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第一章 開店
出世稲荷大明神
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翌朝。
僕の運転する車は矢切駅のロータリーで、青木さんをピックアップする。
昨日、僕達の部屋に押し掛けて来た時は、大人っぽいブラウンのスーツにタイトスカート、ストッキングだったけど、今日はジーンズにパーカー、キャップに肩掛けバックと若々しいカジュアルな姿だった。
因みに玉は「他所行きです!」と、前に玉の下着を買いに出た時に、一緒に自分で選んだカットソーに赤いミニスカート。足元はハイカットの生成りコンバース。
「玉ちゃん、そのスカート。丈短くない?」
「うふふん。殿を悩殺する為ですよ。」
「悩殺されたの?」
そのままグルリと顔をこちらに向けた青木さん、素直に僕に聞かないでください。
「個人的には、ピンクのパジャマで枕抱えて座り込んでる玉とかの方が可愛いけどね。」
「あ、それ良いね。布団の上で女の子座りとかされたら、私も抱きつくわ。」
「あれ?短いスカートが思ったより低評価でした。」
まぁ、歳相応の可愛さってあるんですよ。
というか、3人になると、僕ら喋りっぱなしになるなぁ。
「ねぇ玉ちゃん、一緒に後ろ行こうよ。」
「佳奈さんって、ひょっとして甘えん坊さんですか?」
「って言うかさ。他人の私だけ後ろ1人だと寂しいじゃん。玉ちゃんと菊地さんにいちゃつかれても何だしね。」
「玉は地図を読むのに夢中だから、あまり話相手になってくれないよ。」
「え?だってナビ付いてるから、地図必要ないでしょ?」
「玉は好きで地図を読んでるんです。」
ロータリーなのでバス停もあるのに、いつまでもロータリーに停車するわけにもいかないので、2人を急かして出発した。
★ ★ ★
「それにしても、私の家まで迎えに来て良かったのに。」
「君が良くても、まわり近所の目ってものがあるでしょう?」
1人暮らしの独身女性を迎えにくる男。
僕の部屋に青木さんが出入りするようになったら、大家さんなり菅原さんなり、それはうるさかろう。
この間、玉と夕食を取った(麻婆豆腐と炒飯を半分玉に食われた)中華系ファミレスの前を通って、同じくこの間、玉と花火をした梨畑がたくさんある田舎方向に車を向けた。
予め玉にはこのコースを教えていたので、色鉛筆で地図をマーキングをしながら外を眺めている。
「私は気にしないのにな。それに、玉ちゃんにも遊びに来て欲しいし。」
「玉は1人じゃ佳奈さんとこ行けませんよ。」
「なんで!どうして!何?菊地さん、玉ちゃんにお小遣いあげてないの?」
「ぐえぇ。」
あぁこら、運転している僕のクビを後ろから締めないの。
「違いますよ。玉はこの時代の人間じゃないから、色々制限があるんです。玉が確実に居ていいのは、殿のお部屋か殿のそばだけです。」
「………どういう事?」
「そういう事です。だから玉はいつも殿と一緒です。殿に捨てられたら、多分玉は消えますし。お小遣いも貰ってますけど、いつも殿と一緒だから、玉がお金を払う事もありませんし。」
「おい、菊地!」
わぁ、またこっちに来た。運転手のクビを締めるなって。
「あ、殿、あのお店って…!」
10分ほど走り道の両側に農家が増え出した頃、玉が身を乗り出して指差した。
「うん、とうもろこしを買ったコンビニだね。多少時間がかかるし、軽く何か買って行こうか。」
「はいはい。玉はプリンを所望するですよ。」
「………すっかり忘れてたね。」
「玉もです。」
「…あの、今さっき深刻な告白を聞いたんですけど。」
★ ★ ★
・玉は1,000年前の人
・聖域に守られた事により今に存在出来る
・聖域は僕の部屋とどうやら重ねられているらしい
・部屋の家主が僕である以上、聖域の所有者も僕
・源泉は浅葱の力なのか荼枳尼天の神力か不明
・僕の基準は現代、玉の基準は平安末期
