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第二章【青春盗掘】
第二章 その⑦ 2018年 1月19日
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【二〇一八年 一月十九日】
皆月を出迎える準備は済ませておこう…と思い、夜が明ける前に目を覚ました。
布団から抜け出した僕は、白い息を吐きながらジャージを着ると、冷凍してあった食パンをトースターに放り込み、ダイヤルを捻った。
薄暗い台所に、ぼんやりと浮かび上がるトースターの赤い光。それを見ると、なんだか心臓の鼓動が逸った。悪い感覚じゃなかった。
それから顔を洗うべく、蛇口を捻り、水を出した。
猫に触れるみたいに、流れ出る水に手を近づけて見たが、一向に温かくなる様子はない。
別に急ぐ必要なんて無いのに、なんだか背中を蹴られたような気がして、僕は水を手に汲んだ。そして、割れるような冷たさに悲鳴をあげつつ、それを顔に掛ける。途端に、毛穴という毛穴が驚いて、引き締まるのが分かった。脳みその皺にこびり付いた眠気…というやつも、シンクに流れ落ちる。
再び流れ出る水を手に汲む。その瞬間、給湯器が己の役割を思い出したかのように、温い水を吐き出し始めた。
指先に、体温が戻る。
もう少し待てばよかった…と後悔しつつ、僕は温かい水で顔を洗った。
その時だった。
「ナナシさん、来たよ」
玄関の扉の向こうから皆月舞子の声がして、僕は濡れた顔のまま振り返った。
「…あれ」
まだ六時半…来てないよな…? と思った瞬間、扉が激しく叩かれる。
僕は、顔と手が濡れたまま玄関に駆け寄り、開けた。
次の瞬間には、頬を赤くし、白い息を吐きながら、皆月が顔を出す。
「おはよー。寒いね」
僕を見た瞬間、眉間に皺を寄せた。
「なんで顔、濡れてるの?」
「顔、洗っている途中だったんだ」
「ああ、そう」
まるでどうでもいい…とでも言うように、皆月は部屋に入ってくると、ローファーを脱いだ。
「じゃあ、今日も早速、復元作業やっていきますか」
「ああ、そのことなんだけど…」
居間に入っていこうとする皆月を呼び止める。
「外に行くのは、ありなのか?」
「外に行く?」
皆月は首だけで振り返り、怪訝な顔をする。
何か不味いことを言ってしまったのか? と思った僕は、慌てて発言を撤回しようとした。
「ああ、いや、その…」
「外に行かなくて、どうやって復元をするわけ? 道路の補修が家にいてできるわけ?」
それより先に、皆月から放たれた言葉が僕の心臓を掠めた。
拍動が早くなるのがわかる。
「ああ、いや…、そりゃわかってるけど…。君の様子を見ていたら、外に出るのは面倒になるのかな…? って思ったんだ」
「私が仕事で手を抜くと思ってんの?」
皆月は、心外だ…とでも言いたげな顔をして、鞄を机の上に置いた。
「私はいつだって一生懸命にやるわ」
昨日の彼女の様子を思い出し、僕は首を横に振る。
「いや、仕事に真面目に取り組んでいる人間とは思えない」
「誰だって仕事は嫌いでしょう? でも、やらなきゃならないからやるの。もちろん、顔では渋るわ」
やはり説得力の無いことを言うと、鞄の金具に触れ、開けた。
パソコンを取り出しながら言う。
「それで? 外に行くってことを提案してきたってことは、何か手がかりでも見つけたの?」
「ああ、そうだ…」
気を取り直し、僕は居間に入ると、机の一段目の引き出しを開けた。
通帳の上に置いてあった学生証を取り出し、皆月のノートパソコンの横に置く。
それを見た瞬間、皆月は「お…」と声を上げ、にやりと笑った。
「…どうやら、僕は大学生らしい」
「へえ、なるほどね。なかなかいい情報源見つけたじゃない」
「そう…かな?」
褒められたわけではないのに、なんだか嬉しい。
「大学に行けば、否応でも人の目に触れるからね。ナナシさんがどんな人間か知る手掛かりになるね」
皆月は開きかけていたノートパソコンを閉じた。
「それじゃあ、早速大学に行こうか」
言うが早いか、ノートパソコンを鞄に詰め、右手に握る。
「ああ、待てよ」
玄関に歩いていこうとする彼女の手首を、僕は掴んだ。
「まだ授業の時間じゃない」
「は?」
皆月は眉間に皺を寄せて振り返った。
「何言ってんの?」
「いや、今何時だと思ってんだよ。六時だぞ…」
そう言って時計の方を振り返る。
「前言撤回。五時五十六分だ」
「ほぼ六時じゃない」
皆月は苛立ったように言って、僕の手を振り払った。
振り払われた手を背中に回しつつ、僕は皆月を睨む。
「早い時間だということに変わりは無いだろ」
「それで? 一時間目は何時からなの?」
「九時から」
「嘘でしょ…」
本当だというのに、皆月は目元を覆い、項垂れた。
「それまで三時間働いたとして、残りは二時間。それだけで大学を探るのは心もとないね」
「明日は休みにしていいから。今日は多めに働くとか?」
「私は、五時間以上は働かない」
なんだこいつ。
「じゃあどうするんだ? 一度帰るのか?」
「嫌よ。この寒い中、また歩いて帰るのなんてまっぴらごめん」
