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第二章 戦
その日が来た
しおりを挟む時計を見ると、午前11時を少し回ったあたりだった。
「少し根を詰め過ぎたかな?」
目の疲れを自覚して、思わず瞼の上から指で押さえる。
台所のテーブルを離れて少し伸びもする。
目薬は何処にしまったっけな。
あぁそうだ。
「冷たいのが気持ちいいですよぉ。」
って玉が冷蔵庫のポケットに置いていたか。どれどれ。
読書好きの玉に、疲れ目を自覚したとか相談されたので、薬店に目薬を買いに行ったことがある。
200円くらいの一番安いのを籠に入れようとするので、いつもの如く上の棚から2,000円程度する目薬を素早く落とす。
「殿、これ高い奴!」
「玉は目医者にかかれない(保険証がない)から、このくらいの薬を買いなさい。本当に目が悪くなってメガネをかけたら、この20倍はお金がかかるよ。」
「むう。それを言われると何も言い返せないです。」
20倍と言うのも適当だけど、一番安い198円の目薬と、普通のメガネでも数万するものがあるからなぁ。
まぁまるっきり嘘ではない。
似合わないからと玉にかけるのを禁止された僕の色眼鏡(サングラス)は980円だけどね。
多分今メガネを作らなければならなくなったら、5,000円のお得セットで作るだろうけど。
という訳で、2,000円のよく冷えた目薬を指す。うひゃぁ、声が出かかるくらい気持ちいい。
市川市の公務員試験を明後日に控えて、僕は最後の追込みをしていた。
ここで詰め込んだ事が、不思議とこれまでの試験に出ていたことが多い。
センター試験も、社会人になってからのOJTによる資格試験も。
しかしまぁ、勉強なんてものとは、ここ2年ばかりは縁を切っていたし、久しぶりに頭を使うと疲れるや。
改めて時計をみると、お昼が近いな。
それに、
「うひひ。新しい献立に挑戦中なのです!」
って玉が何やら企んでいたから、あまりお腹を膨らますわけにもいかないし。
うひひってなんだよ、うひひって。
って事で、シルバーのパッケージにinってデッカく書いてあるお馴染みのゼリーを冷蔵庫から取り出して口に咥えた時。
呼び鈴がなった。
今日は平日だから、菅原さんは仕事だし、玉目当てのご近所さんが来ても始末に困るな。
通販も使った覚えないし、それとも何かのセールスか?
よし、ここは一つ居留守をば、
「ぴんぽ~ん。」
「せっかく居留守を使おうと決心したのに、扉を透けて入って来ないで下さい。ちゅるちゅる。」
昔の玉も、そんな事してたなぁ。
でも、玉は直ぐにそんな事が''出来なくなった。''
アレは多分、僕の元に住み着くと確定したから、彼女の存在確率が上がったせいだと思っている。
けど、あんたはさぁ。
「ただでさえこの部屋には女性しか出入りしてないんだから、出来ればもっと非常識な登場をして欲しかったな。ちゅるちゅる。」
「扉をすり抜けてくるのが常識的だと仰る?あと何気今にすごい事言いましたね。」
「僕的にはお化けすら女なのかと、噂を立てられる方が困るので。」
ベッドで昼寝してたら、転移した玉が天井から降って来たり、起き抜けに青木さんに布団を剥がされたりしてるもん。
「貴方、この部屋の家主よね。一番偉い人よね。」
「大家さんに勝手に上がり込まれて、つまみ食いされてる家主だけどね。」
「そして来客があっても、何やら口に咥えたまんまだし。」
「ちゅるちゅる。」
勿論そんな事が出来る知り合いは、キクヱさんくらいしか居ない…居ない…。荼枳尼天と大口真神は見た目女性だな。
しまった。僕の周りには、そんな事が出来る人外が沢山居た。
「大丈夫よ。誰もいなかったから。大体普通の人に私の姿は見えません。だから扉を開けて入る方が怪しく見えちゃうでしょ。勝手に開いて閉まったら、それはそれでポルターガイストでしょ。」
「そうなの?」
玉も青木さんも、貴女の姿を認識していたけど?
「貴方との縁(えにし)がそれだけ深いって事。あと、必要に応じて私も姿を見せてるし。」
なるほど。
「それで、貴方は今1人なんですか?」
「玉なら、水晶の世界で掃除してるよ。」
最近玉は、浅葱屋敷の掃除と、布団や畳の陰干しをしたりと忙しい。
しずさんが家に上がらない分、毎日1人でコツコツと大掃除に頑張っている。
なんでも僕との結婚話が本格化して来たので、住処の一つとして手入れを始めたのそうだ。なんの話だ?