・それは、玉の時代に近づくと玉は僕に触れる事実から推測出来る
・つまり、玉の時代に近づく事で玉の存在確率が上がった。
・僕の力(存在確率)が圧倒的に強いから、玉の時代でも僕の存在確率は変わらない
「って事だと思う。他にも未確認・未考察の材料はあるけど。僕との縁(えにし)が薄れると、玉の存在確率は下がる。実際に、外出して僕と100メートルも離れると、玉は体調不良を起こすそうだ。」
「ぱくぱく。少し気が遠くなりましたよ。ぱくぱく。」
「…玉ちゃん、元気にプリンを食べてるし。」
「プリンって美味しいですねぇ。泣きそうです。」
「…泣きたいのは私だわよ。…私なんで泣きたくなったんだっけ?」
「まぁ、人間も僕らも、色々複雑に出来ているってだけですよ。」
「玉は単純ですよ。殿が大好きだし殿と一緒にいれば何にも問題ないですし。ぱくぱく。」
「あ、それ私のプリン!」
買ったのは僕だけどね。歳下の青木さんに財布を出させるわけにもいかないし。本人には言わないけど。
ていうか僕の分残るかなぁ。
★ ★ ★
北総線の傍に伸びる高規格道路を走る。
一応、一般道並みの制限速度は標識表示されているけど、歩行者のいない片側二車線の広い道路をみんな結構飛ばしている。
「成田新幹線の予定地を道路にしたそうだけど。」
「青木さん、よく知ってるね。さすがジモティ。」
「私は東武線の女ですよ。それも伊勢崎線と野田線しか知らないし。車は持って無いし、矢切と青砥も途中下車とかした事ないし。」
「それを言うなら、僕は熊本と板橋しか知らないけどね。市川に来て、まだ1週間だし。」
「玉が一番じもてぃの筈ですけど、何しろ玉が知ってるこの辺は森と原っぱで野生のお馬さんが駆けてたみたいだし。だしだしだしの素。」
「…玉ちゃんって時々、変な事言うわね。」
「玉が擬音好きなのはメールで知ってたでしょ。」
「因みにだしだし言うのは殿の口癖なので、だしが始まったら玉もだしを始めるのです。」
「…菊地さん?玉ちゃんに変な事教えないで!」
「変な事というか、我が家の癖みたいなものだし。」
「だし。あ、殿、あの黒いほおむせんたあ行きましたね。花火買ったとこです。」
ルームミラーに、地図上のホームセンターに丸する玉の姿が映る。
「…なんか良いなあ。玉ちゃんと菊地さんて。」
「早く佳奈さんも混じるのです。」
「私から押し掛けといてなんだけど、まだ2人の空気に溶け込めないのよね。」
勘違いしそうだけど、僕達は逢ってまだ3回目だからね。玉と同じくらい青木さんもコミュニケーションお化けだから。
★ ★ ★
印旛沼の手前辺りで高規格道路は終わり、普通の対面通行となった。
千葉にしては広い印旛沼の向こうは「なりた」だ。
飛行機がかなり大きく、つまり低く飛んでいる。
「わあわあ。」
わあわあ言いながら玉は大きな丸を書いている。
「わあわあ。」
多分、空港にチェックを入れているんだろう。
「それで、これから何処行くの?」
「わあわあ。」
玉うるさい。
「そりゃ、成田山だよ。夕べ君が帰ったあと少し調べてみた。」
街道を折れて入り込んだ道は細く捻じ曲がっていた。昔の裏参道なのだろう。
道の両側には黒ずんだしもたや風の旧家が並び、かつての賑わいを彷彿とさせていた。
「昨日、僕達が出逢った神様は玉からも説明があっただろう。荼枳尼天って言うお稲荷さんだ。」
「ふむふむ。」
「で、なりた・荼枳尼天で検索したらここが出た。」
入り口で1,000円札を出して、崖の下にある駐車場に車を停めた。
崖には巨大なトンネルが穿たれていた。
トンネルの向こうは成田山の山門や門前町になっており、おそらくは荷物運搬用の通路なんだろう。
入り口のアーチを潜ると、緩やかな登り坂が続き、沢山の石碑が立ち並んでいた。
江戸中期から戦中くらいの日付けが彫られている。
成田講中や参拝祈念の字が並んでいる事から、このお寺が古くから深く信仰されていた事が伺える。
およそ高低差20メートルくらいだろうか。
