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第一章 開店
何も起こらない日だけど変わり始める日
しおりを挟むしとしと。
しとしと。
雨は降り続く。
玉にはホットミルク、僕はコーヒーをブラックで淹れて、カップをガラステーブルの上に置こう。普段はガチャガチャしている事の多い玉も、今日は朝からのんびりと本を読み続けている。
「ありがとうございます。」
礼儀正しい玉には珍しく、本から目を離さないまま、カップを受け取った。
テーブルに置くつもりだったのに、それでもきちんと手を出して受け取る辺りも玉だけど。
僕は少し深めに炒った豆で入れたコーヒー。熱々のコーヒーをほんの少し口に入れて、口中で撹拌させて覚ますのが好き。1人でいる時は、ずるずるわざと音を立てるけど、今日は玉が居るから静かに。
「こんな1日も良いですね。玉もとっても……。」
何かを言おうとした玉の語尾が消えていく。
今、玉が読んでいるのは、前に僕が後から強引に買い物籠に入れた郷土史の本。玉が現代の活字を簡単に読んでいる事に驚く。僕には筆文字(くずし字)なんか読めないのにね。
ようやく顔を上げた玉は、ホットミルクを両手で抱えて一口。
「このご本、面白いです。玉の生きた時代、その前の時代、その後の時代。玉の知ってる事、知らない事、いっぱい書いてあります。ありがとうございます。このご本が読めただけでも殿にお仕えした甲斐がありました。」
「玉はあれだね。結構、勉強好きなんだね。」
「お勉強じゃ無いですよ。だって玉は面白がっているだけですもん。ズズウ。」
照れ隠しか、わざと下品にミルクを啜る玉。
でも、まぁ。
たまにはこんな風に、素直に自分を曝け出す玉も良いね。
勿論、普段も素直な娘だけど、「歳上の異性の僕の家に居候している」自分に、気後れや遠慮が見え隠れするのは、どうもしょうもないし事だろう。
雨が降って、僕が無職の暇人で、そして玉が居て良かったなぁ。
2人にはそれぞれ気疲れが溜まっていたけど、そんなものも雨が流してくれそうだ。
コーヒーを飲みながら、窓の外を眺める。ソファに腰掛けたままだから、玉と大家さんが植えた灌木が濡れているくらいしか見えないのだけど。
そんな、お互いが時々動いて、時々言葉を探して、一緒の部屋に居ながら、全然違う事をして。
でも何故か連帯感は深まる。
基本的にはただお互いが出す僅かなノイズだけが室内を支配する。
そんな午前を過ごしました。
★ ★ ★
さて、そろそろ昼の支度をしないと。
結局、聖域から持ってきたイワナは手付かずのまま。
このイワナをメインに組み立てるのならば米だね。
ただのご飯というのもつまらない。
お昼は、どちらかと言うと手軽でかつ味が濃いめが好き。だから丼ものとか、ワンプレートものとか、麺類コースを外食でちゃっちゃと済ませるばかりだった。
ついでにリストラされてからは、玉に逢うまでお昼を食べる習慣もなくなっていた。
頭も身体も動かす必要な事がなくなったから、エネルギー補給もおざなりになって行っていた。朝ご飯食べる事も減り、冷蔵庫のペットボトルを一口二口飲んで喉の渇きが解消すれば、それで良し。
さて。何作ろう。
イワナと糠漬けは決定。決定はいいけど、白米だと何故か昼にするには、少し重たく感じる。ご飯に何かかけようかな?
ふりかけ?
何か餡ものを作る?青椒肉絲的な。
んん。ピーマンとイワナが合わなそうだ。
考え方を変えてみよう。
イワナの塩焼きは、茶店内の七輪で網焼きにしたものだけど、そもそもイワナ自体は旅館ご飯で食べるもので、一般家庭の食卓にそれほど上がるものではない。
僕にはイワナは、渓流釣りに行った時など焚き火で作る印象が強い。
僕が覗いていたスーパーの鮮魚コーナーでは見かけた事ないし。
だったら、非日常のご飯。
BBQ?いやいや、もっとワイルドにキャンプ料理。それも流行りのアウトドアギアなんか使わない原始的天幕料理。
つまーり!
さすがに飯盒炊爨とかまでは行かないけど、敢えて台所で手をかけて単純な料理。
すなわち、おにぎり。
それも、焼きおにぎり。
決め決め!お味噌汁は豚汁にしよう。
お手軽焚き火料理なので、BBQではなく網焼き。
すなわち、魚肉ソーセージを副菜に!
ふっふっふ。包丁で切れ目を入れて、醤油で焦がして、マヨネーズをつけて食べる。何というジャンクな禁断料理!
夜食に食べたら生活習慣病一直線!
