ご飯を食べて異世界に行こう

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第一章 開店

降臨

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「殿との!佳奈さんの巫女のお姿、どうでしょう?」
「少し恥ずかしいのだけど。」
巫女装束が複数あるとは思わなかった。というか、和装にあたるから多少の融通が効くとはいえ、玉と青木さんだとSサイズとMサイズくらいの差はあると思うんだけど。

「昨日、お社のお掃除をしていて見つけたんです。神主の衣装もありましたよ。」
「収納一つ無い、建物としては単純な作りだったけど、何処にあったんですか?」
「普通に壁に衣紋掛けで掛かってました。」
…まぁ聖域だし、何が起こっても驚かないか。
「殿も着替えませんか?」
「僕は玉と違って、祝詞を唱えるどころか、祝詞の筆文字を読むことが出来ませんし、それに僕自身どこかの宗教に帰依してないからなぁ。」
両親は菊地家菩提寺の仏教の臨済宗で送ったし、菊地の方のご先祖様は阿蘇の大きな神社を治めていたとかで、初詣はわざわざ一家で出掛けてたし、年末には毎年クリスマスツリーを母と妹が飾り付けていた、典型的なニホンジンなのですよ。うちは。

「………。」
青木さんが、僕のシャツの袖口を無言で引っ張っている。ふむ。どれどれ、トマト食うかな?
空中で切り分けたトマトを一欠片、彼女の口に押し込んでみた。
「………美味しい。何これを私こんな美味しいトマト食べたこと無い!」
「おとといくらいに、大町のコンビニで売ってた普通のフルーツトマトの種だけど。」
「…おととい…コンビニ…種…。大町ってうちの沿線だし?」
あ、色々な矛盾に考えこんじゃった。
後、フルーツトマトの割には実が大きい気もするなぁ。大味じゃなくて良かった良かった。

「そこはどうでも良いんじゃ無いかなぁ。」
「あ、玉も食べます。食べたいです。食べいでか。」
「どうぞ。」
「玉ちゃんってトマト食べたことあるの?」
「殿のご飯はたいてい玉には初めてです。でも殿のご飯にハズレはありません。んー、やっぱり美味しいですぅ。」
「やばいなぁ、私、女子スキルで菊地さんに勝てないかも、って違ぁう!」
おお、見事なノリツッコミが決まった。
「ほのほの、はなはんほ。」
「玉は口にトマトを入れたまま喋らない様に、巫女なのにはしたない。」
「へは、ぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱく。」
だからといって、2切れ目に手を出すかね。

「あ、あと。青木さんの巫女姿も可愛いですね。」
「ついでみたいに言わない!…でもありがと。」
「(殿、不意打ちとは意外とてくにしゃんでした)」
「(確かに不意を突かれたわぁ。普通さ、朴念仁な男に女が拗ねて可愛いパターンじゃんこれ。)」
「(でも、不意を突かれて素直にお礼を言ってる佳奈さんも可愛いかったですよ)」
「(…全くこの2人は……。天然なんだかわざとなんだか………ありがと)」


★  ★  ★


「でも、あれからこんなに変わったんだ。こっちのお店の方は雑草だらけだったと思う。それに、池なんか有ったっけ?…あれから4年経ったし、それは変わるだろうけど。」
「ん~、こっちはあれから3~4日しか経ってない。」
「…は?…。」
「僕らからしたら、君はこないだ逢った人だよ。」
「因みにお社は玉が毎日掃除してます。地面の雑草も玉が全部抜いて、殿に褒められました。」
「ええと。いや、ある種のタイムトラベルものだとわかっているのよ。私だって色々常識外れの経験をしているし。そもそも私主観だと4年経ってても、菊地さんはともかく、玉ちゃんが全く変わっていないってあり得ない事実を普通に受け入れてるし。」

気持ちはわかる。主観と体感にズレがあると、理解はしていても脳がついていかないよね。
僕も慣れるまでは、生物の脳のポンコツさに戸惑ったもん。

あれ?
「どうしました殿?」
「いや、懐に…。」
懐にいきなり何かある。…紙?この手触りは和紙?
胸のボタンを開けて手を突っ込んでみた。
「ちょっと、女子の前でいきなり脱がないでよね。」
「脱ぎませんよ。」
「玉の前なら脱いで貰っても構いませんよ。」
「玉ちゃん!?」
青木さんの悲鳴が上がる。
「今更ですよ今更。むしろ殿には隙が無くて残念なのです。見れません。覗けません。」
「そりゃ一緒に暮らしていれば、そんな事もあるでしょうけど、嫁入り前の女の子としてどうなのそれは?」
「いっそ佳奈さんも一緒に暮らしますか?一緒に殿を覗きましょう。」
「……通勤時間はここと矢切と、どっちが短いかしらね。」
「大家さんのお婆ちゃんに聞いてみましょうか?部屋が空いてるかどうかも。」
「…ねぇ玉ちゃん。菊地さん、とっくにどっか行っちゃったわよ。」
「殿はかんけーねーです。玉は今、佳奈さんを口説いてますので。」
「…菊地さん、何気に玉ちゃんに尻に敷かれてそうね…。」
「そうです。なんなら一緒に殿を尻に敷きませんか?」


