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第三十一章

罠破りの手順

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「オフサイドトラップを、でありますか? ポリン破りではなく?」
 ナリンさんが虚を突かれてそう訊ねたのは、決して従姉妹贔屓からではないだろう。いま目の前で行われているのはボシュウ選手とポリンさんによるノートリアス陣内での競り合いであり、DFラインへのアタックではないからだ。
「ええ。この世界で現れるならこうだろう、と予測した形の一つです」
 俺はボード上にボールの動きを書き込みながら説明を始める。
「手前味噌ですが我々のDFラインは良く訓練されています。闇雲にラインを上げて強引にオフサイドを取るのではなく、味方と相手の状態を見て合理的に判断できている。前がプレスへ行って相手のプレイを制限できていれば上げる、そうでないなら無理に行かない。……まあ、たまにシャマーさんが何を考えてそうコントロールしているか咄嗟には分からない時もありますが」
 最後に一つそう付け加えると、ナリンさんも少し微笑んだ。シャマーさんには独特の嗅覚――点取り屋にばかり言われるが実はDFの選手にもそういうのがあるのだ――があり、場合によっては俯瞰で見ている俺たちコーチ陣よりも何かが見えている場合がある。なので、あるプレイについて試合中は理由が分からず後で映像と本エルフの弁で確認して意味が理解できる動きがあったりする。
「ですから、相手チームがこちらのDFラインと勝負しようとしても勝ち目は無いです。恐らく今シーズンの時点では。将来は分かりませんからね。でも別の対象と闘う事はできます」
「別の対象……。もしかして、それがポリン達という事でありますか?」 
 ナリンさんはボード上の三つの番号、7と14と19を指さして言った。それぞれポリンさん、レイさん、クエンさんだ。
「ええ。正確に言えばMFという事ですね。DFラインとやり合うのではなくMFと闘って消耗させて彼女らの動きを弱らせ、その結果としてDFラインの動きを制限する。MFがプレスに行ってもいないのにラインを上げれば良いパスを通される危険があるし、2列目の飛び出しだってケアできない。そもそもの話、中盤にいるMFより前にラインは上げられませんから」
 ここで話相手がアリスさんであれば
『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』
という故事の一つでも紹介する所ではあるが、目の前にいるのはナリンさんであり時間も無かった。
「位置もやり方も絶妙です。自陣のセンターサークル付近に長身の選手を置いて、アバウトなボールを上げる。あそこではオフサイドになりませんし、競り合いで消耗させるのが目的なので適当なボールで良い。DFやGKがヨンさんリストさんのプレスに苦しんでも、何となくあの辺に蹴る事ならできますからね」
 俺がそう言うとナリンさんは形の良い顎に手を当てて考え込んだ。ちなみにさっきは
『適当なボールで良い』
と説明したがむしろ
『適当なボールこそ望ましい』
と言う方が適切かもしれない。正確なボールが飛べば、ポリンさんたちも無理にマイボールにしようとせず、安全な守備に切り替えるだろう。どちらのものになるか分からない五分五分のボールだからこそ彼女たちも競り合おうとし、ボシュウ選手というミノタウロスとしては貧弱な、しかし自分たちよりは遙かに屈強な選手に身体をぶつけて消耗するのだ。
「MFの中でポリンさんが選ばれたのは、純粋にフィジカルでしょうね。クエンさんはそもそも身体が強い方だし、レイさんなら特殊なテクニックと身体の使い方でマイボールにしてしまうかもしれない。どちらにせよ、一角でも崩れ出したらフォローに走る回数が増えるので、全体が疲れていきます」
 俺は実際にピッチの方を見ながら言った。今はクエンさんが代わりに前に出てボシュウ選手との空中戦を行っている。彼女の独断かジノリコーチの助言かは分からないが、当然の判断だ。クエンさんは本来CBの選手であり、その低姿勢と裏腹にヘディングも強いからだ。
 但し、その行為にはとうぜん代償を伴う。一つにはポジション間の移動によるタイムラグ。そしてもう一つはスタミナの消費である。
『監督、準備をしておくぞ!』
 ザックコーチがやってきて俺の肩を叩いてウォーミングアップ用のエリアへ向かう。彼ほどの目を持ってなくても、全体の疲労感は明らかだからだ。
「ザックコーチは全員のアップをすると言っていたであります」
「ありがとうございます。ええ、そうでしょうね」
 ナリンさんは念の為にそう告げ、俺は静かに頷いた。懸念した通り疲れているのはMFだけでなくアローズの全選手だった。
 1名少ない中でアップもそこそこに前半途中から入り、前線から幅広く動いたFW陣。前半は細かくポジションを修正しながらボールを保持し、後半はボシュウ選手のアタックを受けているMF陣。そしてモーネ選手という好敵手を相手に気の抜けない対応を続けるDF陣……。
 それと対照的にノートリアスは調子を上げつつあった。1名多いという状況、早い間に追いついたという精神的余裕、前半に動いて汗をかいてアルコールが抜け――というのは俗説で実はアルコールは汗と共に体内から出ないし、ガンス族は犬と同じで汗を出さないのだが――軽くなった身体……。 
 恥ずかしい話だが、夜遊びをしまくっていたアウェイチームの方が、万全の体勢で迎えた筈のホームチームより動ける状態になっていた。
「変えなきゃいけない。だけどどこだ? 前は論外だけど中盤のキープも命綱だし、かといってDFラインに手を加えるのは……」
 俺はナリンさんにさえ聞こえない位の小声でそう呟く。
『どうやらお困りのようね? プロデューサーさん!』
と、悩む俺のそんな場違いな声がかかった。 
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