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第二章 戦
身長57メートル(体重は知らない)
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「と、殿!」
「殿様。」
「殿様よ。助かったわ。」
助かった?
サンスケさんを先頭に走って来た人々からは、殿、とか、助かった、とか。
口々に溢れる。僕らは無抵抗に囲まれる。
「わ、わ、わ、わ。」
「私、みんなとは初対面のはずなのにぃ。」
僕はまぁ。毎日動物達に揉みくちゃにされてるので、こんな事には慣れてます。
力を抜いて、適当に流されて。
あぁ多分、今の僕の顔って、無表情で平穏なんだろうなぁ。
とかなんとか見回してみると、みんな見覚えある人ばかりだな。
ん?少し老けたかな?
「殿、お久しゅうございます。あれより2年経ちました。」
「そうですか。」
「おかげ様で皆、息災にてございます。」
あの、一同様土下座するのは良いですけど、そこで腰抜かしているばば…お婆さんとおっさんはどなたですかね。
「土下座はいいんだ…。」
「だから青木さんは、僕の心を読まないの!」
と。
「うわわわ。」
「まただ!」
「た、助けて!助けて殿!」
サンスケさん達は、そのまま地に臥せて頭を抱え出した。
「地震?ですか。」
「ん。結構、大きいね。」
玉と青木さんは落ち着いて周囲を見回している。
とりあえず、被害らしい被害は見受けられない。
その通り、地面が揺れた。
震度3ってとこかな。
東日本大震災、いやその前の中越地震の頃からここ10年くらい、震度3~4、ヘタをすると震度5くらいまで体験している僕らには、割と慣れた大きさだ。
茨城南部震源の地震は数ヶ月に1度はあるし、年1回くらいはスマホがギュンギュン鳴るし。
玉でさえ、すっかり慣れてしまい
「火の始末です!」
と、かき揚げ用にスライサーで人参を千切りしていたのを素早くやめて、僕が作っているフランクフルトの天ぷらを素早く掠めたりする。これまた本当に素早いんだこれが。
で、他の食材は無視してフランクフルトだけを的確に狙う。タラの芽や椎茸など、野菜の天ぷらだって美味いんだぞ。
野菜も魚も全部水晶産だし。
勿論、うちのガス台は大きめの地震が来ると自動的に止まる事は知っての上での狼藉だ。
だってガス台に背を向けてるもん。
「もぐもぐ。」
「玉?フランクフルトが口からはみ出てますよ。」
「もぐもぐ。」
隠そうともしませんか。
あと、もぐもぐは玉のオノマトペです。
もぐもぐで誤魔化してます。
で、つまり、水晶が光ったのは、これを知らせたって事か。
ふむ。
改めて周囲を見渡して見た。
建物や山肌には特に異常は見当たら無い。
建物には筋交を入れる様に指導しておいたからね。
僕の知る限り、中世に房総沖或いは関東直下型大型地震はないはずだ。
つうことは、震源は相模湾の方かな?
だとすると、いくつか知っている大地震があるな。
そして、みんなの言動を見る限り、これは余震なのだろう。
この時代の人には地震は怖いのかな?
