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第一章 開店
あの人が来るぞ
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食事を終えて帰る途中、街道沿いの大型書店に寄った。別に特に用があったわけではなくてね。
僕が欲しがるレベルの、単なる情報収集ならネット検索で充分だし、玉にも電子書籍の購入は自由にさせている。
もっとも玉は、控えめな性格な上、自分が居候だと認識している女の子なので、今まで買ったのは園芸雑誌一冊だけ。テレビの園芸番組の教材本だ。
大家さんとの交流の中で大家さんの勧めで、それも僕にある種の制限を受けていない事を証明する為に、大家さんの目前で購入したそうだ。
(因みに、うちの大家さんはAmazonも電子書籍も自在に利用するデジタルお婆ちゃんだった。)
それすらも、後で僕に許可を求めて説明されて知った事だ。今も玉の電子書籍サイトには、その一冊しか登録がない。
引越した際に、僕は余計な書籍やソフト類を殆ど処分してしまったので、今の僕の部屋に娯楽品はほぼ無い。デバイス機器に入っているものを消費するだけで、時間的に精一杯だからね。
1,000年前の、歳下の、異性の暇つぶしなんかさっぱりわからないから、ネット上ならば好きにしなさい(ネット通販に使える月の枠が10万円あるから)と言っているのだけど。
玉は頑なに我儘を言おうとも、しようともしないんだ。
僕は玉を扶養家族だと思っているから、我儘の一つも言ってくれると嬉しいんだけどね。
安い花火をねだってくる姿なんか、かわいかったじゃないか。
だから、今日は無理矢理、無理くり強引にでも買ってみようか。
無職のくせに色々騒がしい毎日だけど(我ながら自分にうるさいよ、と突っ込もう)、全く暇な時間がないわけじゃないし、玉はその存在確率上、僕から離れる事はしないし出来ない。(僕が一人でちょっとでも離れる時は、玉は聖域と同じ性格を持つ部屋にこびりついてる)
だったら、玉には自分の時間というものを作って欲しいし、大切にして欲しい。
京都に本社がある世界一のゲーム会社のハードと、いくつかの操作が分かりやすく、キャラクターが可愛らしいアクションゲームを調達して纏め買い。というか大人買い。
因みに僕は反射神経が鈍いらしく、この手のゲームは一面クリアが精一杯だ。
玉は何が何だかわからないらしく、売り場のモニター画面を見て「ふわぁ」とか感想を漏らしているので、これは家に帰ってからの反応が楽しみだ。
書籍コーナーで、「欲しい本を最低10冊選びなさい。じゃないと家には帰りません。」と命令して、
戸惑う玉を広大なコーナーに放り込んだ。
玉が選んだのは、数冊の文庫本の写真集(女の子のじゃなく自然とか歴史とか)と園芸雑誌、それに千葉県地図だった。
少女漫画とか、選んでいい年頃だと思うけど、そもそも漫画の存在を知らないみたい。
年代的に、京都でやっと鳥獣戯画が成立した頃の人だから、活字だらけの本を読むより難しいんだろう。
漫画読みに慣れた僕らでさえ、アメコミとか読み方に慣れるまで大変だしね。
「地図?あぁ、そう言えば我が家には地図とかなかったね。」
「殿はよくお出掛けに誘ってくれますし、いつも楽しいです。地図は殿のところに来て初めて知りましたけど、見てるだけで楽しいですし。でも、なびげえしょんで道案内には困らないとはいえ、玉にはどこに出掛けたのかわからないのが残念なのです。」