あとついでにレールと踏切やトンネルを買い足した◯ラレールで、一部屋がとんでもない事になってたり。
まぁ、ホビールームとすれば良いか。
読書と家事しかしない巫女さんてのも、枯れすぎだし。
玉には好きな事を好きなだけ楽しんで欲しいな。
だから、嫁に来る(笑)のは良いけど(良いんだ、僕?)子供は当分先ね。
「先ずは此方をお納め下さい。」
キクヱさんは、己の巫女装束の袂から一枚の鉄板を取り出した。
「これは?」
「先日お預かり致しました木片から、武甕槌様のお力をお借りして作りました。」
「つまり?」
「貴方様のお考えの通りですよ。玉ちゃんのお力にして下さい。佳奈ちゃんには私が運びます。」
「…それは、玉を贔屓にし過ぎてないかな。」
「いいえ。」
キクヱさんは、僕に鉄板を差し出した右手を自分の胸にあてる。
「貴方と佳奈ちゃんと玉ちゃんでは、基本的に縁(えにし)が玉ちゃんの方が深くて強固です。毎日3食を共にして同衾しているわけですから、それは深くなりますよ。」
「そんなものですかねぇ。」
何かのゲームみたいに具体的な数値として現れないから、僕にはよくわからないや。
「それに、どうやって佳奈ちゃんの所まで行かれるんですか?」
「あぁそうか。」
僕は時間はトリガー片手に自由に移動出来るけど、距離は自分の足で移動しないとならない。
彼女を呼べば水晶に来れるけど。
「私からも伝えないとならない事がございますから。」
「そうですか。」
「きちんと佳奈ちゃんとも、縁(えにし)を紡いで下さったんですね。ですから私なら瞬時にお伺い出来る訳です。」
「まぁ、抱きしめてキスくらいだけどね。そこから先は、今後の展開次第だよ。」
「30を前にもう中折れ?お嫁さん達が楽しみにしてしてるのに。」
なんて事言いやがる。
「……幸いな事に、朝は親指と中指の間くらいには元気だよ。」
「まぁ!」
……せっかく真面目な話していたのに。
「間も無く物語が始まります。先ずは玉ちゃんが貴方の元へ飛んで来るでしょう。」
「今更ながら、一つ聞いて良いかな?」
「何なりと。」
「何故、今なんだ?」
僕の公務員試験は明後日だし、期末・年度末なんだから、会社員の青木さんも大変だろうに。
「簡単ですよ。これから始まる物語の主人公は玉佳奈ちゃんなんです。彼女達の力が貴方の元で培われて、主人公としての力をつけないと意味がなかったからですよ。」
「……僕の人生でもあるんだから、僕が主役になっててもいいだろうに。」
「貴方は人の世に生きるには強過ぎるんです。今回の物語も、貴方ならば簡単に解決できるでしょう。でも、それじゃ駄目なんです。
「彼女達は貴方の隣を歩きたくて、貴方の後ろでも無く、背中でも無く、貴方と手を繋いで貴方の横顔を見たくて、ずっと頑張って来たんです。貴方という最強の指導者の指導でね。」
「……僕は何もしてないぞ?」
妹にも言われた事がある。
僕は他人には冷たい人間だと、
「他人には、でしょ。貴方の中では、玉ちゃんも佳奈ちゃんもしずさんも、とっくに他人ではなく''家族''になっています。」
「…そんなものなのかねぇ。」
自覚は皆無だ。
「彼女達は酷いコンプレックスを抱えています。貴方の妻となり、貴方の子を産むには、彼女達が乗り越えないとならないものと、自分で決めています。貴方は彼女達を迎えてあげて下さい。私達は貴方様とそのご家族を、微力ながら応援し、細やかな加護を差し上げます。」
コンプレックスねぇ。
僕は気にしないけど、他人が決めた事だから、何も言わないでおこう。
それよりも。
「……荼枳尼天は、神の加護など無いと、言い切っていたけど?」
「はい。神様は何もしませんよ。良い事も悪い事も。良い事や悪い事を起こすのは人間だし、良い悪いを判断するのも人間です。神の加護は神の応援にしか過ぎません。でも、神の応援は人の心理に多大な影響を与えます。玉佳奈ちゃんは神を知っています。神に逢っています。だから自分に悪い事は起こらないと信じられます。それだけで人の心は前向きになります。人生を豊かに出来ます。
「ましてや玉佳奈ちゃんの旦那様は貴方です。神に好かれ動物に好かれる貴方様との縁(えにし)がある限り、あの2人は幸せを感じますよ。まさに良縁ですね。」
それだけ言うと、キクヱさんはにっこりと微笑んだ。
その笑顔が眩しかった。
なんだろうか。
仏像が浮かべるアルカイックスマイルを強烈に印象付けられる。
思わずもう一つ、質問してしまった。
「貴女は何者ですか?」
「ナイショですよ。女の正体を知ると大体ゲンナリしますよ。身に覚えがありませんか?」
「…ありました…」
これから結婚しようとやっと決心した男に、真理を言わないで欲しかったなぁ。
「では、私は佳奈ちゃんのところに行きますね。」
それだけ言うと、少し黙ってキクヱさんは僕の顔を見た。
「…家族、とまでは行かなくても良いから、私にも縁(えにし)を少し分けて下さいね。」
それだけ言うと、僕の身体に消えて行った。
僕と青木さんの縁(えにし)を辿って行くのだろう。
…なんか最後に爆弾を残して行った気もするけど、知らないぞ。
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