プレートテクニクスなんて理論を知るわけも無いし、ナマズが地中で暴れている的な理論が生きていておかしかないか。
あと、そこで固まっているお婆さんとおじさんは、たまたま湯治に来たまま帰れなくなった隣村の親子だそうだ。
あー。
ごめん。
★ ★ ★
先ずは話を聞かなくちゃね。
という事で、とある建物に僕らは案内された。
「ここ、たぬちゃんの所にある茶店?」
「すっかり忘れているかもしれないけれど、君が4年間閉じ込められていた茶店のコピーだよ。」
サンスケさん達を救出した後、ここに住み着くと決めたものの、夜露を凌げる場所がないという事で、男女用に2棟用意した覚えがあるな。
とはいえ、完全に素体なので、土壁と土間だけだった様な。
どうだったかな。
最低限のものは用意してあげたんだっけな。
「今ではこの通り、ちょっとした街中が出来ているので、今は集会所や茶飲み場になっておりますが。」
簡単な椅子やお膳はあるので、腰掛けようかね。
「なゐふるが起こったのは、一昨日の事です。」
うむ。もてなしてくれた冷茶が美味い。
この
この村では、冷たい清水を利用した氷室と、ドクダミを始めとする薬草で冷たい薬膳茶を作っている。
お茶は日本では明治時代になるまで一般的な飲料ではなかった(支配者と金持ち向け)なので、野草茶をこの村に伝えておいたわけだ。
…主に、玉が。
僕には、浅葱の力で毒かそうじゃないかは判断できても、美味い不味いはわからない。
◯ッシュ島で、◯島リーダーがなんでも美味いと飲んでいる野草茶が、他のメンバーにはただ苦いだけとかあるしね。
こういう時は、玉の経験が役に立つ。
喫茶という文化は知らなくとも、美味しい自然と美味しくない自然の分別を、身体で身につけているから。
「なゐふるって何?」
「地震の古語だよ。今でもシンボルとして専門機関に使われている言葉だ。」
これは、この間ちょうど調べていたところ。文字として読んではいたけど、実際に発音されると新鮮だ。
あと、「玉の殿はさすがです。物知りです。」って目がキラキラし出したのは無視しよう。後で説明すれば良いか。
「…被害は?」
「権太さんが、棚の上に乗せて置いた菱餅が落ちて来て、コブをこさえたくらいです。」
「なるほど。棚から牡丹餅。」
「あ、こら。言っちゃったよ。」
駄洒落が我慢出来なかった玉さんでした。
「……おい?口元がムズムズしてないか?」
「してない。玉ちゃんに負けたとか思ってない!先も越されてない!」
「そうですか。」
青木さんも緊張感がないなぁ。
「しかし、旅人達からは谷の外の被害がいくつか伝わって来ています。」
「被害?」
「この谷は観音様と殿のご加護で無事でしたが、山向こうでは山津波が起きているそうです。米や菜の物が埋もれてしまい、家も崩れているそうです。」
「ふむ。」
房総丘陵は砂岩質で柔らかい山が多い。
なので昭和の頃までは、地元の農家が手作業で洞を掘り、倉庫やガレージにしていた。
その様子は車中から、いくらでも確認出来る。
中には自力でトンネルを掘り、集落の往来を楽にした素封家の話もあるくらいだ。
前に棒坂の場所を調べている時に、そんな例をいくつか見つける事が出来た。
柔らかいという事は、土砂崩れが起きやすいって事か。
「今はまだ大して伝わって来ていませんが、先程来た人の話では、ここの峠の反対側の山肌が裸になっているそうです。」
「人はどうなっているんだろう。」
「潰された家にいた人や、畑や山にいた人は殆ど見つかっていない様ですが…。」
何しろ一昨日の事なので。
そう言うと、サンスケさんは顔を歪めた。
救難活動には、「72時間の壁」というものがある。3日を過ぎると、極端に生存確率が下がる人間の体力の限界を表した言葉だ。
時間移動が出来る僕ならば救出は可能かって?
青木さんの目がそう問いかけて来た。
しかし、玉はうな垂れて首を振った。
玉にはわかっているんだ。
例え時間を遡っても、ならばどうやって助ける?
