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第二章【青春盗掘】
第二章 その23
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『あの日の約束を、憶えていますか』
その言葉に、黙って聞いていた皆月が「ん…」と、何かに気づいたかのような声をあげた。
「約束?」
「…約束、みたいだな」
記憶に心当たりが無くて、僕も首を傾げた。
とにかく、続けて読む。
『夏祭りでのことを憶えていますか。とても暑い日でした。太陽がギラギラと照っていて、二人で歩いた神社までのアスファルトの道は、まるで蕩けたような感触でした。神社に着くと、一緒にサイダーを買いましたね。でも、炭酸が強すぎて、弾ける泡は、一層僕たちの喉に亀裂を入れるかのようでした…。その後には、かき氷を買いました。僕はイチゴで、アサはメロン。時々交換して食べ合って、色のついた舌を見せびらかしましたね』
手紙に書かれていたのは、ある夏の日の思い出。小説を髣髴とさせる情景細やかな文章は、思い出す…というよりも、刻み込むという形で、僕の脳裏に当時の記憶を過らせた。
『同級生に見つかりました…。とても揶揄われました。だから僕は、君から離れようとしました。でも、君は僕の手を取って走り出しました。神社の裏、人目のつかないところまで、逃げていきました』
段々と、鮮明になっていく。
そうだ…、暑い日だった。八月だったと思う。何の祭りだっけ? 小高い山の中にある神社で開催されたんだ。いっぱい人が来ていた。僕はいかないつもりだった。でも、アサが誘ってくれたんだ。
きっと、たこ焼きが美味しいと思うんだ…って言って。
『本当に、情けない姿を晒しましたね』
そして、アサと一緒に屋台を回って、楽しんで、同級生に見つかって揶揄われた。
参道から外れた、人気の無い祠まで逃げた時、僕の感情が爆発したんだ。
『僕は君の前で、泣きじゃくりました。子どもみたいに、わんわんと泣きました』
どうして泣いたんだっけ?
自分が、惨めだと思ったんだ。
いつも独りぼっちで、人とまともに話すことが出来ない。何をやっても失敗して、周りに迷惑をかけるか、笑われるかしかできない情けない僕。
そして、そんな僕をいつも庇ってくれるアサが不憫で仕方が無くて…。
そのアサに迷惑をかけている僕が、たまらなく、憎いと思ったんだ。
『でも、アサは僕のことを慰めてくれました』
そこまで読み上げた時、僕の喉の奥に、苦いものがこみ上げた。
『そして…』
続けて言おうとした瞬間、僕の唇に、当時の感覚が宿った。
僕の口は「あ」という言葉を放とうとしたまま固まる。
「…ちょっと、何やってんの? 早く読んでよ」
突然動かなくなり、そして喋らなくなる僕に、皆月は苛立ちを隠さずに言った。
脳みそに電気を当てられたように我に返った僕は、息を吸い込み、続けた。
『僕に、キスをしてくれました』
手紙に書かれていた衝撃の事実に、皆月が「へえ」と、面白そうな声をあげる。
僕は反射的に、唇に触れていた。
「…キス、キスか」
「ナナシさんもやるんだねえ」
下世話な話に、皆月は僕の頭を叩いた。
「そうだな…」
僕は便箋に綴られた『キスをしてくれました』という言葉を憮然と見つめ、そう洩らした。
「うん、キスをしてくれたんだ」
それは、本当に唐突に訪れた幸福だった。
あの時、僕は泣いてた。アサに迷惑をかける自分が心底憎くて、慟哭していたんだ。
アサは困ったような顔をしていた。そして、泣き声を塞ぐように、悲しみを包み込むように、僕の唇に、その薄い唇を重ねていたんだ。
キス…というには、荒っぽい、歯と歯のぶつかり合い。それでも、輪郭を伴った熱は、僕を優しく抱きしめてくれた。もう少し、生きてみようって、思わせてくれた。
『キスをした後、君はこう言いました…。もし、この先の将来、お互い寂しい思いをしていたのなら、一緒になろう…と。それなら、もう寂しいことは無いでしょう? と』
頬が熱くなる。春の日差しに触れたかのような熱だった。
『嬉しかったです。本当に幸せでした。でも、僕は恥ずかしがり屋だから、頷くことはできませんでした。ただただ、顔を真っ赤にして、固まるだけでした。そんな僕に、君は微笑みかけてくれて、じゃあ、約束だね…と言ってくれました』
そこまで言った僕は、思わず皆月の方を振り返った。
どうだ? 見たか? 僕の人生も捨てたもんじゃないだろう?
