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第六章【テルミーグランマ】
第六章 その③
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「あった」
二〇三号室の札。封筒に記されていた部屋番号と一致する。
僕は皆月と目を見合わせた。そして、二人同時に息を吸い込み、頷く。
「じゃあ、行くよ」
僕はそう言うと、震える指をインターフォンに伸ばした。
縦筋が目立つ爪が、インターフォンを押す。次の瞬間、チョコレートみたいな色をした扉の向こうから、キンコーン…と鐘を鳴らす音が聴こえた。
まるで、猛獣の腹を突いたような気分になって、僕はネックレスを握りしめると息を潜める。皆月でさえも何も言わず、じっと扉を見つめていた。
一秒…、二秒…、三秒…、四秒…。
十秒経ったが、この扉が開かれる様子も、この向こうで誰かが動くような気配も無かった。
「留守か」
居眠りしているのかもしれない…という考えを早々に捨てた僕は、家主が留守にしているのだと決めつける。止めていた息を吐いた時、それには安堵が混じっていた。
ネックレスを握りしめていた手が緩む。
「また日を改めよう」
「いや、ちょっと待ってよ」
皆月は呆れた声をあげ、僕の腕を掴んだ。
「まだ時間に余裕はあるんだから、もう少し待ってみようよ。ちょうど下にベンチあったし」
「いやあ、どうだろ? 長いこと帰ってこないかもしれないしさ」
「いやいや、すぐに帰ってくるかも…」
皆月に怒った様子は無かった。へらっと笑い、優しい力で僕の腕を引く。
「私、コンビニでご飯買ってくるから、もう少しだけ待ってみよう。ね?」
「わかったよ」
まあ僕も本気で言ったわけじゃなかったから、肩を竦めて頷いた。
「お腹がペコペコだよ。ほんのちょっと休もう」
「うん」
その時だった。
「あの、どちら様ですか?」
話す僕たちの背後で、女性の声がした。
急に話しかけられるものだから、僕は小さな悲鳴を上げる。鼓動が逸るのを感じながら振り返ると、階段を上ったすぐそこに、六十…いや、七十代くらいの女性が立っていた。
背筋の伸びた女性は、ゆったりとした黒いパンツを履き、灰色のカーディガンを着ていた。髪の毛も灰色で、瞼が垂れてきて、心なしか笑っているように見える。買い物帰りだったようで、右手にはナイロン袋が提げられていた。
その顔を見た瞬間、僕の脳裏に、電撃のようなものが走る。
一瞬、世界が色褪せて、何かの光景が過った。
「あ…」
しまった…と思い、思わず後退った僕は、手で顔を覆う。
だが、それよりも先に、女性が僕に気づいた。
「お前は…」
もう遅いというのに、息を殺す。
どさっ! と、買い物袋が落ちる音がした。
ざっ…、ざっ…と、擦るような足音が近づいてくる。
観念して顔を上げた時、女性は目の前まで迫って来ていて、次の瞬間、皺だらけの掌が僕の胸を突いた。
よろめいた僕は、そのまま尻もちをつく。
「…………」
一瞬、辺りが静寂に包まれた。
僕は震えながら女性を見上げる。
女性は目を血走らせながら僕を見下ろす。
皆月は、何が何だか…と言うように、その場に立ち尽くしていた。
どのくらい経っただろうか?