急に少しキツくなった坂を登り切ると、売店が並んで建っていた。店頭には油揚げと白狐の今戸焼を並べている。
「御参拝記念にどうですか?」
「くださいな。」
こう言うのに玉は弱い。
そして、奉納用蝋燭と油揚げだけの安い方を取ろうとするので、今戸焼付きの高い方を先に玉に押し付ける。
僕と青木さんの分もお金を払うと、店のおばさんが火打ち石で厄除けをしてくれた。
「あの、私も払う。」
「このくらい気にしなさんな。玉が遠慮しちゃうでしょ。」
「ええと。…はい。」
今戸焼の狐が可愛いとニコニコしてる玉の名前を出した事が効いたらしい。青木さんも素直に受け取ってくれた。
傍の急な階段を数段昇ると、そこは小さな境内になっていた。
「菊地さん、これ。」
青木さんが先ず興味を持ったのは、入り口に奉納された何本かの石碑だった。
そこには、歌舞伎俳優の名前が彫られていたのだよ。
「市川團十郎…。」
「昔の役者の屋号だね。初代・市川團十郎って人は成田山を信仰していたそうだ。だから市川家は成田屋と呼ばれる。この團十郎は7代目だそうだよ。ここから分祠されたお稲荷様は、今でも歌舞伎座に祀られているそうだ。」
「成田山ってお正月の時だけ聞くけど、立派なお寺なのね。」
「…!殿!?」
僕と青木さんが石碑に注目している間に、さっさと参拝を済まそうとしていた玉が、お皿に油揚げを乗せたまま早足で戻ってきた。それまで呑気なオノマトペを口にしていた姿とは違い、
明らかな緊張感を身体から溢れさせていた。
ふと気がつくと、それまで数組いた参拝客の姿が消えていた。数秒前までそこでお札を売ったいた売店のシャッターが閉まっている。
「何?何?」
青木さんの狼狽した声が聞こえて、僕の左手を抱え込んだ。玉は僕の前に立ち、僕を護らんと両足を踏ん張る姿を見せる。
その玉の姿は、さっきまでのミニスカートではなく巫女装束に変わっており、お皿を持たない左手には玉串を持っていた。
「まぁ、そう言う事だよね。」
何が起こったのか、起ころうとしているのか、僕にはもうわかっていた。
僕は“玉の両肩を優しく掴む“と傍に寄せ、青木さんを左手にぶら下げたまま、静かに拝殿に歩み寄った。
僕の運転する車は矢切駅のロータリーで、青木さんをピックアップする。
昨日、僕達の部屋に押し掛けて来た時は、大人っぽいブラウンのスーツにタイトスカート、ストッキングだったけど、今日はジーンズにパーカー、キャップに肩掛けバックと若々しいカジュアルな姿だった。
因みに玉は「他所行きです!」と、前に玉の下着を買いに出た時に、一緒に自分で選んだカットソーに赤いミニスカート。足元はハイカットの生成りコンバース。
「玉ちゃん、そのスカート。丈短くない?」
「うふふん。殿を悩殺する為ですよ。」
「悩殺されたの?」
そのままグルリと顔をこちらに向けた青木さん、素直に僕に聞かないでください。
「個人的には、ピンクのパジャマで枕抱えて座り込んでる玉とかの方が可愛いけどね。」
「あ、それ良いね。布団の上で女の子座りとかされたら、私も抱きつくわ。」
「あれ?短いスカートが思ったより低評価でした。」
まぁ、歳相応の可愛さってあるんですよ。
というか、3人になると、僕ら喋りっぱなしになるなぁ。
「ねぇ玉ちゃん、一緒に後ろ行こうよ。」
「佳奈さんって、ひょっとして甘えん坊さんですか?」
「って言うかさ。他人の私だけ後ろ1人だと寂しいじゃん。玉ちゃんと菊地さんにいちゃつかれても何だしね。」
「玉は地図を読むのに夢中だから、あまり話相手になってくれないよ。」
「え?だってナビ付いてるから、地図必要ないでしょ?」
「玉は好きで地図を読んでるんです。」
ロータリーなのでバス停もあるのに、いつまでもロータリーに停車するわけにもいかないので、2人を急かして出発した。
★ ★ ★
「それにしても、私の家まで迎えに来て良かったのに。」
「君が良くても、まわり近所の目ってものがあるでしょう?」
1人暮らしの独身女性を迎えにくる男。