人力しか無いし、未だに余震が続いているのなら、山が崩れた現場では、二次災害の可能性が高い。
「なので、出来る限り、この谷に迎え入れようかと思います。」
サンスケさんがまた、思い切った事を言ったぞ。
この谷は、単に枯れた川筋のせいで造山運動が弱かった為に残った低山脈の残り滓で、決して広くないし長さもない。
東の山際に長さ30メートルくらいの小さな建物が並ぶメインストリートの他は、全て農地だ。
ここ2年でよくぞ耕した。
でも畑だけしかない。田んぼは無い。
泉の湧水だけでは、人々の生活用水に使うのが精一杯で、米づくりには回せない。
この谷の食糧だと、祠に捕えられていた数人の暮らしを支える事で精一杯だろう。
だから僕は、温泉を掘り小麦を植え、薬草を栽培させた。
ここに暮らす少数の人達が生きていく為の材料を集めた。
結果、人は、厳しい峠を越えて、その対価を銭や米や、その他を払って、桃源郷とでもいうべきこの里での湯治を楽しんでいる。
つまりは、この土地には人がずっと住める永続性はないという事だ。
実際、現在の「熊野の清水」のある場所が人家の少ない鄙びた谷間になっているのだから、温泉が枯れたらこの地に住まう必然性がなくなる。
温泉はせいぜい100年で枯れる。
それまで2~3代の世代交代はあるだろうし、その時までに身の振り方を考える(財産を作る)時間はあるだろう。
彼らの子孫のことまで考える気は、僕にはさらさら無い。
僕は最初から、そうなるように、この谷を設計した。新しい村は古びる時間も無く新しいままで終わる。歴史には残らない。
浅葱の力を持つものとして、歴史の復元力(そんなもんがあるのかは知らないけど)に負荷をかけない様に、常に考えて動いている。
つまり、狭く生産性の乏しいこの村に、この谷には限界があると言う事だ。
避難民を受け入れても、峠を越えるのは大変だし、そもそも住める場所がもう無い。
「勿論、この里に住んでもらおうと思っているわけではありません。ただ、この里の温泉と薬は役に立つかなと。」
ふむ。
この村を補給ベースとする訳か。
確かに見た感じ薬は余っている様だ。
内服薬ではなく、アロエを利用した打ち身切り傷の貼り薬がメインだし。
内服薬にしても、民間療法起源の和製漢方だから、体力回復と養生を主とするならば、村外でもある程度は大丈夫か。
棒坂は確かに難所とはいえ、標高も数十メートルしか無いから、元気な者が使いとして越える分には、何の問題もないだろう。
何しろ、廃道同然だった山道を玉も妹も何の用意もなく、頂上まで十数分で登頂しているしな。
「わかった。僕もちょっとだけなら援助出来る。」
見た感じ、谷の畑に野菜はなっているし、共同倉庫としているもう1棟の茶店には小麦や素麺を始めとする穀物や豆類・芋類が貯められているそうだ。
ならば。
「ほいっと。あれ?あれれれれ?」
「……まぁ殿のされる事ですから。」
「これって暴走してるって事?」
僕はさ、周囲の残存人口を想定して、主食たる米を出したんだ。
種籾は今度と言う事で。
そしたらですねえ。ええとですねえ。
この建物の奥半分が、天井まで米俵で埋まりました。
どうしよう。これ。
「あんぐり。」
大口を開けっぱなしのサンスケさんを横目に、玉がとことこ米俵に近寄った。
「殿。このお米、ふさおとめです。」
俵に貼ってあったラベルを剥がして僕のところに持って来た。
JA長南のラベルだ。
「あぁ、そうか。そう言う事か。」
「ですね。」
「何なに?私を仲間外れにしないで!」
最近の流行りは仲間外れの青木さんが飛び付いてくる。
「このお米、殿のお姉さんとここに来た時買ったんです。」
「10キロだけね。」
「え?菊地さんちって魚沼産コシヒカリ食べ放題のお家でしょ?なのに、お米買ったの?」
「だって玉は、殿のお家に来て白いご飯を食べられる様になりましたけど、その前はわぷ!」
「玉ちゃん、それ以上は言わないで。お願い。」
青木さんが玉を抱きしめた。
青木さんは、玉が苦労していた頃の話を聞くと、涙ぐんでしまうからね。
あと、玉の意識が堕ちる前に解放してやれよな。
しずさんが玉の前から姿を消した時、玉は一日中しずさんを探して、周囲を、付近の村を歩き回った。