あぁそれは分かる。上京したばかりの頃、文庫本サイズの小さな地図をバックに忍ばせて、上野やら新宿やら、聞いたことのある街をぶらぶらしたり、下宿先の近所を目的もなく散歩して、あとで自分の行跡を確認する作業は面白かった。車を手に入れて行動範囲が広がった時は、無闇矢鱈と走り回って、意味もなく入り込んだ道が知っている道に繋がった時は、頭の中の地図が一つレベルアップした様な快感を覚える事も出来たものだ。
「もう一つ言うと、殿のお部屋と玉の家は近いみたいですし、玉の時代と殿の時代を色々比べられたら面白いなぁって思って。」
「そう言う事なら。」
郷土史の本を数冊追加。
「殿!それ高い本です!」
玉が値段を見て棚に戻した姿を、僕はさりげなくチェックしてたんですよ。
「そりゃ地元の小さな出版社が、地元の書店に卸している地元本だから。一冊一冊は高いよ。でもね、地元の研究者が地元を研究しているから、微に入り細に入り痒いところに手が届く内容なんだよ。玉の求めるものは、お寺の伝習所・寺子屋の教科書じゃなくて、こんな本なんだよ。」
「でもでも。」
「少しは僕に頼りなさい。車が欲しいマンションが欲しいとか言わなければ、玉が欲しいものくらいなんとかなります。玉が我慢している姿を見ている方が、僕には苦しいんです。」
「………。殿……ありがとうございます。」
深々と頭を下げてくれる玉。
「どういたしまして。」
浅葱の力のおかげで、エンゲル係数が限りなく低くなっているおかげもあるしね。
★ ★ ★
家に戻ると、テーブルにさっきの水晶玉を転がしておこう。これは後で。
車を駐車場に置いて戻って来たら、玉はさっさとお風呂に入ってました。さすがお風呂巫女。
「お湯に入る習慣がなかったから、入浴って気持ちいいんですよおおお。」
わかったから、お風呂でエコーを利かせないで下さい。近所迷惑です。
「本棚!」
あーあ。引越しする時に処分した学生時代から使い古した本棚が帰って来た。
まぁ、割と作りはしっかりしているし、玉の本棚には充分でしょう。
さっき買った本を並べて、ついでに店頭のガチャガチャで適当に手に入れた、よく知らない動物フィギュアを並べておく。なんたらファミリーってシリーズの正規品らしい。
テレビも基本的に玉しか見てないんだけど、ちょいちょいと結線して、赤い帽子の水道屋が亀の化け物相手に戦うゲームをセッティング。
…試しに遊んでみたら、一面もクリア出来なかった。
僕よりも一回り年齢が上なのに12時間くらいプレイできる「課長」って、別の意味で凄いな。
★ ★ ★
お風呂から上がった玉が先ず僕におねだりして来たのは、新しい水晶玉の事だった。
「たぬきちがくれたんですよね。」
「帰り際にね。突然足で転がしてくれたんだ。」
「気が付かなかったなぁ、です。」
「玉は僕から離れない様にしがみ付くのに夢中になるからね。」
「です。」
「んじゃ、行くよ。」
僕は、僕達は新しい水晶玉の中に入って行った。
★ ★ ★
僕達はとある谷間に立っていた。
僕達の両側には、低い里山がずっと続き、里山と里山の間隔は見たところ広い部分でせいぜい300メートル。
谷の真ん中に道が通じ、その先は数百メートルが霞んで確認出来ない。
元の時間とリンクしているとしたら、間もなく22時になろうかという頃だろう。
ここは水晶玉の中ではあるが、今までのお社や茶店と違って岩壁に囲まれていない。
道が南北に通じていると仮定すると東西は里山で隔たれている。
でも多分、この道を行っても、どこにも行けないんだろうなぁ。多分、ここに戻って来る。
うん。いつものように、僕は知っているんだ。
そして、僕達が居る隣には黒ずんだ長屋門が立っていた。壁の下半分は下身板張り、上半分は漆喰の白壁。
柱や梁は時代を経て、重厚な存在感を醸し出している。