「お前、なんで帰ってきた!」
先程の優しそうな雰囲気は何処へやら。女性は喉が裂けんばかりの怒鳴り声を、僕に浴びせた。
「ご、ごめん…」
反射的に謝る。
見ると、女性は顔を引きつらせていて、白かった肌は紅潮していた。握りしめた拳も小刻みに震えていて、今に僕に殴りかかってきそうな勢いだ。
「約束させたはずだぞ! もう二度と、私の前に姿は現さないって! なのに、どうして今更戻ってきた! 何だ! 何の用だ! 何をしに来た」
そして、次の瞬間には、握りしめた拳を振り上げる。
僕は咄嗟に顔を覆う。
骨が隆起した貧相な拳が、僕の腕に直撃した。大した痛みじゃない。でもなぜか、胸がたまらなく痛くなって、泣きそうになった。
女性は僕を殴り続ける。
「ちょ、ちょっと、何やっているんですか」
我に返った皆月が、僕と女性の間に割り込んできた。
分別はあるようで、女性は拳を止める。そして、眉間に皺を寄せながら、皆月を睨んだ。
「邪魔をするな。こいつは、私と孫の問題さ」
「え…」
私と孫の問題。
そう聞いて、皆月は僕の方を振り返った。驚いた様子はない。「なるほどね…」と、新たに判明せんとする過去がどんなものであるか想像しているようだった。
僕は息を吐くとともに、顔を覆っていた腕を下げる。そして、震える目で女性…、いや、僕の祖母を見た。そうだ、この人は僕の祖母だった。
中学のある時から、高校を卒業するまで、親代わりになってくれた人。
祖母は立ちふさがる皆月を押し除けようと、肩に触れた。
「お前、うちの…」
だが、言葉が途切れる。僕の顔を見て固まった祖母は、口元に手をやり、何やら考える素振りを見せた。また息を吸い込み、言おうとする。
「お前、う、うちの…」
だが、次の言葉が出ない。
目を泳がせた祖母は、何か得体の知れないものに恐怖しているかのように言った。
「お前の名前、なんて言うんだったっけか」
「…ナナシ」
僕はやけくそで、そう言った。
冷たいコンクリートに手を付き、立ち上がると、ほんの少し調子が戻る。
「ばあちゃん、ごめん、急に帰って来て…」
決して祖母の顔は見ず、震えた声でそう言った。
「用を済ませたら、すぐに帰るよ。大丈夫…、大したことじゃないから…」
ポケットに手を入れて、あの引き出しに入っていた手紙を取り出した。
「この手紙の件について…」
「あ?」
威圧する声に、思わず手紙を引っ込めた。
委縮してはダメだと思い、また、手紙を翳す。
「これだよ。これ…。半年前に届いていた…」
老眼なのか、祖母は手紙を見るべく、一歩近づいた。
僕は驚き、一歩下がる。
祖母は舌打ちをして、僕の手から手紙をひったくった。
封筒から手紙を取り出し、中を確認し、また舌打ち。
「ああ、これのことか…。何を今更」
ビリッ! と、手紙が破れる音がした。
僕の足元に、真っ二つになった紙が落ちる。
祖母は鼻を鳴らした。
「前に住んでいたところを取り壊したんだ。その際に、お前の荷物が出たからな。だが、全部捨てちまったよ。私は言ったはずだよ? 一週間以内に取りに来いって」
「………」
ま、そうだろうな。
祖母は勝ち誇ったように笑うと、サンダルを履いた足を数回、地面に打ち付けた。
「帰りな。あんたを保護してたのは、行政に頼まれたからだ。成人したお前に、今更手を差し伸べようとは思わんさ。手紙を寄こしたのは、最低限の礼儀だよ」
そして、また僕の胸を突く。
「帰りな。もう二度と、その顔を私に見せるんじゃないよ」
「……うん」
祖母はため息をつくと、落ちていた買い物袋を掴み、僕の横を通り過ぎようとした。
「あんたのせいで、私の人生滅茶苦茶だよ。何が悲しくて、老後こんな安っぽいアパートで暮らさなくちゃならないんだ…」
「もちろん、帰るんだけどさ…」
一言言ったら、十言くらい返って来るのはわかっていたが、僕は恐る恐る聞いた。
「少しだけ、昔話をしてくれないかな?」
「あ?」
当然、祖母の眉間にはさらに深い皺が刻まれた。
僕は肩を震わせながらも、このチャンスを無駄にしないよう、捲し立てた。
「僕は、中学生の頃から、ばあちゃんと一緒に暮らしていたと思うんだよ。その時の僕って、どんな奴だった? どんな、生活を送っていたっけ…?」
「ああ?」
祖母はますます意味が分からない…とでも言うような声を上げた。
「なんだお前、何を言っている?」
「いや、ばあちゃんとの生活はまあ、いいよ。そのうち、多分、思い出すことが出来る」
実際、今、僕の脳が焼けるように回転していて、当時の記憶がみるみる蘇っていた。
僕は息を吸い込むと、パンドラの箱に手を触れるように言った。
「僕はどうして、ばあちゃんと暮らすことになったんだっけ?」
思い出せないのはそこだった。
絶対というわけではない。だけど、基本的に、子どもというものは、母親と父親が産んで育てるものだ。それなのに、僕は祖母に育てられた。しかも、中学生…という中途半端な時期に。
まさか、祖母が僕を産んで育てたというわけじゃあるまい。僕にだって、母親と父親は居るはずだ。
と言うことはつまり、僕の両親に、何か不穏なことが起こったということだ。
「この野郎!」
次の瞬間、張り手が飛んできて、僕の頬を打った。
乾いた音が、アパートの廊下に響き渡る。
よろめいた僕は、また、腰をしたたかに打ち付けた。
「ナナシさん」
皆月が駆け寄って来て、僕を護る様にしてしゃがみ込んだ。
みるみる腫れていく頬を撫でる。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。大丈夫…」
痛かったけど、大丈夫。
僕は皆月の肩越しに、激高している祖母を見た。
なんだ? 何か、祖母の逆鱗に触れるようなことでも言ったのか?