ひとりぼっちになった玉に、勿論稼ぐ当てなどなく、毎日減っていく米櫃も心配の種だった。
やがて、米櫃の底が見えた時、彼女はしずさんを探して歩き回る傍ら、道端にいくらでも生えているアワやヒエ、キビなどの雑穀を集め、更に粥にして嵩を増やして空腹を満たしていた。
居なくなった母親と、無くなろうとしている食べ物と、そして空腹と。
全ての悲しい事を忘れる為に玉が出来た事は、寝る事だけだった。
だから玉は、僕の家で好きなだけご飯を食べられる幸せに笑っている。
僕と同じ布団で安心して眠りにつける事を、僕の体温と体臭に包まれて眠れることが嬉しいんだ。
それを知っている青木さんは、玉にそんな不幸な時代があった事が許せない。
今更どうする事も出来ないし、もう思い出だからと玉は笑える様になっているけど、何故か青木さんは自分が許せないんだ。
そんなよくわからない愁傷場と、大量の米俵に混乱が収まらないサンスケさんの頭を更に滅茶苦茶にする情報が外から飛び込んで来た。
「村長、殿!大変です。」
ヨネさんという、年配の女性が大慌てで走って来た。
「今度はどうしましたか?」
「観音様が…。」
「観音様がどうしましたか?」
「観音様が、おっきくなりました。」
「はぁ?」
可哀想に、サンスケさんは思考回路がショート寸前の様だ。無理もない。
え?僕が言うなって?
やれやれ。
僕の事だから、どうせ収集のつかない事態になっているんだろうなぁと、頭を掻き掻き外に出ると。
「馬頭観音が巨大化していた」とさ。
なんだこりゃ。
「殿様。」
「殿様よ。助かったわ。」
助かった?
サンスケさんを先頭に走って来た人々からは、殿、とか、助かった、とか。
口々に溢れる。僕らは無抵抗に囲まれる。
「わ、わ、わ、わ。」
「私、みんなとは初対面のはずなのにぃ。」
僕はまぁ。毎日動物達に揉みくちゃにされてるので、こんな事には慣れてます。
力を抜いて、適当に流されて。
あぁ多分、今の僕の顔って、無表情で平穏なんだろうなぁ。
とかなんとか見回してみると、みんな見覚えある人ばかりだな。
ん?少し老けたかな?
「殿、お久しゅうございます。あれより2年経ちました。」
「そうですか。」
「おかげ様で皆、息災にてございます。」
あの、一同様土下座するのは良いですけど、そこで腰抜かしているばば…お婆さんとおっさんはどなたですかね。
「土下座はいいんだ…。」
「だから青木さんは、僕の心を読まないの!」
と。
「うわわわ。」
「まただ!」
「た、助けて!助けて殿!」
サンスケさん達は、そのまま地に臥せて頭を抱え出した。
「地震?ですか。」
「ん。結構、大きいね。」
玉と青木さんは落ち着いて周囲を見回している。
とりあえず、被害らしい被害は見受けられない。
その通り、地面が揺れた。
震度3ってとこかな。
東日本大震災、いやその前の中越地震の頃からここ10年くらい、震度3~4、ヘタをすると震度5くらいまで体験している僕らには、割と慣れた大きさだ。
茨城南部震源の地震は数ヶ月に1度はあるし、年1回くらいはスマホがギュンギュン鳴るし。
玉でさえ、すっかり慣れてしまい
「火の始末です!」
と、かき揚げ用にスライサーで人参を千切りしていたのを素早くやめて、僕が作っているフランクフルトの天ぷらを素早く掠めたりする。これまた本当に素早いんだこれが。
で、他の食材は無視してフランクフルトだけを的確に狙う。タラの芽や椎茸など、野菜の天ぷらだって美味いんだぞ。
野菜も魚も全部水晶産だし。
勿論、うちのガス台は大きめの地震が来ると自動的に止まる事は知っての上での狼藉だ。
だってガス台に背を向けてるもん。
「もぐもぐ。」
「玉?フランクフルトが口からはみ出てますよ。」
「もぐもぐ。」
隠そうともしませんか。
あと、もぐもぐは玉のオノマトペです。
もぐもぐで誤魔化してます。
で、つまり、水晶が光ったのは、これを知らせたって事か。
ふむ。
改めて周囲を見渡して見た。
建物や山肌には特に異常は見当たら無い。
建物には筋交を入れる様に指導しておいたからね。
僕の知る限り、中世に房総沖或いは関東直下型大型地震はないはずだ。
つうことは、震源は相模湾の方かな?