皆月は顔を顰めて言うと、スカートの裾から伸びる細い太ももを三、四回叩いた。
「仕方ない」
皆月はそう洩らすと、鞄を壁際に置いた。
皆月を出迎える準備は済ませておこう…と思い、夜が明ける前に目を覚ました。
布団から抜け出した僕は、白い息を吐きながらジャージを着ると、冷凍してあった食パンをトースターに放り込み、ダイヤルを捻った。
薄暗い台所に、ぼんやりと浮かび上がるトースターの赤い光。それを見ると、なんだか心臓の鼓動が逸った。悪い感覚じゃなかった。
それから顔を洗うべく、蛇口を捻り、水を出した。
猫に触れるみたいに、流れ出る水に手を近づけて見たが、一向に温かくなる様子はない。
別に急ぐ必要なんて無いのに、なんだか背中を蹴られたような気がして、僕は水を手に汲んだ。そして、割れるような冷たさに悲鳴をあげつつ、それを顔に掛ける。途端に、毛穴という毛穴が驚いて、引き締まるのが分かった。脳みその皺にこびり付いた眠気…というやつも、シンクに流れ落ちる。
再び流れ出る水を手に汲む。その瞬間、給湯器が己の役割を思い出したかのように、温い水を吐き出し始めた。
指先に、体温が戻る。
もう少し待てばよかった…と後悔しつつ、僕は温かい水で顔を洗った。
その時だった。
「ナナシさん、来たよ」
玄関の扉の向こうから皆月舞子の声がして、僕は濡れた顔のまま振り返った。
「…あれ」
まだ六時半…来てないよな…? と思った瞬間、扉が激しく叩かれる。
僕は、顔と手が濡れたまま玄関に駆け寄り、開けた。
次の瞬間には、頬を赤くし、白い息を吐きながら、皆月が顔を出す。
「おはよー。寒いね」
僕を見た瞬間、眉間に皺を寄せた。
「なんで顔、濡れてるの?」
「顔、洗っている途中だったんだ」
「ああ、そう」
まるでどうでもいい…とでも言うように、皆月は部屋に入ってくると、ローファーを脱いだ。
「じゃあ、今日も早速、復元作業やっていきますか」
「ああ、そのことなんだけど…」
居間に入っていこうとする皆月を呼び止める。
「外に行くのは、ありなのか?」
「外に行く?」
皆月は首だけで振り返り、怪訝な顔をする。
何か不味いことを言ってしまったのか? と思った僕は、慌てて発言を撤回しようとした。
「ああ、いや、その…」
「外に行かなくて、どうやって復元をするわけ? 道路の補修が家にいてできるわけ?」
それより先に、皆月から放たれた言葉が僕の心臓を掠めた。
拍動が早くなるのがわかる。
「ああ、いや…、そりゃわかってるけど…。君の様子を見ていたら、外に出るのは面倒になるのかな…? って思ったんだ」
「私が仕事で手を抜くと思ってんの?」
皆月は、心外だ…とでも言いたげな顔をして、鞄を机の上に置いた。
「私はいつだって一生懸命にやるわ」
昨日の彼女の様子を思い出し、僕は首を横に振る。
「いや、仕事に真面目に取り組んでいる人間とは思えない」
「誰だって仕事は嫌いでしょう? でも、やらなきゃならないからやるの。もちろん、顔では渋るわ」
やはり説得力の無いことを言うと、鞄の金具に触れ、開けた。
パソコンを取り出しながら言う。
「それで? 外に行くってことを提案してきたってことは、何か手がかりでも見つけたの?」
「ああ、そうだ…」
気を取り直し、僕は居間に入ると、机の一段目の引き出しを開けた。
通帳の上に置いてあった学生証を取り出し、皆月のノートパソコンの横に置く。
それを見た瞬間、皆月は「お…」と声を上げ、にやりと笑った。
「…どうやら、僕は大学生らしい」
「へえ、なるほどね。なかなかいい情報源見つけたじゃない」
「そう…かな?」
褒められたわけではないのに、なんだか嬉しい。
「大学に行けば、否応でも人の目に触れるからね。ナナシさんがどんな人間か知る手掛かりになるね」
皆月は開きかけていたノートパソコンを閉じた。
「それじゃあ、早速大学に行こうか」
言うが早いか、ノートパソコンを鞄に詰め、右手に握る。
「ああ、待てよ」
玄関に歩いていこうとする彼女の手首を、僕は掴んだ。
「まだ授業の時間じゃない」
「は?」
皆月は眉間に皺を寄せて振り返った。
「何言ってんの?」
「いや、今何時だと思ってんだよ。六時だぞ…」
そう言って時計の方を振り返る。
「前言撤回。五時五十六分だ」
「ほぼ六時じゃない」
皆月は苛立ったように言って、僕の手を振り払った。
振り払われた手を背中に回しつつ、僕は皆月を睨む。
「早い時間だということに変わりは無いだろ」
「それで? 一時間目は何時からなの?」
「九時から」
「嘘でしょ…」
本当だというのに、皆月は目元を覆い、項垂れた。
「それまで三時間働いたとして、残りは二時間。それだけで大学を探るのは心もとないね」
「明日は休みにしていいから。今日は多めに働くとか?」
「私は、五時間以上は働かない」
なんだこいつ。
「じゃあどうするんだ? 一度帰るのか?」
「嫌よ。この寒い中、また歩いて帰るのなんてまっぴらごめん」
皆月は顔を顰めて言うと、スカートの裾から伸びる細い太ももを三、四回叩いた。
「仕方ない」
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