そして、この門を僕は知っている。
重い音をして、扉を開けた。
「ぎいいいいい。」
「音真似は要りませんよ。」
割と滑らかに開いたから。
ごしゃごしゃ音を立てて歩く。
靴が半分埋まる玉砂利は、一つ一つが卵の様に大きく、“子供の足では少し苦労したものだ。“
道は急激に右に折れ、その端には灌木が植えられ境としている。梔子の花だ。花が良い匂いがするんだ。
左は花壇の先に畑、右は井戸がある。
道は芝生で整理された庭に続き、その庭の入り口に柿の木がある。
そう。この柿は甘くて美味しいんだ。
母家と離れが建っている。
離れは牛小屋になっていて、隠居部屋が奥にあるんだ。もっとも、祖母の話では隠居部屋に人が居ても、牛泥棒に牛を盗まれたらしいけど。
母家の一番奥が玄関にある。
式台が置かれ脇壁があり、引戸を開けると屏風がある。
明治初期の里の集落が描かれて居ると聞く。
面白い事に、屏風の隅に何人かの侍と、兵児帯を付けた一人の巨漢が描かれて居る事だ。
祖母曰く「西郷どん」だそうだ。
西南戦争の時、我が家で茶を一杯所望したらしい。
「世に出すと驚かれる文化財が幾つもあるわよ。」
今思えば、とんでもない事をお婆ちゃんはニコニコ笑いながら話していたのではないだろうか。
「殿はこのお武家さんのお屋敷をご存知なんですか?」
ご存知さ、よぉくご存知さ。
「いや、武家屋敷じゃないな。確か名字帯刀を許可された庄屋だ。」
「みょーじたいとう?しょうや?」
「あぁ関東の方じゃ名主って言うのか。んーと、玉にわかりやすく言えば地頭だ。」
「あぁ、あの嫌な奴。」
「…そうか。嫌な奴か。」
今でも泣く子と地頭には敵わないなんて言葉も残っているし、庶民には嫌われた存在だったんだろう。
「それで、これがしょーやの家と、何故分かるのですか?」
「この家は、うちの亡き母の田舎だ。母は町場の人だったけど、祖母はこの家に住んでいた。そして僕は、祖父母や両親が健在だった昔に何度も来ていた。」
「………。」
「つまり、この家は浅葱家の本家の建物だ。…今はどうなって居るかは知らない。浅葱姓を継いだ叔父がいるはずだから、その人の管理なんだろう。けど、今の僕は、この家がある場所から遠く離れて暮らしているし、両親亡き後は、交流も途絶えたから今はわからないけどね。」
「それがここにあったら、今頃そのおじさんって大変な事になってませんか?」
「あぁ、それは大丈夫。」
だって、長屋門は母が産まれる前に既に焼失している。僕も写真でしか見た事がない。
つまり、この屋敷は元の時間帯とは別に存在して居るわけだ。
★ ★ ★
〈もしもし〉
〈もしもし〉
〈……。やっと声が聞けた…。…こんな声だっけ。〉
〈失礼な。君と別れから、僕達はまた一週間と経っていない。玉も玉のままだ。〉
翌朝、漸くお互いの電話番号をメールて交換して、青木佳奈嬢と直接話す機会があった。
一応ね。僕の方がオッさんだし、青木さんは年頃の娘さんだから、距離を近づけるのも節度を持っている訳ですよ。
「へたれ。」
うるさい玉。
〈へたれ〉
〈お前が言うな〉
玉との方が連絡は密な筈だけど、先ずは保護者になる僕に話をして来たらしい。玉はスピーカーモードの僕のスマホの音声を聴いている。
〈ところで、また進展があったんだって?〉
〈どうしてそれを、って聞く迄もないな。玉か〉
〈玉ちゃんは菊地さん、アニキが何か始めると全部教えてくれるよ。〉
〈アニキって、あの時以来だな〉
〈うん、今思い出した〉
僕達と違って、青木さんには4年前の出来事だしね。
〈と言う訳で、これから行くね。〉
〈はい?〉
「はい?」
玉が驚いているのか。
それではコレは?