そう目で訴え掛けたが、皆月は鼻で笑うだけだった。
とにかく、僕は残り少なくなった文字を読み上げる。
『そして時は過ぎ、僕たちは大人になりました。こんなことは無いのだろうけど、きっと君のことだから、いろいろな人に囲まれて幸せな人生を送っていることなのだろうけど、僕は少しだけ、君が一人ぼっちでいるところを期待してしまうのです。くどいようですが、絶対にそんなことは起こっていないのだけど、僕は君と一緒になりたいと思ってしまうのです。もしそれが叶わないのなら、いや、きっと叶わないのだけど、その時は、笑い飛ばしてください。嘲笑ってください』
譛晄律螂亥、乗ィケより。
と、手紙は意味不明な文字の羅列で終わっていた。
「って、感じだな」
僕は手紙をぱたん…と閉じた。
「いやあ、恥ずかしいね。ガキの妄言。本当、苦い思い出だよ」
「その割に、口元が笑ってるのね」
皆月はため息をつくと、手紙が入っていた封筒を掲げた。
それを引っくり返した瞬間、ぽとっ…と小さな何かが、僕の目の前に落ちてきた。
懐中電灯で照らされた瞬間、澄んだ銀色に光ったそれは、指輪だった。
「笑える」
僕は鼻で笑うと、指輪を摘まんだ。
「この辺りはよく覚えていないけど、きっとショッピングモールの雑貨屋とかで買ったんだろうな…、この安っぽい指輪を」
「純情なのね。涙が出そう。出ないけど」
皆月はなぞる様に言うと、腰を上げた。
スカートの裾に付いた土を手で払い、傍らに放置されたカプセルを覗き込む。
「ってことは、この中に、アサちゃんの手紙も入っているわけか…」
「いや、それは…」
「大丈夫だって。どうせバレないから」
言うが早いか、皆月は懐中電灯でカプセルの中を照らすと、細腕を突っ込み、まるでセール品を物色する主婦のような勢いで弄った。
「おい…、やめとけよ。さすがに、プライバシーの侵害っていうか…」
「だったら止めてみなさいよ」
僕の言葉が建前であることを知っていた彼女は、笑みを含んだ声で言った。
僕は身体を起こすと、土も掃わず皆月に歩み寄る。
手を伸ばし、皆月の華奢な肩を掴もうと思ったのだが、彼女が掘り起こした手紙の山の底に、白い封筒があることに気づいた。
懐中電灯の光に照らされて、白く輝く封筒。
宛名は「西城朝子」とあった。
「止めてみなさいよ」
もう一度、皆月は挑発的に言うと、アサの封筒を手に取った。
しなやかな指が、封筒の口を塞ぐセロハンテープに食い込む。黄ばんだそれは、ぺリペリ…と軽い音を立てて剥がれ、いとも容易く五年の封印が解かれた。
皆月は、ふんっと笑うと、開いた封筒をひっくり返す。
乾いた音を立てて。一枚の便箋が落ちてきた。
その瞬間、僕は横から手を伸ばし、ひったくるようにして手に取る。
まるで、三日ぶりに餌にありついた猫のように、血走った目でそれを広げた。
それは案の定、アサの将来の自分に宛てた手紙だった。
『どんな大人になっていますか…、小説家の夢は叶えましたか…、引っ込み思案な性格なので、それを治して、もっといろいろな人と会話をできるようになっていたいです……』
手紙はそんな感じで続いていた。
僕は息をするのも忘れて、それを読み進めていった。
そして、見開かれた血眼が探し求めるのは、僕の名前だった。
僕の名前…僕の名前、僕の名前、何処だ?