「お前、私を馬鹿にしているのか!」
祖母は、喉に痰が絡まったかのように、ガラガラとした声で怒鳴った。
「からかっているのか! なんでこうなったのかなんて、お前が一番よく知っているだろうが! 当事者なんだからな! なのに、そんなことを言うなんて、腐った性根しやがって!」
「ばあちゃん、落ち着いてよ」
「うるさい! もう二度と顔を見せるな!」
唾をまき散らしながらそう言った祖母は、鍵を使って部屋の扉を開けると、中に入った。次の瞬間には、不貞腐れたように扉が閉じられる。酷い音が耳を突く。そしてその場は、静寂に包まれたのだった。
僕と皆月は見つめ合ったまま、しばらく呆然としていた。
ガチャリ…と扉が開く音がして、我に返る。
てっきり祖母が戻ってきたのだと思ったが、開いていたのは、二つ奥の部屋だった。
顔を覗かせ、通路の様子を伺っていたのは、若い男。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ…」
僕と皆月は慌てて立ち上がると、階段を下り、アパートから離れたのだった。
二〇三号室の札。封筒に記されていた部屋番号と一致する。
僕は皆月と目を見合わせた。そして、二人同時に息を吸い込み、頷く。
「じゃあ、行くよ」
僕はそう言うと、震える指をインターフォンに伸ばした。
縦筋が目立つ爪が、インターフォンを押す。次の瞬間、チョコレートみたいな色をした扉の向こうから、キンコーン…と鐘を鳴らす音が聴こえた。
まるで、猛獣の腹を突いたような気分になって、僕はネックレスを握りしめると息を潜める。皆月でさえも何も言わず、じっと扉を見つめていた。
一秒…、二秒…、三秒…、四秒…。
十秒経ったが、この扉が開かれる様子も、この向こうで誰かが動くような気配も無かった。
「留守か」
居眠りしているのかもしれない…という考えを早々に捨てた僕は、家主が留守にしているのだと決めつける。止めていた息を吐いた時、それには安堵が混じっていた。
ネックレスを握りしめていた手が緩む。
「また日を改めよう」
「いや、ちょっと待ってよ」
皆月は呆れた声をあげ、僕の腕を掴んだ。
「まだ時間に余裕はあるんだから、もう少し待ってみようよ。ちょうど下にベンチあったし」
「いやあ、どうだろ? 長いこと帰ってこないかもしれないしさ」
「いやいや、すぐに帰ってくるかも…」
皆月に怒った様子は無かった。へらっと笑い、優しい力で僕の腕を引く。
「私、コンビニでご飯買ってくるから、もう少しだけ待ってみよう。ね?」
「わかったよ」
まあ僕も本気で言ったわけじゃなかったから、肩を竦めて頷いた。
「お腹がペコペコだよ。ほんのちょっと休もう」
「うん」
その時だった。
「あの、どちら様ですか?」
話す僕たちの背後で、女性の声がした。
急に話しかけられるものだから、僕は小さな悲鳴を上げる。鼓動が逸るのを感じながら振り返ると、階段を上ったすぐそこに、六十…いや、七十代くらいの女性が立っていた。
背筋の伸びた女性は、ゆったりとした黒いパンツを履き、灰色のカーディガンを着ていた。髪の毛も灰色で、瞼が垂れてきて、心なしか笑っているように見える。買い物帰りだったようで、右手にはナイロン袋が提げられていた。
その顔を見た瞬間、僕の脳裏に、電撃のようなものが走る。
一瞬、世界が色褪せて、何かの光景が過った。
「あ…」
しまった…と思い、思わず後退った僕は、手で顔を覆う。
だが、それよりも先に、女性が僕に気づいた。
「お前は…」
もう遅いというのに、息を殺す。
どさっ! と、買い物袋が落ちる音がした。
ざっ…、ざっ…と、擦るような足音が近づいてくる。
観念して顔を上げた時、女性は目の前まで迫って来ていて、次の瞬間、皺だらけの掌が僕の胸を突いた。
よろめいた僕は、そのまま尻もちをつく。
「…………」
一瞬、辺りが静寂に包まれた。
僕は震えながら女性を見上げる。
女性は目を血走らせながら僕を見下ろす。
皆月は、何が何だか…と言うように、その場に立ち尽くしていた。
どのくらい経っただろうか?
