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第六章【テルミーグランマ】
第六章 その② 2018年 7月5日
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【二〇一八年 七月五日】
あの手紙に書かれていた住所は、僕の住む町から約百五十キロ離れたところにあった。交通費は経費で落ちるとのことだったので、迷わず特急電車の切符を買った。本来なら二時間足らずで到着するはずだったのだが、線路の電線にビニール袋が引っ掛かった云々のトラブルが発生してしまい、途中の駅で足止めを食らうこととなった。
別に急ぎの用じゃなかったから、蒸し暑い車内で待つ。ほとんど眠っていたから、別に苦じゃなかった。途中、皆月が僕の方に倒れてきて、可愛らしいと思った。
そうして、一時間後に再発進。その頃にはもう、待ちかねた人らはみんな降りていて、車内には僕ら以外誰もいなかった。
「なあ、皆月」
周りに誰もいないことを良いことに、僕は少し大きめの声で言った。
「もし、向かった先で嫌なことがあったら、どうしよう」
「何を今更」
ジュースを飲んでいた皆月は、意外そうな顔をした。
「いつも通り、ちょっとだけ落ち込んで、後は笑い飛ばせばいいんだよ」
「まあ、そうなんだけどさ」
皆月には言っていなかったが、僕の心臓はいつもより逸っていた。
それは、目的の駅に近くなればなるほど酷くなっていき、足止めを食らっている間は落ち着いた。駅員が巡回にやってきて、「もう少しだけお待ちください」と申し訳なさそうに言うたびに、何故か安心した。多分、本能的に、行くのを拒んでいるのだと思う。
感覚的には、崖の淵へと歩いていくのに近かった。
でも、皆月と過去の復元をすると決めた以上、僕は恐怖を押し殺して進むしかない。いや、もう電車に乗り込んでいるのだから、僕の意思とは関係なしに、僕は得体のしれない記憶が眠っている場所へと向かっていた。
僕は首から掛かっているリングネックレスに触れた。
「多分、怖がってるんだと思う」
この複雑な気持ちを、僕は、曖昧な言葉でまとめた。皆月は、「ふーん」と、どうでもよさそうにペットボトルのキャップを締め、向かいのホルダーに入れる。そして、犬を撫でるみたいに、僕の頭をぽんぽん…と叩いた。
「まあ、その時は私が慰めてあげるよ」
冗談っぽく彼女は言っていた。でも僕は、藁にも縋る思いで、深々と頷いた。
「よろしく頼むよ」
※
そうして、予定から一時間半遅れで、特急電車は目的の駅に辿り着いた。
電車を降りた時、車掌さんから何度も「申し訳ございませんでした」と謝られた。駅員さんにも謝られた。盛大なお見送りに、なんだか、偉くなった気分だった。
駅舎を出ると、自販機の横にあったゴミ箱にペットボトルを捨て、新しいミネラルウォーターを買ってから、歩き出す。
思ったよりもずっと、閑静な場所だった。聞こえるのは、灌漑用の側溝で水が流れる音くらい。向かいのだだっ広い道路には車一台として通る気配がなく、柔らかく吹きつけた風が、物寂しく砂埃を舞い上げていた。
「とりあえず、バス停に行くか」
「そうだね」
歩き出す。もうずっと行政の手入れが行き届いていないのか、道路の白線は消えかかり、所々に亀裂が走っている。スニーカーを履いている足に伝わる、大粒の石の感触が気持ち悪かった。
こういうのを、平野…というのだろうか? ひたすらに青々とした田園が続いている。
十分と歩かないうちに、バス停に着いた。だが、電車の遅れのせいで、本来乗るつもりだったバスは既に行ってしまっている。
「次のバスは?」
「ええと…、時刻表によると…」
「わ、二時間後!」
「みたいだな」
雲一つない快晴。この直射日光の中、バス停の前で二時間も待っていたとして、僕らは蕩けてしまうのではないだろうか。
「歩くしかないかなあ…」
首筋が痒くなり始めたので、僕は顔をしかめながらガリリと掻いた。
皆月は何かに気づいたように、僕の方を振り返る。
「歩くの?」
「嫌か?」
「いや、私は大丈夫なんだけど…、ナナシさんの顔が赤いから」
「顔が、赤い?」
身に覚えが無くて、僕は首を傾げた。
「僕の顔、そんなに赤いか?」
「うん。トマトみたいに真っ赤」
「ふーん…」
なんとなく首から指を離し、頬を掻く。すると、刺激が与えられた場所が、ひりりと痛むような気がした。
「大丈夫なの? 熱中症とかになってないよね?」
「大丈夫だよ」
