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第二章 戦
電話
しおりを挟む印鑑、印鑑。
シャチ、シャチ。
げげっ。少し曲がった。
むう、気に食わんなぁ。
まぁいいか。
さてこれで報告書も、割当て分の店内検査も終わり。
私の事務仕事終わり!
外回りにでも出ようかしら。
今からアポ取れる所はっと。
首をコキコキ鳴らして凝りをほぐしていると、隣のデスクの島から同期の瑞江さんの声がかかった。
「青木ちゃん電話だよ。保留2番ね。」
「ありがと。誰から?」
「菊地さんって女性の方。」
はて、誰だろう。
菊地さんって名前に一瞬ドキッとしたけど、女ねぇ。
妹さん?
妹さんなら、携帯番号知ってるし、メールやSNSのアドレスも教えたから、そっちでやり取りしてるから違うはず。
はてはて、取引先に菊地さんっていたかしら。
頭の中で名刺ファイルをダダダダっと検索しながら受話器を取って保留2のボタンを押した。
「お電話変わりました。青木と申します。」
『はろはろン。』
その声を聞いた途端に、私の腰から力が抜けて、同時に一気に緊張感が増した。
「……その声は、キクヱさんですか?」
『そうです。あたしあたし、あたしあたし詐欺。』
「……貴女ってそんな剽軽な方でしたっけ?」
佐原での事を思い出すと、そんな人だったかもしれない。
鹿島神宮で逢った時は、なんだか神々しく見えた筈だけど、あれは何かの間違いだったに違いない。うんうん。きっとそうだ。
『菊地さんに神の使徒と会っている緊張感が皆無なので、あの人のお嫁さんには何故か気安くなっちゃうのよね。』
「……あの人のせいか。」
『という訳で、その日が来たから。』
「ちょっ、ちょっと?」
『菊地さんから聞いていたでしょ。玉ちゃんはもう動き出しているよ。』
「…その菊地さんは?」
『あの人もあの人でやらなきゃならない事あるから。』
「…もっと普通の人、口説けば良かった…。」
『あの人でなきゃ、貴女結婚とか全く考えない人生を送ったと思う。処女のまんま。あれだけ煽ったのに、結局まだなんでしょ。』
「ぐさっ。」
オノマトペを平気で口にするのは、紛れもなく玉ちゃんの影響ね。
『せっかく固定電話にかけて、貴女の周りの人に緊急性をアピールしているんだから、さっさといらっしゃい。理由はトイレの中座から早退までご自由に。後はこっちでなんとかしてあげる。』
「なんとかって…まぁどうとでも出来る人かぁ。」
ちょっと考える。
私のその日は、多分あの日だ。
私が今日の私で居られる為の、私にとって転機となった大切な日だ。
私がそれならば、玉ちゃんにも厳しい試練が訪れているのかな。
だったら。
最後は、私はあの人と試練を乗り越えた玉ちゃんと一緒に今日笑いたい。
一緒に泣きたい。
そして改めてプロポーズしたい。
玉ちゃんと違って、私はなぁなぁで結婚を許して貰った感じがある。
戸籍上、きちんと配偶者にしてもらえる私がだ。
そんな中途半端が一番嫌いなのが私じゃないか。
「わかった。折り返し携帯に連絡するから…
『私なら貴女のそこらにいるわよ。姿を消しているだけ。』
「………。」
そうだった。
この人、当たりが柔らかいから勘違いしがちだけど、人間じゃなかった。
大体、携帯電話とか持っているのかしら。
私は溜息混じりに、そっと電話を置いた。
「男絡み?」
「うわっ」
いつの間にか瑞江さんが後ろにいた。
コソコソ話しかけられると、なんか悪いことしてるみたいじゃん。
「まぁ、一応。なのかなぁ。」
「それはめでたい。青木ちゃんに浮いた話一つなかったから、同期みんな心配してたんだよ。付き合ってからどのくらい経つの?」
「……トータルで言うなら高3から4年?」
「だったら逃がすなよ。青木ちゃんの一番いい時代一緒に居たんなら、その男に必ず責任取らせろ。」
「…瑞江、何かあったの?」
「内緒。」
OL同士の内緒話なんか、大抵恋愛絡みだ。
そういえば、私はその手の話には参加してなかったなぁ。
あと、トータルで4年でも実生活じゃ半年だし、隣に住んで通い妻始めて3か月だ。
…通い妻と言っても、ご飯とお風呂を頂きに行くだけなんだけど。
私も大概じゃないか。
「外回り行って来ます。直帰になるかもしれません。」
スダレハゲの課長が、視線をPCのモニターから外さないまま答えて来た。
「ノーリターンの時は、ライ◯しとけよ。預かり物はないか?」
「大丈夫です。今日の書類はサーバーと書類ケースにまとめてあります。」
「うん、ご苦労さん。」
ここら辺は、さっさと今季のノルマを消化して更に上積みしようとしていたら、来季に回してくれ、とスダレハゲに頼まれた私の営業成績のおかげだ。
最低限の仕事さえしておけば、今は割とどうとでもなる。
「じゃね。」
「じゃね。」
瑞江さんとハイタッチをして、ロッカールームに消えて行く私。
そして、鍵が掛かっている筈のロッカールームで、ス◯バのカップを抱えているキクヱさんが待っていた。
私は頭を抱えた。
「人間の飲み物も美味しいですね。」
「何処から持って来たんですか?」
「菊地さんに貰いました。」
あの人はもう。あの人はもう。
誰彼となく餌付けするんじゃないわよ。
