僕の名は。~my name~

バーニー

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第二章【青春盗掘】

第二章 その⑮

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 どのくらい眠ったのだろうか?
 次の瞬間、僕の股間を、誰かが蹴った。
 脳から伸びるすべての神経を刃でなぞられたかのような、痺れる痛み。内臓がとろけて、溢れだした熱が、喉の奥にまでこみ上げるような感覚。
「わっ!」
 悲鳴をあげた僕は、ゴミ袋の山から転げ落ちた。
 混乱しながら身体を起こす。腕がどうしようもなく冷えていて、地面に触れても何も感じない。肘の関節がコキリ…と折れ、アスファルトにキスをする形で転げた。
「何やってんの? ナナシさん」
 聞き覚えのある声が、頭上から降ってきた。
 目を動かして見ると、ゴミを見るような目をした皆月が立っていた。
「…皆月」
 ああ、そう言えば、こいつのこと忘れてたな…。
 肺に、乾いた空気が流れ込む。脳に酸素が回ったのか、ぼんやりとしていた視界が晴れていくのがわかった。首を動かして振り返ると、そこにはゴミ袋の山。足元には、大切なノートパソコンが入った鞄。そして、目の前に皆月がいる。
 なんだか安堵した僕は、肩の力を抜いた。
 頭の位置が少し下がった拍子に、彼女のスカートの中身が見えそうになる。
 慌てて視線をずらそうとした瞬間、胸の辺りを蹴られた。
「この変態」
「悪かった…」
 黒色か。
 皆月は、ふんっ…と息を吐くと、周りを見渡した。
「それで? あの綾瀬…て呼ばれた女とあんたは、どういう関係なわけ?」
「…綾瀬のこと、知っているのか?」
「私、図書館で時間潰してるって言ったよね」
「あ、ああ…」
 すっかり忘れていたよ。
 呆けた顔をする僕に、皆月舞子はいよいよ怒りが吹き零れそうな顔をした。
「早くしてよ。こちとらあんたを探してこのあたり駆けずり回って、疲れてるんだから」
 そう言って、ローファーの靴底をアスファルトに叩きつける。
「それに、もう昼なんてとっくに過ぎてるの。早く帰りたいんだから」
「じゃあ、帰れよ」
 開き直った僕は、突き放すように言った。
「もう疲れた。しゃべる気が無い」
 両腕を広げると、背中のゴミ袋が、まるで高級マットレス…とでも言うように体重を預ける。
 食い下がってくるのかと思いきや、皆月舞子はゴミを見るような目を僕に向けると、ため息をつき、半歩下がった。
「しゃべる気が無いのなら、それでいいよ。また明日来るから。でも、ちゃんと憶えておいてよね。今の状態だと、ふとした拍子に忘れることあるから」
「はいはい」
 お節介焼きの親を相手にするみたいに言った僕は、寝返りを打った。
「あと、みっともないから、ふて寝なら家でやってよ」
「はいはい」
 今は皆月の言う逆のことがしたく、適当に頷く。
 目を閉じかけた時、ちっ! と舌打ちが聴こえた。
「わかり切ってたことでしょ。自分がしょうもない人間だって。自分からしょうもない過去を復元しようとしたくせに、今更何を拗ねてるわけ?」
 早口でそう言った皆月舞子は、それから、「ああもう…」と、じれったそうな声を洩らした。
「まあ、今からでも、新しい過去、書いてあげるけど」
「…断る」
 やっぱり僕は、皆月に反抗したかった。意地悪だ。
「ああ、そう…」
 皆月はなぞる様に言うと、スカートを翻し、踵を返した。
「仕事だから、とりあえずあんたには協力するけどさ、あんたと一緒にいると、腹が立って仕方がないわ」
 そして、三歩歩き、首だけで振り返った。
「まあでも、その情けない顔を見て楽しむのも、悪くないか」
 そして、ローファーをコツコツ…と踏み鳴らしながら、路地の向こうへと消えていった。
 取り残された僕の横を、切りつけるような風が通り抜けていく。
 静かな昼下がり。路地に人の気配は無く、音と言えば、ゴミ袋のナイロンが擦れる音。
 僕は白いため息をつくと、また、激臭を放つゴミ袋に身を埋めるのだった。
        ※
 そのまま眠っていたらしく、通行人に肩を叩かれて目を覚ました。
 僕を起こしたのは、優しそうな若いOLさんで、異臭を放つ僕の肩を掴むと、「大丈夫ですか?」「気分は悪くないですか」と矢継ぎ早に聞いてきた。まるで女神のように綺麗な人だった。
 こういう綺麗な女に介抱されるんだ。ふて寝も悪くないな…。
 そう思って、女性の鎖骨の辺りから漂う芳香にうっとりとしていた僕だったが、女性が「救急車、呼びましたからね」と言ったことで、事態は一変した。
 さらに女性は「警察も呼びましたから。もう大丈夫ですから」と言った。どうやら、怪我をして、目を泣き腫らし、そして臭いゴミ回収スペースで眠る男に、何か事件の香りを嗅ぎ取ったらしかった。
 救急車なんて呼ばれてたまるか。警察なんてなおさらだ。
 身体を起こした僕は、鞄を掴むと、「あ、待って」と呼び止める声を振り切り、走り出した。そして、走って走って、走り続け、自身の部屋へと飛び込んだ。
 後のことはよく憶えていない。シャワーを浴びる気力も、何か口に入れる気力も無く、畳んであった敷布団の上で丸くなって、絞るように目を閉じた。
 翌日。
 夜が明けて、朝露が微睡んでいる頃に皆月がやってきたけど、相手にしなかった。彼女は舌打ちを三十五回続け、それから、丸くなった僕の背を蹴った。だけど、僕はてこでも動かなかった。
「あんたが過去の復元しろって言ったんだよ?」
 彼女はそう言ったが、無視をした。この不貞腐れた時間も、僕もしょうもない人間性が露呈する上で有意義だった。
 だが、皆月はけして「上等だよ。もう知らない」と言って帰ることは無く、昼頃までは僕の部屋にいた。何をするのかと言えば、僕の冷蔵庫を漁ってパンを焼いたり、コーヒーを飲んだり。あとは、ずっと、僕への文句を吐き散らしながらパソコンを叩いていた。
 そして、終業となると、暴言と蹴りを食らわせてから出て行った。
 ガシャンッ! と、蝶番が外れるんじゃないか? ってくらいの勢いで扉が閉められる。コツコツ…と、ローファーの足音が遠ざかっていく。
 僕は静かに息を吐くと、身体をほんの少しずらし、また丸くなった。
 そうして、石のように眠り続け、三日が経った。
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