ご飯を食べて異世界に行こう

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第一章 開店

温泉

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庭で深呼吸を一つ。
土地神の穢れを(結果的に)祓って以降、閉じられた楽園の聖域と違い、開かれた清浄なだけの浅葱の世界は、空気が心なしか美味しい。

聖域は魂を癒し、浅葱は身体を癒す。
そんな定義が、なんとなく頭に浮かぶ。

庭に拵えてある小動物ゾーンではウサギもモルモットもリスも、みんな芝生に丸くなって寝ている。
思い切りお日様の下で、よく眠れるな。
一応、日差し避けにケージも置いてあるけど誰も中に入らずに、種類に関係なく頭を寄せ合っている。
ミニ豚なんかみんなお腹を見せてるし。

しかしね。
どうしよう。

結果として、しずさんは自分の身体を取り戻す事に成功した。
玉といつでも逢える様に1,200年前の本物の自宅ではなく、浅葱の水晶に作った偽物(コピー)の自宅を選んだ。

選んだのはいいけど、住めるのかな。
陽が沈まない世界で、生活リズムを乱さない生き方って難しいぞ。
普通に昼働いて夜寝てる青木さんですら
遮光カーテン買ってたのに。

あ、そうか。
家に、遮光カーテンを付ければ良いのか。
あ、でも、遮光カーテンは買った事も、利用した事もないなぁ。
青木さんちの遮光カーテンに触ればコピー出来るかな?
んんと。
今のところ、しずさんは僕の義母(仮)らしいので、ちゃんと買った方がいいかな。

ついでに、布団とか座布団とか。
玉が頑なに

「要りません。無駄遣いはめっですよ。」

だったから、無理にどうこうしなかったけど、住むのは玉じゃなくしずさんだしなぁ。

………

わんわん。
『お布団は欲しがってるよ』 
おや、ちびちゃん。
『いざ暮らす準備を始めてみたら、ムコドノんちとあまりに差があるから』 
…だから玉が、元の生活を維持しようとしてたんだけどね。
ほら、しずさん、僕んちにも来てるから。便利なの、気持ちいいのはわかってるもん。
うちの布団は羽毛布団しかもダブルだから。玉が寝ぼけても、布団から剥がれないくらい大きいから。
(物理的に身体が僕と重ならないから、ベッドから落ちるって事は無いらしい)

『お母さんちのお布団はぺちゃんこだし、あんまりあったかく無いから』
まぁ、昔の布団なんか、大抵綿を詰めた煎餅布団だ。

『あと、座布団と箱膳も』
修繕したり塗り直したり、大切に使ってるねって褒めて、玉が感激してくれたエピソードが全部台無しだ。  

『あと、お風呂も』
お風呂はなぁ。
今でも玉が入ると、小一時間出てこないし。肩までお湯に浸かるって、昔の人にはもの凄い贅沢だったんだろうなぁ。

とはいえ、ここは水晶の中。
浅葱の屋敷を見る限り、時代設定は明治から大正で、インフラなんてものはない。
ガスや水道はそろそろ整備されている筈だけど、熊本のど田舎の農家なんかに、そんな文明は来なかったのだろうか?

かと言って、五右衛門風呂とか、ドラム缶風呂というのもねぇ。
しずさん女性だし。
薪を炊くのも大変だろう。

…一応、お伺いを立てるか。
因みにぽん子はどうしたね。

『お母さんが離して来れなくて、お母さんの胸の中でジタバタしてた』
強えな、母。
ぽん子は執拗に家に上がる事を遠慮する仔なのになぁ。

★  ★  ★

ちびを連れてトコトコと。
向かうは目の前の、土地神の社。
そういえば、ここの巫女は玉としずさん、どっちになるんだろう。 
玉の成長を見極めて、しずさんを荼枳尼天の巫女から移すって、言ってだよな。

『どちらでも構わない。巫女の娘は荼枳尼天の眷属と心を交わしているんだろう。だったら荼枳尼天の巫女として充分合格だ』
…呼ぶ前からほいほい顕現するかな。
土地神、いや一言主さん。
『お主相手に今更遠慮はいるまい。ささっ、中へ参られい』
神様だか武士だか、わかんないぞ、もう。
『ずぅっと中へ』
「本殿一間しかありませんが。」
神様が落語を語り出してどうすんの。

一応、御供えと御神酒は上がっているけど、お茶とお茶菓子をご馳走します。

『風呂か』
まんじゅうを齧りながら一言主さん。
「前にね、棒坂ってとこで温泉を掘った事があるんですよ。そこは薬草や蜂蜜が取れた事で、病を治す湯治の場に成長しました。(素麺とか名物も作らせたし)でも現在歴史上、弘法大師ゆかりの名水の場になっていて、温泉だった事はなかったってなってます。そこら辺はまぁ、歴史的辻褄合わせって事で。」
『馬頭観音がおるしな』