熱中症は自覚症状がなんとやら…というが、本当に気分の悪さが無かった僕は、そう言った。
「肌が弱いんだよ。日光に当たると、時々痒くなる。今までもそうだった」
「そうだったっけ?」
「夏になって、日光が強くなったからかな?」
とにかく、自分は大丈夫…であることを示すため、快活に笑うと、腕をぐるぐると回した。
「歩こう。歩いたほうがすぐに目的につく」
「うーん…」
皆月はまだ心配しているように、眉間にしわを寄せていた。
「ありがたいことだな。皆月が僕の心配をしてくれるなんて」
「調子のんな」
そうして、バスを待つのは諦めて歩くことにした。
三十分も歩けば、まあ着くだろうと思った。だが、平坦な地形のせいで、遠近感が狂っていたようで、多くの建物がある辺りに辿り着いた時には、一時間が経っていた。二時間あのバス停で待つよりかはマシだったが、無駄な心労だったと思う。
僕たちはもうへとへとで、コンビニを見つけるとそこに入り、スポーツドリンクを買って一気に飲み干した。そしてまた歩き出す。ようやく、タクシーを捕まえることに成功し、乗り込んだ。
十分ほど走り、目的地に到着。ちょうど近くにあった地区会館から、十五時を知らせる鐘が鳴った。そこで僕たちは、昼食を食べていないことを思い出した。
「まあいいか、飯は、この人を訪ねた後で」
「ご飯は、落ち込んでいる時に食べたらいいよ」
「落ち込むことがある前提なんだな」
「そりゃそうでしょ」
それは、鉄筋コンクリート造のアパートだった。
レンガ調の壁で、一階に四部屋、二階に三部屋の扉が確認できる。向かいにある駐車場には、軽自動車が三台停まっていて、駐輪場にはスポーティーな自転車が一台、バイクが一台あった。
二階へと続く階段の下にはベンチがあって、そのすぐ傍には、背の低い自販機が設置されている。ブラックコーヒーが好評なのか、売り切れマークが光っていた。更に近づいて見ると、日に褪せた将棋盤が放置されていた。
狭い区画に、ちんまりと建っているアパートだと思ったが、なかなか洒落ているな。
「家賃はいくらだろうね」
無粋なことを言う皆月を無視して、僕はポケットからあの封筒を取り出し、確認する。
「二〇三号室。二階だな」
再び封筒をポケットに押し込むと、白い階段を上った。
二階に着くと、扉の番号を確認しながら、通路を奥へ奥へと進んでいく。
二〇一号室…二〇二号室…。
「あった」
二〇三号室の札。封筒に記されていた部屋番号と一致する。
あの手紙に書かれていた住所は、僕の住む町から約百五十キロ離れたところにあった。交通費は経費で落ちるとのことだったので、迷わず特急電車の切符を買った。本来なら二時間足らずで到着するはずだったのだが、線路の電線にビニール袋が引っ掛かった云々のトラブルが発生してしまい、途中の駅で足止めを食らうこととなった。
別に急ぎの用じゃなかったから、蒸し暑い車内で待つ。ほとんど眠っていたから、別に苦じゃなかった。途中、皆月が僕の方に倒れてきて、可愛らしいと思った。
そうして、一時間後に再発進。その頃にはもう、待ちかねた人らはみんな降りていて、車内には僕ら以外誰もいなかった。
「なあ、皆月」
周りに誰もいないことを良いことに、僕は少し大きめの声で言った。
「もし、向かった先で嫌なことがあったら、どうしよう」
「何を今更」
ジュースを飲んでいた皆月は、意外そうな顔をした。
「いつも通り、ちょっとだけ落ち込んで、後は笑い飛ばせばいいんだよ」
「まあ、そうなんだけどさ」
皆月には言っていなかったが、僕の心臓はいつもより逸っていた。
それは、目的の駅に近くなればなるほど酷くなっていき、足止めを食らっている間は落ち着いた。駅員が巡回にやってきて、「もう少しだけお待ちください」と申し訳なさそうに言うたびに、何故か安心した。多分、本能的に、行くのを拒んでいるのだと思う。
感覚的には、崖の淵へと歩いていくのに近かった。
でも、皆月と過去の復元をすると決めた以上、僕は恐怖を押し殺して進むしかない。いや、もう電車に乗り込んでいるのだから、僕の意思とは関係なしに、僕は得体のしれない記憶が眠っている場所へと向かっていた。
僕は首から掛かっているリングネックレスに触れた。
「多分、怖がってるんだと思う」
この複雑な気持ちを、僕は、曖昧な言葉でまとめた。皆月は、「ふーん」と、どうでもよさそうにペットボトルのキャップを締め、向かいのホルダーに入れる。そして、犬を撫でるみたいに、僕の頭をぽんぽん…と叩いた。
「まあ、その時は私が慰めてあげるよ」
冗談っぽく彼女は言っていた。でも僕は、藁にも縋る思いで、深々と頷いた。