…私もあの日餌付けされたんだけどさ。
★ ★ ★
まぁまぁ。
何はともあれ、私も頑張ろう。
その為に、この為に、私は''2年間“頑張って来たんだから。
営業職は内勤と違って、制服を着る必要が無いのは楽だ。
勿論、デスクで事務処理する時や、社内で来客の応対をする時など、制服でいる方が楽だったり便利だったりするので、支給はされている。
今日も朝の段階では外出のつもりは無かったので、OLさんが着る様な白とブルーの制服だった。
なので着替えないと。
「良いわね。制服もおしゃれじゃない。私なんか大体巫女装束ばかりだしなぁ。」
本人の言う通り、キクヱさんは今日も朱袴に白の上着、そして膝下まである白い襦袢の様な防寒着姿だ。
「玉ちゃんやお母さんを見て思いますけど、和服や巫女姿って清潔感があって素敵ですよ。」
「でも玉ちゃんは時々、可愛いコートを着ているじゃない。貴女のコートも凛々しくて素敵だし。」
「こ、これは、その。あの人のお気に入りなんです。」
「割とマニアックよね。菊地さん。」
「そうかな?」
玉ちゃんは着せ替え人形にしている節はあるけど、玉ちゃんは小さくて可愛いから私も買ってあげたくなるもん。
たまに買い物を頼まれるともう、楽しくてしょうがない。
いつだったかな。
玉ちゃんにお化粧セットをあの人に頼まれて選んだ時は、女の私から見ても可愛かったもんね。
「菊地さんて、私からすると、怖いのよ。」
ブラウスを脱いでブラ1枚寒い寒いしている私に、あまり聞かないあの人の人物評が聞こえてくる。
「そうですかね?玉ちゃんはあの人を優しさの塊って言ってますよ。私もあの人が声を荒げた所を見た事ありません。」
「あの人はね。私達の様な存在から見ても深すぎるの。得体が知れなさ過ぎるの。荼枳尼天や武甕槌と言った祟り神や戦神と平気で軽口を叩き合える人間なんて、ウン百年生きてる私達にはあり得ないのよ。」
そんなものなのかしらね。
私達は、あの人に甘え過ぎって言われても仕方ないかな。
「そして玉ちゃんは健気過ぎる。あんな娘が近くに居たら、猫っ可愛がりしちゃうわ。」
「…同感。」
玉ちゃんはとにかく一生懸命な娘だ。
あの人が大好きで、お母さんが大好きで。たぬちゃんやぽんちゃん、モルちゃん達が大好きで。だからみんな玉ちゃんが大好きだ。
色々な事情から玉ちゃんに微妙過ぎる扱いをしているあの人も、玉ちゃんをもの凄く大事にしている。
あまりにあっけらかんと大切にし合っている2人なので、私は嫉妬すら出来なかった。
「それに比べて貴女は良いわね。私がタメ口と軽口を叩いちゃうわ。」
「……神様の遣いであるキクヱさんに、そう言う評価してもらえるって誇りに思っていいんですかね。」
私はだって普通の女だもん。
あの人みたいに神様と気軽にお話しなんか出来ないし。
玉ちゃんみたいに、動物達と意思の交流も出来ない。
あくまでも、普通の女。
「貴女の何処が普通なのよ。」
「………普通じゃ無い自覚無いんですけど。」
「菊地さんが言ってたよ。貴女はとにかくよくわからないスキルを非常に高いレベルで身につけているって。」
「…それは、一応。私も人並みの努力はしましたから。」
「その努力も才能ですよ。人には無い、ね。」
……それこそ自覚無いなぁ。
大体、努力の才能って聞くけど、本人が怠け者かどうかしか無いじゃん?
「貴女はね。玉ちゃんもそうだけど、菊地さんに逢うべくして、貴女達が祠という異空間に閉じ籠められたの。だからこそ、時代が違っても、住む場所が違っても貴女達は菊地さんに逢えた。それは、それだけであり得ない不思議な事。普通の女にはあり得ない事。」
その「不思議」には感謝している。
半ば男性恐怖症の私が誰かを好きになれたって、今でも信じられないもん。
「貴女は祠であの人に逢えた。その事によってね、浅葱の力が発露したの。だから頑張れば頑張った分、努力したら努力した分、貴女の力となった。浅葱の力という不思議なものの種を植え付けられたのね。
「確かに貴女は、菊地さんの様にコンコンチキな力は使えないけど、それは浅葱の血が薄いだけ。でも薄くても、貴女は自分を、そして家族を、貴女の大切な人達を幸せにするには充分な力を持っている。
「今日、これから。貴女がしなければならない試練は、貴女の身に覚えがある筈。」
私は頷くしか無い。
それは''2年前に''私自身が体験した事だから。
「だから、私は貴女に力を授けます。玉ちゃんと違って、貴女が1人である理由もわかっているよね?」
頷く。
うん。私が乗り越えないとならない試練だ。
「貴女の大切なご家族。菊地さんと、しずさん。そして私の主神たる武甕槌の力です。良いですか?貴女が。貴方達が持つ一番の力は縁(えにし)です。その言葉を大切に。その言葉を信じて、貴女は進みなさい。これを授けます。」
そう言ってキクヱさんが私に渡してくれたもの。
それは、一本の糸と、白く光る鉄片だった。
私はこれが何なのか知っている。
私はこれを誰が作ってくれたかも知っている。
ならば、私はその期待に応えるだけだ。
「行きますよ。治承4年に。」
「はい!」
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