だとすると、いくつか知っている大地震があるな。
そして、みんなの言動を見る限り、これは余震なのだろう。
この時代の人には地震は怖いのかな?
プレートテクニクスなんて理論を知るわけも無いし、ナマズが地中で暴れている的な理論が生きていておかしかないか。
あと、そこで固まっているお婆さんとおじさんは、たまたま湯治に来たまま帰れなくなった隣村の親子だそうだ。
あー。
ごめん。
★ ★ ★
先ずは話を聞かなくちゃね。
という事で、とある建物に僕らは案内された。
「ここ、たぬちゃんの所にある茶店?」
「すっかり忘れているかもしれないけれど、君が4年間閉じ込められていた茶店のコピーだよ。」
サンスケさん達を救出した後、ここに住み着くと決めたものの、夜露を凌げる場所がないという事で、男女用に2棟用意した覚えがあるな。
とはいえ、完全に素体なので、土壁と土間だけだった様な。
どうだったかな。
最低限のものは用意してあげたんだっけな。
「今ではこの通り、ちょっとした街中が出来ているので、今は集会所や茶飲み場になっておりますが。」
簡単な椅子やお膳はあるので、腰掛けようかね。
「なゐふるが起こったのは、一昨日の事です。」
うむ。もてなしてくれた冷茶が美味い。
この
この村では、冷たい清水を利用した氷室と、ドクダミを始めとする薬草で冷たい薬膳茶を作っている。
お茶は日本では明治時代になるまで一般的な飲料ではなかった(支配者と金持ち向け)なので、野草茶をこの村に伝えておいたわけだ。
…主に、玉が。
僕には、浅葱の力で毒かそうじゃないかは判断できても、美味い不味いはわからない。
◯ッシュ島で、◯島リーダーがなんでも美味いと飲んでいる野草茶が、他のメンバーにはただ苦いだけとかあるしね。
こういう時は、玉の経験が役に立つ。
喫茶という文化は知らなくとも、美味しい自然と美味しくない自然の分別を、身体で身につけているから。
「なゐふるって何?」
「地震の古語だよ。今でもシンボルとして専門機関に使われている言葉だ。」
これは、この間ちょうど調べていたところ。文字として読んではいたけど、実際に発音されると新鮮だ。
あと、「玉の殿はさすがです。物知りです。」って目がキラキラし出したのは無視しよう。後で説明すれば良いか。
「…被害は?」
「権太さんが、棚の上に乗せて置いた菱餅が落ちて来て、コブをこさえたくらいです。」
「なるほど。棚から牡丹餅。」
「あ、こら。言っちゃったよ。」
駄洒落が我慢出来なかった玉さんでした。
「……おい?口元がムズムズしてないか?」
「してない。玉ちゃんに負けたとか思ってない!先も越されてない!」
「そうですか。」
青木さんも緊張感がないなぁ。
「しかし、旅人達からは谷の外の被害がいくつか伝わって来ています。」
「被害?」
「この谷は観音様と殿のご加護で無事でしたが、山向こうでは山津波が起きているそうです。米や菜の物が埋もれてしまい、家も崩れているそうです。」
「ふむ。」
房総丘陵は砂岩質で柔らかい山が多い。
なので昭和の頃までは、地元の農家が手作業で洞を掘り、倉庫やガレージにしていた。
その様子は車中から、いくらでも確認出来る。
中には自力でトンネルを掘り、集落の往来を楽にした素封家の話もあるくらいだ。
前に棒坂の場所を調べている時に、そんな例をいくつか見つける事が出来た。
柔らかいという事は、土砂崩れが起きやすいって事か。
「今はまだ大して伝わって来ていませんが、先程来た人の話では、ここの峠の反対側の山肌が裸になっているそうです。」
「人はどうなっているんだろう。」
「潰された家にいた人や、畑や山にいた人は殆ど見つかっていない様ですが…。」