「よろしく頼むよ」
※
そうして、予定から一時間半遅れで、特急電車は目的の駅に辿り着いた。
電車を降りた時、車掌さんから何度も「申し訳ございませんでした」と謝られた。駅員さんにも謝られた。盛大なお見送りに、なんだか、偉くなった気分だった。
駅舎を出ると、自販機の横にあったゴミ箱にペットボトルを捨て、新しいミネラルウォーターを買ってから、歩き出す。
思ったよりもずっと、閑静な場所だった。聞こえるのは、灌漑用の側溝で水が流れる音くらい。向かいのだだっ広い道路には車一台として通る気配がなく、柔らかく吹きつけた風が、物寂しく砂埃を舞い上げていた。
「とりあえず、バス停に行くか」
「そうだね」
歩き出す。もうずっと行政の手入れが行き届いていないのか、道路の白線は消えかかり、所々に亀裂が走っている。スニーカーを履いている足に伝わる、大粒の石の感触が気持ち悪かった。
こういうのを、平野…というのだろうか? ひたすらに青々とした田園が続いている。
十分と歩かないうちに、バス停に着いた。だが、電車の遅れのせいで、本来乗るつもりだったバスは既に行ってしまっている。
「次のバスは?」
「ええと…、時刻表によると…」
「わ、二時間後!」
「みたいだな」
雲一つない快晴。この直射日光の中、バス停の前で二時間も待っていたとして、僕らは蕩けてしまうのではないだろうか。
「歩くしかないかなあ…」
首筋が痒くなり始めたので、僕は顔をしかめながらガリリと掻いた。
皆月は何かに気づいたように、僕の方を振り返る。
「歩くの?」
「嫌か?」
「いや、私は大丈夫なんだけど…、ナナシさんの顔が赤いから」
「顔が、赤い?」
身に覚えが無くて、僕は首を傾げた。
「僕の顔、そんなに赤いか?」
「うん。トマトみたいに真っ赤」
「ふーん…」
なんとなく首から指を離し、頬を掻く。すると、刺激が与えられた場所が、ひりりと痛むような気がした。
「大丈夫なの? 熱中症とかになってないよね?」
「大丈夫だよ」
熱中症は自覚症状がなんとやら…というが、本当に気分の悪さが無かった僕は、そう言った。
「肌が弱いんだよ。日光に当たると、時々痒くなる。今までもそうだった」
「そうだったっけ?」
「夏になって、日光が強くなったからかな?」
とにかく、自分は大丈夫…であることを示すため、快活に笑うと、腕をぐるぐると回した。
「歩こう。歩いたほうがすぐに目的につく」
「うーん…」
皆月はまだ心配しているように、眉間にしわを寄せていた。
「ありがたいことだな。皆月が僕の心配をしてくれるなんて」
「調子のんな」
そうして、バスを待つのは諦めて歩くことにした。
三十分も歩けば、まあ着くだろうと思った。だが、平坦な地形のせいで、遠近感が狂っていたようで、多くの建物がある辺りに辿り着いた時には、一時間が経っていた。二時間あのバス停で待つよりかはマシだったが、無駄な心労だったと思う。
僕たちはもうへとへとで、コンビニを見つけるとそこに入り、スポーツドリンクを買って一気に飲み干した。そしてまた歩き出す。ようやく、タクシーを捕まえることに成功し、乗り込んだ。
十分ほど走り、目的地に到着。ちょうど近くにあった地区会館から、十五時を知らせる鐘が鳴った。そこで僕たちは、昼食を食べていないことを思い出した。
「まあいいか、飯は、この人を訪ねた後で」
「ご飯は、落ち込んでいる時に食べたらいいよ」
「落ち込むことがある前提なんだな」
「そりゃそうでしょ」
それは、鉄筋コンクリート造のアパートだった。
レンガ調の壁で、一階に四部屋、二階に三部屋の扉が確認できる。向かいにある駐車場には、軽自動車が三台停まっていて、駐輪場にはスポーティーな自転車が一台、バイクが一台あった。
二階へと続く階段の下にはベンチがあって、そのすぐ傍には、背の低い自販機が設置されている。ブラックコーヒーが好評なのか、売り切れマークが光っていた。更に近づいて見ると、日に褪せた将棋盤が放置されていた。
狭い区画に、ちんまりと建っているアパートだと思ったが、なかなか洒落ているな。
「家賃はいくらだろうね」
無粋なことを言う皆月を無視して、僕はポケットからあの封筒を取り出し、確認する。
「二〇三号室。二階だな」
再び封筒をポケットに押し込むと、白い階段を上った。
二階に着くと、扉の番号を確認しながら、通路を奥へ奥へと進んでいく。
二〇一号室…二〇二号室…。
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