だがどこにも、理解することが不可能な文字列を確認することは叶わなかった。
僕の不安を他所に、手紙は進んでいく。
『友達とはもう再会しましたか?…募る話はあるでしょうから…ゆっくりと、時間を取り戻すようにお話をしていきましょう…』
そして、手紙は終盤に差し掛かる。
「あ…」
『あと、恋が成就していると良いですね』
その文章を最後に、手紙は途切れた。
最後まで読み切った僕は、「お、おい…」と言って、皆月の方を振り返った。
「見たか?」
「まだ途中」
「これ、僕のことだよ」
興奮しながら言うと、最後の「恋が成就していると良いですね」の部分を指でなぞる。
ひねくれている皆月は、「ふーん」となぞる。
「別に、ナナシさんの名前を出しているわけじゃないじゃん」
「いや、そんなことは無い。僕にはわかるんだ…。こいつは、絶対に僕に向けて書かれたんだって…」
立ち上がった僕は手紙を折りたたむと、封筒に戻した。そして、口を丁寧に畳む。
飛び上がって叫び出したい気持ちに駆られながら、僕はその封筒を額に押し当てた。
「なんか…、勇気が湧いてきたぞ。救いようがない人生だったと思ってたけど、それ相応に救いがあるかもしれない…」
「まあ、仮にそうだとしてもさ…」
とにかく捻くれている皆月は、僕の言うことを否定しようと口を開いた。
「勘違いしないでほしいのが、もう五年も経っているってことだね。その間に、人の心なんて変わるでしょう」
「いやいや、そんなことないさ」
そんな言葉が、脊髄反射で飛び出していた。
「ひねくれた人間ならともなく、アサは優しい奴だったんだ。女神みたいな人だったんだ。あの美しい心は、ちょっとやそっとじゃ、染まらんよ」
そう言いながら、アサの封筒をタイムカプセルに戻すと、丁寧に蓋をした。体重を掛けて押し込み、雨水が入らないよう、しっかりと固定をする。
持ち上げると、深く掘られた穴に戻した。
ふう…と息を吐き、額の汗を拭う。
「決めた。アサに会いに行こう」
「行ってどうするの?」
「僕の過去を取り戻すためだよ」
僕は皆月の方を振り返ると、肩を竦めた。
「君が言ったんじゃないか。過去の復元には、当人の証言も重要になってくる…って。アサがその一人じゃないのか」
すると皆月は、数秒固まり、そして、頷いた。
「まあ、そうだね」
「そうだろ?」
僕は勝ち誇ったように笑った。
「アサは頭がよくて、優しい子だったからね。きっと、変な色眼鏡を掛けることなく、僕がどんな人間だったかを見ることが出来ていたんだよ。彼女の証言は、きっと僕の過去の復元に大いに役に立つはずさ」
早口でそう捲し立てると、落ちてあったショベルを掴む。
積み上がっていた土を掬い、再び、タイムカプセルを地面の下へと埋めていった。
掬っては、穴の中に落とす。救っては、穴の中に落とす。その作業の繰り返し。でも、僕の挙動は生き生きとしていて、軽やかだった。
皆月の助けを借りずとも、穴を埋めた僕は、掘り返したことがわからないよう、近くの砂場から砂利を取って来て、表面を均した。
「よし…」
なんて言って、鼻についた土を拭う。
飽きて座り込んでいる皆月の方を振り返ると、今までに出したことないくらい明るい声で言った。
「帰ろう!」
その言葉に、黙って聞いていた皆月が「ん…」と、何かに気づいたかのような声をあげた。
「約束?」
「…約束、みたいだな」
記憶に心当たりが無くて、僕も首を傾げた。
とにかく、続けて読む。
『夏祭りでのことを憶えていますか。とても暑い日でした。太陽がギラギラと照っていて、二人で歩いた神社までのアスファルトの道は、まるで蕩けたような感触でした。神社に着くと、一緒にサイダーを買いましたね。でも、炭酸が強すぎて、弾ける泡は、一層僕たちの喉に亀裂を入れるかのようでした…。その後には、かき氷を買いました。僕はイチゴで、アサはメロン。時々交換して食べ合って、色のついた舌を見せびらかしましたね』
手紙に書かれていたのは、ある夏の日の思い出。小説を髣髴とさせる情景細やかな文章は、思い出す…というよりも、刻み込むという形で、僕の脳裏に当時の記憶を過らせた。
『同級生に見つかりました…。とても揶揄われました。だから僕は、君から離れようとしました。でも、君は僕の手を取って走り出しました。神社の裏、人目のつかないところまで、逃げていきました』
段々と、鮮明になっていく。
そうだ…、暑い日だった。八月だったと思う。何の祭りだっけ? 小高い山の中にある神社で開催されたんだ。いっぱい人が来ていた。僕はいかないつもりだった。でも、アサが誘ってくれたんだ。
きっと、たこ焼きが美味しいと思うんだ…って言って。
『本当に、情けない姿を晒しましたね』
そして、アサと一緒に屋台を回って、楽しんで、同級生に見つかって揶揄われた。
参道から外れた、人気の無い祠まで逃げた時、僕の感情が爆発したんだ。
『僕は君の前で、泣きじゃくりました。子どもみたいに、わんわんと泣きました』
どうして泣いたんだっけ?