「お前、なんで帰ってきた!」
先程の優しそうな雰囲気は何処へやら。女性は喉が裂けんばかりの怒鳴り声を、僕に浴びせた。
「ご、ごめん…」
反射的に謝る。
見ると、女性は顔を引きつらせていて、白かった肌は紅潮していた。握りしめた拳も小刻みに震えていて、今に僕に殴りかかってきそうな勢いだ。
「約束させたはずだぞ! もう二度と、私の前に姿は現さないって! なのに、どうして今更戻ってきた! 何だ! 何の用だ! 何をしに来た」
そして、次の瞬間には、握りしめた拳を振り上げる。
僕は咄嗟に顔を覆う。
骨が隆起した貧相な拳が、僕の腕に直撃した。大した痛みじゃない。でもなぜか、胸がたまらなく痛くなって、泣きそうになった。
女性は僕を殴り続ける。
「ちょ、ちょっと、何やっているんですか」
我に返った皆月が、僕と女性の間に割り込んできた。
分別はあるようで、女性は拳を止める。そして、眉間に皺を寄せながら、皆月を睨んだ。
「邪魔をするな。こいつは、私と孫の問題さ」
「え…」
私と孫の問題。
そう聞いて、皆月は僕の方を振り返った。驚いた様子はない。「なるほどね…」と、新たに判明せんとする過去がどんなものであるか想像しているようだった。
僕は息を吐くとともに、顔を覆っていた腕を下げる。そして、震える目で女性…、いや、僕の祖母を見た。そうだ、この人は僕の祖母だった。
中学のある時から、高校を卒業するまで、親代わりになってくれた人。
祖母は立ちふさがる皆月を押し除けようと、肩に触れた。
「お前、うちの…」
だが、言葉が途切れる。僕の顔を見て固まった祖母は、口元に手をやり、何やら考える素振りを見せた。また息を吸い込み、言おうとする。
「お前、う、うちの…」
だが、次の言葉が出ない。
目を泳がせた祖母は、何か得体の知れないものに恐怖しているかのように言った。
「お前の名前、なんて言うんだったっけか」
「…ナナシ」
僕はやけくそで、そう言った。
冷たいコンクリートに手を付き、立ち上がると、ほんの少し調子が戻る。
「ばあちゃん、ごめん、急に帰って来て…」
決して祖母の顔は見ず、震えた声でそう言った。
「用を済ませたら、すぐに帰るよ。大丈夫…、大したことじゃないから…」
ポケットに手を入れて、あの引き出しに入っていた手紙を取り出した。
「この手紙の件について…」
「あ?」
威圧する声に、思わず手紙を引っ込めた。
委縮してはダメだと思い、また、手紙を翳す。
「これだよ。これ…。半年前に届いていた…」
老眼なのか、祖母は手紙を見るべく、一歩近づいた。
僕は驚き、一歩下がる。
祖母は舌打ちをして、僕の手から手紙をひったくった。
封筒から手紙を取り出し、中を確認し、また舌打ち。
「ああ、これのことか…。何を今更」
ビリッ! と、手紙が破れる音がした。
僕の足元に、真っ二つになった紙が落ちる。
祖母は鼻を鳴らした。
「前に住んでいたところを取り壊したんだ。その際に、お前の荷物が出たからな。だが、全部捨てちまったよ。私は言ったはずだよ? 一週間以内に取りに来いって」
「………」
ま、そうだろうな。
祖母は勝ち誇ったように笑うと、サンダルを履いた足を数回、地面に打ち付けた。
「帰りな。あんたを保護してたのは、行政に頼まれたからだ。成人したお前に、今更手を差し伸べようとは思わんさ。手紙を寄こしたのは、最低限の礼儀だよ」
そして、また僕の胸を突く。
「帰りな。もう二度と、その顔を私に見せるんじゃないよ」
「……うん」