僕の部屋に青木さんが出入りするようになったら、大家さんなり菅原さんなり、それはうるさかろう。
この間、玉と夕食を取った(麻婆豆腐と炒飯を半分玉に食われた)中華系ファミレスの前を通って、同じくこの間、玉と花火をした梨畑がたくさんある田舎方向に車を向けた。
予め玉にはこのコースを教えていたので、色鉛筆で地図をマーキングをしながら外を眺めている。
「私は気にしないのにな。それに、玉ちゃんにも遊びに来て欲しいし。」
「玉は1人じゃ佳奈さんとこ行けませんよ。」
「なんで!どうして!何?菊地さん、玉ちゃんにお小遣いあげてないの?」
「ぐえぇ。」
あぁこら、運転している僕のクビを後ろから締めないの。
「違いますよ。玉はこの時代の人間じゃないから、色々制限があるんです。玉が確実に居ていいのは、殿のお部屋か殿のそばだけです。」
「………どういう事?」
「そういう事です。だから玉はいつも殿と一緒です。殿に捨てられたら、多分玉は消えますし。お小遣いも貰ってますけど、いつも殿と一緒だから、玉がお金を払う事もありませんし。」
「おい、菊地!」
わぁ、またこっちに来た。運転手のクビを締めるなって。
「あ、殿、あのお店って…!」
10分ほど走り道の両側に農家が増え出した頃、玉が身を乗り出して指差した。
「うん、とうもろこしを買ったコンビニだね。多少時間がかかるし、軽く何か買って行こうか。」
「はいはい。玉はプリンを所望するですよ。」
「………すっかり忘れてたね。」
「玉もです。」
「…あの、今さっき深刻な告白を聞いたんですけど。」
★ ★ ★
・玉は1,000年前の人
・聖域に守られた事により今に存在出来る
・聖域は僕の部屋とどうやら重ねられているらしい
・部屋の家主が僕である以上、聖域の所有者も僕
・源泉は浅葱の力なのか荼枳尼天の神力か不明
・僕の基準は現代、玉の基準は平安末期
・それは、玉の時代に近づくと玉は僕に触れる事実から推測出来る
・つまり、玉の時代に近づく事で玉の存在確率が上がった。
・僕の力(存在確率)が圧倒的に強いから、玉の時代でも僕の存在確率は変わらない
「って事だと思う。他にも未確認・未考察の材料はあるけど。僕との縁(えにし)が薄れると、玉の存在確率は下がる。実際に、外出して僕と100メートルも離れると、玉は体調不良を起こすそうだ。」
「ぱくぱく。少し気が遠くなりましたよ。ぱくぱく。」
「…玉ちゃん、元気にプリンを食べてるし。」
「プリンって美味しいですねぇ。泣きそうです。」
「…泣きたいのは私だわよ。…私なんで泣きたくなったんだっけ?」
「まぁ、人間も僕らも、色々複雑に出来ているってだけですよ。」
「玉は単純ですよ。殿が大好きだし殿と一緒にいれば何にも問題ないですし。ぱくぱく。」
「あ、それ私のプリン!」
買ったのは僕だけどね。歳下の青木さんに財布を出させるわけにもいかないし。本人には言わないけど。
ていうか僕の分残るかなぁ。
★ ★ ★
北総線の傍に伸びる高規格道路を走る。
一応、一般道並みの制限速度は標識表示されているけど、歩行者のいない片側二車線の広い道路をみんな結構飛ばしている。
「成田新幹線の予定地を道路にしたそうだけど。」
「青木さん、よく知ってるね。さすがジモティ。」
「私は東武線の女ですよ。それも伊勢崎線と野田線しか知らないし。車は持って無いし、矢切と青砥も途中下車とかした事ないし。」
「それを言うなら、僕は熊本と板橋しか知らないけどね。市川に来て、まだ1週間だし。」
「玉が一番じもてぃの筈ですけど、何しろ玉が知ってるこの辺は森と原っぱで野生のお馬さんが駆けてたみたいだし。だしだしだしの素。」
「…玉ちゃんって時々、変な事言うわね。」
「玉が擬音好きなのはメールで知ってたでしょ。」
「因みにだしだし言うのは殿の口癖なので、だしが始まったら玉もだしを始めるのです。」
「…菊地さん?玉ちゃんに変な事教えないで!」
「変な事というか、我が家の癖みたいなものだし。」
「だし。あ、殿、あの黒いほおむせんたあ行きましたね。花火買ったとこです。」
