僕の名は。~my name~

バーニー

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第四章【キスの6番 惰眠に5番】

第四章 その①

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 ジーパンとセーターを引っ張り出して着た。
 横から手が伸びてきて、襟を整えてくれた。
「皆月、一晩中、部屋に居てくれたのか?」
「まさか、お腹空いたからコンビニに行ったし。あんたの財布、借りたよ?」
「それでも、目が覚めるまで、一緒に居てくれたんだな…」
「まあ、そりゃあね。うん」
 淡々と事実を並べられたことに、皆月は少し歯切れが悪くなって頷いた。
「あの場で、ぼろぼろになったあんたを放って帰るのも、なんか、薄情でしょ」
「…そうかな」
「私は優しいの」
 なぞる様に言い、悪戯っぽく笑った彼女は、僕の額を小突いた。
「大丈夫だよ。暇はしてなかった。アサちゃんの過去を読んでたからね」
「アサの、過去?」
 東条健斗のせいですっかり忘れていたが、そう言えば皆月は、倒れたアサを介抱するふりをして、ビタースイートに彼女の過去を抽出していたんだっけ?
 思わず目を逸らした僕を見て、皆月は鼻で笑った。
「聞きたい? アサちゃんが初めてエッチした日」
 胸がチクリとする。
「いや、そんなの要らないよ」
「じゃあ、なんでアサちゃんに嫌われたのか、知りたい?」
「…………」
 三秒の沈黙。
「簡潔に頼む」
「あの手紙に書かれていたことは事実だった。でも、それが原因で、アサちゃんは高校で虐められるようになった。それで、愛情は恨みに変わった」
 簡潔に説明した皆月は、してやったり顔で肩を竦める。
「恋は盲目ってやつだね。アサちゃんは、確かにナナシさんのことが好きだったみたいだけど、大人になって頭が冷えた時に、それは単なる『介護』のようなものだったって、気づいたの。いや、本当に好きだったのは、弱者に優しくする自分…」
「わかったよ」
 胃を鷲掴みにされているような感覚に、僕はうんざりしながら首を横に振った。
「もういい。わかった」
 だが、皆月は喋るのを止めなかった。
「良かったじゃん。あの手紙に書かれていたこと、蘇ったナナシさんの記憶は確かなものだったんだ。綺麗な思い出だった」
 首を横に振る。
「まあ、最悪な思い出に変わっちゃったけどね」
「もういいよ。恋は盲目なんだろ? 僕も、今、目が覚めたよ。愛情も憎しみに変わったところさ。そもそも、僕には身分不相応の恋だった」
 脳裏にちらつくアサの面影に、乾いたため息をついた。
「せめてもの復讐に、あいつの初夜でも聞いておくかな…」
「馬鹿ね」
 皆月は僕のお尻を叩いた。
「言うわけがないでしょう? そんな個人情報」
「冗談だよ」
 僕が惨めに生きている裏側で、彼女が誰かに抱かれて喘いでいるところなんて想像したくもない。
「もういい。出かけるんだろう? 早く行こう」
「ああ、そうだったね」
 皆月は気を取り直して、出かける支度を始めた。
 皆月の上着は乾かなかったので、仕方なく、僕のコートを貸した。背丈が合わなくて、あまりに似合っているとは言えなかった。
 代わりに、僕はウインドブレーカーを羽織る。
 そうして支度を終えた僕たちは、北風が吹く外へと出て行った。
 少し歩いたところにある駅から電車に乗り込むと、隣町へと向かう。二十分ほどで到着し、駅舎を出ると、二車線の大通りを歩いていった。
 真冬の昼下がり。太陽がぽかぽかと照って、歩いているだけで眠気が足首に纏わりついてくるようだった。
「気持ちが良いな」
 僕は痒くなった頬を掻きながらそう言ったが、皆月は反応しなかった。
 歩いた先に、ショッピングモールがあった。
「ここに入るよ」
 皆月が僕の手を引き、そう言う。
「ああ、うん。わかった」
 ショッピングモールか…。人が多くて嫌だなあ…。
 そう思ったのだが、いざ自動ドアを潜り入ると、そんなことはなかった。
 だだっ広い通路には、人一人歩いておらず、天井のスピーカーから、最近流行りの曲がやけに虚しく響いている。平日の昼間だったらこんなものだろうか? 見渡すと、ぽつぽつと、「テナント募集」と掲げられた店の成れの果てが確認できた。床も、大して掃除されていないのか靴墨塗れで、所々のタイルがひび割れていた。
 あまり流行っていないショッピングモールなのか。
「一年前に、少し離れた場所に、新しいショッピングモールができたの。ここよりもずっと広くて、綺麗なところ」
 僕の心を読んだかのように、皆月が言った。
「どんどんお客さんが減って、今はもう虫の息。近所の主婦らが食品館に買いに来るくらいかな? オシャレなお店は消えて、百均とか、ババ臭い婦人服売り場しかもう残ってない…」
「そんなところに、何か用があるのか?」
 人が少ない…と聞いて、なんだか息が楽になった僕は、皆月の背中を追って聞いた。
「映画があるの」
 エスカレーターのステップに踏み入れながら言う。
「二階にね、映画館があるんだ」
「映画…、映画ね」
 そうか、映画か。映画だったら、ずっとスクリーンの方を見ていればいいだけだな。
 くだらない心労をする必要が無いことに、僕はまたもや、安堵の息を吐いた。
「わかった、見よう」
 何の映画を見るの? とは聞かず、僕は皆月の背を追った。
 エスカレーターから降りると、ガチャガチャのマシンが三台ほど置かれているスペースの前を横切り、広いとは言えない通路を進んだ後、映画館へと辿り着く。その重厚な扉を押して開けて、中に踏み入れた。
 予想していたことだったが、エントランスに人はいなかった。いやまあ、奥にあるポップコーン売り場に立っているのだが、あれは店員。辺りにはエアコンによる乾いた空気が充満している。壁際に大きなモニターが設置されて、新作映画の予告を流していたのだが、一体誰の購買意欲を刺激しているのだろう。
 皆月が歩きだす。彼女が向かったのは、券売機ではなくポップコーン売り場だった。
「おい、皆月、まずはチケットを…」
 呼び止めようとしたが、もう遠く離れていたので、小走りにその背中を追った。
 微かな点滅を繰り返すネオンに照らされ、ポップコーン売り場は今日も営業をしていた。カウンターの前に立っているのは、三十代くらいの女性で、彼女は暇そうに欠伸をかみ殺していた。
「こんにちは、吉岡さん」
 吉岡さん…と呼ばれて、女性が皆月に気づく。
 目に浮かんだ涙を拭うと、カウンターに手をつき、微笑んだ。
「舞子ちゃん、こんにちは。今日も来てくれたんだね」
「うん。暇だからね」
「うちも暇してたから、ほんと助かるよ」
「昨日もずっと勉強してたの?」
「うん、まあ、そんな感じかな? 眠れなくたって、どうせここで眠ればいいだけだし」
「そうだね。多分、私が映画見ている間はお客さん来ないだろうから、ゆっくり休むと良いよ」
「そうする」
 そんなふうに、二人は笑いながら言葉を交わしていた。
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