自分が、惨めだと思ったんだ。
いつも独りぼっちで、人とまともに話すことが出来ない。何をやっても失敗して、周りに迷惑をかけるか、笑われるかしかできない情けない僕。
そして、そんな僕をいつも庇ってくれるアサが不憫で仕方が無くて…。
そのアサに迷惑をかけている僕が、たまらなく、憎いと思ったんだ。
『でも、アサは僕のことを慰めてくれました』
そこまで読み上げた時、僕の喉の奥に、苦いものがこみ上げた。
『そして…』
続けて言おうとした瞬間、僕の唇に、当時の感覚が宿った。
僕の口は「あ」という言葉を放とうとしたまま固まる。
「…ちょっと、何やってんの? 早く読んでよ」
突然動かなくなり、そして喋らなくなる僕に、皆月は苛立ちを隠さずに言った。
脳みそに電気を当てられたように我に返った僕は、息を吸い込み、続けた。
『僕に、キスをしてくれました』
手紙に書かれていた衝撃の事実に、皆月が「へえ」と、面白そうな声をあげる。
僕は反射的に、唇に触れていた。
「…キス、キスか」
「ナナシさんもやるんだねえ」
下世話な話に、皆月は僕の頭を叩いた。
「そうだな…」
僕は便箋に綴られた『キスをしてくれました』という言葉を憮然と見つめ、そう洩らした。
「うん、キスをしてくれたんだ」
それは、本当に唐突に訪れた幸福だった。
あの時、僕は泣いてた。アサに迷惑をかける自分が心底憎くて、慟哭していたんだ。
アサは困ったような顔をしていた。そして、泣き声を塞ぐように、悲しみを包み込むように、僕の唇に、その薄い唇を重ねていたんだ。
キス…というには、荒っぽい、歯と歯のぶつかり合い。それでも、輪郭を伴った熱は、僕を優しく抱きしめてくれた。もう少し、生きてみようって、思わせてくれた。
『キスをした後、君はこう言いました…。もし、この先の将来、お互い寂しい思いをしていたのなら、一緒になろう…と。それなら、もう寂しいことは無いでしょう? と』
頬が熱くなる。春の日差しに触れたかのような熱だった。
『嬉しかったです。本当に幸せでした。でも、僕は恥ずかしがり屋だから、頷くことはできませんでした。ただただ、顔を真っ赤にして、固まるだけでした。そんな僕に、君は微笑みかけてくれて、じゃあ、約束だね…と言ってくれました』
そこまで言った僕は、思わず皆月の方を振り返った。
どうだ? 見たか? 僕の人生も捨てたもんじゃないだろう?
そう目で訴え掛けたが、皆月は鼻で笑うだけだった。
とにかく、僕は残り少なくなった文字を読み上げる。
『そして時は過ぎ、僕たちは大人になりました。こんなことは無いのだろうけど、きっと君のことだから、いろいろな人に囲まれて幸せな人生を送っていることなのだろうけど、僕は少しだけ、君が一人ぼっちでいるところを期待してしまうのです。くどいようですが、絶対にそんなことは起こっていないのだけど、僕は君と一緒になりたいと思ってしまうのです。もしそれが叶わないのなら、いや、きっと叶わないのだけど、その時は、笑い飛ばしてください。嘲笑ってください』
譛晄律螂亥、乗ィケより。
と、手紙は意味不明な文字の羅列で終わっていた。
「って、感じだな」
僕は手紙をぱたん…と閉じた。
「いやあ、恥ずかしいね。ガキの妄言。本当、苦い思い出だよ」
「その割に、口元が笑ってるのね」
皆月はため息をつくと、手紙が入っていた封筒を掲げた。
それを引っくり返した瞬間、ぽとっ…と小さな何かが、僕の目の前に落ちてきた。
懐中電灯で照らされた瞬間、澄んだ銀色に光ったそれは、指輪だった。
「笑える」
僕は鼻で笑うと、指輪を摘まんだ。
「この辺りはよく覚えていないけど、きっとショッピングモールの雑貨屋とかで買ったんだろうな…、この安っぽい指輪を」
「純情なのね。涙が出そう。出ないけど」
皆月はなぞる様に言うと、腰を上げた。
スカートの裾に付いた土を手で払い、傍らに放置されたカプセルを覗き込む。
「ってことは、この中に、アサちゃんの手紙も入っているわけか…」
「いや、それは…」
「大丈夫だって。どうせバレないから」
言うが早いか、皆月は懐中電灯でカプセルの中を照らすと、細腕を突っ込み、まるでセール品を物色する主婦のような勢いで弄った。
「おい…、やめとけよ。さすがに、プライバシーの侵害っていうか…」
「だったら止めてみなさいよ」
僕の言葉が建前であることを知っていた彼女は、笑みを含んだ声で言った。
僕は身体を起こすと、土も掃わず皆月に歩み寄る。
手を伸ばし、皆月の華奢な肩を掴もうと思ったのだが、彼女が掘り起こした手紙の山の底に、白い封筒があることに気づいた。
懐中電灯の光に照らされて、白く輝く封筒。
宛名は「西城朝子」とあった。
「止めてみなさいよ」
もう一度、皆月は挑発的に言うと、アサの封筒を手に取った。
しなやかな指が、封筒の口を塞ぐセロハンテープに食い込む。黄ばんだそれは、ぺリペリ…と軽い音を立てて剥がれ、いとも容易く五年の封印が解かれた。
皆月は、ふんっと笑うと、開いた封筒をひっくり返す。
乾いた音を立てて。一枚の便箋が落ちてきた。
その瞬間、僕は横から手を伸ばし、ひったくるようにして手に取る。
まるで、三日ぶりに餌にありついた猫のように、血走った目でそれを広げた。
それは案の定、アサの将来の自分に宛てた手紙だった。
『どんな大人になっていますか…、小説家の夢は叶えましたか…、引っ込み思案な性格なので、それを治して、もっといろいろな人と会話をできるようになっていたいです……』
手紙はそんな感じで続いていた。
僕は息をするのも忘れて、それを読み進めていった。
そして、見開かれた血眼が探し求めるのは、僕の名前だった。
僕の名前…僕の名前、僕の名前、何処だ?