ピンポーン。
考える間もなく、玄関のチャイムが鳴った。
僕が欲しがるレベルの、単なる情報収集ならネット検索で充分だし、玉にも電子書籍の購入は自由にさせている。
もっとも玉は、控えめな性格な上、自分が居候だと認識している女の子なので、今まで買ったのは園芸雑誌一冊だけ。テレビの園芸番組の教材本だ。
大家さんとの交流の中で大家さんの勧めで、それも僕にある種の制限を受けていない事を証明する為に、大家さんの目前で購入したそうだ。
(因みに、うちの大家さんはAmazonも電子書籍も自在に利用するデジタルお婆ちゃんだった。)
それすらも、後で僕に許可を求めて説明されて知った事だ。今も玉の電子書籍サイトには、その一冊しか登録がない。
引越した際に、僕は余計な書籍やソフト類を殆ど処分してしまったので、今の僕の部屋に娯楽品はほぼ無い。デバイス機器に入っているものを消費するだけで、時間的に精一杯だからね。
1,000年前の、歳下の、異性の暇つぶしなんかさっぱりわからないから、ネット上ならば好きにしなさい(ネット通販に使える月の枠が10万円あるから)と言っているのだけど。
玉は頑なに我儘を言おうとも、しようともしないんだ。
僕は玉を扶養家族だと思っているから、我儘の一つも言ってくれると嬉しいんだけどね。
安い花火をねだってくる姿なんか、かわいかったじゃないか。
だから、今日は無理矢理、無理くり強引にでも買ってみようか。
無職のくせに色々騒がしい毎日だけど(我ながら自分にうるさいよ、と突っ込もう)、全く暇な時間がないわけじゃないし、玉はその存在確率上、僕から離れる事はしないし出来ない。(僕が一人でちょっとでも離れる時は、玉は聖域と同じ性格を持つ部屋にこびりついてる)
だったら、玉には自分の時間というものを作って欲しいし、大切にして欲しい。
京都に本社がある世界一のゲーム会社のハードと、いくつかの操作が分かりやすく、キャラクターが可愛らしいアクションゲームを調達して纏め買い。というか大人買い。
因みに僕は反射神経が鈍いらしく、この手のゲームは一面クリアが精一杯だ。
玉は何が何だかわからないらしく、売り場のモニター画面を見て「ふわぁ」とか感想を漏らしているので、これは家に帰ってからの反応が楽しみだ。
書籍コーナーで、「欲しい本を最低10冊選びなさい。じゃないと家には帰りません。」と命令して、
戸惑う玉を広大なコーナーに放り込んだ。
玉が選んだのは、数冊の文庫本の写真集(女の子のじゃなく自然とか歴史とか)と園芸雑誌、それに千葉県地図だった。
少女漫画とか、選んでいい年頃だと思うけど、そもそも漫画の存在を知らないみたい。
年代的に、京都でやっと鳥獣戯画が成立した頃の人だから、活字だらけの本を読むより難しいんだろう。
漫画読みに慣れた僕らでさえ、アメコミとか読み方に慣れるまで大変だしね。
「地図?あぁ、そう言えば我が家には地図とかなかったね。」
「殿はよくお出掛けに誘ってくれますし、いつも楽しいです。地図は殿のところに来て初めて知りましたけど、見てるだけで楽しいですし。でも、なびげえしょんで道案内には困らないとはいえ、玉にはどこに出掛けたのかわからないのが残念なのです。」
あぁそれは分かる。上京したばかりの頃、文庫本サイズの小さな地図をバックに忍ばせて、上野やら新宿やら、聞いたことのある街をぶらぶらしたり、下宿先の近所を目的もなく散歩して、あとで自分の行跡を確認する作業は面白かった。車を手に入れて行動範囲が広がった時は、無闇矢鱈と走り回って、意味もなく入り込んだ道が知っている道に繋がった時は、頭の中の地図が一つレベルアップした様な快感を覚える事も出来たものだ。