何しろ一昨日の事なので。
そう言うと、サンスケさんは顔を歪めた。
救難活動には、「72時間の壁」というものがある。3日を過ぎると、極端に生存確率が下がる人間の体力の限界を表した言葉だ。
時間移動が出来る僕ならば救出は可能かって?
青木さんの目がそう問いかけて来た。
しかし、玉はうな垂れて首を振った。
玉にはわかっているんだ。
例え時間を遡っても、ならばどうやって助ける?
人力しか無いし、未だに余震が続いているのなら、山が崩れた現場では、二次災害の可能性が高い。
「なので、出来る限り、この谷に迎え入れようかと思います。」
サンスケさんがまた、思い切った事を言ったぞ。
この谷は、単に枯れた川筋のせいで造山運動が弱かった為に残った低山脈の残り滓で、決して広くないし長さもない。
東の山際に長さ30メートルくらいの小さな建物が並ぶメインストリートの他は、全て農地だ。
ここ2年でよくぞ耕した。
でも畑だけしかない。田んぼは無い。
泉の湧水だけでは、人々の生活用水に使うのが精一杯で、米づくりには回せない。
この谷の食糧だと、祠に捕えられていた数人の暮らしを支える事で精一杯だろう。
だから僕は、温泉を掘り小麦を植え、薬草を栽培させた。
ここに暮らす少数の人達が生きていく為の材料を集めた。
結果、人は、厳しい峠を越えて、その対価を銭や米や、その他を払って、桃源郷とでもいうべきこの里での湯治を楽しんでいる。
つまりは、この土地には人がずっと住める永続性はないという事だ。
実際、現在の「熊野の清水」のある場所が人家の少ない鄙びた谷間になっているのだから、温泉が枯れたらこの地に住まう必然性がなくなる。
温泉はせいぜい100年で枯れる。
それまで2~3代の世代交代はあるだろうし、その時までに身の振り方を考える(財産を作る)時間はあるだろう。
彼らの子孫のことまで考える気は、僕にはさらさら無い。
僕は最初から、そうなるように、この谷を設計した。新しい村は古びる時間も無く新しいままで終わる。歴史には残らない。
浅葱の力を持つものとして、歴史の復元力(そんなもんがあるのかは知らないけど)に負荷をかけない様に、常に考えて動いている。
つまり、狭く生産性の乏しいこの村に、この谷には限界があると言う事だ。
避難民を受け入れても、峠を越えるのは大変だし、そもそも住める場所がもう無い。
「勿論、この里に住んでもらおうと思っているわけではありません。ただ、この里の温泉と薬は役に立つかなと。」
ふむ。
この村を補給ベースとする訳か。
確かに見た感じ薬は余っている様だ。
内服薬ではなく、アロエを利用した打ち身切り傷の貼り薬がメインだし。
内服薬にしても、民間療法起源の和製漢方だから、体力回復と養生を主とするならば、村外でもある程度は大丈夫か。
棒坂は確かに難所とはいえ、標高も数十メートルしか無いから、元気な者が使いとして越える分には、何の問題もないだろう。
何しろ、廃道同然だった山道を玉も妹も何の用意もなく、頂上まで十数分で登頂しているしな。
「わかった。僕もちょっとだけなら援助出来る。」
見た感じ、谷の畑に野菜はなっているし、共同倉庫としているもう1棟の茶店には小麦や素麺を始めとする穀物や豆類・芋類が貯められているそうだ。
ならば。
「ほいっと。あれ?あれれれれ?」
「……まぁ殿のされる事ですから。」
「これって暴走してるって事?」
僕はさ、周囲の残存人口を想定して、主食たる米を出したんだ。
種籾は今度と言う事で。
そしたらですねえ。ええとですねえ。
この建物の奥半分が、天井まで米俵で埋まりました。
どうしよう。これ。
「あんぐり。」