なんか外で恐ろしい事を言い始めているから、さっさと逃げ出して、と。
懐に入っている紙は、褐色の和紙だった。

「越殿楽?なんだコレ。」

ラロルタァルラアト…
カタカナで意味不明な言葉が並んでいる。

…そっか。君の仕業か。

聖域は基本的にナンデモアリな空間だから、制限があるとはいえ、基本的に僕の望みがある程度叶う。
基本的・制限・ある程度と似た表現を重ねているのは、僕にもその定義がよくわからないからだ。

同時に、僕の周りの人の願いもある程度叶えている。
玉が食べたいと思った「おから」が勝手に出てきた様に(一輪草がやたら増えたのも、多分それだ)。

それは、“君にも“適用されたと言う事、ですか。

仕方ない。
本殿の壁に掛かる祭服に着替えて烏帽子を冠る事にする。
この服があるって事は、そして青木さんまで巫女になっているという事は。
「そういう事何だろう。」
僕は、祭壇にさりげなく置かれていた笛を取って外に出た。

★  ★  ★

「あの辺だと、買い物に行くの、大変じゃ無い?コンビニも駅前まで行かないと無かったし…って今の私の住んでいるところも、街道沿いのスーパーとコンビニくらいしかないけど。」
「ご飯だったら、殿がいくらでも出してくれますよ。というか、殿でも困るくらいぽこぽこ湧いて出てるみたいです。」
「一応独身女性の私としては、お付き合いしている彼氏でも無い独身男性にご飯を集る構図って言うのは、ちょっと考えちゃうのよね。」
「だったら、さっさと嫁に来るべきです。」
「あの~、私と菊地さんって逢っている時間ってトータルでも3時間くらいなんですけど。」
「玉の頃なら、結婚式の時に初めて旦那様に逢う事なんか珍しく無いですよ。」
「いや、今の常識ではね…って言うか、玉ちゃんは何故初対面の時から、私と菊地さんをくっつけようとするの?」
「殿にも守るべきものが出来れば働くと思うのです。残念ながら、玉は殿の子供を産めそうにないので。」
「あいつ働いて無いの?」
「会社が潰れて、失業手当で暮らしてるそうです。」

★  ★  ★


成る程。
この紙は、西洋音楽で言うところの楽譜、スコアなんだ。
雅楽だと、口伝もしくはこの様な文体で音楽を残す、と。

「働け!」

「わぁ!なんだいきなり。」

本殿を出るなり青木さんに詰め寄られる僕だった。

★  ★  ★

僕が祭壇から手にして来たものは一本の横笛。
「働け。」
竜笛と言い、雅楽に於いて「笙」「篳篥」と並ぶ主要な楽器である。
「働け。」
音が出る理屈は、管楽器のリードを吹くあれと変わらない。要は、瓶の口を吹いて音を出す、子供の頃なら誰もがやったアレだ。
「働け。」
僕は、本殿の入り口に体を向け、静かに吹く。
「働け。」

「殿、この旋律は…。」
僕が奏でる曲に真っ先に反応したのは、流石に本職は巫女さんな「昔の」人。玉だった。

越殿楽。

平安時代に流行した雅楽で、作曲者は、中国史では諸葛亮孔明に並ぶ、漢の大軍師「張良」とも言われる。

「春の弥生の曙に 四方の山辺を見渡せば 花盛りかも白雲の かからぬ峰こそ無かりけれ」

曲に合わせ玉が歌い、舞を踊る。
この曲に付けられた舞は既に失われて久しいというけど、玉の身体には染み付いている様だ。
微笑みながら、歌いながら、現代では失われた舞を舞ううちの巫女さん。
その装束には、同じく巫女だった彼女の母親が宿っている。玉に重なり、彼女らしい姿が見えているな。
やはり、この間「働け」と説教された時に見えた女性は、玉の母だった様だ。

同じ様に、働け働けとうるさかった青木佳奈が釣られ、玉の真似をしながら、少し遅れて舞を舞う。
いつしか2人の舞は調子を合わせユニゾンと化す。
やがて彼女達の手には白扇が握られ、扇も舞始める。


僕らは吹く事に、歌う事に、舞う事に。
ただ夢中になっていた。
そして。

3度竜笛が鳴り、舞を待い終わった時、久しぶりに彼女が降臨していた。
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