼かった彼もまた一瞬だけ驚いた顔を見せ、しかし直後「おしろのおにわであそんでいたら、まいごになってしまいました」と微苦笑を見せて。

 その後、白羽がどういう立場の者か、誰からか聞いたのだろう。来なくなるかと思えば逆で、彼はしばしば白羽の元を訪れてくれた。話し相手になってくれるように。ティエン以外に頼るもののいない自分を慰めてくれるように。それは、白羽が騏驥になってからも変わらなかった。
 そして訪れたときは、伯父であるティエンへの礼を欠かさぬように、白羽にも必ず丁寧に振る舞ってくれた。活発でありながら礼儀正しい子だった。そうしたところをティエンもきっと可愛がっていたのだと思う。
 数人いる甥や姪の中でもとりわけ気にかけていたようだし、普段は白羽には誰も近寄らせようとしなかったのに、シィンだけは許していた。
 
 だが、彼がシィンを特別に扱っていたのはそれだけが理由ではなかった。

『彼は私に最も似ていて最も似ていないのだよ』

 ティエンのその言葉を白羽が本当に理解したのは、白羽が騏驥になってからだった。
 
 その後——。
 身体の弱かったティエンは即位間も無くこの世を去り、白羽が喪に服している間に時勢は大きく変わった。
 変わらなかったのは……。

 白羽はレイゾンと話しているシィンを見る。
 ティエン亡き後は、シィンの立場も変わり白羽が籠る別宮を訪れることも少なくなった。けれどそれは白羽を疎ましく思ってのことではなく、主を亡くした騏驥の立場を慮ってくれたからなのだろう。彼は騏驥に対してとても誠実な騎士だ。
 折に触れて様子を見にきてくれていた。会うのは短い時間で、それまでとは違い、いつも御簾か几帳越しだったけれど、それでもティエンとの思い出を共有し、彼が可愛がっていたシィンと話せるのは安らげる時間だった。
 
 そして今。彼が白羽のために用意してくれたのは、もったいないほどに美しい衣。これほど立派な支度をしてもらえるとは思ってもいなかった。真珠、水晶、白翡翠に月長石といった髪を彩る数々の髪飾りは、元は白羽がティエンから贈られたものとはいえ、全て城へ置いていこうと思っていたものたちだ。それをシィンはわざわざ……。

(私などにこれほどまでに気をかけてくださるとは……)

 しかしそんな風にいつでも自分に親身になってくれた恩ある騎士を見ていても、いつしか視線はふと、もう一人の騎士に向いてしまう。

 椅子が小さく見えるような大きな身体。野生的な面差しを一層怖く思わせるかのような頰の傷。節くれだった大きな手。太い首。低い、少しざらついた声……。
 
 興味から、だろうか?
 今まで出会った事のない騎士の方だから?
 この城では見ない雰囲気の方だから?
 ティエンともシィンともあまりに違う方だから?

 ならばいい。そんなふうに誰かに興味を持ったことなどなかったけれど……。それでも、そうして理由がはっきりとしているなら。
 でも……本当にそうだろうか。
 もしそうでないなら。
 なら、このざわめくような気持ちはいったいどこからやってくるのか。
 見られると竦んでしまうのに、一方でもっと彼を見ていたいような……。

(彼は、私を自分の騏驥とすることを嫌がってるのに……)
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