大口を開けっぱなしのサンスケさんを横目に、玉がとことこ米俵に近寄った。
「殿。このお米、ふさおとめです。」
俵に貼ってあったラベルを剥がして僕のところに持って来た。
JA長南のラベルだ。
「あぁ、そうか。そう言う事か。」
「ですね。」
「何なに?私を仲間外れにしないで!」
最近の流行りは仲間外れの青木さんが飛び付いてくる。
「このお米、殿のお姉さんとここに来た時買ったんです。」
「10キロだけね。」
「え?菊地さんちって魚沼産コシヒカリ食べ放題のお家でしょ?なのに、お米買ったの?」
「だって玉は、殿のお家に来て白いご飯を食べられる様になりましたけど、その前はわぷ!」
「玉ちゃん、それ以上は言わないで。お願い。」
青木さんが玉を抱きしめた。
青木さんは、玉が苦労していた頃の話を聞くと、涙ぐんでしまうからね。
あと、玉の意識が堕ちる前に解放してやれよな。
しずさんが玉の前から姿を消した時、玉は一日中しずさんを探して、周囲を、付近の村を歩き回った。
ひとりぼっちになった玉に、勿論稼ぐ当てなどなく、毎日減っていく米櫃も心配の種だった。
やがて、米櫃の底が見えた時、彼女はしずさんを探して歩き回る傍ら、道端にいくらでも生えているアワやヒエ、キビなどの雑穀を集め、更に粥にして嵩を増やして空腹を満たしていた。
居なくなった母親と、無くなろうとしている食べ物と、そして空腹と。
全ての悲しい事を忘れる為に玉が出来た事は、寝る事だけだった。
だから玉は、僕の家で好きなだけご飯を食べられる幸せに笑っている。
僕と同じ布団で安心して眠りにつける事を、僕の体温と体臭に包まれて眠れることが嬉しいんだ。
それを知っている青木さんは、玉にそんな不幸な時代があった事が許せない。
今更どうする事も出来ないし、もう思い出だからと玉は笑える様になっているけど、何故か青木さんは自分が許せないんだ。
そんなよくわからない愁傷場と、大量の米俵に混乱が収まらないサンスケさんの頭を更に滅茶苦茶にする情報が外から飛び込んで来た。
「村長、殿!大変です。」
ヨネさんという、年配の女性が大慌てで走って来た。
「今度はどうしましたか?」
「観音様が…。」
「観音様がどうしましたか?」
「観音様が、おっきくなりました。」
「はぁ?」
可哀想に、サンスケさんは思考回路がショート寸前の様だ。無理もない。
え?僕が言うなって?
やれやれ。
僕の事だから、どうせ収集のつかない事態になっているんだろうなぁと、頭を掻き掻き外に出ると。
「馬頭観音が巨大化していた」とさ。
なんだこりゃ。
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・『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376
・『日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)』https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232
・『希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~』https://ncode.syosetu.com/n7423cb/
・『Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街』https://ncode.syosetu.com/n2519cc/
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