だがどこにも、理解することが不可能な文字列を確認することは叶わなかった。
僕の不安を他所に、手紙は進んでいく。
『友達とはもう再会しましたか?…募る話はあるでしょうから…ゆっくりと、時間を取り戻すようにお話をしていきましょう…』
そして、手紙は終盤に差し掛かる。
「あ…」
『あと、恋が成就していると良いですね』
その文章を最後に、手紙は途切れた。
最後まで読み切った僕は、「お、おい…」と言って、皆月の方を振り返った。
「見たか?」
「まだ途中」
「これ、僕のことだよ」
興奮しながら言うと、最後の「恋が成就していると良いですね」の部分を指でなぞる。
ひねくれている皆月は、「ふーん」となぞる。
「別に、ナナシさんの名前を出しているわけじゃないじゃん」
「いや、そんなことは無い。僕にはわかるんだ…。こいつは、絶対に僕に向けて書かれたんだって…」
立ち上がった僕は手紙を折りたたむと、封筒に戻した。そして、口を丁寧に畳む。
飛び上がって叫び出したい気持ちに駆られながら、僕はその封筒を額に押し当てた。
「なんか…、勇気が湧いてきたぞ。救いようがない人生だったと思ってたけど、それ相応に救いがあるかもしれない…」
「まあ、仮にそうだとしてもさ…」
とにかく捻くれている皆月は、僕の言うことを否定しようと口を開いた。
「勘違いしないでほしいのが、もう五年も経っているってことだね。その間に、人の心なんて変わるでしょう」
「いやいや、そんなことないさ」
そんな言葉が、脊髄反射で飛び出していた。
「ひねくれた人間ならともなく、アサは優しい奴だったんだ。女神みたいな人だったんだ。あの美しい心は、ちょっとやそっとじゃ、染まらんよ」
そう言いながら、アサの封筒をタイムカプセルに戻すと、丁寧に蓋をした。体重を掛けて押し込み、雨水が入らないよう、しっかりと固定をする。
持ち上げると、深く掘られた穴に戻した。
ふう…と息を吐き、額の汗を拭う。
「決めた。アサに会いに行こう」
「行ってどうするの?」
「僕の過去を取り戻すためだよ」
僕は皆月の方を振り返ると、肩を竦めた。
「君が言ったんじゃないか。過去の復元には、当人の証言も重要になってくる…って。アサがその一人じゃないのか」
すると皆月は、数秒固まり、そして、頷いた。
「まあ、そうだね」
「そうだろ?」
僕は勝ち誇ったように笑った。
「アサは頭がよくて、優しい子だったからね。きっと、変な色眼鏡を掛けることなく、僕がどんな人間だったかを見ることが出来ていたんだよ。彼女の証言は、きっと僕の過去の復元に大いに役に立つはずさ」
早口でそう捲し立てると、落ちてあったショベルを掴む。
積み上がっていた土を掬い、再び、タイムカプセルを地面の下へと埋めていった。
掬っては、穴の中に落とす。救っては、穴の中に落とす。その作業の繰り返し。でも、僕の挙動は生き生きとしていて、軽やかだった。
皆月の助けを借りずとも、穴を埋めた僕は、掘り返したことがわからないよう、近くの砂場から砂利を取って来て、表面を均した。
「よし…」
なんて言って、鼻についた土を拭う。
飽きて座り込んでいる皆月の方を振り返ると、今までに出したことないくらい明るい声で言った。
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