祖母はため息をつくと、落ちていた買い物袋を掴み、僕の横を通り過ぎようとした。
「あんたのせいで、私の人生滅茶苦茶だよ。何が悲しくて、老後こんな安っぽいアパートで暮らさなくちゃならないんだ…」
「もちろん、帰るんだけどさ…」
一言言ったら、十言くらい返って来るのはわかっていたが、僕は恐る恐る聞いた。
「少しだけ、昔話をしてくれないかな?」
「あ?」
当然、祖母の眉間にはさらに深い皺が刻まれた。
僕は肩を震わせながらも、このチャンスを無駄にしないよう、捲し立てた。
「僕は、中学生の頃から、ばあちゃんと一緒に暮らしていたと思うんだよ。その時の僕って、どんな奴だった? どんな、生活を送っていたっけ…?」
「ああ?」
祖母はますます意味が分からない…とでも言うような声を上げた。
「なんだお前、何を言っている?」
「いや、ばあちゃんとの生活はまあ、いいよ。そのうち、多分、思い出すことが出来る」
実際、今、僕の脳が焼けるように回転していて、当時の記憶がみるみる蘇っていた。
僕は息を吸い込むと、パンドラの箱に手を触れるように言った。
「僕はどうして、ばあちゃんと暮らすことになったんだっけ?」
思い出せないのはそこだった。
絶対というわけではない。だけど、基本的に、子どもというものは、母親と父親が産んで育てるものだ。それなのに、僕は祖母に育てられた。しかも、中学生…という中途半端な時期に。
まさか、祖母が僕を産んで育てたというわけじゃあるまい。僕にだって、母親と父親は居るはずだ。
と言うことはつまり、僕の両親に、何か不穏なことが起こったということだ。
「この野郎!」
次の瞬間、張り手が飛んできて、僕の頬を打った。
乾いた音が、アパートの廊下に響き渡る。
よろめいた僕は、また、腰をしたたかに打ち付けた。
「ナナシさん」
皆月が駆け寄って来て、僕を護る様にしてしゃがみ込んだ。
みるみる腫れていく頬を撫でる。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。大丈夫…」
痛かったけど、大丈夫。
僕は皆月の肩越しに、激高している祖母を見た。
なんだ? 何か、祖母の逆鱗に触れるようなことでも言ったのか?
「お前、私を馬鹿にしているのか!」
祖母は、喉に痰が絡まったかのように、ガラガラとした声で怒鳴った。
「からかっているのか! なんでこうなったのかなんて、お前が一番よく知っているだろうが! 当事者なんだからな! なのに、そんなことを言うなんて、腐った性根しやがって!」
「ばあちゃん、落ち着いてよ」
「うるさい! もう二度と顔を見せるな!」
唾をまき散らしながらそう言った祖母は、鍵を使って部屋の扉を開けると、中に入った。次の瞬間には、不貞腐れたように扉が閉じられる。酷い音が耳を突く。そしてその場は、静寂に包まれたのだった。
僕と皆月は見つめ合ったまま、しばらく呆然としていた。
ガチャリ…と扉が開く音がして、我に返る。
てっきり祖母が戻ってきたのだと思ったが、開いていたのは、二つ奥の部屋だった。
顔を覗かせ、通路の様子を伺っていたのは、若い男。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ…」
僕と皆月は慌てて立ち上がると、階段を下り、アパートから離れたのだった。
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