ルームミラーに、地図上のホームセンターに丸する玉の姿が映る。
「…なんか良いなあ。玉ちゃんと菊地さんて。」
「早く佳奈さんも混じるのです。」
「私から押し掛けといてなんだけど、まだ2人の空気に溶け込めないのよね。」
勘違いしそうだけど、僕達は逢ってまだ3回目だからね。玉と同じくらい青木さんもコミュニケーションお化けだから。
★ ★ ★
印旛沼の手前辺りで高規格道路は終わり、普通の対面通行となった。
千葉にしては広い印旛沼の向こうは「なりた」だ。
飛行機がかなり大きく、つまり低く飛んでいる。
「わあわあ。」
わあわあ言いながら玉は大きな丸を書いている。
「わあわあ。」
多分、空港にチェックを入れているんだろう。
「それで、これから何処行くの?」
「わあわあ。」
玉うるさい。
「そりゃ、成田山だよ。夕べ君が帰ったあと少し調べてみた。」
街道を折れて入り込んだ道は細く捻じ曲がっていた。昔の裏参道なのだろう。
道の両側には黒ずんだしもたや風の旧家が並び、かつての賑わいを彷彿とさせていた。
「昨日、僕達が出逢った神様は玉からも説明があっただろう。荼枳尼天って言うお稲荷さんだ。」
「ふむふむ。」
「で、なりた・荼枳尼天で検索したらここが出た。」
入り口で1,000円札を出して、崖の下にある駐車場に車を停めた。
崖には巨大なトンネルが穿たれていた。
トンネルの向こうは成田山の山門や門前町になっており、おそらくは荷物運搬用の通路なんだろう。
入り口のアーチを潜ると、緩やかな登り坂が続き、沢山の石碑が立ち並んでいた。
江戸中期から戦中くらいの日付けが彫られている。
成田講中や参拝祈念の字が並んでいる事から、このお寺が古くから深く信仰されていた事が伺える。
およそ高低差20メートルくらいだろうか。
急に少しキツくなった坂を登り切ると、売店が並んで建っていた。店頭には油揚げと白狐の今戸焼を並べている。
「御参拝記念にどうですか?」
「くださいな。」
こう言うのに玉は弱い。
そして、奉納用蝋燭と油揚げだけの安い方を取ろうとするので、今戸焼付きの高い方を先に玉に押し付ける。
僕と青木さんの分もお金を払うと、店のおばさんが火打ち石で厄除けをしてくれた。
「あの、私も払う。」
「このくらい気にしなさんな。玉が遠慮しちゃうでしょ。」
「ええと。…はい。」
今戸焼の狐が可愛いとニコニコしてる玉の名前を出した事が効いたらしい。青木さんも素直に受け取ってくれた。
傍の急な階段を数段昇ると、そこは小さな境内になっていた。
「菊地さん、これ。」
青木さんが先ず興味を持ったのは、入り口に奉納された何本かの石碑だった。
そこには、歌舞伎俳優の名前が彫られていたのだよ。
「市川團十郎…。」
「昔の役者の屋号だね。初代・市川團十郎って人は成田山を信仰していたそうだ。だから市川家は成田屋と呼ばれる。この團十郎は7代目だそうだよ。ここから分祠されたお稲荷様は、今でも歌舞伎座に祀られているそうだ。」
「成田山ってお正月の時だけ聞くけど、立派なお寺なのね。」
「…!殿!?」
僕と青木さんが石碑に注目している間に、さっさと参拝を済まそうとしていた玉が、お皿に油揚げを乗せたまま早足で戻ってきた。それまで呑気なオノマトペを口にしていた姿とは違い、
明らかな緊張感を身体から溢れさせていた。
ふと気がつくと、それまで数組いた参拝客の姿が消えていた。数秒前までそこでお札を売ったいた売店のシャッターが閉まっている。
「何?何?」
青木さんの狼狽した声が聞こえて、僕の左手を抱え込んだ。玉は僕の前に立ち、僕を護らんと両足を踏ん張る姿を見せる。
その玉の姿は、さっきまでのミニスカートではなく巫女装束に変わっており、お皿を持たない左手には玉串を持っていた。
「まぁ、そう言う事だよね。」
何が起こったのか、起ころうとしているのか、僕にはもうわかっていた。
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