「もう一つ言うと、殿のお部屋と玉の家は近いみたいですし、玉の時代と殿の時代を色々比べられたら面白いなぁって思って。」
「そう言う事なら。」
郷土史の本を数冊追加。
「殿!それ高い本です!」
玉が値段を見て棚に戻した姿を、僕はさりげなくチェックしてたんですよ。
「そりゃ地元の小さな出版社が、地元の書店に卸している地元本だから。一冊一冊は高いよ。でもね、地元の研究者が地元を研究しているから、微に入り細に入り痒いところに手が届く内容なんだよ。玉の求めるものは、お寺の伝習所・寺子屋の教科書じゃなくて、こんな本なんだよ。」
「でもでも。」
「少しは僕に頼りなさい。車が欲しいマンションが欲しいとか言わなければ、玉が欲しいものくらいなんとかなります。玉が我慢している姿を見ている方が、僕には苦しいんです。」
「………。殿……ありがとうございます。」
深々と頭を下げてくれる玉。
「どういたしまして。」
浅葱の力のおかげで、エンゲル係数が限りなく低くなっているおかげもあるしね。
★ ★ ★
家に戻ると、テーブルにさっきの水晶玉を転がしておこう。これは後で。
車を駐車場に置いて戻って来たら、玉はさっさとお風呂に入ってました。さすがお風呂巫女。
「お湯に入る習慣がなかったから、入浴って気持ちいいんですよおおお。」
わかったから、お風呂でエコーを利かせないで下さい。近所迷惑です。
「本棚!」
あーあ。引越しする時に処分した学生時代から使い古した本棚が帰って来た。
まぁ、割と作りはしっかりしているし、玉の本棚には充分でしょう。
さっき買った本を並べて、ついでに店頭のガチャガチャで適当に手に入れた、よく知らない動物フィギュアを並べておく。なんたらファミリーってシリーズの正規品らしい。
テレビも基本的に玉しか見てないんだけど、ちょいちょいと結線して、赤い帽子の水道屋が亀の化け物相手に戦うゲームをセッティング。
…試しに遊んでみたら、一面もクリア出来なかった。
僕よりも一回り年齢が上なのに12時間くらいプレイできる「課長」って、別の意味で凄いな。
★ ★ ★
お風呂から上がった玉が先ず僕におねだりして来たのは、新しい水晶玉の事だった。
「たぬきちがくれたんですよね。」
「帰り際にね。突然足で転がしてくれたんだ。」
「気が付かなかったなぁ、です。」
「玉は僕から離れない様にしがみ付くのに夢中になるからね。」
「です。」
「んじゃ、行くよ。」
僕は、僕達は新しい水晶玉の中に入って行った。
★ ★ ★
僕達はとある谷間に立っていた。
僕達の両側には、低い里山がずっと続き、里山と里山の間隔は見たところ広い部分でせいぜい300メートル。
谷の真ん中に道が通じ、その先は数百メートルが霞んで確認出来ない。
元の時間とリンクしているとしたら、間もなく22時になろうかという頃だろう。
ここは水晶玉の中ではあるが、今までのお社や茶店と違って岩壁に囲まれていない。
道が南北に通じていると仮定すると東西は里山で隔たれている。
でも多分、この道を行っても、どこにも行けないんだろうなぁ。多分、ここに戻って来る。
うん。いつものように、僕は知っているんだ。
そして、僕達が居る隣には黒ずんだ長屋門が立っていた。壁の下半分は下身板張り、上半分は漆喰の白壁。
柱や梁は時代を経て、重厚な存在感を醸し出している。
そして、この門を僕は知っている。
重い音をして、扉を開けた。
「ぎいいいいい。」
「音真似は要りませんよ。」
割と滑らかに開いたから。
ごしゃごしゃ音を立てて歩く。