あぁ、やっぱりあの馬頭観音絡みだったのか。

「で、まぁ。ここなら温泉湧いても誰の迷惑にもならないし、浅葱の力で沸くかなぁって。」
『沸くぞ』
それまたあっさりと。

『ただし、この地に沸く温泉はアルカリ泉ゆえ、廃湯をそのまま川に流すわけにはいかん、魚達が死ぬでな』
神様からアルカリ泉とか言葉が出ると、違和感凄えな。
『何を言っとる。お主の知識を検索して当て嵌めただけだ』
「いくら神様でも、人の頭ん中を勝手に覗かれたく無いんですが』
『許せ。神ゆえに人の考えは勝手に入ってくる。お主も浅葱の娘に、神前で嘘は通用しないと警告した事があったろう』
浅葱の娘とは、青木さんの事かな?
あの人は、うっかりさんだから、そんな注意をしたの、一度や二度じゃないなぁ。
『廃湯を鑑みてくれるなら、我が力も貸そう。母巫女に伝えるがよい。お主は一言主の巫女を娘より引き継げと』

順番が逆の様な気がしますが、確かに玉は、おととい一言主及び恵比寿の巫女として、冠を授かったばかりだ。
おとといって。
忙し過ぎない?僕ら。

ー 大祓えの祝詞を唱えよ、それで通じよう。

それだけ言うと、一言主さんは鏡に消えていっちゃった。
なんだかなぁ。
『神様に伝言を頼まれる人も、殿くらいだね』
ちびちゃん。
君まで僕を殿と呼ぶか。

★  ★  ★

さて、排水を考えなさいか。どうすっかね。
穴掘って落とす?
んんと、地層の隙間に入って地震の原因になった事があるらしいな。
だったら川をもう一本作るか。
温泉場を流れる川は、少しずつ希釈されていって、無害な川になっていくらしい。
湧水とか支川の合流とかで。
 
だったら、最初から井戸掘って一緒に流せば良いか。
長屋門の北に古井戸があった筈。
今は牛小屋(空っぽ)になってる離れを風呂場にしちゃおう。
玉が山羊を飼いたがってたけど、ちびをここに案内した白いメェメェや、杢兵衛さんとこの牛がその内来る気かしてんだよね。怖いというか厄介そうだな。

その時はその時だ。
蔵を少しズラそう。

『殿が言ってる事わからないや』
呆れるだけだから、わからない方が良いよ。

………


という事で。
古井戸を掘り返して井戸水を復活。
源泉かけ流しのお湯と攪拌させて、特に弄っていない東の山沿いに、排水路をこさえます。
この川がどこに行くかって?
知らない。
ただ、改めて顕現した一言主が太鼓判くれたから、まぁ良いんじゃないかな。
この道の先って、どうなってるか知らないけど。

「殿?」
「なんですか?」
「なんで殿は、ちょっと目を離すと温泉を掘ってるんですか?」
「温泉は玉さんの希望でしたよ。」
「そうですけど。そんな事、昔聖域の池に足を付けてて言いましたけど。」

別にさ。
始めてじゃないんだから。
あと、しずさんが手拭い持って嬉しそうに離れに走って行ったし。
手拭いだけじゃあれだな。
バスタオルを出しとこう。

「玉、石鹸とシャンプーとコンディショナーも出しておくので、しずさんに届けてください。」
「わかりました、じゃありません。」
おお、玉のノリツッコミだ。
「殿はお母さんに甘すぎます。」
「下穿きの洗濯は頼みましたよ。身体が戻れば汗や垢も出るでしょう。」
「まったくもう。まったくもう。殿は玉の弱点を知り過ぎです。断れないじゃないですか。」

さすがに洗濯機は無いからなあ。
こっちは電気が来てないし。
タライと洗濯板を使うか。
でも洗濯板って、何処に売ってんだろ。
アパートに持って帰って洗おうか。
あ、でもそもそも替えはあるのかな。

これは一度戻って買い物に行かないとな。
あと、玉の家は板の間一間だから、畳とマットレスが必要になるだろう。

灯は、まぁ夜にならないから良いか。
あと、生活用品が結構足りない。
コピーだから、そこら辺は色々不備がある様だ。
いっそ、しずさんも一緒に来てもらうかな。
肉体があるならそれも出来るでしょ。

鍋釜箸茶碗お椀。
色々なかった気がして来た。
あっちは正式に玉さんちになるのだから、僕が勝手に覗く訳にもいかないしな。

「殿。」
「なんですか?」
「………玉も温泉に入りたい…です。」
「入ってらっしゃい。」
脱衣カゴはアパートの洗面所にある奴をコピーして。
石鹸類はシンク下の引戸に、タオル類は上の引戸に入っているはず。
みんな浅葱の力でひとまとめだ。それ。

ぽいぽい。

「わ、わ、わ。」
「垢すりとバスタオルはこれね。早く行ってらっしゃい。しずさんが上がっちゃうよ。」
「う、うん。」

「殿。」
「なんですか?」
「ありがとうございます。色々ありがとうございます。玉は殿の事が大好きですよ。」

それだけ、顔を真っ赤にして言うと、玉はお母さんと叫んで、牛小屋改め湯屋に飛び込んで行った。

あぁ。多分。
今の玉の大好きは、昨日の玉の大好きと違うんだろうな。
朴念仁(誤用)の僕でもわかるわ。
頭をカリカリ掻いて、僕は庭で目を回しているぽん子のところに歩いて行った。
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