★ ★ ★
「決めました!殿!玉にお料理を教えて下さい!」
台所で炭火の用意をしていると、割烹着を着て頭巾を被った玉がトコトコ近寄って来た。
玉も少し変わったのかな?前は糠床以外、一切菜箸を握ろうともしなかったのが、さっきのジャム作りといい、積極性が出て来てる。
「違うんです。殿の作るご飯は美味しいし大好きです。でも、いつの間にか玉にも殿に関しての後輩が増えました。佳奈さんもそうですし、たぬきち君もぽん子ちゃんも殿が大好きです。でも玉は。殿の従者と名乗りつつ、結局は殿におんぶに抱っこです。」
「玉は僕の家族だし、扶養しているんだから、気にする必要ないのになぁ。」
「玉の女としての意地です!」
「そうですか。」
「殿の隣で、一緒に歩ける女になりたいだけです。」
「そうですか。」
そんなに急いで大人になる事ないんだけどなぁ。
まぁそういう事ならね。
「おにぎりを握って下さい。」
「わかりました!」
「あ、おにぎりは握っちゃ駄目ですよ。」
「へ?」
「握力を使わず、ご飯の粘りを信じて掌と指で軽く圧力をかけるんです。おにぎりの中に空気が残る様にね。」
一つ。軽く握って、親指と人差し指の隙間を使って角を作る。
ほい、これで綺麗な三角形の出来上がり。
「むむむ。殿方に負けては女子の恥です!」
慣れだしね。一つ成功すればコツも掴めるよ。
おにぎりは七輪に乗せて軽く炙ります。
表面の水分が飛んで、ご飯が固くなったら網から下ろし、醤油や味噌を塗り、もう一度網に乗せます。
焼きおにぎりですな。
味は、醤油・七輪醤油・味噌の三種類。
醤油と味噌を軽く焦がすと、香ばしくてもう堪らん。食いてえ。
玉が焼きおにぎりを作っているうちに、魚肉ソーセージとイワナを別の七輪で炙ります。
例によって、いつのまにか七輪が増えてるけど、僕も玉ももう気にしないので。
豚コマを塩胡椒で色が変わるまで鍋で炒めつつ、大根・人参(聖域製)・里芋を適当な大きさに切り分けて、白味噌で煮込むだけの簡単豚汁を汁物に。
出汁はあってもなくても良い。具材から染み出すエキスが出汁の役目を果たすから。今回はもっと大雑把に麺つゆを適宜加えて、少しの間煮込めば出来上がり。
刻みネギをたっぷりとふりかけると、味が変わって美味しいので別皿で添えて。
焼きおにぎりの二度焼きや味付けが楽しかったらしく、玉は指先大の小型おにぎりを作って、あれこれ味見をしている。
ニコニコしながら。
「あまりつまみ食いすると、食べられなくなりますよ。」
「ふっふっふ。玉が食べられなくなるとお思いですか?」
あぁもう、好きにしなさい。
玉は喜怒哀楽を失くした少女だったという。
ずっと玉のそばにいて。
玉が可愛くて、玉が可哀想で、それでも玉を抱きしめられなかった、玉に大丈夫だよと声をかけてあげられなかった、玉のお母さんが僕に教えてくれた事がある。
1,000年もの長い時間、たった1人で、死ぬ事も出来ず、そんな自分に出来た事は、ただ母親から受け継いだ社の草むしりだけ。
社がやがて痛み、腐り、傾いでも、材料も道具も力もない自分には何をする事も出来ず、ただ己の無力を嘆くだけだった少女。
やがて、感情は擦り減り、表情も消え、ただ1人毎日ひたすら草むしりをしていた少女。むしる草もなくなっても草むしりをするしかなかった少女。
でも、その少女は。
今は、笑い泣き怒り、なんの衒いもなく幸せだと言ってくれる。
だったら、僕がする事、僕が出来る事は一つだけだ。迷う事は何もない。
今日のお昼ごはん
・焼きおにぎり3種盛り
・イワナと魚肉ソーセージの網焼き
・豚汁
・糠漬け
ジャンクで手抜きで、それでも玉と僕が精一杯頑張って作った献立です。
今の僕には見えないけれど、2人しか座っていないこの食卓には、いつか玉のお母さんも青木さんも大家さんも、色々な人が来て、僕らが作ったご飯で賑やかに騒がしく、そして美味しく食べる日が来る。
それは、間違えのない未来。
その為に、浅葱の力はある。
その為に、玉は荼枳尼天の巫女を務める。
★ ★ ★
「ふう。とっても面白かったです。」
お昼を挟んだ、また浅い午後。朝から読み続けていた郷土史の本を読み終えた玉は、そのまま座椅子から横に落ちた。
なので、僕はソファに転がっているクッションを投げる。
クッションを枕に横になった玉は目を閉じた。
おつかれさん。
「本て面白いですねぇ。玉が知らない事、知りたかった事がたくさん書いてありました。」
「もっと買っていいんですよ。玉のスマホに予算つけてあるでしょ。」
「そのうちに、です。この間殿に買って頂いたご本もゲームも終わってないです。」
玉は意外とゲームも得意で、2人プレイをせがまれても、おじさんの入り口の僕には邪魔するだけになってます。
「古本屋とか行きますか?古めの本なら100円で買えますから。」
「駄目ですよ。ただでさえ殿のお部屋が玉の荷物で溢れ出してますし。」
「電子書籍もあるでしょ。画面の大きなリーダーも買ってあげたし。」
「今の本を全部読み終わってからですよう。」
相変わらず遠慮しちゃう女の子だ。
「あとほら、この部屋でなくても、玉の家や浅葱の家でも置いとけるし。」
「玉の家が物置にされそうです?」
ちょっと困った顔をする玉。
あっそうだ
「あの家は、お母さんとまた住むんだから、それも頭に入れときなさい。この時代から便利なものを持って行っても、基本的に水晶玉の中だから、割とどうにでもなるでしょう?」
「それも面白いですねぇ。」
狭くて古い家だと卑下しがちだけど、玉には大切な家だから。
そして、お母さんが帰って来ると、改めて玉は信じてくれている様だ。
「玉のお母さん。どこかで玉を見ていてくれてますかねえ。」
うん、そこの衣紋掛けでね。
うふふ。
あの、姿見せないで笑われると、わかっていても、少し怖いです。
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