靴が半分埋まる玉砂利は、一つ一つが卵の様に大きく、“子供の足では少し苦労したものだ。“
道は急激に右に折れ、その端には灌木が植えられ境としている。梔子の花だ。花が良い匂いがするんだ。
左は花壇の先に畑、右は井戸がある。
道は芝生で整理された庭に続き、その庭の入り口に柿の木がある。
そう。この柿は甘くて美味しいんだ。
母家と離れが建っている。
離れは牛小屋になっていて、隠居部屋が奥にあるんだ。もっとも、祖母の話では隠居部屋に人が居ても、牛泥棒に牛を盗まれたらしいけど。
母家の一番奥が玄関にある。
式台が置かれ脇壁があり、引戸を開けると屏風がある。
明治初期の里の集落が描かれて居ると聞く。
面白い事に、屏風の隅に何人かの侍と、兵児帯を付けた一人の巨漢が描かれて居る事だ。
祖母曰く「西郷どん」だそうだ。
西南戦争の時、我が家で茶を一杯所望したらしい。
「世に出すと驚かれる文化財が幾つもあるわよ。」
今思えば、とんでもない事をお婆ちゃんはニコニコ笑いながら話していたのではないだろうか。
「殿はこのお武家さんのお屋敷をご存知なんですか?」
ご存知さ、よぉくご存知さ。
「いや、武家屋敷じゃないな。確か名字帯刀を許可された庄屋だ。」
「みょーじたいとう?しょうや?」
「あぁ関東の方じゃ名主って言うのか。んーと、玉にわかりやすく言えば地頭だ。」
「あぁ、あの嫌な奴。」
「…そうか。嫌な奴か。」
今でも泣く子と地頭には敵わないなんて言葉も残っているし、庶民には嫌われた存在だったんだろう。
「それで、これがしょーやの家と、何故分かるのですか?」
「この家は、うちの亡き母の田舎だ。母は町場の人だったけど、祖母はこの家に住んでいた。そして僕は、祖父母や両親が健在だった昔に何度も来ていた。」
「………。」
「つまり、この家は浅葱家の本家の建物だ。…今はどうなって居るかは知らない。浅葱姓を継いだ叔父がいるはずだから、その人の管理なんだろう。けど、今の僕は、この家がある場所から遠く離れて暮らしているし、両親亡き後は、交流も途絶えたから今はわからないけどね。」
「それがここにあったら、今頃そのおじさんって大変な事になってませんか?」
「あぁ、それは大丈夫。」
だって、長屋門は母が産まれる前に既に焼失している。僕も写真でしか見た事がない。
つまり、この屋敷は元の時間帯とは別に存在して居るわけだ。
★ ★ ★
〈もしもし〉
〈もしもし〉
〈……。やっと声が聞けた…。…こんな声だっけ。〉
〈失礼な。君と別れから、僕達はまた一週間と経っていない。玉も玉のままだ。〉
翌朝、漸くお互いの電話番号をメールて交換して、青木佳奈嬢と直接話す機会があった。
一応ね。僕の方がオッさんだし、青木さんは年頃の娘さんだから、距離を近づけるのも節度を持っている訳ですよ。
「へたれ。」
うるさい玉。
〈へたれ〉
〈お前が言うな〉
玉との方が連絡は密な筈だけど、先ずは保護者になる僕に話をして来たらしい。玉はスピーカーモードの僕のスマホの音声を聴いている。
〈ところで、また進展があったんだって?〉
〈どうしてそれを、って聞く迄もないな。玉か〉
〈玉ちゃんは菊地さん、アニキが何か始めると全部教えてくれるよ。〉
〈アニキって、あの時以来だな〉
〈うん、今思い出した〉
僕達と違って、青木さんには4年前の出来事だしね。
〈と言う訳で、これから行くね。〉
〈はい?〉
「はい?」
玉が驚いているのか。
それではコレは?
ピンポーン。
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